がじゅまるの樹の下で。

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貝摺奉行所跡

2017年01月13日 | ・琉球歴史/文化風景

 

首里城のふもと、
県立芸術大学の敷地内には
かつて、

貝摺奉行所
(かいずりぶぎょうしょ)

がありました。

 

琉球が国としての威信をかけて
力を入れていたことの一つが「芸術」でした。
それは芸能であり、美術工芸品。

だって、
こんなに小さい琉球では
資源は乏しいし限りがあるからね。

 

芸術のうちの、
美術工芸部門を扱っていたのが、
貝摺奉行であり、ここ貝摺奉行所でした。
(ちななみに芸能部門は踊奉行)

 

 

琉球の美術工芸は
「町の絵描きさん」や「町の職人さん」が
それぞれの感性や欲求に応じて制作して発展したのではなく、
王府が職人を管轄し、
王府の主導で製作をさせることで
発展していきました。

だから、美術工芸品をどう作るかは
職人個人の自由ではなく、
ここ、貝摺奉行所で全て決められていたんですね。

 

図案、色、大きさ、量、質、、、
きっと政治的思惑も絡めていたことでしょう。

 

工芸品を作ることは
国を左右する重要な仕事の一つ
だったということです。

 

こちらも是非↓
過去記事「琉球の国力」

 

 


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文章に出てくる毛氏保栄茂親雲上盛良とは
護佐丸の子孫かな。

 

 

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