顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

梵天山古墳群…久慈川流域の権力者の墳墓

2021年03月16日 | 歴史散歩
古墳時代(3世紀中頃から7世紀頃)の大型古墳の分布は、地方に伸びていった大和王権の勢力図そのものでした。服属した在地勢力の首長とその一族、朝廷から派遣された高官などの墳墓が、茨城県には1780基もあり、特に霞ケ浦、恋瀬川、那珂川、久慈川などの水上交通の要所で、政治、軍事、経済上の優位性を確保した場所に築かれていました。

常陸太田市の南西端、久慈川左岸の丘陵上に梵天山古墳群があります。主墳の梵天山古墳を中心に13基の高塚墳と「百穴」と呼ばれる横穴群で構成されています。

その梵天山古墳は、当時久慈川流域を支配していた久自国造舟瀬足尼(すくね)の墳墓と伝えられ全長は160mの前方後円墳で、石岡市の舟塚山古墳(186m)に次いで県内2番目の大きさを誇ります。後円部に対して前方部が未発達であることから、古墳時代前期の築造と推定されています。

常陸太田市郷土資料館のTHE UMEZU SHIMBUN(令和2年8月27日号)に載っていた梵天山古墳測量図です。

古墳は国土地理院地形図記載では、梵天山となっています。これは地形図に名前が載っている茨城県内で3番目の低山で標高32.6m、因みに1位は天神山(東海村)17.4m、2位は天妃山(北茨城市)21.2mで、どちらも拙ブログで紹介させていただいたことがあります。


古墳は梵天山宝金剛院性海寺という真言宗の大きなお寺の敷地裏手にあります。

本堂左手奥に墳丘への登り口があります。

後円部の真ん中に建っている天満宮の社です。

後円部から前方部を見たところ、標高差は約5mあります。



近くの中野富士山古墳は、県道61号日立笠間線道路わきに案内板があり、帰り路で偶然見つけることができました。

全長70mの前方後円墳、平成24年に発見され測量したときに多くの壷型埴輪が発見されました。前方が短い前方後円墳で、古墳時代前期後半の築造と推測されています。

地元の方が「中野富士山古墳保存会」を立ちあげ一帯を整地しているので、しっかりした階段で標高54mの墳丘に上れます。

墳丘から久慈川方面の眺望は抜群です。桜の樹も植えられていました。

この古墳群の他の古墳は、ネットでは探しても見つからなかったという情報も多い中、案内板の設置や整地などをしていただいた地元の守る会の方々に感謝したいと思います。