前回は、古い出土駒について触れました。
昔は、出土駒に見られるように、総て杉や檜が使われていたと思い込むのは、少々短絡的で、当時のことを思い測る思慮が不足しているように思います。
平安時代の雅な貴族達ならば、粗末な薄っぺらな「ヘギ」で作られている駒などは、好んで使おうとも思わなかったはずで、駒として適材適所のツゲで作られた端正な5角形の黄楊駒を、こよなく愛用したに相違ないと思います。
しかし、遺跡の出土駒にツゲが見当たらないのは、ツゲは雨水に非常に弱く、遠の昔に朽ちてしまったからにほかならない。
以上は序論として述べましたが、以下は、本題の「肉筆書き駒と盛上げ駒」について述べることにします。
1,江戸時代以前は、ほとんど肉筆で書かれた「書き駒」でありました。
一口に「書き駒」と云っても、識字者が自分用に自給自足。手慰みで作った駒もあれば、やがて、能筆な
人が請われて書いた駒もある。その代表が室町時代の高名な公家・三条西実隆で、自身の日記には、度々
仲間から頼まれて駒を書いたという記述もあり、それは現存していないが高級品の類いである。
400年前の水無瀬神宮で作られた「水無瀬駒」は、その実隆の流れを汲む孫の水無瀬兼成が書いた駒は
いわば同家の家業とも言える超高級品で、時の天皇をはじめ公卿達、高名な武将達がこぞって求めた記録 が残っている。
2,対して「彫り駒」や「盛上げ駒」が作られるようになったのは、いつ頃からであろうか。
結論をいえば、ごく例外を除いて「彫り駒」が作られたのは、江戸時代の後半からである。
江戸時代では、幕府の一機関として寺社奉行配下の「将棋所」が作られ、その頂点が「名人」である。
そのような世の中、将棋は庶民に広く愛好され留ようになり、駒の需要が格段に広がる。
やがてそれまでの能筆家の公卿の駒づくりに変わって、駒を専門に作る職人が派生するわけである。
3,駒職人(今で云う駒師)が派生した当初は、それまでのように「書き駒」が多く作られていた。
職人それぞれは、それぞれの技量である筆跡で文字を書き、それが「安清」「俊光」であったり、幕末の
天童駒であったりでした。
4,需要の増加と共に、やがて「書き駒」とは別の製法を思索する人もいた。
それが「彫り駒」である。
「彫り駒」は、「書き駒」とは違い文字が達者でなくとも作れる。彫り駒は、彫り駒の良さもある。
こうして生まれたのが「彫り駒」である。
時代は、幕末から明治始めの頃である。
5,一方、「盛上げ駒」はどうであるか。
この続きは、また。
昔は、出土駒に見られるように、総て杉や檜が使われていたと思い込むのは、少々短絡的で、当時のことを思い測る思慮が不足しているように思います。
平安時代の雅な貴族達ならば、粗末な薄っぺらな「ヘギ」で作られている駒などは、好んで使おうとも思わなかったはずで、駒として適材適所のツゲで作られた端正な5角形の黄楊駒を、こよなく愛用したに相違ないと思います。
しかし、遺跡の出土駒にツゲが見当たらないのは、ツゲは雨水に非常に弱く、遠の昔に朽ちてしまったからにほかならない。
以上は序論として述べましたが、以下は、本題の「肉筆書き駒と盛上げ駒」について述べることにします。
1,江戸時代以前は、ほとんど肉筆で書かれた「書き駒」でありました。
一口に「書き駒」と云っても、識字者が自分用に自給自足。手慰みで作った駒もあれば、やがて、能筆な
人が請われて書いた駒もある。その代表が室町時代の高名な公家・三条西実隆で、自身の日記には、度々
仲間から頼まれて駒を書いたという記述もあり、それは現存していないが高級品の類いである。
400年前の水無瀬神宮で作られた「水無瀬駒」は、その実隆の流れを汲む孫の水無瀬兼成が書いた駒は
いわば同家の家業とも言える超高級品で、時の天皇をはじめ公卿達、高名な武将達がこぞって求めた記録 が残っている。
2,対して「彫り駒」や「盛上げ駒」が作られるようになったのは、いつ頃からであろうか。
結論をいえば、ごく例外を除いて「彫り駒」が作られたのは、江戸時代の後半からである。
江戸時代では、幕府の一機関として寺社奉行配下の「将棋所」が作られ、その頂点が「名人」である。
そのような世の中、将棋は庶民に広く愛好され留ようになり、駒の需要が格段に広がる。
やがてそれまでの能筆家の公卿の駒づくりに変わって、駒を専門に作る職人が派生するわけである。
3,駒職人(今で云う駒師)が派生した当初は、それまでのように「書き駒」が多く作られていた。
職人それぞれは、それぞれの技量である筆跡で文字を書き、それが「安清」「俊光」であったり、幕末の
天童駒であったりでした。
4,需要の増加と共に、やがて「書き駒」とは別の製法を思索する人もいた。
それが「彫り駒」である。
「彫り駒」は、「書き駒」とは違い文字が達者でなくとも作れる。彫り駒は、彫り駒の良さもある。
こうして生まれたのが「彫り駒」である。
時代は、幕末から明治始めの頃である。
5,一方、「盛上げ駒」はどうであるか。
この続きは、また。
駒の写真集
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