博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

「シルクロード史観」をめぐって

2008年04月04日 | 学術
以前、森安孝夫『興亡の世界史05 シルクロードと唐帝国』を紹介した際に、中央アジア史やイスラム史の立場からの「反シルクロード史観」に対する反論が盛り込まれているのを特徴のひとつとして取り上げました。

このほど発行された『史林』第91巻第2号にて、その「反シルクロード史観」の旗手として槍玉に挙げられていた間野英二氏が「『シルクロード史観』再考 ―森安孝夫氏の批判に関連して―」と題する研究ノートを発表し、森安氏に対して反論を行っています。以下、その要点をまとめてみました。


○間野氏が主張したのは「反シルクロード史観」と言うよりも「脱シルクロード史観」と言うべきもので、シルクロードやソグド商人の果たした歴史的役割を一定程度認めたうえで、その役割を必要以上に過大視するのはやめようというだけもので、森安氏の言うようなシルクロードの意義を抹殺するといった物騒な議論ではない。

○オアシス都市の経済を基本的に支えていたのは、商業ではなく農業(プラス鉱業・織物業など)ではないか。ただし、これはどちらの比重がより大きかったかという比較の問題であり、商業・農業のどちらかしか行われていなかったというような二者択一の問題ではない。

○中央アジアの歴史を理解するには、むしろ森安氏の批判するイスラーム中心主義に基づく必要がある。

○森安氏が立論の起点としたソグド商人やトゥルファン地方は中央アジア全体から見れば例外的な存在。またソグド商人の社会的地位や隊商貿易の規模・頻度については現在の研究段階では正確なところはわからない。

○森安氏が西洋中心史観の打破を唱えておきながら、19世紀の西洋による文明観や偏見を内包している「シルクロード」という言葉を無批判に使用しているのはいかがなものか。


どうもこの件に関しては森安氏が思い込みというか情念で突っ走っちゃったという感じですね。「反シルクロード史観」もとい「脱シルクロード史観」については私自身も誤解している部分があったので、あまり偉そうなことは言えないわけですが……
コメント (3)
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