ひとみさんのおうちごはん 「よろしゅうおあがり」

自然の恵みをいただいて、こころとからだが心地いい暮らし

明日の「おうちごはん」 「大地」の野菜が届きました♪

2011年09月21日 | ひとみさんのおうちごはん(ママスハウス)

今朝、明日の「おうちごはん」に使う食材が、「大地を守る会」から届きました。

すごい雨風の中、宅急便のお兄ちゃんが無事届けて下さってホッとしました。

 

野菜、それから、お米と雑穀も。

大根は泥付きだけど、きれいです。葉っぱ付き。他の野菜や果物もいい状態なのわかりますか。

しょうがは貴重な有機栽培のもの。皮も安心して使えます。

今からこれを使って、今日中に2品作ります。あとは明日の朝とママスハウスで。

 

本当はもう少し早く始めるつもりだったのだけど、調味料など「太陽食品」さんに買いに行こうとしたら、すごい雨風で出られなくて。車の運転をしていても、頭から叩きつけられるような雨。怖かったです。

全国的に大荒れで、心配なニュースばかり。とりあえず浸水の心配がなく家に入れる私は幸せだと思います。

被害ができるだけ小さくすみますように。

 

明日は晴れて無事に「おうちごはん」ができるよう、祈っています。

そうそう。明日は「大地を守る会」の方もいらっしゃるのですが、参加された方には特別にお土産もいただけるようですよ。お楽しみにね♪

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忘れないこと

2011年09月21日 | 日々のこと

先週、震災から半年の日に前後して、テレビや新聞では震災のことや被災地の様子などを特集していましたね。

さっきのことも本当はその時に書きたかったのですが、うまく言葉が出てこなくて、いろいろ自分の中で考えていました。

いつも考えすぎるから、このブログに書いていることはいつも数日、もしくは数週間も経ってからがほとんど。

書く事は今は楽しいけれど、反面、ことばを綴ることのこわさも感じているからかもしれません。

 

 

さて、先日、京都から友人が遊びに来たのですが、東京の街の様子を見て、「何だか少し普通に戻ったみたい。エアコンも普通にどこでもきいてるし」と言っていました。

そういえば、G.Wに来たときは、ビルの中の照明とかトイレのウオッシュレットの電源とかが入っていないところがあるのを見て、少々怯えていました。そして、関西は普通にビルも街も明るいよ・・・と聞き、「ちがうんやなあ」と思ったのですが、夏は節電を言われていたのにかかわらず、公共施設の照明やエスカレーターなども通常に戻ったり、JRの冷房が半端なくきいていたり、もう少し不便でも暮らせるよ、と思えることもあったように思います。

私自身も、地震のあとガソリンが足らず、バスや電車を乗り継いだり歩いたりして出かけていたところも、今はつい車でビューンと行ってしまったりします。

まあ、今はもう普通に給油もできるし、無理に不便にする必要もないのだけれど、あのときに何とかしよう、私に何ができるだろうと思った気持ちは忘れずにいたいと思います。

 

何人かの友人は、被災地を訪れ、がれき撤去のボランティア、さんまの加工工場に残ったさんまの片付けのボランティアはじめ、自分にできることを行動していました。

ある人が現地の人にしてもらいたいことを聞くと、「忘れないでいてほしい」という答えが返ってきたそうです。

忘れないこと、言うのは簡単だけど日々時間は流れていくから忘れそうになる。でも、どんなだったのか、今どうなっているのか、意識して知りたいと思います。

 

横浜にいて私にできること、私たちにできることは何か、今も考えています。

そして、考えるだけでなくて何かしら動いていきたいと思います。

チームKは、そんな風に考えていることを実現していく場にしたいと思っています。そして、関わった人みんなが元気と笑顔でいっぱいになる、そんな活動をめざします。

ぜひ、みんなの力を貸してね。よろしくお願いします(^^)

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白いページの中に♪

2011年09月21日 | 日々のこと

♪いつの間にか私は~♪?・・・って、この歌知っていますか?

知ってるって言った人、年がバレます(^^;)。
柴田まゆみというシンガーソングライターさんの、1970年代後半、ヤマハのポプコン入賞曲だから。

私も当時はまだ小さかったのよ、でも、昔エレクトーンを習っていたから、ポプコンって身近だったんです。ヤマハつながりで(^^;)。だから、よくかかっていたし何となくいつの間にか覚えて、好きになって。

小さい頃覚えた歌ってほとんど間違えなく歌えたりしますね。今でもほとんど全部口ずさめます。「昭和やなあ・・・」って思いながら・・・(^^;)

今日はノートの話を書こうと思っていたらなぜかこの歌思い出しちゃって・・。だからって、何の意味もないんですけど。いい曲です(^^)。(ということで、本文とは何の関係もありません、です)。



マジメに。

今まで何度か、一年前、半年前は元気がなくて・・・って書いてきましたけど、ほんとに毎日暗闇でした(泣)。
でも、年が明ける頃、なんとかしたいって思って、思いつくこと何でもやってみようと思いました。

携帯を変えました。いつも持ち歩くものだから、一番の気分転換かと思って。
シャンプー・リンス・洗顔・化粧水・・・全部変えました。香りの記憶が悪いのかと。

そして、白いノートを買いに行ったんです。(だから、上の歌・・^^;)。ほぼ1ヶ月くらい、コレと思えるノートを探してました。色とか材質とか、持った感じとか。キャンパスノートじゃいやだったの。

で、買ったのが写真のです。ちょっと黄色がかった紙、ペンのインクのノリがよさそうな、小さなノート。

中は、罫線の他に1ページを半分に区切っている線が1本あります。言葉を書いてもイラストでもレシピとかでもいい感じ。ずっと何も書けなくなっていたけれど、まずは買って、たまに開いてみることから始めよう、と。

新年から書き始めて思い出したようにまた書いて・・・でも、結局4日、2ページしか進まなかった(^^;)

やっぱりまだ「書く」ことは私には難しかったようです。

そんなわけで、年が明けた頃は少しよくなった気もしたけれど、毎日何とかやりすごしていることには変わりなかったです。面白いとか楽しいとか何も思えませんでした。ただ、時間をつぶすだけの毎日でした。



それがなぜ今のように、元気で饒舌になったか。

誤解を恐れずにいえば、それは3月11日のあの震災ののちです。

あの日私は横浜の自宅にいて、揺れは本当に怖かったけれど、テレビで津波が全てを飲み込んでいくさまをただ見ているしかなくて。

日本中の人たちがこれからどうなっていくのかと不安の中にいたとき、私も同様に不安と呆然としたままただ今日を一生懸命生きようと思い、そんな日々をしばらく過ごしたある日、私には命がある、と、そのことを強く思いました。

テレビや新聞で伝えられることは、どこで誰の身に起きても不思議はなかったんじゃないか。なのに、私はこうして生きているのだと思いました。

だから、私は私をまず大切にしよう。私にできること、私らしく生きるすべがきっとあるはずだと、そう思ったのです。

不思議なことにそれから少しずつ少しずついろんなことが好転していった、そんな気がします。

 

でも、その時も「ノート」は開けませんでした。開いても何ひとつ書けなかった。

 

先週、9月11日。ふと思いついてノートを手に取り、書きました。

9.11 そして、 3.11

それから一気に2ページ、思うことを綴りました。なぜだかすっきりしました。

 

白いページにこの先何を書いていくか、わかりません。何も決めていません。

でも、それでいいのだと思います。できればここぞというときにはことばを書き留めていけたらな、と思うのです。

ブログも始めたし、メモなら携帯でもできるし、スケジュール帳ももっているけれど、違う世界があることで何か広がりを持った生き方ができる気がするのです。

こんなかわいいカバーをつけてみました。実はボタンが書き味を損ねるんだけど。

何年かかるかわからないけれど、最後のページが埋まるときまでかわいがってあげたいと思います。

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