2月27日(火)、雨。
一日中、しょぼしょぼと雨でした。
「本」は一段落して、身辺を軽やかにしようと、作業は永年ため込んだ資料や本の整理に移行しました。
整理の基本は捨て去ることなので、どんどん捨てようということですが、本当にそれで良いのかという気持ちも少しあって、2週間程度ずらそうかなと思っているところです。
その間に若し誰かが、捨てる前に見せて欲しいと言う方がいらっしゃれば、先ずはその方にお見せして、欲しいものが有れば、無償でお渡ししするのが資料の為にも、ベストではないだろうかと。
若し、そのような方がいらっしゃればですが、その時はご連絡ください。
話は変わって、映像は最近入手した蒔絵の玉手箱。
いくつか家紋のような小さな図柄が散りばめられています。
その図柄の中に、普通の蒔絵(写真、手前の花柄蒔絵)とは違って、図柄が金箔、銀箔で加飾された(キラッとしているのが金箔。黒っぽいのが銀箔)ものがあります。
この内、金箔のところは、この写真のように、浮き上がって波打っているのですね。
丁度、それは過日の象牙水無瀬駒とともに「なんでも鑑定団」で話題になった「葵紋蒔絵の将棋盤」に見られる同様の「キリガネ」あるいは「金貝」と呼ぶ技法で、この「キリガネ(金貝)」は、金などの薄い板を模様の形に切り出して、その周辺は漆で固めてはいるものの、土台との間の本体は温度変化による膨張差を配慮してか、麩糊などでやわらかに止めているだけなので、耐久性に難があるわけです。
そのため、この写真のように経年変化で、剥がれたり、浮き上がったり、あるいはよじれたりしていることが多いのですが、過日の「なんでも鑑定団」では、これを「家紋を付け替えた」と言ったのは、おかしなことではあります。
このような「キリガネ」は、新しいうちは金属そのもの光沢で、ピカッと輝く光を放って美しいのですが、何十年、何百年と経過するうちに、緩んでくるのですね。
そこで思うのは、なぜ「キリガネ」では、図柄全体を裏から漆で張り付けて固めてないのか。それは今のところ、私にはよく分かってはいませんので、専門家に聞いて確かめたいと思っています。
2月27日(火)、深夜。
1時間ほど前に目が覚めました。
見るべきテレビも無いので、これまで録りためていた録画の中から、久しぶりに、10年ほど前の名古屋テレビ「金とく」、という将棋のドキュメンタリー番組を選んで、見ることにしました。
内容は、将棋の歴史に関すること。
今回の番組は、特に大橋家の歴史が中心で、当時の大橋家の生業などが語られていました。その中に「大局将棋」のことが採り上げられており「大局将棋」の資料は、大阪に将棋博物館が出来てしばらくして、寄託された大橋家の古文書の中に見つかっていたのですね。
古文書はその後、将棋博物館が閉鎖されて、今はそれらが静岡県の大橋家の子孫に戻されており、その一部が映されていたのです。
その史料を元にして作ったのが、現在も大阪商業大学にある「大局将棋の盤と駒」。
大写しで対局するシーンもありました。
この時の対局シーンは番組のためのモノで、半日以上800手ほどが進行していましたが、まだまだ序盤の域で、盤面が少しほぐれた程度で、王手にもたどり着けないで、決着までには、あと何日掛かるかわからないと言うことで、ここで打ち切られていました。
只今はカメラが手元になく、その対局シーンがどんなものだったかは、今はアップできませんので、後日、カメラがあるときに撮り直して、このブログにアップしようと思います。