土曜日の昼過ぎ、山梨に帰っていた私に電話がかかり、中学校のときの同級生が亡くなったことを知りました。
享年53歳、高校などの講師をする傍ら、町内で父親から引き継いだ書道塾を経営しており、私と同じく二男一女の父親でもあった彼のあまりにも早すぎる死でした。
とりあえず町内の同級生の家に連絡し、午後4時ごろ連れだって彼の家を訪れました。熱い熱気がまだ立ち昇っているようなアスファルトの路上を歩いていきましたが、それにしては妙に物静かな雰囲気の中で私たちの口数は少なく、ともすれば足取りは重くなるのでした。
家には既に近所や親類の方々が多く詰め掛けていて、賞状や額など、彼の実績を語るものがたくさん置かれた座敷に、彼は静かに身を横たえていました。
昨年の一月に大きな手術を受け、直後に脳梗塞を起こして書家の命とも言うべき右手の自由を失いながら、その後懸命にリハビリに励んできた彼でした。その後、奥さんの運転する車で友人の家を訪れるなど、快方に向かっていると聞いていた矢先だったので、私たちは物言わぬ彼の横顔を目前に見ても、その事実を信じることができないような気持ちで線香を持つ手も震えてしまうのでした。
彼の顔は闘病生活のせいか、ややむくんではいましたがその表情は穏やかで、本当に眠っているような感じでした。昨年の秋お見舞いに訪れたときに、私たちに「必ず良くなるよ」と約束した彼の顔を思い出し重ね合わせていました。
目を真っ赤に泣き腫らした奥さんと娘さんが私たちと挨拶を交わしているそばで、大学生と中学生の二人の息子が、悲しみを懸命にこらえている様子がまた涙を誘いました。
家長として、夫として、そして父親として、まだまだやり残したことはたくさんあるのに...。
あまりにも早い、同級生の死でした。今はただ彼の冥福を祈るのみです。
享年53歳、高校などの講師をする傍ら、町内で父親から引き継いだ書道塾を経営しており、私と同じく二男一女の父親でもあった彼のあまりにも早すぎる死でした。
とりあえず町内の同級生の家に連絡し、午後4時ごろ連れだって彼の家を訪れました。熱い熱気がまだ立ち昇っているようなアスファルトの路上を歩いていきましたが、それにしては妙に物静かな雰囲気の中で私たちの口数は少なく、ともすれば足取りは重くなるのでした。
家には既に近所や親類の方々が多く詰め掛けていて、賞状や額など、彼の実績を語るものがたくさん置かれた座敷に、彼は静かに身を横たえていました。
昨年の一月に大きな手術を受け、直後に脳梗塞を起こして書家の命とも言うべき右手の自由を失いながら、その後懸命にリハビリに励んできた彼でした。その後、奥さんの運転する車で友人の家を訪れるなど、快方に向かっていると聞いていた矢先だったので、私たちは物言わぬ彼の横顔を目前に見ても、その事実を信じることができないような気持ちで線香を持つ手も震えてしまうのでした。
彼の顔は闘病生活のせいか、ややむくんではいましたがその表情は穏やかで、本当に眠っているような感じでした。昨年の秋お見舞いに訪れたときに、私たちに「必ず良くなるよ」と約束した彼の顔を思い出し重ね合わせていました。
目を真っ赤に泣き腫らした奥さんと娘さんが私たちと挨拶を交わしているそばで、大学生と中学生の二人の息子が、悲しみを懸命にこらえている様子がまた涙を誘いました。
家長として、夫として、そして父親として、まだまだやり残したことはたくさんあるのに...。
あまりにも早い、同級生の死でした。今はただ彼の冥福を祈るのみです。