GW最終日、みなさまいかがお過ごしでしょうか?
さすがにここ北山(やんばる)は
キャンプや野外レジャーの家族連れが多く訪れています。
ワタシもやんばる満喫コースということで
森林浴に行ってきました!
(一応史跡巡りもしつつ…(笑))
マイナスイオン充電100%!!
薄曇りの天気だったのですが、
必要なポイントポイントで陽がさして(!)
青空も見えてシチュエーションはバッチリ
非日常をたっぷり味わってまいりました
今日はまったりおうちday。
ご飯作って、買いこんできた本でも読みます
(午前中でやるべきシゴトは既に終了~)
ぐるりと辺り一面山に囲まれてる内海って
沖縄じゃなかなかない風景よね。
真夏だったらもっと青緑なのかも!?
(羽地内海の青もヤバい→★)
トップ写真のクイナもシュールすぎてヤバい(笑)
IN道の駅ゆいゆい国頭
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本日のりゅうPON、
先週に引き続き描かせていただきました。
今回は阿麻和利。
阿麻和利が按司になるまでの、
生まれてからカナー時代をメインに描いてみました。
イメージは人生ゲームです(笑)
カナー時代はくせっ毛ポニテの設定
…というのは以前も描いた通り。
ラフでは百十踏揚がいましたが、
掲載版では護佐丸とトレードになりました
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ところで本文では護佐丸の中城移動を命じたのは
尚泰久というようになってますが、
(毛氏先祖由来伝とかでは確かにそう書かれてます)
うーん、命じたのは尚泰久以前の王だと思ふ。
尚泰久が王になってから護佐丸・阿麻和利の乱までは5年しかなくて、
その間に護佐丸に命じて増築して移動…とはなかなか厳しい。
(全焼した首里城の再建築や冊封も同時にしてるだろうしね)
護佐丸の中城入りは1440年ごろと言われてて
(これは考古的になのかな?座喜味18年、中城18年)
護佐丸が王の命令だとしたら尚泰久以前、
尚巴志王の命というのもギリあり得ると思う。
尚巴志1439没なんで、その直前に命令してたとして。
どの王の命令かはさておき、
伝えの通り護佐丸の中城入りが阿麻和利を制するためだとすると
1440年頃、既に阿麻和利が王府を脅かすほどの勢力を持っていて
例の「乱」まで18年ほど緊張状態が続いていたということになります。
その間に、短命でころころ変わる王に
志魯・布里の乱に首里城炎上。
阿麻和利が天下を狙ってたら
その混乱情勢の中で攻めるのがいいはずなのだが…。
そんでもって阿麻和利、なかなかの歳です。
*護佐丸の中城入り1440年頃 記述*
参/「中城城跡パンフレット」「琉球王国ぶらぶらぁ散歩」「護佐丸伝」
「新琉球王統史」「三山とグスク」「琉球戦国列伝」他色々
こんなアイスが出てました。
新垣ちんすこうのちんすこうアイス。
(新垣菓子店は千寿糕などテンペストとコラボしてる琉球菓子店です)
バニラアイスに砕いたちんすこうが混ざってる。
ちんすこうのカケラがもうちょい大きい方が好みではありますが
おいしかったです
ちなみに
ちんすこう、せんじゅこう、ちいるんこう、
琉球菓子には「こう」がつくお菓子がいくつかありますが
「こう(糕)」とは「菓子」という意味だそうです。
(BS日テレ「ありんくりん沖縄」より)
なるほどー。