顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

大洗海岸の地引網

2016年10月16日 | 釣り
秋晴れの土曜日、遠浅海岸の大洗サンビーチで地引網が行われていました。
地引網とは、長い網の両端についたロープの一方を海岸で固定し、もう一方のロープと網を船に積んで沖合いに向かって船を走らせ、走りながら網を海岸に平行に入れ、残ったもう一方のロープを海岸に持って帰ります。そして、その両方のロープを海岸で引き、魚をU字型になった網に引き寄せる伝統的な沿岸漁法です。人手のかかる漁法なので、最近ではもっぱら観光用になっています。

約100人近い人数がふた手に別れ網を引きながら、間隔を少しずつ狭めていきます。結構手早く引かないと、先端の網から魚が逃げてしまいますが、子供さん主体のグループのようなので苦戦していました。小さいサメが逃げ回っています。

網が砂浜に近づくと、オコボレ頂戴に鷗が集まってきます。情報がどんな風に伝達されるのか、港中の鷗が集まってきたようで盛観です。

結局先端の網の中は大漁のイワシ、このイワシを狙っているスズキも網にかかることもあるようですが、今日はゼロでした。観光地曳網の料金は、100人位までで約80,000円というネット情報が出ていました。
なおイワシ(鰯)は、秋の季語です。

鰯引く浜の今昔ありにけり  稲畑汀子
鰯ほか名を教はりて地引網  内藤庫江

馬頭町は、光圀が名付けた…

2016年10月14日 | 歴史散歩
馬頭町(小川町と合併して現在は那珂川町)にある真言宗の「武茂(むも)山 十輪寺 馬頭院」は、寺伝では建保5年(1217年)醍醐寺座主の光宝和尚により開創、当時の本尊は地蔵菩薩で寺名は「勝軍山 地蔵院 十輪寺」でした。

後にこの地方は水戸藩の領地となり、元禄5年(1692年)2代藩主徳川光圀が訪れて、当山の本尊を馬頭観世音菩薩に、そして寺名も馬頭院と改めました。
その際、この地方の郷の名・武茂を馬頭に改め寺に十万石の格式を与え朱印寺にし、記念樹に常陸の国多賀から持ってきた珍しい枝垂栗(三度栗-県天然記念物-)を移植したとされています。
写真は観音堂と本堂です。

光圀が植えたとされる樹齢300年以上の珍しい枝垂れの栗、年に3回開花するので、「三度栗」と言われています。境内には、この他にも2,3本の枝垂れ栗が植えられています。

観音堂の奥に地蔵堂があります。前の本尊地蔵菩薩に因み、お地蔵さんが境内に見られます。

茨城県芸術祭

2016年10月12日 | 日記

茨城県芸術祭の美術部門(日本画、洋画、彫刻、工芸美術、デザイン、書、写真)の展覧会が10月8日から23日まで近代美術館と県民文化センターで開催されています。
横山大観、中村彝、板谷波山などのすぐれた先人を生んだ本県は、その伝統を受け継ぎ、レベルが高いという話をよく聞かされました。確かに一般の方の入選作には素人の評価ですが素晴らしい作品もあり、それに女性の出品が多いのはいつものことながらびっくりします。

近代美術館2階の洋画会場、一般公募431点に対し211点の入選作品と会員、会友の作品などが陳列され、会派にとらわれないため、いろんな鑑賞ができます。

日本画と工芸美術の会場です。工芸では特に笠間焼きの地元のため陶芸の出品が多く、誕生した陶芸大学校など、今後の活躍も楽しみです。

釣…久しぶりに

2016年10月08日 | 釣り
今年の涸沼一帯の鯊釣りは、サイクリングしていて不調と分かっていましたが、あまりの好天なのでかっての釣り仲間と、お互いにもっぱら海釣り専門したが、涸沼川に出かけました。竿を出すのは、2年ぶりくらい、陸からの投げには5.4mの磯竿が仙人流、エサはアオイソメ、とりあえず2本投げてあたりを待ちます。

涸沼は汽水湖で、海までは涸沼川と那珂川を経て約7.5キロ、満潮時には川が逆流して海水が流れ込みます。そのため鯊の他にスズキ、カイズとチンチン(どちらもクロダイの幼魚)、コチ、カレイなど海の魚が上がってきます。

当日は月齢7.1の小潮、海に下る流れが強くなってきたので約2時間で納竿しましたが、25センチ前後のセイゴ(スズキの幼魚)3つと本命の鯊1つ、何とも哀れな仙人の釣果でした。もちろん釣った魚の供養のためにも美味しくいただきましたが…。
なお関東地方では、スズキは当歳魚をコッパ、30センチ以下がセイゴ、60センチ以下がフッコ、60センチ以上がスズキと呼ぶ出世魚ですが、この呼び方には釣りの名誉がかかっており、仲間で揉めることがあります。

藤田東湖書「麗澤」

2016年10月06日 | 水戸の観光
安政2年(1855年)10月2日、いわゆる安政の江戸大地震で圧死した、藤田東湖の書「麗澤」は、当時親しかった儒学者芳野金陵宅での前日10月1日の酒宴の際に、互いに贈りあったという彼の最後の書と言われています。先日金陵のご子孫から、東湖ゆかりの弘道館に寄贈されました。

絹本で47✕90.5cm、麗澤とは「連なった二つの沼が互いにうるおし合うように友人がお互いに助け合いながら学ぶこと」という意味だそうです。左側に安政乙卯(きのとうし・安政2年の十干十二支)秋日、常陸藤田彪(たけき・東湖の諱)書とあります。
学問の友、憂国の同志であった二人の思いが、160年経た平成の世に舞い降りたような気がします。