8月15日(日)、うす曇り。
一面の雲ながら、今日は晴れそう。
65年前の今日、太平洋戦争が終りました。
小生は2歳半。当時は名古屋の都通りでした。
戦争のことはほとんど記憶がありませんが、断片的には映像として残っております。
焼夷弾の光が「ひらひら、きらきら」、「シュるシュる」と音を立てて空から落ちてくる風景。
防空頭巾をした人が、路上に倒れている風景。
これは母親の背中で、恐怖に慄いて見ていたんだと思います。
小生の家の前は、トロリーが走るアスファルト道路でした。
そこにトラックだったか大きな自動車が、道路ごと炎上している風景。
戦争には直接結び付かない風景も少し記憶しています。
陸橋の袂に「リヤカー」が立てかけてあって、そこから国鉄の大きな貨物駅を見下ろしている風景。
駅の名前は正確には覚えていませんが、多分「瑞穂駅」だったかどうか。
通りの小さなお店に「招き猫」が飾ってあって、母親に「あれが欲しい」と言ったような記憶。
小生の家も洋品雑貨を商いしていましたが、店先で兄たちが「将棋」をしている風景もひとコマ。
東山だったか覚王山だったかの親戚の家に行って、一人で遊びに出たのでしょうか、その帰りに良く似た隣の家に入り込み、見知らぬ人に「大泣き」した記憶もあります。
終戦後は、店をたたんで京都に移り、やがて大阪に住みました。
本日は、65年ほど前の記憶でした。
ーーーー
写真は出来上がったばかりの「錦旗」。
木地は、古材の島ツゲ柾目。
一面の雲ながら、今日は晴れそう。
65年前の今日、太平洋戦争が終りました。
小生は2歳半。当時は名古屋の都通りでした。
戦争のことはほとんど記憶がありませんが、断片的には映像として残っております。
焼夷弾の光が「ひらひら、きらきら」、「シュるシュる」と音を立てて空から落ちてくる風景。
防空頭巾をした人が、路上に倒れている風景。
これは母親の背中で、恐怖に慄いて見ていたんだと思います。
小生の家の前は、トロリーが走るアスファルト道路でした。
そこにトラックだったか大きな自動車が、道路ごと炎上している風景。
戦争には直接結び付かない風景も少し記憶しています。
陸橋の袂に「リヤカー」が立てかけてあって、そこから国鉄の大きな貨物駅を見下ろしている風景。
駅の名前は正確には覚えていませんが、多分「瑞穂駅」だったかどうか。
通りの小さなお店に「招き猫」が飾ってあって、母親に「あれが欲しい」と言ったような記憶。
小生の家も洋品雑貨を商いしていましたが、店先で兄たちが「将棋」をしている風景もひとコマ。
東山だったか覚王山だったかの親戚の家に行って、一人で遊びに出たのでしょうか、その帰りに良く似た隣の家に入り込み、見知らぬ人に「大泣き」した記憶もあります。
終戦後は、店をたたんで京都に移り、やがて大阪に住みました。
本日は、65年ほど前の記憶でした。
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写真は出来上がったばかりの「錦旗」。
木地は、古材の島ツゲ柾目。
駒の写真集
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