五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

Facebookとブログの連携

2011年07月31日 | 日々のつれづれに
昨日Facebookのアカウントを作りました。

初めてログインして、こんなにたくさんの人が実名で登録していることに驚きました。
匿名性の高いツイッターが、個人のつぶやきを大勢のフォロワーが追いかける構造だとしたら、Facebookは明らかに個人同士の交流の場の提供です。
ただし、その見知らぬ個人同士が「友達」になっていく過程は、既存の友人関係が取っ掛かりになっているのだと強く感じました。

というわけでリアルな友人の少ない私としては、写真か日記(Facebookの世界では“ノート”といいます)をアップして、誰か知人がアクセスしてくれるのを気長に待つしかないわけですが...。

写真はともかく、日記についてはブログで書いたことをまたFacebookに書き直すのも面倒だし、ということで両者を連携させる方法を調べてみました。

探した結果、ネットに掲載されていたのは主に3つ。

1.“ノート”に自分のブログ記事を「インポート」する方法
インポート作業そのものは簡単ではありますが、私が今日やってみた限りでは見出し画像がインポートできない(あくまでもテキストのみ)ことと、元のブログへのリンクが張られないことが難点です。Facebookとしては自分のユーザをブログ側に取られたくないのでしょう。
また、自動で更新できるという話でしたが、私のブログからは自動で更新できませんでした。

2.アプリ「My Blog Posts」を使ってFacebook側のニュースフィードにブログ記事を自動で取り込む方法
この方法が一番スマートなのですが動作がいまひとつ不安定で、自動で更新できないばかりか手動でも思ったものとは違う生地を取り込んでしまったりして、今のところ使い物になりません。どうやら特定のブログとの間でだけ動作するのではないかと思えるフシがあります。ネットにも「使えねえ!」という書き込みがどっさり。

3.「Share on Facebook」というボタンをブラウザに付けて、表示したブログ記事を掲示板に書き込む方法
手動での取り込みではありますが操作も簡単でブログへのリンクも付くし、自分だけでなく他人の記事も同じように取り込むことができるので汎用性は高いです。見出し画像も取り込めました。
残念なのは、他の方法のように記事の導入部を表示する機能がなく、毎回ブログの紹介コメントが表示されてしまうことで、記事の内容をコメント欄に書かなければならない点でしょうか。

しばらく様子を見ながら、対応を考えたいと思います。
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ジンといえば

2011年07月31日 | お酒のハナシ
ロンドン塔の衛兵がボトルに描かれたお酒、それが「Beefeater(ビーフィーター)」です。
ボトルのサイドには誇らしげに「MADE IN LONDON」と書かれています。いわゆるロンドンドライジンの代表のようなジンです。

私が初めて飲んだジンが「Beefeater」だったからか、それ以来ジンといえば「Beefeater」ばかり買っています。
「タンカレー」や「ゴードン」もバーなどで飲んだことはあるはずなのですが、ストレート(いわゆる“ジンスト”というやつですね)で飲んだことがあるのは「Beefeater」だけ。
ですから私にはジンの比較は語れません。

人によればけっこうクセの強いジンらしい「Beefeater」ですが、先日友人に飲ませたところ「けっこうイケる」ということですし、我が家の子供たちも気に入って飲んでいるらしいので、しばらくは「Beefeater」ひと筋でいけそうです。

このジンというお酒、普通はソーダなどで割って飲むとかいろいろなジュースと混ぜてカクテルにするのが普通。したがってお酒の比率によって味が大きく変わってしまいます。
ということでメジャーカップを買ってきて、しっかり量を測って作っています。

ちなみに、ジン・ベースのカクテルの代名詞のような「(ドライ・)マティーニ」は、タンカレー・ジンを使うのが正式なレシピなんだそうです。誰に聞いたか忘れちゃいましたが...。
家にはベルモットなどはないので、今度ありあわせのハーブ酒と合わせて作ってみようかと思っています。

心なしかウィスキーなどよりアルコールの量が変わることで味の変化が大きいような気がします。
焼酎などは、飲んでる途中で継ぎ足したりしてテキトーに飲んでいますが、ジンとかウォッカなどはそういきませんからね。
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遠雷(えんらい)

2011年07月31日 | 一句ひねろう
ここ数日、午後になると遠くで雷の音が聞こえます。
遠雷(えんらい)というやつですね。

子供の頃、音の伝わる速度は毎秒約300メートルだから、稲光が光ってから音がするまでの時間を計れば雷が落ちた場所までの距離がわかる、ということを学校で教わりました。

そのせいか、今でも外でピカっと光ると無意識に「1,2,3...」と数え始めるのがくせになってしまっています。

 遠雷の 時間(とき)計り居る テレビ前


それで思い出しましたが、会社の役員面接で「深さ10メートルの井戸に石を投げ落としたときに、ポチャンという音が耳に届くまでの時間を計算しなさい」という問題が出たことを思い出しました。
自然落下の公式と、先ほどの音の伝わる計算式を組み合わせて黒板の前で解かせるというものでしたが、「えっ?こんな問題が」というような出題だったことを覚えています。

控え室で片持ち梁の強度計算が出たというA君に「そんな簡単な問題が出たのか!」と言われたことを思い出しました。

今日は小瀬球場で少年野球の山梨県大会が開かれています。
金属バットを使っている少年野球の場合、雷に備えてかならず木製のバットを用意しておく規則がありますが、今日は使ったかな?まあ、雷が鳴るようなときにはベンチに入ってじっとしているのが一番なんですがね。

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スーパーのレイアウト変更

2011年07月31日 | 日々のつれづれに
家内と近所のスーパーに買い物に出かけました。

今日行ったのは普段あまり行かないスーパー。
その理由は家内に言わせると「土曜日におじいさん・おばあさんデーがあって自分は安くならないから」というもの。ポイントカードは別にして、お客を年齢で差別するのは許せない、ということでしょうか。

それなのに今日出かけたのは、「ポイント5倍」というはがきが来たため。
ここぞとばかりに行ったのですが、目あてのものがなかったということでたくさん買い込むこともなく帰ってきました。

久しぶりに行ってみて驚いたのは、売り場のレイアウトが大きく変わっていたこと。
野菜売り場の近くにあった練り物や納豆などがパンとともに反対奥の場所に変更になり、肉の売り場も陳列の仕方も含めこれまでとずいぶん変わっていました。
我々を含め、DMのはがきに釣られて普段以上にたくさん訪れた客も、いつもと勝手が違っているのか店内を右往左往、混雑に余計拍車をかけた形となりました(と私は思いました)。

いずれこのレイアウトにも次第に慣れていくのでしょうが、大幅に代えるのはいかがなものか、と思いました。

確かに買い物がしやすいように、という目的で行ったレイアウト変更なのでしょうが、ただでさえ他店と比べ狭い通路がさらに狭くなったようで、特に肉の売り場の前は慎重に品定め(原産地表示なんでしょうね)する客が滞留しており、業を煮やした家内はスルー、「もう行かない」と言い出す始末。

町内にあって老齢者のための買い物日を設定しているくらい、おじいさん・おばあさんが大勢来るスーパーですから、彼らに混乱を招かせないような親切なレイアウトを考えるべきだったかな、とついついコンサルタントの目で見てしまいました。
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ライギョの思い出

2011年07月30日 | 日々のつれづれに
小学校時代の夏休みの思い出です。

5年生くらいの頃、ある日友達何人かと連れ立って数キロ離れた隣町の沼に行きました。
元々広い湿地の中にあったその沼は周囲が百メートルくらいだったでしょうか。背たけよりも高い葦が沼の周囲にたくさん生えていて、一歩間違えるとずぶずぶとハマってしまうような場所が多く、今考えてもかなり危険な場所だったように思います。おそらく地元の学校では立ち入り禁止になっていたのかもしれません。

そんな場所に私たちが出かけたのはもちろん魚釣りをするためで、その沼にはいろいろな魚はもちろんザリガニなども針にかかりましたし、時には大きな亀がかかることもあったのです。

その日もある友達が大きな声をあげました。
彼の釣竿が大きくたわんで、私たちはどんな大物が釣れるのだろうと見ていたところ、針にかかったのは予想に反してあまり大きくはない魚、15センチメートルくらいのライギョでした。

ライギョを見るのはそのときが始めてで、私は内心「かっこいい魚だな」と思いました。
友人の一人が「ライギョはマズくて食べられない」と訳知り顔で言いました。

見るからに獰猛そうな顔のその魚を二匹、帰りがけに私たちは小学校の池に放しました。
池にはライギョより二周りほども大きな金魚(ひょっとしたら緋鯉だったかも)を初めとして川で釣ってきた魚などがたくさん泳いでいましたが、翌日登校するとほとんどの魚が二匹のライギョに食われてしまっていました。

子供心に「ライギョって怖い魚なんだな」と思いました。
ライギョを池に放流した私たちが、担任の先生からこっぴどく叱られたのは言うまでもありません。
今でもブラックバスやブルーギルなどの無断放流の記事を読むと、少し心が痛みます。


45年以上も前に沼だったその場所は、今は土壌改良がされて立派な水田に姿を変えています。
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F-16 ファイティング・ファルコン

2011年07月29日 | 日々のつれづれに
木曜日の夜、ご自慢のプラモデルをいくつか携えて古い友人が訪れました。
いつものように、お酒を飲みながら久しぶりにプラモデルやミニカーの話に花を咲かせました。

以前にも双発機の「月光」と「屠竜」を頂いているのですが、今回は「96式陸攻」と「1式陸攻」、それに4発の「連山」と「F-16」。
もちろん箱入り未完成品。彼自身のコレクションの中からのもので、今となっては手に入らないようなものもあるそうです。

「F-16」はアメリカ空軍の戦闘機で愛称は「ファイティング・ファルコン」。旧日本陸軍の「隼」つながりで、わたしはこの機も好きな機種のひとつです。

いただいたプラモデルはいずれも1/72スケールで、写真の「F-16」は友人が「練習に作ったものだから」といって置いて行ったものですが、全面塗装されていて、とても私の“お手本”にするにしてはすばらしく出来のよい作品過ぎます。

もうアマチュアの域をとっくに超えていますね、友人の腕は。いずれはホームページを作りたいといっておりますから、そのときにはすばらしいコレクションが披露されることでしょう。

鉄道模型にも手を染め始め、また彼のアドバイスでミニカーも収集し始めるなど、正直なところなかなか腰をすえてプラモデル作りにとりかかるような環境に無いのですが、早く一機くらいは作りたいなあ。
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それぞれの人生

2011年07月29日 | 日々のつれづれに
ニード・スポーツセンター(私がよく行く町営のスポーツジム)の入り口で突然声をかけられました。
そこには何と数十年ぶりに会う高校時代の友人が立っていました。
彼とは高校一年生のときの同級生、三年間同じ電車(身延線)で学校に通った仲でした。

家内と待ち合わせてジムに通うはずが、懐かしさのあまり(当然ですね)入り口で約40分ほど話し込んでしまいました。
互いの近況などを話すうちに、友人も私と同じハローワークに通う身だということがわかりました。

しかし、事情は私とは大いに異なり...。

彼は親から受け継いだ家業を昨年「思うところがあって」廃業し、今新しい人生を模索しているのだとか。それは彼の家庭環境にも関わっていることなので詳しい内容は書けませんが、子供たちの手がかからなくなったのを機に一大決心をしたようです。

聞けばスポーツセンターに来るのは今日が初め、ということで「毎週金曜日のこの時間には自分も通っているから」と伝え再開を約束して別れました。

町営のスポーツジムということで、見知った顔がけっこういるところですが、先輩ヅラをして同級生と一緒に汗を流せるというのはまた格別かもしれません。
来週の金曜日が楽しみになりました。
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全原発停止なら失業者20万人増…エネ研試算

2011年07月29日 | 日々のつれづれに
日本エネルギー経済研究所は28日、国内の原子力発電所54基すべてが2012年春に停止した場合に、12年度の実質国内総生産(GDP)を最大で3・6%(20・2兆円)押し下げるとの試算を発表した。
電力不足が国内産業の空洞化を加速させることで失業者数も19万7000人増加するという。[7月29日 読売新聞

何でこういう記事を平気で載せるのかな、と思いますね。
2012年春に一斉に止めるというこの前提。原子力→火力へのシフトイコール電気料金の値上げすなわち国内産業の空洞化という短絡思考。

ではどうすればいいのか?
そうならないための具体策を日本エネルギー経済研究所のオエライさんがたは考えなければいけないはずなのに、どうしてネガティブな話ばかりが先行してしまうのでしょうか。

いや、理事長や顧問を始めと通産省OBで構成されているエネ研に期待するのはそもそも無理な話でしたでしょうか?

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ポルシェ917

2011年07月28日 | ミニカー
私の好きなポルシェ、といったら何をおいてもこの917。
1969年の日本グランプリにタキ・レーシングからエントリーされました。

917には色々なバリエーションがあって、ルマンなどの高速コースを走るためのロングボディ(917LH)やスポーツカー選手権に出走したショートボディ(917K)、またCan-Am仕様のオープンボディのものもあります。

これらの原型になったクローズドボディの917は排気量約4.5リッター520馬力の水平対向12気筒エンジンを積んモンスターマシンです。

私の大好きだったジョー・シファートがドライブする(相棒はデイヴィッド・パイパー)ということでトヨタ7の活躍とともに楽しみにしていましたが...。

F1(アメリカGP)とCan-Am(第10戦ラグナ・セカ)の間のわずかな期間(何と滞在は3日間)という厳しいスケジュールの中での来日で走行練習する時間も満足に無く、また主催するJAFが917の可変スポイラーの使用をを認めず(前年のニッサン381のスポイラーはどうなんだ?)、厳しいハンデを背負っての戦いでした。

それでも当時の映像(YouTubeにアップされています!)を見ると、トヨタ7やニッサン382などよりも一段と低いスタイルのポルシェ917が這うように(というかすべるように)富士のコースを駆けていく姿はまさに“怪鳥”と呼ぶにふさわしい姿です。

※「“怪鳥”といったらシャパラルだ」と主張される方もいらっしゃるでしょうが、ここは抑えて抑えて。

予選で7位になり、本番のレースでは序盤一時はトップに立ったもののライバルマシンのオイルをかぶってピットストップを繰り返し、またタイヤのバーストなどがあって順位を下げてしまい、結局総合6位の結果に終わってしまったカーナンバー14のポルシェ917。
それでも私にとって忘れられない1台です。

ちなみに、ドライバーのジョー・シファートは翌々年の71年、F1レース中に事故死し、デイヴィッド・パイパーは70年に映画「栄光のル・マン」撮影中の事故で片足切断の重傷を負っています。

※写真のミニカーはEBBRO製、1/43スケール。
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プロジェクト用紙

2011年07月27日 | 日々のつれづれに
「プロジェクト用紙」というのが正しい呼び名かどうかわかりません。
簿記の勉強をしていたときに、図形を書きうつす機会が多く、そのときに重宝したのがこの用紙。
何のことはない、実体は“A4版5ミリ方眼紙”です(トレーシングペーパーではなく普通紙の方)。

図形以外にも表やフローチャートなどを手早く描くときなどにも便利なので、最近は横罫のレポート用紙に代えてもっぱらこれを愛用しています。

難点は価格が高いこと。
左の「Project Paper」は100枚つづりで360円(オキナ株式会社製)。
「うーん、高いなあ」と思いながらこれまでこの用紙をホームセンターなどで購入して使っていたのですが...。

探してみたらやはり百均ショップにありました。
右側の「REPORT PAD」は60枚つづりで100円(ダイソー製)です。

さっそくこちらに乗り換えました。
これまでのものよりも方眼の色が濃い目なので、コピーしたときに写る可能性がありますが、自分で使う分には気になりません。
やはり“必要のあるところ、商品あり”なんですね。
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この一曲!五番街のマリー[高橋真理子]

2011年07月27日 | この一曲!
 五番街へ行ったならば マリーの家へ行き
 どんなくらし しているのか 見てきてほしい
 五番街は古い町で 昔からの人が
 きっと住んで いると思う たずねてほしい

女性ヴォーカルは割りと好きですが、あまり歌手の名前を知らないので(特に最近の名前だけとかアルファベットだけの名前とか)、狭い範囲の歌手の歌をiPodで聴いています。

その日の体調によって透き通るようなキレイな歌声の歌手がいいと思うときもあれば、反対にハスキーな声に痺れたいと思うときもあるのです。
前者はダ・カーポ、谷山浩子、石川優子、西島美恵子、野田則子、児島未散といった方々で、後者は山崎ハコ、浅川マキ、りりぃ、そして今回の高橋真理子さんだったりします。

実は私が高橋真理子さんの歌を聴くようになったのは彼女のアルバム「Time Of Love」を買ってからなので、案外遅いのです。もちろんこの歌は知っていましたが。

 マリーという娘と 遠い昔に暮らし
 悲しい思いをさせた それだけが気がかり
 五番街でうわさを聞いて もしも嫁に行って
 今がとてもしあわせなら 寄らずにほしい

この歌も高橋さんの歌というよりは「ジョニィへの伝言」とともにペドロ&カプリシャス時代の持ち歌ですが、彼女がカプリシャスを卒業した後もソロで歌っているのでいいでしょう。確か当時は「高橋まり」と名乗っていましたよね。

若いときはけっこう鼻にかかる歌声でしたが、歳とともに落ち着いた歌声に変わってきましたよね。「Traffic~混雑」とか「スフィア」とか大好きです。


実はぺドロ&カプリシャスの初代ヴォーカルだった前野曜子さんにも思い出があるのですが、ここでは置いておきましょう。
またいつのときか書きたいと思います。


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ハリー・ポッターと死の秘宝 Part2

2011年07月26日 | 日々のつれづれに
家内と二人でイオンモール内にあるシネコンに「ハリー・ポッターと死の秘宝 Part2」を観に行ってきました。
夏休みでしたが、いくつかある「ハリポタ」上映館のうち「吹き替え版・2D」を選んだせいか混んではおらず、ゆっくりと観ることができました。もちろん、50歳以上の割引なので二人で2000円。

少し前に買ったDVD「死の秘宝 Part1」を観たばかりだからなのか、また最終話にしてはシンプルなストーリーだったせいか、途中話が見えなくなることもなく無事に(?)観終えることができました。

例によってストーリーを話すことは控えておきますが、やはり最終話はそれにふさわしくスケールの大きい話であり2つのパートに分けただけでは語りつくせないところも多かったのではないかと思いました。
それでもCGも含めて映像全体は見応えがありました。
正直3Dではそれ以上だったんだろうと思いますが、とても私などは疲れてしまってストーリーを追う事も出来ないはめになっていたかもしれません。やはり2Dで正解だったかなと思います。

第1作が作られてから10年。
ハリーもロンもハーマイオニーも大きくなりました。
3人とも十分オトナになりました。もはやホグワーツの学生には見えません。

今回の映画の中では、ネヴィル・ロングボトムの成長振りが目を引きました(本当に最終話はカッコ良かったです)。
反面、ドラコ・マルフォイ(とその両親)については、せっかく最終話の色々なところに顔を出すんですからもう少し描きこんでも良かったのではないかと思いました。
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こちらは白いゴーヤ

2011年07月25日 | 日々のつれづれに
こちらは白いゴーヤ(商品名“サラダゴーヤ”)です。
長さ17センチメートル、257グラム。

説明書きには「15センチメートルになる」と書いてありますからもうじゅうぶんな大きさでしょう。
薄くスライスして湯もみをしてサラダにするか、たまり漬けにすると苦味が無くて美味しいそうです。
さっそくためしてみますね。
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日本の名レース100選

2011年07月25日 | ミニカー
ミニカーとは直接関係無いのですが、三栄書房というところから販売されている「日本の名レース100選」を3冊買いました。

No.009:'67 第4回日本GP
No.040:'68 日本GP
No.020:'69 日本GP

三栄書房は私が昔購読していた「AUTO SPORTS」とか休刊になってしまったけど「モーターファン」などを出していたところです。

当初は「No.020」だけ買おうと思っていたのですが「No.009」に生沢徹さんのインタビューが掲載されていると知り(それはそうでしょう、この大会、プライベートのポルシェカレラ6を駆ってニッサンワークスのR380相手に勝ったんですから)、結局1967~69年の日本グランプリ3レース分を買うことにしました。

運よくAmazonで3冊とも売られていて(中古品だとばかり思っていましたが、新品でした)、何と注文した翌日には届きました。恐るべし、Amazon。

2リッターのグループ4のマシンから排気量無制限のグループ7までのさまざまなクルマが入り乱れて走ったグランプリは1969年まで、翌年は中止され、その後は別のカテゴリーになってしまいました。

早速中身を読みました。
メインの写真や記事は昔購読していた「AUTO SPORTS」誌からの抜粋だったりしますが、歴代の優勝者(生沢さん、北野さん、黒沢さん)のインタビューがあったりして期待以上のものでした。
そのほかの記事にも、公式ガイドブックが刷り込まれていたり、当時は知られていなかった内容の裏幕モノがあったりして、今振り返ってみてもあの頃のモータースポーツの熱気が伝わってくるようです。

何はともあれ、私の集めたミニカーを補強してくれるような雑誌であることは間違いなく、逆にこの雑誌に出ているクルマのミニカーを集めたいと思うようになりました。
すでに絶版になっているミニカーも多く、オークションで高値で購入しない限り手に入らないものもありますので、ボチボチとですが...。
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アナログ放送終了

2011年07月24日 | 日々のつれづれに
24日昼12時をもって地上アナログ放送が岩手、宮城、福島3県を除いて終了し、地上デジタル放送へ移行しました。
テレビでも今朝から盛んにPRしていたので、我が家でも切り替わる5分前くらいから2画面で同じ局の放送を映して「そのとき」を確認しました。

まあ、なんとミーハーな。でもなかなかない場面ですからね。
無事に切り替わって写真のような静止画が映し出されるようになっただけなんですけど。

昨日は本当の「駆け込み」で家電ショップが大賑わいだったみたい。
またカーショップでもアナログ放送のテレビが付いたナビに地デジチューナーを取り付けようというお客さんが大勢訪れたそうです。

私の息子のクルマにもそんなアナログテレビが付いているんですけど、長男はちゃんと対応したのでしょうかね。
抜け目無く対応したのか、それとも「どうせ見ないから」というので放ったらかしにしてあるのかもしれません。

地デジに移行できなかった家庭がけっこうたくさんあるとか。
中には「まったく知らなかった」というお宅もあるそうで、これから100パーセント完全移行が達成されるまでにはまだまだ時間がかかりそうです。

「地デジ化にはテレビを買い換える必要がある」と思い込んでいる向きもあるようですが、アンテナを換えるなどしてデジタルの電波を受けることができれば、あとは変換器でアナログテレビにも映し出すことが出来ます(もちろん、画質は変わらず、データ通信も出来ませんが見ることは出来る)。

我が家のようにCATVの家庭ではSTB(セットトップボックス)を交換するだけでいいのですが、家電メーカーがこの際薄型テレビを売りたいがためなのかどうか、そうしたことをあまり表立って宣伝してこなかったことも対応遅れの原因になっているのかもしれませんね。
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