がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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天王寺跡、あの人のおうち。

2018年11月03日 | ・琉球歴史/文化風景

今日は文化の日。

首里城祭の一環としての
「古式行列」が催される予定でしたが
雨で中止になってしまいました。

また、来年までのお預けです。

 

さて、この古式行列とはなんぞや。

 

「古式行列」は琉球国王の行幸の一つ、
正月三日「初行幸」と呼ばれる「三ヶ寺参詣行幸」の行列を再現したものです。

琉球王国時代、国王が国家の安寧と五穀豊穣を祈願するため、
首里城下にある三つのお寺を参詣した様子が華やかに再現されます。

(首里城サイトより)

 

この「三ヶ寺参詣行幸」の3つのお寺と言うのが

首里城近隣にある、
円覚寺、天界寺、天王寺。

そのどれもすでに記事に書いているか
ツイッターで軽く写真UPでもしてあると思いきや、

あれ…っ!?

円覚寺は当然のごとくあるもの、
天界寺も、まさか、あの天王寺さえUPしてないとな…!?

 

マジかー!

 

(最近、訪問済なのにアウトプットしないの多すぎ

 

というわけで、
急きょ写真フォルダをあさって
写真を整えて記事にしてます!

 

まずは、

 

天王寺(跡)について。

 

 

場所は首里城龍潭にほど近い、

首里公民館の向かい、

現・首里教会に当たります。

(琉球を代表するお寺が今は教会ってちょっと面白い)

 

 

石垣の一部は当時のものだそう。
(でもこの写真の部分とはちょっとずれるのかな~?)

 

そして、個人的に、
この天王寺の萌ポイントはこれ!

 

金丸さんち。

 

そう、天王寺って、金丸のおうち跡なんです!

 

で、

 

オギヤカが尚真を生んだ場所

なのです!
(尚真が生まれた時は金丸はまだ役人で、王ではありません)

 

だからオギヤカも一緒に暮らしていた場所
ということにもなります。

 

金丸が尚円として王になって首里城入りしたあとに
邸宅跡をお寺にした…という感じなのかな?

 

とにかく、そうと分かると
俄然この天王寺跡の見え方が変わってきます…よね!?

 

金丸さんちといえば
西原の内間御殿が有名ですが、

首里城下で暮らす、
王府高官としての金丸を感じ取れる史跡です。

 


↑クリックで拡大

 

天王寺跡の観方をもう一つ。

それは石垣の中にある、
首里教会。

 

 

この十字架のたつ塔に
なにやら見覚えがある…という方もいるでしょうか。

 

沖縄戦の写真として有名な
こちらの一枚。

 


↑写真クリックで写真元記事にジャンプ


これが首里教会なのです。

この塔が、昨年復元されています。


戦火を乗り越えた首里教会 旧会堂塔を復元 沖縄戦の激戦地
(沖縄タイムス 2017.10.16)


時代は違いますが、
歴史を語るスポットとして外せない天王寺跡。

龍潭前の通り沿いとはいえ、
知らないとすーっと通り過ぎてしまうスポットですので、
車窓からでも目を向けてみてください。


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