再び「関西にて」シリーズです。
瀬田川は琵琶湖から流れ出る唯一の河川,
下流域は宇治川そして淀川と名を変えます。
その瀬田川の石山寺付近です。
競技ボートの練習場となっているようで,
一人,二人,四人,八人乗りと何台もの競技ボートが次々と通り過ぎていきます。
写真はエイトと呼ばれる漕ぎ手8人と舵取り1人,計9人のボート,
競技ボートでは一番の多人数,最も高速で人気があります。
女性のチームもいました。
こちらは4人漕ぎ,フォアといわれる競技です。
よく見ると,寝た姿で白い帽子だけが見える舵取り役の1人を加え5人います。
この舵取り役,風の抵抗を避けるためでしょうが,
これもたいへん疲れそうな姿勢です。
琵琶湖疏水,琵琶湖の水を京都まで引くため,
人工的に作られた水路です。
琵琶湖から流れ出る川(水路)が瀬田川だけではなくもう一つあったのです。
写真は浜大津の取り入れ口付近,水が澱み,バス釣りをしている人がいました。
三井寺駅から三井寺付近の疎水です。
水路の先にトンネルが見えます。
このトンネル三井寺(長等山)の下を通り抜けています。
この水路に沿って歩いてみると緩い上り坂,
しかし,下を流れる疎水は下流へと流れています。
測量をして微妙な傾斜がつけられていると思われます。
京都南禅寺境内の水路閣の水も,
哲学の道横の水路もこの流れがつながっています。
明治18年から工事が始まり,23年に完成,
その測量技術,トンネル掘削技術に感心させられます。
このトンネル掘削の経験,技術が後に,
日本の鉄道,道路のトンネルに生かされ,
日本発展の礎となったといわれています。
三井寺の山の上から眺めた大津の街と琵琶湖です。
湖には数えきれないほどのヨットが白い帆を上げ,
街の建物も色彩が豊で,外国の観光地のようにも思えました。
この紅葉京まで流る疎水かな
瀬田川は琵琶湖から流れ出る唯一の河川,
下流域は宇治川そして淀川と名を変えます。
その瀬田川の石山寺付近です。
競技ボートの練習場となっているようで,
一人,二人,四人,八人乗りと何台もの競技ボートが次々と通り過ぎていきます。
写真はエイトと呼ばれる漕ぎ手8人と舵取り1人,計9人のボート,
競技ボートでは一番の多人数,最も高速で人気があります。
女性のチームもいました。
こちらは4人漕ぎ,フォアといわれる競技です。
よく見ると,寝た姿で白い帽子だけが見える舵取り役の1人を加え5人います。
この舵取り役,風の抵抗を避けるためでしょうが,
これもたいへん疲れそうな姿勢です。
琵琶湖疏水,琵琶湖の水を京都まで引くため,
人工的に作られた水路です。
琵琶湖から流れ出る川(水路)が瀬田川だけではなくもう一つあったのです。
写真は浜大津の取り入れ口付近,水が澱み,バス釣りをしている人がいました。
三井寺駅から三井寺付近の疎水です。
水路の先にトンネルが見えます。
このトンネル三井寺(長等山)の下を通り抜けています。
この水路に沿って歩いてみると緩い上り坂,
しかし,下を流れる疎水は下流へと流れています。
測量をして微妙な傾斜がつけられていると思われます。
京都南禅寺境内の水路閣の水も,
哲学の道横の水路もこの流れがつながっています。
明治18年から工事が始まり,23年に完成,
その測量技術,トンネル掘削技術に感心させられます。
このトンネル掘削の経験,技術が後に,
日本の鉄道,道路のトンネルに生かされ,
日本発展の礎となったといわれています。
三井寺の山の上から眺めた大津の街と琵琶湖です。
湖には数えきれないほどのヨットが白い帆を上げ,
街の建物も色彩が豊で,外国の観光地のようにも思えました。
この紅葉京まで流る疎水かな