此岸の浄土
「親鸞と道元」(五木寛之・立松和平)と言う本に出合った。お寺と檀家などについてスポーツ仲間と話をしていて、紹介されたものだ。
「おとり越」の法要時などにだが、お説法の中に天国(浄土)や地獄がでてくることがある。その度に「釈迦は死後を説明しているの?」と疑問に感じながらの聴聞だった。
本にいう。五木氏の発言だが、「浄土に行くということは、親鸞にとっては、いったんこの世で生まれ変わるということ--」。「親鸞も、死んだら人はきっと救われる、と言っている--。が、人は死後、浄土に往生するという考え方はしなかった--」と。
また念仏については「1回だけ(一念義)でもいいんだけれども、多く念仏して(多念義)も差し支えない。むしろ自分を励まし、励まし、迷いから覚めながら念仏を続けていくことこそ大事だ」と。
親鸞は、浄土も地獄も現実(此岸)のものと把握している、と。私にとって初めての解釈だ。生存中に大乗仏教(浄土真宗)によって浄土に過ごす。このようなことができるのか。この視点は興味深い。
この本との出会いは新しい視点を与えてくれた。