現在のマイブームは沖縄の神社と寺です。
(時々、琉球古来の神々)
という訳で、神社・寺関係の本も読み、巡り、
ブログに書きたいネタもたまっているのですが
全然更新が追いつかなくて
書こうと思っていたネタを
どんどん忘れていく今日この頃です。
でもインプットした物は
アウトプットして初めて知識として定着する、
ということを実感しているので
遅くなっても一つ一つ書いていけたらと思います。
そんな今日は、この人について。
渓隠&芥隠の時と同様、
キャラ(ビジュアル)化して右脳にアプロ―チ!
禅鑑(ぜんかん)です。
『琉球国由来記』によると
彼は琉球に初めて仏教を伝えたお坊さんとされています。
英祖王代(1200年代)のことです。
その人物像は謎で、どこから来たのかなどもよくわかっていないのですが、
琉球に流れ着いた彼は名をなのらず
ただ「補陀落(ふだらく)僧」と言ったそう。
球陽では彼の名前を禅鑑と書いており、
禅鑑とは後に琉球で名乗った、もしくは付けられた名前なのかな…?
そのことから「補陀落渡海」に関係のある者と考えられているそうですが、
「補陀落渡海」とは、海の遥か彼方に補陀落山という所があり
そこに観音菩薩が住んでいるという信仰の元、
この補陀落山を目指して小舟で海に漕ぎ出し、航海を続けるという行為。
もちろん、そのまま海に沈むことが常だったのでしょうが、
運よく(悪く?)潮に流されて、
どこぞの島にたどり着くこともあったわけです。
ってゆーか、彼は
たどり着いた先(琉球)が
観音様の住む補陀落山じゃなかったことを知り
落胆したのでは……
と個人的には想像するのですが
どうでしょうかね。
そして当時浦添一帯を治めていた英祖と会い、
英祖は禅鑑の話に感銘を受けたのでしょう。
彼のために浦添グスクのそばに「極楽寺」を建て、
禅鑑を住まわさせた…
よって極楽寺が琉球で初めの寺とされています。
現在、考古学の立場から浦添ようどれの前のあたりが
極楽寺跡では?と考えられているのだそうです。
(『首里城以前の王城・浦添グスクの調査』)
この極楽寺について追いかけてみたら
思いのほか面白かったので次記事に
つづく。
参/
『琉球仏教史の研究』(知名定寛著/榕樹書林/2008)
『お欣和は仏教王国だった―仏教はなぜ定着しなかったかー』(川上正孝著/新星出版/2017)
『沖縄大百科事典』