顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

世界遺産 富岡製糸場

2016年12月09日 | 旅行
明治維新後、富国強兵を目指した新政府は、外貨獲得のため、生糸の品質改善・生産向上を急ぎ、明治5年(1872)にフランス人技術者を招いて洋式の繰糸機を備えた官営の模範工場をつくりました。当時すでに世界最大の規模をもち、4年後には日本人だけで創業されその後の日本の工業化の始まりになりました。

その後民間に払い下げられた後は、高品質に重点を置いた生糸は海外で高く評価され、昭和62年(1987)の操業停止後もほとんどの建物は大切に保管され、現在は富岡市で保存管理を行っています。平成26年(2014)に世界遺産(文化遺産)に登録され、繰糸所、西置繭所、東置繭所の3棟が「国宝」となりました。

明治5年創業の東置繭所(国宝)は日本の伝統的な柱と梁で構成する構造と、西洋の煉瓦造が合体した構造の木骨煉瓦造、煉瓦の積み方にも特色がありました。長さ104.4m,高さ14.8mで、2階に乾燥繭を貯蔵しました。

場内は平日なのに団体観光客が何組も連なっていますが、音声ガイドという小さな受信機を首からぶら下げてイヤホンを耳につけていると、隣同士のグループが違った説明を聞いていても担当ガイドの声だけがキレイに聞こえる優れものを使用しています。

繰糸所の140mもある長い建物、残っている繰糸機は昭和41年設置のものですが、操業から何度も改良され、特に戦後自動化された繰糸機は全世界に輸出され、世界の絹産業を支えました。

世界遺産ブームの中では地味で渋い施設ですが、観光客も多く熱心にガイドの話を聞いていました。何よりも操業停止した工場を年間1億以上の経費をかけて保存し、日本の産業の近代化に貢献した建物を残した片倉工業の姿勢に感銘を受けました。

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