乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

映画『愛しの座敷わらし』ロケ地:遠野ふるさと村、岩手山 他 和泉聖治監督 水谷豊 安田成美 草笛光子

2014-09-24 | 民俗考・伝承・講演
   (イラン)




   映画『愛しの座敷わらし』ロケ地:遠野ふるさと村、岩手山、胡四王神社 他   和泉聖治監督 水谷豊 安田成美 草笛光子


 映画『愛しの座敷わらし』を見た。
 岩手の風景や風習や暮らしぶりや言葉に興味を持った。
 以前柳田國男氏の『遠野物語』を読んだことがある。
 岩手は美しい。
 一度行ってみたいと思いながら、まだ夢は果たせない。
 日本の至る所に美しい村や街が在る。
 ゆっくりと回ってみたいものだなぁ~



 ロケ地

 岩手銀行 中ノ橋支店
 遠野ふるさと村
 岩手山
 岩手銀行 中ノ橋支店(重要文化財)
 盛岡商工会議所
 盛岡城跡公園
 小岩井農場
 滝沢村立姥屋敷小学校・中学校
 胡四王神社





 座敷わらし

 座敷童子(ざしきわらし)は、主に岩手県に伝えられる精霊的な存在。
 座敷または蔵に住む神と言われ、家人に悪戯を働く、見た者には幸運が訪れる、家に富をもたらすなどの伝承がある。
 柳田國男の『遠野物語』や『石神問答』などでも知られ、『遠野物語』の17話・18話および『遠野物語拾遺』87話に「ザシキワラシ」または「座敷ワラシ」の表記で話が掲載されており、17話には「この神の宿りたまふ家は富貴自在なりといふことなり」「ザシキワラシは座敷童衆なり」と記述がある。

『遠野物語』には、座敷童子が去った家の一家が食中毒で全滅した話や、岩手県土淵村(現・遠野市)大字飯豊(いいで)の資産家で、座敷童子を子供が弓で矢を射たところ、座敷童子は家を去り、家運が傾いたという話が残されている。
 座敷童子の去った家が没落する話は、貧乏神が去った家が裕福になるという話と関連しているとの見方もある。これについては映画でも出てきた。

 白い座敷童子は吉事の前触れであり、赤い童子(赤い顔、赤い服、赤い手桶を手にした童子)が目に見えるのは、童子が家を出て行くことによる凶事の前触れとの説もある。
 赤い服の童子を見たという家族一同が食中毒死した事例もある。

 近年では、座敷わらしに会える宿として岩手県の「緑風荘」「菅原別館」「わらべ」などがテレビ番組や雑誌に取り上げられているそうだ。

 映画では座敷わらしは飢饉による口減らしのために出現すると理由づけられていた。
 そのように考えられる民俗学の学者も存在する。
 座敷わらしにおいて色々な伝承や説が多く、本当のところはわからない。

 印象として、柳田國男氏の『遠野物語』は興味深く、読み物としても面白いことを付け加えておきたい。


 



監督 和泉聖治
脚本 金子成人
原作 荻原浩『愛しの座敷わらし』

水谷豊
安田成美
濱田龍臣
橋本愛
草笛光子

東映
2012年4月28日
109分
製作国 日本

『HOME 愛しの座敷わらし』(ホーム いとしのざしきわらし)として映画化。2012年4月28日公開。主演の水谷豊は、1983年公開の『逃がれの街』以来29年ぶりに映画単独主演を務めた。

あらすじ
父・晃一は食品会社の新製品開発責任者だったが、売れない豆腐プリンわさび味を作ったり、新たに創世した柿カレーにこだわりや愛情を注ぎすぎ、開発までに時間を掛けてしまい、東京から盛岡支店に半ば左遷された状態で、家族とともに岩手県の田舎町へと引っ越してきた。晃一が写真も見せずに家族に見せた家は築200年を数える古民家だった。東京での暮らしに馴れていた妻の史子は、突然の田舎暮らしに不安と不満でいっぱい。老人ばかりの近所付き合いにも戸惑う。前の外国人家族は1年ほどで引越したという。中2の長女・梓美にもただのボロ家にしか見えず、転校先の学校生活を考えると心が落ち着かない。転校前の学園生活でも人間関係で悩んでばかりだったからで、皆が書いた色紙も破ってしまう。同居する晃一の母親・澄代は田舎住まいには馴れた顔をしているものの、認知症の症状が始まりつつある。唯一、古民家への転居を楽しんでいる小4の長男・智也は、治りかけている喘息の持病をひどく心配され、サッカーをやりたくてもやれずにいる。晃一は家族の不平不満をなかなかうまく解消することはできないばかりか、支店でも馴れない営業職に悪戦苦闘する。誰もいない場所で物音が聞こえたかと思えば、囲炉裏の自在鈎(じざいかぎ)が勝手に動いたり、掃除機のコンセントがふいに抜けたり、手鏡に見知らぬ着物姿の子どもが映ったり、不思議な出来事が高橋家に起こり始める。この家には東北地方の民間伝承で有名な「座敷わらし」が住んでいるという。一風変わった同居人と共同生活をすることになった高橋一家は営業不振、更年期障害、認知症などを抱えながら、その生活に順応していく…。










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大鳴門橋(おおなるときょう)   兵庫県南あわじ市福良丙 (淡路島門崎)

2014-09-24 | お出かけ




    大鳴門橋(おおなるときょう)



 

 


 大鳴門橋(おおなるときょう)は、兵庫県南あわじ市福良丙 (淡路島門崎)と徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦(大毛島孫崎)間の鳴門海峡の最狭部を結ぶ吊り橋です。

 1985年(昭和60年)6月8日に開通しました。

 本州四国連絡高速道路が管理しており、本州と四国を結ぶ三つの本四架橋ルートの1つである神戸淡路鳴門自動車道として供用され、四国地方と近畿地方の交通の要になっているそうです。

 

 大鳴門橋(淡路島側)の近くで、鳴門の渦潮を見ました。

 幸運にも時間がぴったりと合い、徳島で見た時よりもはっきりとした渦が巻いておりました。

 

                2014年9月 




    
    

 






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鳴門の渦潮    鳴門海峡(淡路島)

2014-09-24 | お出かけ






    鳴門の渦潮



 


 先日のこと。淡路島に行き、鳴門海峡で発生する渦潮を見ました。
 徳島県鳴門市からは見たことがあったのですが、淡路島で見たのは初めてです。

 
 船は、美味く渦潮を避けて走られていたように思えました。

 

 Wikipediaによれば、次のように書かれていました。
 潮汐により1日に2回大量の海水が瀬戸内海に流れ込み、また同様に1日に2回瀬戸内海から流れ出す。
 瀬戸内海と太平洋の水位差は最高で1.5mにも及ぶ。
 海峡の幅が狭いことに加え、海底の複雑な地形も影響し、潮流は13~15km/hの速度で流れる。大潮の時には20km/hに達することもある。
 この潮流の速度は日本で一番速く、「世界三大潮流」にも数えられることもある。 
 この早い潮流と、海峡両岸に近い穏やかな流れの境目において、渦が発生する。
 大潮の際には渦の直径は最大で30mに達するといわれ、渦の大きさは世界でも最大規模といわれる。




           2014年9月

    

 













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つれづれ 栗赤飯

2014-09-24 | 乱鳥徒然 Rancho's room.
   (石上神宮   奈良 天理)





 先日のこと。山辺の道(石上神宮~柳本駅)を散歩した。
 途中、マスカットを購入。一パック百円。
 程よく甘く、さわやかなお味で、日差しの強い秋のもとを歩くわたくしたちの心にちょっとしたアクセントをプレゼントしてくれた。

 また歩く。
 てくてく歩くと、栗が売られていた。
 納屋の中には小学校高学年の男の子が、栗の選別をしている。
 三百円の物と百五十円のネットがあった。いずれも四百五十グラム。
 栗は今朝拾った物で、一日たつと水分が蒸発して五十グラムばかり目方が減るという。
 三百円の物と百五十円の栗の違いは、大きさだという。
 私は奮発して(笑)三百円の栗を三つ購入。
 ついでに横に置かれていた安納芋一袋百円もお願いし、きり良く合計千円を支払う。

 家に帰り栗をボールに移す。山盛りくりっくりの栗だ。
 大きな栗が目をまんまるくして笑っている。

 山盛りの栗の六割方をゆでる。
 残りはとりあえず皮を剥く。
 そのうち半分は、鬼皮も剥くことになる。
 相当量の作業である。

 単純な作業なので、まな板をリビングに持ち込んで映画を見ながらせっせせっせと剥いた。
 私ってえらい☆と自分をほめてあげる。

 途中、安納芋が焼き上がる。
 栗もゆであがる。
 安納芋を割ると、ゴッホの籾撒幾何と思わせる黄色の絵面。美しい色彩だ。
 栗もほくほく。虫のいず、痛んだ栗が少ない。ただただ惜しいことに、甘さが足りない。

 安納芋を食べ栗をほじくり映画を見ながら、せっせとくりの鬼皮をむく。
 他人様には見せられない光景だなとほくそ笑む。

 黄色の肌を見せた栗を水につける。
 翌日、小豆をゆで、餅米を用意。
 赤飯用の炊飯器に半分に切った栗をゴロゴロと並べ、蒸しもせで、おこわ用のスイッチを入れて炊く。

 小豆たっぷりの上にゴロゴロと栗が入った栗赤飯は美味かった。
 
 ところで、奈良に住んで驚いたことがある。
 市販の赤飯の塩が濃い。塩味たっぷりの赤飯に、はじめは何事かと驚いた。
 お味たっぷりの塩赤飯なのに、ごま塩までついている。
 地方がら、塩味は感じない程度のお味で、ごま塩を少しふって頂く赤飯に慣れていた私。
 南座 横の祇園饅頭の栗赤飯が美味いとにんまりし、我が家の栗赤飯は栗が多いと胸を張る。
                                    さよ




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秋の夕暮れ、回文「大和川 大和の苫屋 我が苫屋」で、定家さんを思い出す。

2014-09-23 | 乱鳥徒然 Rancho's room.


 

   大和川 大和の苫屋 我が苫屋

   やまとがわやまとのとまやわがとまや   乱

 

 奈良に住んでしばらくして作った回文のひとつです。

   大和川 大和の苫屋 我が苫屋
   やまとがわやまとのとまやわがとまや


 これを作ったきっかけは、おそらく小学生の頃に親戚のおうちに一週間程遊びに行った経験があるためと思われます。

 親戚のお家の隣のお兄さんが教えてくれた「秋の三夕」が、親戚の住んでいた田舎の情景に当てはまる部分がありました。

   こんな空を見た。    秋の三夕   (2景)



    


 見渡せば花ももみじもなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ
                                   藤原定家

 さびしさはその色としもなかりけり まき立つ山の秋の夕暮れ
                                   寂連法師

 心なき身にもあわれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ
                                   西行法師


 

 

 

 

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こんな空を見た。    秋の三夕   (2景)

2014-09-23 | ことのは









 
 こんな空を見た。奈良の、秋の夕暮れ

 
 こんな空も見た。能楽『殺生石』を待つ、秋の夕暮れ




    





 小学生の頃、秋の三夕を覚えた。
 親戚のおうちに一週間程お泊まりに行った時のことだった。

 隣のお兄ちゃんが受験勉強で、毎日問題集を格闘していた。
 そのお兄ちゃんが
「三首を覚えてみ」
と資料集(?)を手渡してくれた。
 感じの良いお兄ちゃんだった。
 そのお兄ちゃん、こともあろうか わたくしの中では 定家さんとイメージが重複している。 ←あほか

 
 見渡せば花ももみじもなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ
                                   藤原定家

 さびしさはその色としもなかりけり まき立つ山の秋の夕暮れ
                                   寂連法師

 心なき身にもあわれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ
                                   西行法師



           貴方は、どの歌が好きですか?




 
 2014年9月21日

 
 2014年9月22日




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七支刀(国宝)で有名な、石上神宮(いそのかみじんぐう)    山辺の道(近鉄 天理駅側) (9景)

2014-09-22 | お出かけ


 

   石上神宮(いそのかみじんぐう) 
   



 天理駅側から柳本まで山辺の道を散歩しました。
 まずはじめは石上神宮(いそのかみじんぐう)

 参道は少し温度が低いような、しっとりと漆器を感じる気持ちのよい道でした。
 鳥居近くには、柿本人麻呂歌碑

    未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者
    おとめらが そでふるやまの みずがきの ひさしきときゆ おもいきわれは



 

 
  出雲建雄神社拝殿(国宝)

 
 牛の像
 若干歌舞伎役者の中村橋之助さんの見得を思い浮かべる男前の牛でした ←あほか!

  
 石上神宮の神使、鶏
 写真の外、烏骨鶏や顔の前がくすんだ紫色のくちゅくちゅになった鶏冠が垂れている鶏などがいらっしゃいました。
 神使ということですので、敬意をはらって御鶏様に対し敬語を使っておりまする。


 
 七支刀(しちしとう、ななつさやのたち)のお守り

 
 神饌を絵馬にした根野菜は月代わりの絵馬のようです。
 これなら説明にもあるように ご利益がありそうですね^^
     家庭、店舗、お食い初め、偏食


 石上神宮(いそのかみじんぐう)の国宝と重要文化財
 国宝
   拝殿
   摂社出雲建雄神社拝殿(せっしゃいずもたけおじんじゃはいでん)
   七支刀(しちしとう、ななつさやのたち)

 重要文化財(国指定)
   楼門 - 文保2年(1318年)建立
   鉄盾二枚 - 古墳時代。出土品でなく伝世品
   色々威腹巻(いろいろおどしはらまき) - 「腹巻」は甲冑の一種
   禁足地出土品(勾玉・管玉・環頭大刀柄頭 等)

 
 塀の左上には鬼瓦 すぐ下の瓦には「石上社」の文字

 






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『天理市立黒塚古墳展示館』三角縁神獣鏡33面 画文帯神獣鏡1面(複製)、黒塚古墳石室 原寸大模型

2014-09-22 | 美術・文様・展示物





  『天理市立黒塚古墳展示館』

 

 



『天理市立黒塚古墳展示館』

 天理の石上神社(いそのかみじんじゃ)から柳本まで散歩した後、天理市立黒塚古墳展示館に立ち寄ってみました。
 一階には吹き抜け下に黒塚古墳の石室が原寸大(長さ8.3m)で再現されております。
 不思議なことに、底の水銀朱の紅は薄い部分が広く、中央に濃い水銀朱が再現されておりました。ですがこれについてはおろか水銀朱の説明さえ記されて要らず、詳しいことはわかりませんでした。

 黒塚古墳(古墳時代初期の前方後円墳である)から出土した鏡の複製品が展示されています。
 二階では三角縁神獣鏡33面、画文帯神獣鏡1面
 オリジナルではないとはいえ、おそらく中国方伝えられたであろう文様の面白さに見入ってしまいました。
 また、神文と獣文の数を数え、配置角度を楽しみ、回りの文様を丹念に見てまいりました。
 こういった鏡のオリジナルは奈良県立橿原考古学研究所で拝見させて頂いたことがありますが、大和古墳群を見てのハイキングの帰りに黒塚古墳の側で見る鏡はレプリカとはいえ良い味わいがあるなと感じました。




   
  『天理市立黒塚古墳展示館』
   奈良県天理市柳本町1118-2
   



 






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97;『観世流謡曲百番集』『謡曲百番集』より 謡曲「殺生石」 ←絵巻「紙本著色源翁和尚行状縁起」

2014-09-22 | 観世流(続)百番集、日本古典文学大系(謡曲)、能楽関係本
(2011年09月24日  蕎麦畑 背景の紅は蕎麦の茎。なんだか物悲しい色に感じる。今頃、そばの花は咲いている頃だろう… )




  97; 『観世流謡曲百番集』『謡曲百番集』(新日本古典文学大系 緑)より「殺生石」



 
 『観世流謡曲百番集』540-551
 『謡曲百番集』   441-446




 新日本古典文学大系によればもとは絵巻物から能楽につくり変えられたとのこと。

 Wikipediaには絵巻「紙本著色源翁和尚行状縁起」と記されていた。

 能楽の「殺生石」の筋書きは省略させて頂きます。





 殺生石 伝説  (Wikipedia)
 鳥羽上皇が寵愛した伝説の女性、玉藻前(白面金毛九尾の狐の化身)が正体をあらわし、数万の軍勢によって殺害され、石となったという逸話がある。

 その後、至徳2年(1385年)に玄翁和尚によって打ち砕かれ、そのかけらが全国3ヶ所の高田と呼ばれる地に飛散したという。
 玄翁によって砕かれた殺生石が飛来したと伝えられる地は多くある。
 一般に美作国高田(現岡山県真庭市勝山)、越後国高田(現新潟県上越市)、安芸国高田(現広島県安芸高田市)、または、豊後国高田(現大分県豊後高田市)と言われている。
 また、飛騨に散った破片が牛蒡種に、四国に飛来したものが犬神になり、上野国(現・群馬県)に飛来したものがオサキになったともいう。
 岡山県真庭市勝山には、玄翁の開山による化生寺境内に、殺生石の石塚が存在している。

 また、これも玄翁の開山とされている、福島県白河市表郷中寺、常在院境内にも、殺生石の破片と言われる石が祀られており、玄翁の座像と、殺生石の縁起を描いた絵巻「紙本著色源翁和尚行状縁起」が伝えられている。






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日本・スイス国交樹立150周年記念『エメー・アンベールー -スイス特派使節が見た幕末日本』

2014-09-22 | 美術・文様・展示物


 

 

 

 【企画展】日本・スイス国交樹立150周年記念『エメー・アンベールー -スイス特派使節が見た幕末日本』

 2014年9月2日(火)~28日(日) 
 主催 奈良県立図書情報館
 共催:ドイツ東洋文化研究協会  後援:在日スイス大使館、スイス政府観光局


 

 「日本とスイスの150年-そして?」


 図書館の珠玉 大学図書館所蔵稀覯書紹介 神奈川大学 図書館より吉田隆氏  エア・アンベール『幕末日本図絵』初版


 




 1864年、日本とスイスは修好通商条約を締結ました。
 スイスは日本と通商条約を結んだ8番目の国だそうです。
 奈良の図書館では【企画展】日本・スイス国交樹立150周年記念『エメー・アンベールー -スイス特派使節が見た幕末日本』が開催され、当時の資料などをもとにパネル等で紹介されています。

 以下は企画展とは関係なく、わたくしごととなりますことをご了承下さい。
 学生時代ヨーロッパ七カ国(正確にはバチカン市国を入れて八カ国)行きました。
 訪れた国の中にスイスも含まれていました。
 スイスは美しい国です。
 街を歩いていると、長蛇の列。
 私は後尾のスイス人に何事かと問うてみましたら、時計の展覧会(または展示場)だということでしたので、彼女の後ろに並ぶことにしました。
 時計の展覧会(または展示場)は無料で、入場券や招待券は必要ありませんでした。
 中に入ると輝かしい宝石のついた豪華な時計が並び、小恥ずかしい思いをした物です。
 この時、改めて、スイスといえば時計という概念も、まんざら間違いでもなかったと感じました。
 時計を限定した場合、私の場合は、スイスでのこの時と、テヘラン(イラン)の宝石博物館で見た時計が、最高に豪華だったのではないかと思っています。



 
 


 アンベールについて-その生い立ちと祖国スイスの海外進出
 神奈川大学 図書館より吉田隆氏  エア・アンベール『幕末日本図絵』初版より

 教師から文部長官へ

 アンベールは1819年6月29日にスイス北西部、ジュラ山脈の麓のフランス国境近くに位置し、スイスの時計産業の発展の中心を担ってきたラ・ショー・ド・フオンのビュルルに生まれ、1900年9月19日にレマン湖北側のヌーシャーテルで亡くなった。
 初等教育の終了後、ローザンヌのアカデミーで、史学、ギリシャ語、ギリシャ語、ギリシャ文学、宗教学などを学び、1835年ドイツのヴェルテンベルグの寄宿学校でフランス語の教鞭をとった。
 1839年にテュービンゲン大学に入学し言語学、哲学、一般文学を修めたが中退し、モルジュの高等学校で中級ラテン語の講師になった。

 1846年8月に辞めるまでの教師生活の中で、ヨハン・ヤーコブ・ホッティンガー Johann Jakob Hottinger(1783-1860)を知り、彼の著書『ウルリヒ・ツヴィングリとその時代』の仏訳、Ulrich Zwingli et son epoque., traduit de l'allemand par Aime Humbert. Lausanne: M. Ducloux, 1844.を出版している。
 1830年のフランス七月革命の影響を受けてヨーロッパ全体に自由主義の潮流が大きく動き出した時代状況下で、スイスもプロテスタントのカントン(邦)とカトリックのカントン(邦)との対立がこれまで以上に現れていた。
 1845年ヴォーのカントンで革命が勃発し、1848年3月3日、臨時政府の委員に任命され、17日にモーチェMotieres及びラ・ショー・ド・フォンのカントン(邦)より選出されて憲法議会の一員となり、5月4日、邦内閣の文部長官になった。

 スイスのアジア市場進出

 1857年にシャン・ド・フォンとル・ロクルの「ユニオン・オルロジェール」(時計生産者組合)Union Horlogereの会長になり、1858年にラ・ショ・ド・フオンに事務所を設け、ザンクトガレンの商業指導局と業務提携を行った。
 時計業界の貿易上の行き詰まりとのアジア向け貿易を考えていたザンクトガレンの木綿工業界との思惑が一致し、そのことが商業指導局を通じてスイス連邦政府に日本との修好通商条約の締結に向けての派遣を促した。
 すでに、シンガポールにアジア向け商館を設置していた「時計生産者組合」は、組合の輸出部門のアジア局総支配人であるプロイセンのルドルフ・リンダウ(Lindau, Rudolf 1830-1910)を日本に向けて1859年4月に日本へ派遣していた。
 リンダウは、肩書きはスイス連邦使節で、後述するようにアンベールのようスイス連邦の代表として日本と和親・通商条約の交渉を行い、批准の用意をもとにこれを締結する任務を与えられたスイス連邦全権公使ではなく、通商関税局の代表でしかなかった。

 リンダウは、1859年(安政6年)9月3日に長崎に到着、10月中旬に神奈川に移り、横浜の運上所で2回にわたって幕府との交渉を行ったが、彼の交渉は失敗に終わり、彼は1860年1月に日本を去る。
 後にリンダウは再度来日し初代のスイス連邦駐日領事となり、著書Un voyage autour du Japon. Paris: L. Hachette, 1864.(この書の邦訳には森本英夫訳『スイス領事の見た幕末日本』新人物往来社1986年と飯森宏訳『日本周航記』西田書店1992年)の中で「日本の親切な持てなしが私に残してくれた思い出は、横浜や長崎で生活してきたヨーロッパ人のだれをも驚かすことはないであろう。
 彼らのうち何人かは、この日本でこれと似た歓迎を受けてきているからである。日本の庶民は実際に外国人が好きである」「彼らは外国人の優れた面を否定」しないと述べ、日本人の人間性に深い共感を持った(森本206頁参照)。


 遣日使節団長として日本へ

 1861年(文久1年)1月にプロイセンが日本との修好通商条約を締結すると、スイスも日本との修好通商条約締結の使節を送る機運が高まり(今現在でも、複数のスイスの歴史学事典には日本との修好通商条約についての詳細な記述は少ないが)、1861年7月、使節派遣費用の予算が決定して1862年5月、スイス連邦議会はアンベールを遣日使節団長に任命した。スイスはいまだ和親条約を締結していなかったからアンベールは、日本と親密なオランダ国の国籍を取り代表資格を得た。また彼をはじめとして代表団の中には誰一人日本語を話せる者がいなかったため、アンベールは当時、日本が外国人との<コミュニケーション>に使用していたオランダ語の習得に励み、来日に備えた。
 1863年(文久3年)4月9日に長崎に到着した代表団は、オランダ政府の軍艦で横浜に向かった。


 

 

 




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映画『ラブ・レター』森崎東監督  浅田次郎原作 中井貴一 耿忠 山本太郎 根津甚八 倍賞美津子 柄本明

2014-09-21 | 映画
(2011年秋 フェルメール展   この絵の少女と耿忠(康白蘭)さんの手紙を書く心理状態は大きく違う。)



   映画『ラブ・レター』 森崎東監督  浅田次郎原作 中井貴一 耿忠 山本太郎 根津甚八 倍賞美津子 柄本明 大杉漣





 映画『ラブ・レター』も二度目
 昨日は一気に好きな映画を二作品続けざまに見たことになる。

   前回の『ラブ・レター』記録 ▼

   映画『ラブ・レター』 森崎東監督  浅田次郎原作 中井貴一 耿忠

   評価は 9/10と高く、今回と同じくらいの印象。


 前回は
 耿忠(康白蘭)さんの手紙の声の強弱

「吾郎さん、吾郎さん、吾郎さん、吾郎さん…」

で涙が出た。
 …と書いているた。

 今回もここで琴線に触れる。
 抑揚のある感情移入された「吾郎さん…」の言葉は

 「吾郎さん
    吾郎さん

   吾郎さん吾郎さん

      吾郎さん
 
     吾郎さん

         ゔあ


 であった。(声色や強弱はうる覚え)








 『ラブ・レター』9★

(1998)
goo映画より▼


監督 森崎東
脚色 中島丈博
森崎東
原作 浅田次郎
企画 鍋島壽夫
製作 八木ヶ谷昭次
石川富康
プロデューサー 田沢連二
中島芳人
撮影 浜田毅
美術 重田重盛
音楽 松村禎三
音楽プロデューサー 小野寺重之
録音 原田真一
照明 長田達也
編集 後藤彦治
衣裳/スタイリスト 本間邦人
酒井ゆかり
助監督 石田和彦
スクリプター/記録 桜木光子
スチール 川澄雅一

キャスト(役名) - ラブ・レター(1998)
中井貴一 (高野吾郎)
耿忠 (康白蘭)
山本太郎 (中山サトシ)
根津甚八 (佐竹義則)
大地康雄 (穴吹樟雄)
倍賞美津子 (醍醐ミサオ)
柄本明 (伊藤常夫)
名古屋章
佐藤B作
平田満
洞口依子
光岡優
内田春菊
李媛
大杉漣
笹野高史
六平直政
浦田賢一
でんでん
諏訪太郎
真実一路
スタッフ - ラブ・レター(1998)



解説

偽装結婚したチンピラと中国人女性の心の交流を描いた恋愛ドラマ。監督は「美味しんぼ」の森崎東。第117回直木賞を受賞した浅田次郎の「鉄道員」に収録された同名短編を「愛の黙示録」の中島丈博と監督が共同脚色。撮影を「北京原人 Who are you?」の浜田毅が担当している。主演は「Morocco 横浜愚連隊物語」の中井貴一。



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映画『壬生義士伝』 浅田次郎原作 滝田洋二郎監督 中井貴一 佐藤浩市 夏川結衣 村田雄浩 中谷美紀

2014-09-21 | 映画
   (テヘランのナッツ屋さん   バザールのなかの店ではなく、大通りに面す普通のお店)



 映画『壬生義士伝』 2002年 浅田次郎原作 滝田洋二郎監督 中井貴一 佐藤浩市 夏川結衣 村田雄浩 中谷美紀 伊藤淳史



 2010年01月09日にも見た映画『壬生義士伝』を再び見る。

 以前の記録 ▼
 映画『壬生義士伝』 2002年 浅田次郎原作 中井貴一 佐藤浩市 夏川結衣 


 前回の記録も高評価の9/10
 今回も同じくらいの面白みを感じていた。


 実力派の役者さんたちが軒並み力をあらわすと、こういった映画ができるのかと感心する。
 芸術作品と間ではいわないが、十分に満足のいく映画作品に仕上がっている。


 南部の武士の義を十分に見せて頂いた。


 映画『切腹』は竹光であったが、今回はやはり切腹には相応しく無い 刃こぼれした刀
 幼なじみの計らいで「武士らしく切腹せよ」と頂戴した刀は真新しいまま息子に残す。
 ここでも、涙

 涙、涙、涙
 涙無くしては見られない映画であった。

 
 
 
              

   映画『壬生義士伝』【When the Last Sword Is Drawn)



 ★★★★★ ★★★★☆

 日本 137分 2002年

 原作 浅田次郎
 
 脚本 中島丈博

 監督 滝田洋二郎

キャスト
吉村貫一郎:中井貴一
斎藤一:佐藤浩市
大野次郎右衛門:三宅裕司
ぬい:中谷美紀
しづ:夏川結衣
近藤勇:塩見三省
沖田総司:堺雅人
土方歳三:野村祐人
伊東甲子太郎:斎藤歩
篠原泰之進:堀部圭亮
園山七三郎:塚本耕司
永倉新八:比留間由哲
谷三十郎:神田山陽
近藤周平:加瀬亮
佐助:山田辰夫
吉村嘉一郎:藤間宇宙
徳川慶喜:伊藤英明
大野千秋:村田雄浩
大野千秋(少年時代):伊藤淳史
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96:『近松浄瑠璃集上』から「大経師昔暦」 近松門左衛門 日本古典文学大系(201~251)/映画『近松物語』

2014-09-20 | 近松門左衛門



96: 『近松浄瑠璃集上』から「大経師昔暦(だいきょうじ むかしごよみ)」(201~251ページ)  近松門左衛門 日本古典文学大系 



 映画『近松物語』(人形浄瑠璃・歌舞伎の演目『大経師昔暦』)溝口健二監督 大映 1954年 長谷川一夫を楽しんだその晩から読み始めた近松門左衛門作の「大経師昔暦(だいきょうじ むかしごよみ)」を本日読了。
 最後は黒谷の和尚さんに助けられるという大どんでん返し。
 またまたどんでん返し。
 不義密通張付け獄門の景に処せられる粟田口へ、二人背和え早稲に馬に乗せられ粟田口へと向かう途中、二人の表情には安堵感と幸せ満足感が漂うといった違った形での精神的な救いの描写がなされていた。

 次は『近松全集』か、はたまた『歌舞伎全集』か…
「大経師昔暦(だいきょうじ むかしごよみ)」を読んでみたい。

『近松浄瑠璃集上』をぱらぱらとめくってみるとうれしいことに「大経師昔暦(だいきょうじ むかしごよみ)」の前の作品は馴染みの演目「夕霧阿波鳴門」
 多少也とも芝居が好きで良かったとほくそ笑む。

 

 後夜の鐘をつく時ハ諸行無常と響くなり………
 
 『観世流続謡曲百番集』「三井寺」
 
 日本古典文学大系『近松浄瑠璃集上』 「大経師昔暦(だいきょうじ むかしごよみ)」
 上の描写は味わい深いので、「大経師昔暦(だいきょうじ むかしごよみ)」の中でも、私の好きな場面(部分)のひとつといえる。
 上には一部『観世流続謡曲百番集』「三井寺」がある。



 


 映画『近松物語』(人形浄瑠璃・歌舞伎の演目『大経師昔暦』)溝口健二監督 大映 1954年 長谷川一夫
 95:『観世流続謡曲百番集』「三井寺」  日本古典文学大系に謡曲より「大経師昔暦」

 
 
   










コメント (2)
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95:『観世流続謡曲百番集』「三井寺」  日本古典文学大系に謡曲より「大経師昔暦」

2014-09-20 | 読書全般(古典など以外の一般書)



95: 『観世流続謡曲百番集』「三井寺」



 先日映画『近松物語』(人形浄瑠璃・歌舞伎の演目『大経師昔暦』)溝口健二監督 大映 1954年 長谷川一夫を見ました。

 元の近松作品を読みたくて、映画を楽しんだひの夜、『近松全集』、『歌舞伎全集』、日本古典文学大系『近松浄瑠璃集上』から「大経師昔暦(だいきょうじ むかしごよみ)」を探し出し、とりあえず日本古典文学大系『近松浄瑠璃集上』の「大経師昔暦(だいきょうじ むかしごよみ)」を読み始めました。

 『近松浄瑠璃集上』「大経師昔暦(だいきょうじ むかしごよみ)」(日本古典文学大系)に謡曲「三井寺」の一節が出てきたので、「三井寺」を楽しみました。(百番集505ページ)


 
 『観世流続謡曲百番集』「三井寺」
       「」で記した部分が日本古典文学大系の『近松浄瑠璃集上』「大経師昔暦(だいきょうじ むかしごよみ)」に出てきた処
       その前の行から照らし合わせても面白い。

   後夜の鐘をつく時ハ諸行無常と響くなり………



 謡曲「三井寺」は『観世流続謡曲百番集』にして10ページ程
『観世流続謡曲百番集』「三井寺」では月の表現が見事です。




   

 







 『近松浄瑠璃集上』「大経師昔暦(だいきょうじ むかしごよみ)」
          日本古典文学大系に謡曲「三井寺」 201-251ページ (241)
          『観世流続謡曲百番集』「三井寺」 505-509ページ (509)


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中村翫雀改め四代目 中村鴈治郎襲名披露 一月昼『吉田屋』夜『 封印切』 二月昼『傾城反魂香』夜『連獅子』 

2014-09-19 | 舞台・音楽 雑感メモ
   (イラン ナクシェロスタムで出会ったお医者さんのお嬢ちゃん)



 楽しみにしていた四代目中村鴈治郎襲名披露の演目の発表があり、案の定友人からつい先ほど、電話がかかりました。
 
 中村翫雀改め 四代目中村鴈治郎襲名披露 壽初春大歌舞伎と二月大歌舞伎の演目

     一月 昼『吉田屋』
        夜『 封印切』 
     二月 昼『傾城反魂香』
        夜『連獅子』




 馴染みの好きな演目ばかりです。
 他の演目や役者さんたちは後日発表とのことです。
 詳細の発表を見てから考えたいと思います。
 とりあえず




 
 京都(建仁寺  2014年9月)



大阪松竹座

中村翫雀改め
四代目中村鴈治郎襲名披露
壽初春大歌舞伎
平成27年1月2日(金)~26日(月)

昼の部

玩辞楼十二曲の内 廓文章(くるわぶんしょう)
吉田屋
   
藤屋伊左衛門 翫雀改め 鴈治郎
ほかの演目は決まり次第掲載します。
夜の部

恋飛脚大和往来
玩辞楼十二曲の内 封印切(ふういんきり)
   
亀屋忠兵衛 翫雀改め 鴈治郎
ほかの演目は決まり次第掲載します。




大阪松竹座

中村翫雀改め
四代目中村鴈治郎襲名披露
二月大歌舞伎
平成27年2月1日(日)~25日(水)

昼の部

傾城反魂香(けいせいはんごんこう)
   
浮世又平 翫雀改め 鴈治郎
ほかの演目は決まり次第掲載します。
夜の部

連獅子(れんじし)
   
親獅子の精 翫雀改め 鴈治郎


 データーは歌舞伎美人






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