五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

この一曲:手紙[岡林信康]

2007年04月19日 | この一曲!
二男は大学のオリエンテーションを終え、いよいよ勉強生活に入ろうとしています。オリエンテーションで思い出すのは、昭和45年の4月高校に入ったときのことでした。各サークルの活動を紹介する時間のとき、体育館に集まった私たち新入生の前で、あるクラブの部長(だったかリーダーだったか)が、ほとんど前触れなく歌いだしたのが、この「手紙」でした。

 私の好きな みつるさんが
 おじいさんから お店をもらい
 二人いっしょに 暮らすんだと
 うれしそうに 話してたけど
 私といっしょに なるのだったら
 お店をゆずらないと 言われたの
 お店をゆずらないと 言われたの

それまで岡林信康さんの存在もぼんやりとしか知らなかった私でしたが、その歌詞の内容には衝撃を受けました。「世の中にはこんな歌もあるんだなぁ」と。もちろんその曲が岡林さんの歌だと知ったのはずっと後年のことです。

 私は彼の 幸せのため
 身を引こうと 思ってます
 二人はいっしょに なれないのなら
 死のうとまで 彼は言った
 だからすべて 彼にあげたこと
 くやんではいない 別れても
 くやんではいない 別れても

残念ながらその当時の私は、どちらかというとChicagoやDeep Purpleなどの洋楽を中心に聴いていて、いわゆるフォークソングに接し始めたのは自分でギターを弾くようになった高校生後半でしたから、岡林さんの曲の思い出は他には「友よ」「チューリップのアップリケ」くらいしかないのです。
とにかく、あの時体育館で伴奏もなしに(つまりアカペラで)歌った先輩の姿が今でも強烈に目に焼きついています。

区議選

2007年04月18日 | 日々のつれづれに
区議選が始まりました。朝夕の荻窪駅頭にはさまざまな候補者が集まって、出勤客に頭を下げています。おそらく、隣接する杉並区内の各駅でも同様の光景が見られることでしょう。
ただ極端なことを言うと、4年に一度現れるこれらの候補者の方々の普段の活動というものは、有権者にはほとんど知られていません。今回の立候補者の中で私が知っているのは、毎週荻窪駅南口に立ってビラを配っているひとりの現職の方だけです。

「そんなことはない。区議会報には詳しく出ているじゃないか。知らないのは知ろうとしないお前の方が悪い」

と叱られてしまいそうですが、普段私たちの生活の中で、これらの議員さんたちとの係わり合いというものは無いのが普通(特別な問題があるときにはかかわっていただくことがあるかもしれませんが)です。
そういう意味では、わずか一週間程度の選挙機関の中で、自分の名前とともに実績を訴えて、その上で投票してもらうということは至難の業かもしれません。

普段の生活の中で、彼らの活動が用意に分かるようにする工夫をしなければ、30パーセント足らずの投票率というものはなかなか改善されるものではありませんね。

またひとつ年を重ねて

2007年04月15日 | 日々のつれづれに
土曜日は、家内と二男を連れて小瀬球場(山梨・甲府)に駿台甲府の応援に行きました。二男よりひとつ下のチームは、緒戦ということもあってかプレーに硬さが見られ、相手チームを上回る安打を放ちながら前半を2-5とリードされましたが、相手のミスにも助けられ同点に追いつくと、最終回に二死満塁から2年生の小坂君にタイムリー安打が生まれ、6-5で谷村工業にサヨナラ勝ちをおさめました。

日曜日には、家内も連れて昼過ぎにクルマで東京に戻ってきました。夕方、近くのレストランで4人で食事、私の53歳の誕生日を祝ってもらいました。4月15日は私の誕生日でした。
家に戻ってきてから、長女と二男から誕生日プレゼントとしてボールペンとシャープペンのセットをもらいました。昨年は、何度も検査をしたり入院したりという年でしたが、今年は家族とともに新しい住まいで暮らせる事を何よりも感謝しなければと思っています。


この一曲!踊り子[村下孝蔵]

2007年04月09日 | この一曲!
私の持ち歌の中でもかなり良く歌う歌の方です。けっこう高いキーの歌で、その日の声の調子を見るのにいい、という面もあります。

 答えを出さずに いつまでも愛せない
 バス通り裏の路地 行き止まりの恋だから
 どこかに行きたい りんごの花が咲いてる
 暖かいところなら どこへでも行く

 つま先で立ったまま 君を愛してきた
 南向きの窓から 見ていた空が
 踊りだすくるくると 軽いめまいの中
 写真をばらまいたように 心が乱れる

たぶん物語の舞台は、この都会の空の下。お互いの夢を持ちながら肩を寄せ合って生きている若い二人。しかし、将来の見えない日々に心が疲れてゆく。

 表紙の取れてる 愛だから隠し合い
 ボロボロのせりふだけ 語り合う日々が続き
 坂道を駆ける 子供たちのようだった
 倒れそうなまま二人 走っていたね

 つま先で立ったまま 僕を愛してきた
 狭い舞台の上で ふらつく踊り子
 愛してる愛せない 言葉を変えながら
 駆け引きだけの愛は 見えなくなっていく

言葉に出せない不安の中で暮らしている二人。相手の本当の気持ちを知ることが怖くて、交わす言葉もお互いの気持ちの上をかすめていく。

 つま先で立ったまま 二人愛してきた
 狭い舞台の上で ふらつく踊り子
 若すぎたそれだけが すべての答えだと
 涙をこらえたまま つま先立ちの恋

それにしてもギターを抱えた村下さんのこの歌を聴いていると、突然パリの町並みがイメージされてくるのは何故なんでしょうか?


新歓コンパ

2007年04月07日 | 日々のつれづれに
夕方の吉祥寺駅周辺は、大学生と社会人(見るからに一年生)の群れがあふれていました。4月からスタートした新生活の中で初めての休日前夜ということでしょうか、「これから歓迎会に行くぞー」といった感じの集団がそこかしこにいましたよ。

今から34年ほど前になるでしょうか、大学生になった私はクラブの新人歓迎会ではじめての日本酒に酔い、隣の席の4年生の女性にからみ(後で聞いたらキャプテンの彼女!)、同じように酔った同級生と二人で身延線に乗ったまま終点まで寝過ごして、タクシーで深夜に帰った、という苦ーい想い出があります。

最近の若者はそんなことはないでしょうが、実は二男もクラブの歓迎会がありました。まだ入部することが決まっていない人も含めて約20名ほどが先輩に連れられて食事などをしてきたようです。(うーん、表現に注意)

てっきり二次会のカラオケにでも行くのかと思いましたが、一年生の入部予定者は品行方正にも9時過ぎには帰ってきました。まあ、本当の歓迎会は入部決定者だけで別にやるのかもしれませんね。

あるクラブの掲示板に新入生の書き込みで「新入生歓迎会は出ないといけないのですか?」というのがありました。
興味を持ってその回答を見守っているのですが、まだ返事の書き込みはありません。
おせっかいな私は「先輩方があなたの入部を歓迎するために開いてくれるのだから、(よほどの理由がない限り)出るのが当然じゃないの?」とでも書こうと思ったのですが、思いとどまりました。

きっとこの子は、歓迎会当日大事な用があって出たいんだけれど出席できないために、思い余って掲示板に書き込んだのかもしれない、と思ったからです。
まさか、先輩や仲間との付き合いはグランド(あるいはコート、体育館など)だけにしたい、などと考えているわけじゃないでしょうしね。

ひと言、理由を書き添えてくれたら、先輩も楽な気持ちで「これから何度もありますから、無理しなくていいですよ」などと書けるのにな、と思いました。

メールなどで送信ボタンを押す前に、自分の書いた文面をもう一度見直して、読んだ人の受け取り方を考えて見る、というのは大事なことです。
一時の感情で書いたメールは、どうしても相手も同じ議論の場に立っていると思い込む、独りよがりの感覚の中で書いており、ついつい言葉が足りないストレートな表現になりがちです。
率直さは大切ですが、受け取られ方を考えないととんでもない誤解を引き起こすことにもなります。気をつけたいものです(最後は自戒の意味を込めて)。



個人情報保護だから

2007年04月06日 | 日々のつれづれに
会社の帰りにレンタルCDショップに行きました。新しいCDをいくつか選んでレジに並んだところ店員さんから「会員期限が切れているので更新しますか?」と聞かれました。
続いて「住所は変わっていませんね?」と聞かれたので「今の住所は変わりましたが、山梨の実家の住所は変わっていません。」と答えました。

あとから考えるとここで会話をやめておけばよかったと思うのですが、つい「どちらで登録してありますか?」とたずねたのです。返ってきた言葉は「個人情報ですからお答えできません。」

一年前に登録したとき、身分証明のため健康保険証(単身赴任のため、東京の住所)と免許証(山梨の実家のまま)のどちらを使ったか覚えていなかったのです。その時々で必要に応じて使い分けていましたから。

私は「杉並か山梨か、それだけでも教えてもらえれば」と食い下がったのですが、態度の悪い(ちょっと主観的でしたね。言葉を変えれば融通の利きそうもない)その店員は「ダメです」の答えばかり。私の後ろに並ぶ列も長くなってきていたので、仕方なく店員に言われるままに新しい申込用紙に名前と(書きたくもない)荻窪の現住所を書いたのでした。
店員は用紙を受け取るとコンピュータの端末を操作して会員カードを使えるものにすると、支払い手続きをしてくれました。

個人情報保護法の第25条により、個人情報取り扱い事業者(この場合はレンタルショップ)は本人から開示請求のあった場合には遅滞なく開示しなければならない旨記されています。店員は私から「個人情報を見せろ」といわれたときに「身分証明書を見せてください」と応じるのが正しい対応だったと思います。
加えて、私が新しい住所を書いた用紙を出したのに対して、その確認をしませんでした。これも対応としては×ですね。

むやみやたらと「個人情報云々」を振りかざさないようにしてもらいたいものです。


二男の新生活

2007年04月05日 | 日々のつれづれに
二男がいよいよ大学生生活を始めました。2日は山梨から来ていた家内が付き添って入学式に行きました(年初、ということもあって、私は3人の子供のいずれのときも出席できず)。

入学式の帰りには、自分のクレジットカードを使って定期券を購入。帰りに家内が買ってきたケーキでお祝いをしました。
野球部への入部申し込みは3日にしたとのこと。勉強との二足のワラジは大変だけれど、無理せずにがんばってほしいです。それと、新しい友人を見つけることは勉強と同じくらい大事なこと。9日までは各種のオリエンテーションがあって、授業が始まるのはもう少し先です。

私といえば今まで二年半の間、二人分の朝食を作ってきましたが、ひとり増えたので材料の量(味噌汁でいうと出汁の量、味噌の量)がまだわからない状態です。食事制限をしている私や体重の増加を気にしている長女と比較して食べ盛りの18歳ですから、単純に五割り増しというわけにはいきません。
どちらかというと肉よりも野菜が好きな方なので、キャベツ・たまねぎ・キュウリなどの消費が倍以上になったような気がしています。

山梨で家内に仕込まれてきたらしく、カレーライスやチャーハンを自分で作ることはできるので、夕食の当番は偏らずにすみそうです。

山梨の桃畑の満開はもう少し先か

2007年04月03日 | 日々のつれづれに
週末、山梨に行った帰りにいつもの甲府南ICではなく、ひとつ先の一宮ICから乗りました。目的は農道沿いにある一宮・御坂の桃の花を見るためです。

実家のある市川大門から三珠・豊富・中道・八代・御坂・一宮(いずれも旧町村名)を結んで走っている農道があって、その沿線は山梨でも有名な果樹地帯です。
サクラの花も満開ですが、果樹の花も咲きそろっているだろうということで少し回り道をしてみました。

現在はスモモの薄黄色い花が満開で、桃の花はあと一週間というところでしょうか。同じ桃でも、甲府盆地を走る中央本線沿いの果樹園はほとんど満開だったそうですから、標高によって多少の差がでているのかもしれません。
写真は、国道138号線近く、もうすぐ一宮インターに入るというところの場所にクルマを止めて写したものです。ピンクの桃の花が南アルプスの雪をバックに咲き誇っていました。(画像をクリックすると大きな画像でご覧になれます)

今週末は、甲府市内で「信玄公祭り」が開かれ大勢の観光客が訪れます。

SuicaとPasmo

2007年04月02日 | 日々のつれづれに
4月1日の荻窪駅ではみどりの窓口が大混雑してました。年度の切れ目で定期券の更新客が殺到したためと思われます。

実は家内にもSuicaを買ってあげようと思っていたのですが、すごい行列に恐れをなしてしまいました。
しかしながら、駅前のバスのチケット売り場にPasmoが売っていたので、そちらを購入することにしました。
SuicaもPasmoもほとんど同じ機能で、またお互いの券売機でチャージできるので、使い勝手は変わりません。
広告の差といってしまえばそれまでですが、人気に大きな差があるのかも知れませんね。
それにしてもコンマ数秒の間に駅間の運賃をすばやく計算し表示してしまうなんてすごいですね。