大学時代のサークルの同学年で飲み会をした。
みんないい年なんで飲み会参加できるヒトは限られてて、全部で5人。
まあ、これぐらいがちょうどいいね。
あんまり多いと、どうしても会話が全員で成り立たないし
そんな飲み会はあんまり好きじゃない。
こういうこじんまりしたのがいいよ。
帰りの電車の中で参加メンバーから「最近はあんまり荒れなくなったね」というようなことを言われた。
うん。
確かに学生の頃は飲むたびに周りにからんでた。
荒れ狂ってたね。
一緒に飲んだ連中は、相当迷惑しただろうと思う。
今思うに、きっと何かを周りの人に伝えたかったんだろうなって思うよ。
その当時は金もないし、
バンドも上手くいかないし、
伝えたいことが全然伝わってない感じがしてた。
今思うと、伝えたいことって言うのはいわゆる「野蛮人魂」だったんだけど、その当時はよくわかんなかった。
とにかく飲むたんびに、その苛立ちを発散してた気がする。
ま、
こういう感じで言うと聞こえはいいけど、そうとう醜態をさらしてたのは事実だな。(笑)
今はこうやって、自己満足ながらここである程度思いを伝えられるし、
Tシャツも売れてるし、
表現するのは音楽だけじゃないってこともわかってきたよ。
やっぱ、理解者がいるって大事なことだと思う。
ホントに理解者が必要だと思うよ、どんな人でもね。
ホントに救われてる気がする・・・。
他にも・・・感じるところがあったなあ。
学生時代、学祭でサークルのみんなはよくコピーバンドをやってて
なぜかボクはやる気がしなくて、ひとりポツネンとしてたんだけど、
今回の飲み会でそれがなぜかよくわかったよ。
音楽の入り口に立たせてくれた60年代の音が古臭いだなんて思ったことがないもんね。
確かに古臭いと思うよ。
だって60年代なんだもん。
でも、みんなは「もう音が古臭くて聴いてられない」っていう評価なんだよね。
みんな「音楽」が大好きなんだね。
純粋に音楽が楽しめるんだなあと思った。
きっと、ボクは「音楽」が好きなわけじゃないんだな。
ロックが持ってるエネルギーとか、そういうものが好きでバンドをやってたんだって思う。
特に、60年代、70年代の、あのエネルギーが、ね。
んで、今は、そのエネルギーはバンドじゃなくても表現できるんだってことに気がついたんだな。
――――
今日の飲み会のとき、
「何かやりたい曲ってないの?」って聞かれて
ちょっと悩んだけど、自分のオリジナル曲以外そんなにやりたい楽曲はなかった。
だから、「自分のオリジナル曲」って答えたんだけど
「じゃあ、やろうよ。」って言ってくれる人はひとりもいなかった。
まったく期待もしてないから、まあ、いいんだけど、ね。
こうやって別の形で表現できてるし、
ちょっとさみしいけど、それはそれでしょうがない。
だんだん、みんな年をとっていってるし、好みが変わっていくのもしょうがないし、
変わらないほうが逆におかしいと思うけど
なんか、ちょっとさびしくもあった新年会だったなあ。