首里城のふもと、
県立芸術大学の敷地内には
かつて、
貝摺奉行所
(かいずりぶぎょうしょ)
がありました。
琉球が国としての威信をかけて
力を入れていたことの一つが「芸術」でした。
それは芸能であり、美術工芸品。
だって、
こんなに小さい琉球では
資源は乏しいし限りがあるからね。
芸術のうちの、
美術工芸部門を扱っていたのが、
貝摺奉行であり、ここ貝摺奉行所でした。
(ちななみに芸能部門は踊奉行)
琉球の美術工芸は
「町の絵描きさん」や「町の職人さん」が
それぞれの感性や欲求に応じて制作して発展したのではなく、
王府が職人を管轄し、
王府の主導で製作をさせることで
発展していきました。
だから、美術工芸品をどう作るかは
職人個人の自由ではなく、
ここ、貝摺奉行所で全て決められていたんですね。
図案、色、大きさ、量、質、、、
きっと政治的思惑も絡めていたことでしょう。
工芸品を作ることは
国を左右する重要な仕事の一つ
だったということです。
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過去記事「琉球の国力」
文章に出てくる毛氏保栄茂親雲上盛良とは
護佐丸の子孫かな。