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『遠山啓~西日のあたる教場の記憶』をまとめたい。書いたのは先日亡くなった吉本隆明氏である。最初にこれを読んで吉本氏が遠山さんに大学で講義を受けていたことにびっくりした。吉本氏にとって遠山さんの講義はそれから何度も現れるイメージとして残る。
氏の受けた講義は『量子論の数学的基礎』というものらしい。講義の中身はさておき吉本氏は講義から『学問』というものを学んだ。(このときの遠山さんは「敗戦とはなにか、大学とはなにか、そして〈学問〉とはいったいなにかについて確乎とした構想をもち、公開するだけの気力と蓄積とをこの学校の小使いさんのような詰襟すがたの壮年の教師が内包していること」を意味していた。)
いずれにしても微かな光のようなものを決定的に受け取った、らしい。
吉本氏があらゆる職から見放されたとき、遠山さんはアルバイトの就職口を世話してくれた。たぶん、理念で落ちこぼれた吉本を人格で拾い上げてくれたのだろう、と推し量っている。
晩年の遠山さんは、新たな視点から数学基礎論の建設に向かおうとしたのではないか。つまり、〈構造〉の概念を駆使して数や図形の集合の意識学をつくりあげることを考えたのではないか。この延長上にはフッサールの現象学があり、フッサールが意識の幾何学ともいうべき純粋現象学を建設していったとすれば、遠山さんも数学で同じようなことをしようとしたのではないか。そのへんの事情は『』代数的構造に萌芽が見られる。
数学者と哲学者の仕事のやり方はちがうであろうが遠山さんが行おうとしていた数学と哲学のその融合の姿はもう見ることはできない。
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