顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

南酒出城…額田城を攻める付城

2021年09月10日 | 歴史散歩

平安時代末期には佐竹氏の所領であった酒出(さかいで)郷は、治承4年(1180)佐竹秀義が源頼朝に敵対したため没収されますが、のちに文治5年(1189)の奥州征伐では秀義は頼朝方に参陣し、その功により2男義茂、3男助義が、南酒出氏、北酒出氏を名乗り築城しました。
承久の乱(1221)には佐竹本家とともに北条泰時に従って軍功を上げ、本家佐竹氏は美濃国山田
郷の地頭になり、南酒出、北酒出の両家も美濃に領地を得て移住しました。(後世の土岐氏の鷺山城を築いたと伝わっています。)
北酒出城は廃城となり、南酒出城には佐竹15代義治の孫東義賢(義堅)が酒出氏を名乗って居住しましたが、義忠の代に佐竹氏秋田移封に伴い廃城となりました。

現在残っている城跡は、当時の城ではなく、戦国末期になってから、佐竹氏に従属していた額田氏の約2.5キロ東にある額田城を攻めるために、佐竹氏が構築した付城(向城、陣城)とする説が案内板には書かれています。

東日本大震災の後に、額田城主小野崎昭道宛の「伊達政宗起請文」が近在の旧家から発見されて話題になりました。その裏切りに気付いた佐竹氏は、天正19年(1591)額田氏を攻撃して額田城は落城、小野崎昭道は伊達氏を頼って落ち延びましたが、後に水戸家に600石で召し抱えられ、代々額田久兵衛を名乗りました。
これは、大名間の領土紛争を禁止する秀吉の惣無事令により伊達政宗の佐竹領侵犯も不可能になり、また佐竹氏が秀吉により常陸国の所領を安堵され、従わぬ勢力の討伐許可を得ていたといわれます。
額田城を攻め落として勝利を収めたこの城も、11年後の慶長7年(1602)には廃城の憂き目を見ることになります。

Ⅴ郭の蒼龍寺駐車場の北側も台地端の急坂になっています。

蒼龍寺入口を右に折れて城址の林に向かいます。

立派な案内看板は、行政でなく那珂歴史同好会の設置、なんとも嬉しくなってしまいます。

杉林の中を進むと2郭と4画の間の空堀が見えます。

左に折れ主郭に向かうと虎口があります。

虎口前の前の幅約15m、深さ約6mの薬研堀は南西側に巡らしてあります。この膨大な土木量などから、短期間で築かれた付城ではなく、長期的に改修されてきた城郭ではという説もあります。

高さ約3mの土塁に囲まれた東西約90m、南北約60mの平坦な主郭の北東側は、比高約20mの台地端の急崖になっています。しかしこの主郭は、城郭には珍しく周辺より低くなっているため、まわりの集落に対して上位でないというのも一時的な付城説の根拠の一つです。

「水の手」と呼ばれる城中の井戸跡です。

3廓側の土塁と空堀、この先は民家の敷地になっています。

城跡は一面のヤブミョウガ(藪茗荷)、ミョウガに似ていると名前が付きましたが、こちらはツユクサ科です。ショウガ科の普通のミョウガも混在していましたが、いわゆる可食部の花ミョウガは見当たりません。

蒼龍寺は、元弘元年(1330)の建立の臨済宗のお寺で、松花山高泰院といわれていましたが、大永2年(1525)曹洞宗に改め、開山は玉峰聞佐和尚、開基が南酒出城主佐竹義忠です。光圀公の寺社改革によって廃寺となるも千波から新たに大湖山蒼龍寺がこの地に引き移され、幕府から寺領23石を賜ったと伝わります。

天然記念物のカヤ(榧)は、推定樹齢約500年、樹高約18m、目通り6.2mの堂々たる姿で、幹の地上5mほどにはヤマザクラの宿り木が寄生して珍しい姿を見せています。

偕楽園公園…いつのまにか初秋の装い

2021年09月06日 | 水戸の観光

コロナと長雨のせいでしばらくステイホームを遵守していましたが、久しぶりに青空が見えた午後の偕楽園公園をひと歩きしてきました。
桜川の先に見える偕楽園本園は、緊急事態宣言下のため9月12日まで閉園になっています。

ススキに覆われた丸山です。2代藩主光圀公が中国の詩人陶淵明を慕い「淵明堂」を建て、酒を愛した詩人を偲び、堂の壁に猩々(しょうじょう)の絵を描かせたと伝わっています。

仙人の歩くのは公園の端ばかり、草刈りが追いつかないためいろんな野草が顔を出してくれます。
群生しているのはキキョウ科のツリガネニンジン(釣鐘人参)、釣鐘型の花と人参のような根が命名の由来ですが、高山地帯に咲くと何故かハクサンシャジン(白山沙参)と名を変えます。

歩道に咲いたツルボ(蔓穂)です。球根を剥くとツルっとした坊主頭に似ているとか、命名の由来はいろんな説があります。

こちらはヤブラン(藪蘭)、木陰などいたるところで咲いているユリ科ヤブラン属の常緑性多年草です。花言葉は「忍耐」「謙虚」、わかるような気がします。



しばらくの長雨でいろんなキノコがぞっくり出ていました。仙人の判別できるのは4,5種類だけ、名前も可食かどうかもわかりません。

十字に開いたかわいい花、名前にも親しみを感じるセンニンソウ(仙人草)ですが、毒性があり皮膚にふれると水疱ができることもあるそうです。実に白い髭のような毛がつくのが名前の由来です。

花は可愛いのに花や葉茎を切ると悪臭がするので、ヘクソカズラ(屁糞葛)という名前がついてしまいました。

ヤマボウシ(山法師)の実が鈴生りです。食べられますがねっとりとした食感は2個目を摘まむ気にはなれません。ネットではジャムや果樹酒の情報が出ていました。

コブシ(辛夷)の実も林檎のように色付いています。握り拳のような実の形から名前が付いたという説が有力です。

藪の中にキウイが生っていてびっくりしました。川の傍なので種実が流れてきたのでしょうか。1965年頃に北米からフルーツとして輸入された植物が、完全に日本の環境になじんでいます。

公園のメイン通りには、いろんな色のムクゲ(槿)が満開です。

梅林の下を刈った草は、木の周りに円形に積み上げられていました。堆肥や保温のためでしょうか?来年の梅まつりによりきれいな花を咲かせる準備が着々と進んでいました。