信州生坂村「山紫水明 食と文化癒しの郷!」

山清路、大城・京ヶ倉等の自然。赤地蔵、百体観音等の伝統。おやき、おにかけ等の食文化を持つ生坂村!

信濃十名勝「山清路」の風景と泉小太郎伝説

2024年07月28日 | 生坂村の風景
 7月28日(日)は日差しが届いて、昼間は引き続き厳しい暑さになりました。

△▽ 毎朝恒例の撮影は、信濃十名勝「山清路」に行き、清き流れの犀川や大きな奇岩の渓谷美の風景を撮影しました。
信濃十名勝「山清路」の風景


 北アルプスの名峰「槍ヶ岳」を源とする犀川は、松本盆地を北流し長野盆地の川中島で千曲川と合流する河川でして、その流れはところどころで蛇行しながら、美しい峡谷である「犀峡」を造り出している。

 犀川は生坂村で、支流の金熊川、麻績川と合流するところが「山清路」と呼ばれる景勝地になっていて、この地は、民話『犀龍と泉小太郎』の山清路伝説の場所なのだ。

 松本平は太古、一面に湖であった。ここに犀竜が住んでいて、白竜王(日輪、大日如来の化身)との間に泉小太郎が生まれ、泉小太郎に自分の姿を見られることを恥じて、湖水に隠れてしまった。

 泉小太郎は母の行方をたずね歩き、やっと熊倉の下田奥の尾入沢(松本市島内と安曇野市豊科田沢の境)でめぐり会うことができた。
 犀竜は「我は諏訪大明神の化身である。氏子を繁栄させたいと思う。背中に乗りなさい。この湖水を突き破り平地とし人里にしたい」といった。

 泉小太郎はいわれるままに尾入沢から犀竜に乗り、山清路の大岩を突破し、水を越後の海に流し落として、松本平を肥沃な人里とした。
 この後、犀に乗った所を犀乗沢、そこから千曲川までの川筋を犀川というようになったと伝えられている。

 山清路は泉小太郎が一番苦労して突破した難所である。そのおかげで生坂の地も人里と なった。かつては、感謝とこの地の発展を祈って毎年5月に犀竜小太郎祭が盛大に行われていた。

「犀龍と泉小太郎」の物語にはいくつかの教訓が含まれている。以下に4つのポイントが示されていました。

  1. 親子の絆と協力:泉小太郎と犀龍は、親子の絆を大切にし、共同で目的を達成しました。この物語は、家族や仲間との協力が重要であることを示しています。

  1. 自然との調和:泉小太郎は湖の水を日本海へ流すことで、地域の自然と調和を図りました。私たちは自然と調和し、環境を大切にすることが重要です。

  1. 困難を乗り越える勇気:泉小太郎は山清路の岩盤を打ち破り、湖の水を流すために困難に立ち向かいました。この物語は、困難を乗り越える勇気と決断力を称賛しています。

  1. 地域の発展と貢献:泉小太郎の行動は地域社会に大きな影響を与え、松本平を肥沃な土地に変えました。個々の行動が地域社会の発展に寄与することを示しています。
 これらの教訓は、私たちが日常生活で大切にすべき価値観を示しているとのことです。

 今年の辰年は龍の年に当たり、犀龍小太郎伝説のある生坂村ゆかりの年であり、龍は強さ、勇気、創造性、革新性を象徴するシンボルとのことで、潜在的な可能性のチャンスに満ちた年といわれ、生坂村の一世一代の大事業が本格的に動き出している年でもあります。

 私は、家族と一緒に朝一番でじゃがいも掘りを済ませ、毎朝恒例の撮影とSNSでの発信を済ませ、妻と一緒に食料品の買物等をし、その後皆で母の新盆の法要の準備をしました。

 本日生坂村では、大日向区南平常会で農地に関する話し合いなどが行われました。