最近あまり興味のないプロ野球のドラフト会議ですが、今年はちょっとした騒ぎがありました。ジャイアンツ(読売巨人軍)のドラフト5位に、長男の高校時代のチームメイトである四国アイランドリーグの深沢和帆君が指名されたのです。
駿台甲府高校時代の深沢和帆君は、最初は外野手として、途中から一塁手として活躍しました。入学当初は体も小さくひょろっとしていたのですが、二年生あたりから背が伸び始め、三年生の時には多分もう180センチメートルはあったんだろうと思います。それにともない打撃も向上し、レギュラーを勝ち取った三年の夏は4番を打っていました。
しかし、高校時代のチームメイトも誰一人として彼が投手をやるようになるとは思いませんでした。
高校卒業後チームメイトの中では唯一大学で硬式野球を続けていて(私の長男は準硬式野球)、彼の入った大学はその年全国大会の上位に行ったと聞いて、がんばっているなと思っていたのですが、途中で大学をやめ、郷里の山梨のクラブチームに入ったといううわさを聞いていました。
それが突然、四国のアイランドリーグに入ったと聞き、再び驚いたものでした。その後、高校野球の県大会の球場で深沢君のご両親と顔をあわせたときに「好きな野球だから、給料は安いけれど、本人の納得がいくまでやらせる」と言っていたのを思い出します。このご両親の暖かい気持ちがあったからこそ、今日の深沢君があることを彼は決して忘れてはならないでしょう。
野球生活の表街道を常に歩いてきたわけではない深沢君の、これからの活躍を祈ってやみません。がんばれ!深沢君
駿台甲府高校時代の深沢和帆君は、最初は外野手として、途中から一塁手として活躍しました。入学当初は体も小さくひょろっとしていたのですが、二年生あたりから背が伸び始め、三年生の時には多分もう180センチメートルはあったんだろうと思います。それにともない打撃も向上し、レギュラーを勝ち取った三年の夏は4番を打っていました。
しかし、高校時代のチームメイトも誰一人として彼が投手をやるようになるとは思いませんでした。
高校卒業後チームメイトの中では唯一大学で硬式野球を続けていて(私の長男は準硬式野球)、彼の入った大学はその年全国大会の上位に行ったと聞いて、がんばっているなと思っていたのですが、途中で大学をやめ、郷里の山梨のクラブチームに入ったといううわさを聞いていました。
それが突然、四国のアイランドリーグに入ったと聞き、再び驚いたものでした。その後、高校野球の県大会の球場で深沢君のご両親と顔をあわせたときに「好きな野球だから、給料は安いけれど、本人の納得がいくまでやらせる」と言っていたのを思い出します。このご両親の暖かい気持ちがあったからこそ、今日の深沢君があることを彼は決して忘れてはならないでしょう。
野球生活の表街道を常に歩いてきたわけではない深沢君の、これからの活躍を祈ってやみません。がんばれ!深沢君