熊澤良尊の将棋駒三昧

生涯2冊目の本「駒と歩む」。ペンクラブ大賞受賞。
送料込み5000円。
残部僅少ながら、注文受付中。

目次

作品 文章 写真 販売品

実力名人戦ゆかりの盤

2010-06-24 06:19:30 | 写真
6月24日(木)、曇り。

写真は、22日のブログで触れた「実力名人戦ゆかりの盤と駒」一式。
手っ取り早く工房に掲げてある写真パネルをデジカメで撮影したので、画質はやや劣りますが、桐の覆いの「阿部真之助殿 贈 昭和11年2月 十三世名人関根金次郎(落款)」の墨書はご覧いただけると思います。
阿部真之助さんは、実力名人戦の提唱者でスポンサーになった「東京日日新聞」の学芸部長。
実力ある論客で、戦後はNHKの会長に就かれました。
800本以上ある盤の年輪は数えるわけにはゆきませんが、駒台・駒袋は確認できると思います。

平成6年。52期名人戦第3局(米長名人対羽生挑戦者)で使用(この時の駒は、木村作木村名人書)され、再び、平成6年の森内・谷川戦でも使われました。

名人戦使用の話が挙がった時、名人に漢字一文字を盤に揮毫していただこうと考えました。盤に命名してもらおうとの考えです。
あれこれ考えて「曙」と決めました。
昭和11年2月は、実力名人戦がスタートして、順調に進行している時期に当たります。
そのことを関根名人は、お礼の意味を込めこの盤を阿部さんに贈ったのでしょう。
これに因みふさわしい文字は何か。
「曙」には「将棋界の黎明」という意味を込めてあります。

この年は、横綱・曙の活躍した年でもありましたし、「曙」には、もうひとつ意味を持たせた文字でもあります。
盤が、名人戦に使われるきっかけを作っていただいた人のことも、少し含んでいます。
その方は毎日新聞の記者・加古明光さんで、名前の「明光=明るい光=曙」という絡みもあります。

そもそものきっかけは、名人戦第2局が行われていた蒲郡「銀波荘」でのこと。
前日朝から「将棋マガジン」の取材でここを訪れていたのですが、楽屋裏で加古さんに盤と駒のことを話したところ、思いがけなく「次の第3局で使いたい。山口県まで持ってこれますか」。
小生は一も二もなく「オーライ」と急展開。奈良から山口県湯田温泉「旅館・松政」まで運びました。

実は、対局ではもうひとつの盤駒が用意されていました。
本来ならば、それが使用される予定。
検分の時、米長名人は二つの盤を並べて駒を打ちつけて、対局にはどれを使うか・・暫し熟慮の様子でありました。ほんの2~3分だったと思いますが「どれが使われるか・・」。
小生にとっては緊張して長い時間でした。
結論は、日替わりで二つの盤を使うということで落着。恐らくはこんな初めてであり、その後も聞いたことがありません。

当時は、山陽自動車道は、まだ、全線開通していない時期。急遽会社を休んで、奈良から車でここまで運んだ甲斐がありました。
15年ほど前の思い出のひとコマでした。

駒は「木村作木村名人書」。
もっとも、木村名人が名人位のに就いたのは、昭和12年ですから、駒が贈られたのは、盤より1年くらい遅れてということかも知れません。
駒箱と駒台を入れた器局の文字は、あまり上手とは言えませんが、木村文俊さんの筆跡ではないかと思っています。

ーーーー
明日は、朝方から東京に向けて出かけます。東京着は15時ころでしょうか。
土曜日には帰ります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駒の写真集

リンク先はこちら」 http://blog.goo.ne.jp/photo/11726