どのような応援者
金婚式が近くなっている年代の私。子ども達はそれぞれ独立して孫達と共に元気に暮らしている。ひと安心できている。孫達も大きくなり初孫は小学校5年生です。
私はというと、サラリーマン生活中は時間に追われていましたが、定年を迎えてすでに7年、今では時間は自分で自由に使えるものです。大まかな計画を作りそれをなぞりながら過ごしています。この生活は快適ですが、孫達の自立への道を遠くで見ていると、つい比べてしまい元気さ不足を感じてしまいます。年々その差は大きくなるようです。原因の一番は体調、トイレに行く頻度が多くなり意志通りに出来ない事です。初動開始のタイミングを逃さないことに注力することが大切になっています。
今年の、孫の運動会にはコロナ感染対策のため行けず。足を真っ直ぐにして速く走る姿は見られず、残念。また別の所に住む孫は学校から遠隔ビデオ配信があり、映像で演奏する発表会を見られました。一つの仕草が「孫のものだ」と結びついて、少し元気を取り戻せました。
結婚記念の日には「農家レストランで食事でもしようか」と発案はありますが、南アフリカ株コロナの発見ニュースがあり「またにしよう」と、また元気さが不足--。子や孫の将来に高齢の私達がどのように関わりたいと思っているのか。応援者ではあるが、「どのような応援者を目指すのか」。時間が少なくなっている事を改めて意識し「早く」と考えるものとなった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます