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平安時代末期に常陸大掾一族の鹿島成幹は、この地を勢力圏にして長子親幹に徳宿城を築かせて徳宿氏を名乗らせました。鎌倉時代初期になると、徳宿氏2代目の秀幹は長子俊幹を隣地の安房(あんぼう)に配し、安房氏を名乗らせ三階城をその居城として築かせたと伝わります。
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しかし、応永23年(1416)の上杉禅秀の乱では宗家の鹿島憲幹が鎌倉公方側に与したのに対し、安房幹光は一族の宮ケ崎氏とともに禅秀側に付くも敗れて討死、200年の歴史を持つ安房氏は滅びてしまいます。その後三階城は鹿島氏の老臣、額賀大炊助が城主になったとされています。
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城は鉾田川(鉾田市)左岸の北西に突き出した比高16m程度の段丘端の南北約200m東西約150mの地に築かれています。
この周辺の城は台地先端を区切った連郭式の縄張りが多い中で、この城は山頂の主郭を同心円状にⅡ郭、Ⅲ郭が囲む輪郭式で、遠くから3階に見えたことが城名の由来といわれています。
茨城県城郭研究会「茨城の城郭」記載の縄張り図を、至って大雑把にgoogle mapに落とし込んでみました。
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水田と山の間の狭い道を進むと案内板のある入り口があり、そこから堀底道を進めるようになっています。
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Ⅱ郭とⅢ郭間の堀は堀底道になっており、直角に曲がる工夫がなされたところもあります。
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Ⅱ郭は腰曲輪のようにⅠ郭の周りを全周しています。写真右側は土塁、左側は4mほどの高さがあるⅠ郭の切岸です。
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Ⅱ郭を通って直線的にⅠ郭へ向かう虎口ですが、虎口としては疑問を呈する記載も多く見られます。
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中心の最高部にある平坦なⅠ郭は約40m×20m、周囲を高さ1mくらいの土塁が廻っており東西2か所の開口部があります。
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台地へ地続きの東側の堀は、より深くなっているのが分かります。
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平坦なⅢ郭の右手にはⅡ郭の急峻な切岸が立ちはだかります。
Ⅱ郭を取り巻くⅢ郭は、櫓台や空堀で分割されている場所が多く見られます。
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西北方向を見下ろす櫓台らしき一角です。各郭の南側にも3基の櫓台が見られます。
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城跡を下りた畦道は、ホトケノザ(仏の座)の群落に覆われていました。
茎を囲んだ葉が仏の座に似ていることから命名され、また、その葉が段々につくことからサンガイグサ(三階草)とも呼ばれているのを思い出しました。
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びっくりしたことに、こんな辺鄙な城跡で、仙人も愛用のガイドブック「茨城の城郭」を携えた城めぐりの女性の方お二人にお会いしました。
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なお、徳宿城、宮ケ崎城については拙ブログ「大軍の前に落城…徳宿城 2018.10.12」、「宮ヶ崎城と宮ケ崎古館…広大な中世城址 2020.10.26」で紹介させていただきました。