2015/03/10
「シェイクスピア・ソネット集の25番に、『私は運命のめぐりあわせで、さような栄達とは無縁だが、おもいがけなくも最高の光栄を享受している』とある。読んでいて赤ペンで思わずマークした。
理由はあることが前提になっている。つまり、シェイクスピアは実在するが、彼は才能溢れる戯曲を書いた当人ではなく、全くの別人であるという説がある。しからば本物は誰か、急転直下たが、本物はエリザベス女王のそばにいるオクスフォード伯であると言う前提である。オクスフォード伯は12歳でエリザベス女王の庇護の元、ウィリアム・セシルに預けられ、国家の子供として育てられた。そのオクスフォード伯が戯曲や詩を書き始めた時期はわからないが、それらの作品はオクスフォード伯の遺書でもある。だから、戯曲や詩を味わいながら、彼が育てられた環境や形成された思想等のヒントになる箇所や表現をわれわれは待っている。そういう意味でこの箇所はマーキングする価値があった。
さて、その箇所が示すことはオクスフォード伯は
1:ある運命から栄達とは無縁であるが
2:最高の光栄に浴している
といっている。
確かに、国家の子供として育てられたオックスフォード伯にぴったりの表現である。ただ、オクスフォード伯はエリザベス女王に可愛がられており、自分ではエドワード7世としてエリザベスの後を継ぐ気持ちもあったらしい。上記の1とは矛盾するが、ウィリアム・セシルやその息子のロバート・セシル等の関係で何となく、微妙な事情があるようだ。もう少し全体を見るためには、更なる深読みが必要かと思う()」
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