乱鳥の書きなぐり

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【南鐐二朱銀】(なんりょうにしゅぎん)とは  2-1

2025-01-14 | ことのは

 

【南鐐二朱銀】(なんりょうにしゅぎん)とは  2-1

 

 

【南鐐二朱銀】(なんりょうにしゅぎん)とは

 江戸時代に流通した銀貨の一種で、初期に発行された良質の二朱銀を指す。  

 正式名称については『銀座書留』などに「貮朱之歩判(にしゅのぶばん)」あるいこれを略して「貮朱判(にしゅばん)」と記述しており、南鐐二朱判(なんりょうにしゅばん)と呼ばれる。

 

 幕府が敢えて「二朱銀」と云わず金貨特有の美称である「判」を付して「二朱判」と称したのは、金貨である一分判に類する二朱の分判であり小判に対する少額貨幣として流通を目論んでいたことが窺える。

 

 

  概要

 本来江戸時代の銀貨は秤量貨幣(丁銀・小玉銀)であるが、南鐐二朱銀は金貨の通貨単位を担う計数貨幣として「金代わり通用の銀」と呼ばれ、「南鐐」という特別の銀を意味する呼称を冠した。  

 形状は長方形で、表面には「以南鐐八片換小判一兩」と明記されている。

 

「南鐐」とは「南挺」とも呼ばれ、良質の灰吹銀、すなわち純銀という意味であり、実際に南鐐二朱銀の純度は98パーセントと当時としては極めて高いものであった。

 

  南鐐二朱銀は明和9年9月(1772年)に勘定奉行の川井久敬の建策により創鋳される。

 これは出目(でめ/改鋳利益)による収益を目的として含んでいたことは確かであるが、田沼時代の商業を重用した積極的経済策が背景にあったとされる。

 

 寛政の改革時に一旦鋳造停止されたが、程なく発行が再開された。

 文政7年(1824年)には改鋳されてほぼ同質の新型の南鐐二朱銀が発行された。(Wikipedia)

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田沼意次について

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