2018/4/26
「原撰の53首の万葉歌編む人は誰決めるは難し()」
「一、二巻人麻呂あたりが関与せり原『古事記』への関与もしかり()」
「古事記では推古女帝で唐突に終わる理由のよき説明を
(天智とか天武持ち出す余裕がなかった)」
「万葉が舒明ではじまるその意味は古事記のあとを引き継ぐゆえと
(推古のあとを蘇我氏の後押しで舒明がなった。偉大な天智・天武は舒明・皇極から始まった)」
「舒明なるあとを継げるは皇極も大化の改新あと孝徳になる(お飾りで中大兄への時間稼ぎ)」
「孝徳は難波に都造れども皆に背かれ置いてけぼりに(妻の間人皇后にも)」
「家持にとって諸兄はメンターで万葉集を編纂するか()」
「福麻呂が諸兄に仕え家持に資料と共に指令を伝う()」
「家持の万葉関与は当然もどんな感じで作業をせしか(あまり論じられていない)」
「諸兄とか父の美努王かすみたり少し注目して光らせよ(橘三千代も調べよ)」
「橘三千代に流れる葛城は不比等に対しいかに処せしか(藤原を嫌ったのではないか)」
「宮子とか三千代は不比等心底にいかに思わん知りてもみたし()」
「宮子なる聖武の母は幽閉のときを過ごして大夫人へと
(調子のいいとき一度出会ったらしいが、詳細は伝わらず)」
「梅原氏宮子の素性を掘り下げる論考確かあったと記憶()」
「宮子とか三千代の思い知りたるかしだいに反抗藤原の血に()」
「聖武とは光明子とは同い年おなじ思いで時を過ごせし
(そう思いたい。少なくとも寄り添ったのだろう。)」
「万葉の最終歌なる家持の歌は予祝も波乱は続く(最終歌は759年)」
「最終の歌のあとには歌読まぬ余生の二十と三年余り
(一首も歌っていないのは疑問だが、詳細は不明。785年没)」
「額田王井上靖の著せる中古の本の再読をせり()」
「タイトルに吸い寄せられて購えり『沼の司祭者 額田王』(吉田金彦著)」
「『あかねさす』紫野の歌の解釈に日野の必佐が出てきたりして(近江の日野も蒲生であるが)」
「古事記とは一年足らずで安万呂が編むが原本すでにありたり(原『古事記』があったからできた)」
「古事記とか万葉集は長屋王に釘刺すために世にでるという(中村真弓説)」
「大伴長徳なるは蘇我滅び孝徳朝の左大臣へと(長徳以前の大伴の系図を知ろう)」
「人麻呂を知りたきほどに額田にも興味がつきぬこの頃となる()」
「古事記での本文なども重要もさらに上いく二つの序文(真名序とかな序)」