五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

ころ柿作り

2012年11月30日 | 日々のつれづれに
「熟柿(ずくし)を食べるかい?」

二週間ほど前に知り合いの家で百目柿をいただきました。
家の庭にある柿の大木から採れた渋柿なのですが、そのまま風通しの良いところに置いて熟させると甘い柿になるのです。
そのまま食べてもいいし、一度凍らせてシャーベットのようにしても美味しいということでした。

でも家内は熟柿はキライ、私もそんなにたくさんは食べないので、残ったいくつかの柿は皮をむいてころ柿にすることにしました。

写真のように二階のベランダに吊るしてみました。

鳥に突かれるのを防ぐためにベランダの一番奥に吊るしたからなのかまだなかなか粉(こ)を吹くところまでいきません。
本当に寒さの厳しくなるのが待ち遠しいところです。



熟柿にする方の柿は今こんな状態です。
採りたてをいただいたせいかまだまだかすかに軟らかくなったという状態でしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ただ一人のロンドー

2012年11月29日 | ミニカー
1976年から1987年までの12年間、ル・マン24時間レースではポルシェが実に10勝をあげるという圧倒的な強さを誇りました。
ポルシェ以外の勝者は1978年のルノーアルピーヌ、そして1980年のロンドーだけなのです。

ロンドー(RONDEAU、ロンデューあるいはランドーとも表記されるようですが、本ブログでは一般的なロンドーで表します)は、車の製作者でもありドライバーでもあったジャン・ロンドーの名前を取ったもの。

1980年、ジャン=ピエール・ジョッソーと組んでカーナンバー16のロンドーM379Bをドライブしたジャン・ロンドーは、ポルシェやランチアなどのワークス勢との戦いに勝利して「自らの名を冠した自動車でル・マン24時間レースを制した初の人物」としての栄誉を受けました。
そして現在に至るまで「唯一の人」なのです。
ジャン・ロンドーは1974年のル・マンにポルシェ908/2で初参戦して以来7年目での快挙でした。当時34歳。



ロンドーM379Bのスタイルはずんぐりむっくりとしていてお世辞にもカッコイイとは言えませんが、優勝マシンという目で見るとなかなか味のあるデザインと思えてくるから不思議です。
モデルはイクソ製、1/43スケール。

この年出走したロンドーM379Bは全部で3台。
エースカーともいうべき15号車(ドライバーのひとりは先日ご紹介したアンリ・ペスカロロです)は予選1位となるも決勝レースでは残念ながらリタイヤしてしまい、16号車をドライブしたロンドー組が混戦を制して優勝し、そして残る17号車は総合3位に入りました。

17号車はBelgaというスポンサーのカラーリングで、他の2車と比べてとても派手な色彩です。
この17号車はオークションでもなかなか出品されることがなく私にとっては「珍品」と呼んでもいいほどのミニカーでした。
モデルはカルツォ製、1/43スケール。



翌1981年、ロンドーはル・マンに5台のレースカーを持ち込みます。
そして2台のM379Cが総合2位と3位に入賞しました(優勝はポルシェ936/81)。
下の写真は、そのうちの3位に入賞したカーナンバー7のM379C。
モデルはイクソ製、1/43スケール。



ジャン・ロンドー自身はカーナンバー24のM379Cをドライブしましたが途中リタイヤしています。

その後ロンドーはM382、M482などのレースカーを作ってル・マンに参戦しますが目だった成績を残すことなく、おりからのグループCクラスを席巻したポルシェ956の勢いの中に飲み込まれてしまいました。

1984年、ポルシェ956を自らドライブし総合2位に入賞したのがドライバーとしての最後のル・マン表彰台となりました。
1985年、プジョーエンジンを搭載したWM P83Bで参戦し17位。
その半年後の12月27日に列車事故で不慮の死を遂げました。享年39歳。

一介のプライベーターとして大企業のワークスチームに立ち向かったジャン・ロンドー。
ル・マンの歴史に残るレースカー製作者兼ドライバーです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レーザーワイヤレス・マウス

2012年11月28日 | 私のPC
パソコンショップに買い物に行ったときにレーザーワイヤレスのマウスを買いました。

エレコム製、1,695円(プラス消費税)。
ワゴンセールの中で見つけましたので、定価は不明。

実際にはお店のポイントを使ったので支払い金額は違いますが、レーザーワイヤレスのマウスもずいぶんと安くなったものです。

ワイヤレスのマウスは以前に一度使ったことがあったのですが、今回久しぶりの購入。
2.4GHz帯域を使う製品で、他の機器と干渉した場合には「相手の帯域を変えてください」とエラそうなことが書かれています。
同じ製品同士の場合には自動的に干渉を回避する機能が入っているそうですが、この辺りの機能は規格の標準化が望まれますね。

驚いたのはUSBスロットに挿すレシーバーの部分が小さくなったこと。技術の進歩を実感する部分です。



ドライバーのインストールはスムーズに行えました(さすがWindows7)。
マウス本体のスイッチをONにすればすぐに使えます。使い始めてまだ一日だけですが驚くほどスムーズでストレスはありません。
カーソルの速度を示すカウントの切り替えは800/1600カウントで今のところ800で使っています。

以前は電池(今回と同じ単四×2本)の「保ち」が思いの外早くて使えないと判断したのですが今回はどうでしょう?
ちなみにメーカースペックでは、「1日8時間のパソコン操作中25%をマウス操作に割り当てた場合」に使用可能時間は約2ヶ月とのことです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パンツのリフォーム

2012年11月27日 | 日々のつれづれに
某ショッピングセンター内の洋服のリフォーム店にスーツのパンツを持ち込みました。
太っているときに購入したスーツなので胴回りが大きく、またすそも当時の流行で広めのものを直そうということで持ち込んだのですが...。

結論から言うとリフォームは止めました。

直すためにはウエスト周りで三箇所、すそのあたりで片足当たり二箇所の修正をしなければならず、パンツ一本当たり一万円を超えてしまうということでした。
二本持ち込んだので二万円以上の出費。

それだけあれば、○木とか○山へ行けば新品のスーツを買うことができます(○にはある色を表す漢字が入ります)。
また、そういうお店では不要なジャケットやスーツを下取りしてくれるキャンペーンなどもあるので、そういうサービスを使う手もあるなということで「もう少し検討します」と言って引き返してきました。

古い衣類でもまだ十分使えるので何とか長く使おうと思っていたのですが、手直しの費用がけっこうかかるということは驚きでした。

言いたくはありませんが、「手直し1645円から」なんて書いてあれば一本あたりせいぜい数千円で直すことができると思ったのですが、まさか一箇所あたりの価格だったなんて。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポイントカード

2012年11月26日 | 日々のつれづれに
家内が近くのスーパーのポイントカードを無くしてしまいました。

何でも家でレシートを処分するときに一緒に捨ててしまったらしく、散々探しましたが結局見つかりませんでした。
ポイント2倍の日や3倍の日を選んで買い物に出かけて貯めたポイントが4、5千ポイントもあったみたいで、だいぶショックの様子。

「買い物に行く元気も出ない」という家内に付き添って件のスーパーに出かけました。
レジで事情を説明し再発行してもらったのですが、ポイントのデータはカードにしか記録していない形式らしく文字通り「ゼロからのスタート」になってしまいました。
どこかにポイントカードが残っていて、運よく見つかればポイントの付け替えはできるみたいですが可能性はゼロに近いですね。

以前某テレビ番組でいわゆる「家電芸人」と称される人がポイントカードに百万ポイント貯めたとかいってましたが、ポイントなんていうものはそれ自体金利を生むこともないので、ある程度貯まったところでさっさと使うべきものですね。

今回そのことを実感したできごとでした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スピード逮捕

2012年11月25日 | 日々のつれづれに
山梨の住宅で母と娘死亡 殺人容疑で父親を逮捕(朝日新聞) - goo ニュース

何だか今日は色々な事件がありました。
これもそのひとつ。
自宅で母親と娘さんが殺害されたという...。

昼過ぎに第一報がネットに乗りました。
事件の起きた場所がよく買い物に行く所の近くだったせいもあり、とても他人事ではありませんでした。
まして被害者の娘さんの年齢は、我が家の次男と同じ。
テレビでもなかなかニュースをやらなくて状況がわからなかったのですが、14時過ぎに犯人が逮捕されたという報道があってひと安心しました。

犯人は何と第一通報者の父親。

事件の背景などはこれからの捜査で明らかにされるのでしょうが、何ともやりきれない事件ではありました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メディアの信頼性

2012年11月24日 | 日々のつれづれに
メディアの信頼揺らぐ=08年以降で最低―世論調査(時事通信) - goo ニュース

調査の開始が2008年からだそうなので、長いスパンでの調査ではないらしいのですが「過去最低の信頼度」なんだそうです。

もしメディアが信頼性を失ってしまったとしたら、人々は何の情報を信用すればいいのかわからなくなってしまうと思うんですね。
それはバベルの塔の故事を持ち出すまでもなく、現代においては人間同士がそのコミュニケーション能力を失ってしまうに等しいことなのではないかと思います。

メディアに携わっている人たちはそれだけの重要な役割を担っているという自覚を持って仕事をやっていただきたいと思いますし、そのメディアが間違った方向に行かないように監視する義務はわれわれにもあると思うのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アンリ・ペスカロロ

2012年11月23日 | ミニカー
フランス人のレーシング・ドライバー、アンリ・ペスカロロ(ペスカローロと呼ぶ人もいる)はル・マン24時間レースに33回出場した記録を持っています。

彼はマトラMS670(670B、670C)というクルマで1972年から1974年までの3年間連続して総合優勝を果たすのですが、そのあたりは以前のブログ「金魚のおもちゃの三連覇」でご紹介しました。

実はペスカロロは1984年にもポルシェ956Bで4度目の総合優勝を飾っていて、そのミニカーが上記の写真のもの、有名なニューマン・ポルシェです。
モデルはスパーク製。


彼のル・マン挑戦は1966年のMS620からスタートします。
1971年まではすべて途中リタイヤというあまり芳しくない成績でした。(1969年は新車MS640のテスト中に事故を起こして負傷しル・マンには不参加)
それが1972年から三連覇ですからわからないものです。

その後1999年を最後にル・マン出場をやめるまでの間リジェ、イナルテラ、ロンドー、クラージュなどのフランス車だけでなく、ポルシェ、ランチア、ザウバー、ジャガーなどたくさんのレースカーを運転しています。
2000年に自身のチーム「ペスカロロ・スポーツ」を結成し、ル・マン24時間レースなどに挑戦を続けています。

1942年生まれといいますから現在70歳。
F1の成績は今ひとつでしたが現役時代は緑色のヘルメットとタワシひげがトレードマークだったことを覚えています。
以下の写真は自身のチームから出走してみごと表彰台を獲得したクルマですが、カラーの一部に緑色が使われているのはそのせいなのでしょうか。



2005年に総合2位に入ったペスカローロC60ハイブリッド。
予選では優勝したアウディR8を抑えてポール・ポジションを獲得しています。
ボディとリアウィングに描かれた「Playstation」と「Gran Tourismo4」のロゴが当時を感じさせます。
モデルはスパーク製。



ペスカローロC60は2006年にもアウディR10(ディーゼル・エンジンのレースカーでした)についで総合2位を獲得しました。
ジャッド製のエンジンを積んだこのレースカーは速く、予選でも2台が3位と4位を獲得しています。
モデルはイクソ製。



プジョーが参戦しアウディとのワークス対決となった2007年には新型マシンペスカローロ01で参戦し、アウディR10、プジョー908に次いで総合3位に入りました(3年連続の表彰台)。
3人のフランス人ドライバーでの体制のせいかフレンチ・ブルーの車体は往年のマトラを思い出させます。
モデルはスパーク製。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たばこ自販機統合

2012年11月22日 | 日々のつれづれに
今年の6月にドリンクの自販機を撤去したのに続き、今日2台あるたばこ自販機の1台を撤去し、中身を1台の自販機に“統合”しました。

ドリンクのときは電気代の節約のため売れ行きの落ちていた(実際はそうでもありませんでしたが、電気代がかさんでペイしないことは確かでした)のですが、今回は日本たばこ(以下JT)の方針によるものです。
すなわち、売上の少ない販売店に貸していた自販機は「引き上げる」か販売店で買い上げるかの選択を迫られたことによります。まあ、JTもリース代削減によるコスト削減をはかろうとしたわけでしょう。

自販機買い上げの費用は我が家の場合数万円でした。
ドリンクの自販機と違い電気代も大したことはありませんでしたが、タスポ導入以来たばこの売り上げは激減(最盛期の十分の一)しており、2台置いておいても仕方が無いと判断し自前の自販機1台に統合することにしたのです。
自前の自販機にすると年間の保守費用と、いずれ発生するであろう廃棄費用は自分持ちになるのです。そのことも今回の決断する要素となりました。

思えば、初めてたばこ自販機を置き、その後外国たばこ用に2台目を設置したのは何年前のことだったでしょうか。
当時は外国たばこ用の自販機は無料で設置、その後リースに切り替え、そして自前のものへと変遷してきました。
その間、何度かつり銭盗難の被害にも遭い、偽500円硬貨の被害にも何度か遭いました。
当時の被害届けの写しや警察から戻された証拠の偽コインも家に残っています(こればかりは写真をアップするわけにはいきませんが)。

自販機が減ったことでお店の前がすっきりとして、日当たりも良くなりました。
少しさびしい気もしますが、これも時代の流れで仕方ないのかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クラス会の通知

2012年11月21日 | 日々のつれづれに
年明けにクラス会を開こうということになって、先日から同級生のところに連絡をして出欠の確認などをしています。

今までなら往復はがきに案内を印刷して返信を待つというのが当たり前でしたが、それでは手間もお金もかかるので今年はそれぞれ手分けして、各自の携帯電話にショートメールを送って返信を待つ、という方法に変えました。

一回目は調査のために固定電話にかけて携帯番号を聞き出すなどの手間がかかりますが、今後は連絡が楽に出来るようになることでしょう。

いずれ携帯のメルアドなどを調べてメーリングリストを作るか、あるいはウェブやSNSなどを使って連絡を取り合えるようになればいいなあと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祭典年番の引継ぎ

2012年11月20日 | 新米組長
地元の祭り(正式には八乙女神明宮大祭)の来年の年番を私たちの組が担当することになって、今夜その引継ぎのために役員三人で出かけてきました。

場所は近くのすし屋さん。
今年の役員三名と来年の役員三名、それに氏子を代表して総代さんと副総代さんの計八名です。

期間は一年間、来年の一月から、ということですが実際には元旦の初詣の対応があるために今のうちに引き継いでおくということでした。

早速来月には社の掃除や初詣の支度(飾りつけ)をしなければならないので、大体の手順を教えていただきました。

来月になったら役員が集まって具体的な方法について打ち合わせを行う予定です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

河口湖もみじ回廊

2012年11月19日 | 日々のつれづれに
家内と河口湖に紅葉を見に行きました。

先日と同じ道を通るのでは能がないということで、精進湖に向う途中で芦川方面に曲がって若彦トンネルを通ることにしました。
トンネルの出口は河口湖北側の大石というところ。湖岸で紅葉まつりというのをやっていて「もみじ回廊」を二人で観て回りました。



平日なのに県外からけっこうたくさんの観光客が来ていました。
無料の駐車場を探すのに少し大変だったかな。



紅葉の説明は不要でしょうか。
まあ、その風景をしばしご覧ください。



・・・。



・・・。



夜はライトアップされるそうです。
さぞかしきれいなんだろうなあと思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スマホかタブレットか

2012年11月18日 | 私のPC
いわゆるガラケーという携帯電話を使い続けている身であり、個人的にはそれで何の問題も感じていないのですが。

商売柄スマホやタブレットなどの質問をされることが多くなり、やはりそうしたものを身近に持っていないとコンサルタントらしきことが出来ないのではないかと思うようになりました。

先日ソフトバンクのショップに行く機会があったのですが、今流行のiPad miniは置いてなく、聞けば「まだソフトバンクで扱うかどうか決まっていない」とのこと。近くのauショップも同様でした。

私に家はDocomoのフレッツ光というサービスを導入しており、外出時のパソコンはドコモの無線ルーター(来年7月までの契約)を使用しています。
一方、ケータイは私と家内がauを、次男が私名義のソフトバンクの端末を使っている状況であり、先日来auの取次店がひっきりなしに「auひかりに乗り換えろ」とうるさく言ってきている現状です。

私としては、とりあえずiPad miniを買おうか、あるいは携帯をiPhone5に変更してみようか悩んでいる段階なのです。
明日、ヤマダ電機にでも行ってみようかと考えています。

無線ルーター(というかISP)の「2年縛り」が無ければ、いろいろな変更パターンが考えられるのですが、ここは少し悩みどころです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民主、脱世襲を徹底

2012年11月17日 | 日々のつれづれに
羽田国交相を公認せず 首相が指示 民主、脱世襲を徹底(朝日新聞) - goo ニュース

世襲を禁止することによって、安部総裁を初めとする世襲議員のカタマリのような自民党(先日の総裁選挙の候補者は全員世襲)との差別化をはかろうということのようです。

でも、全面的に禁止にするのは正直どうかと思いますね。
だって、親の仕事を見て育つのが子供であって、親が議員(政治家)であればその子供が政治家になろうと考えるのはある意味当然のことではないかと思うのですよ。
そういう子供の気持ちまで禁止することが果たしていいことなのかどうか。

どこから現れたのかよくわからないような大量の一年生議員、なんとかチルドレンなどといって自分の定見などなにも無いような議員、一つの法案に反対するがために比例区のクセに安易に離党してしまう議員(さっさと議員辞職しなさいよ!)、そういう議員に比べても世襲議員は悪いのでしょうか?

なんか、民主党の「党として」のセンスを物語っているようなハナシだなあと思いました(「民主党に残る」といっている鳩山議員も公認しないのでしょうか?)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酒井正というドライバー

2012年11月16日 | ミニカー
1966年の第3回日本グランプリに出走したデイトナ・コブラです。
フォードV8、4727ccのエンジンを積んだモンスターマシン、運転するのはデビュー3年目、弱冠23歳の酒井正というドライバーでした。

前日の予選は大雨の中で行われたため、大排気量の車には不利な条件となり、そのせいかカーナンバー21のコブラは最下位からのスタートとなってしまいました。

16位からスタートしたコブラは1周目に5位に上がり、その後着実な走りで42週目には2位に付けました。
46周目にコース上でストップ、そのままリタイヤとなってしまいました。
記録ではエンジントラブルとなっていますが、一説にはガス欠だったとの話もあるようです。



このミニカーは京商製、コブラのアメリカンスタイルが良く表現されていると思います。
台座の端には「コブラ」のエンブレムが付いているのがちょっと珍しいです。



このあとのレースで全日本SⅡクラスのチャンピオンとなった酒井選手は、翌1967年の第4回日本GPには2リッターのポルシェカレラ6(カーナンバー7)で出場しました。

予選は生沢徹選手についで第2位。
決勝ではスタートと同時に飛び出し3位をキープ。生沢選手の乗るカレラ6と高橋国光選手のニッサンR380とがもつれあってスピンする間に首位に立ちます。
その後追い上げてきた生沢選手と激しい首位争いを繰り広げますが、46周目に30度バンクでスピンしてコースアウトしリタイヤしてしまいます(優勝は生沢選手でした)。

腕と足に怪我を負い救急車で運ばれた酒井選手ですが、数ヵ月後に行われた「全日本スポーツカー船橋」という大会ではあのデイトナ・コブラで優勝しています。



1968年の日本GP、酒井選手はタキ・レーシングの一員としてローラT70Mk2というクルマで出場しました。
エンジンはシヴォレーV8、5500ccの大排気量マシンです。

予選は4位。
エントリー直前にエンジンを積み替えたりして必ずしも調整が十分とはいえないクルマに乗ってこの順位はそれほど悪い結果ではなかったのですが、決勝レースでは6周目にコース上でストップしてしまい最下位に転落、結局17周でリタイヤするという不運な結果に終わりました。

ちなみにポルシェカレラ6とローラT70MK2はエブロ製です。


酒井選手は1969年の日本GPにも安田銀治選手と組んでローラT160というクルマ(エンジンは何と7600cc!)でエントリーしていますが、予選10位、決勝では1周目でミッション・トラブルのためリタイヤしてます(ですから酒井選手はドライブする機会がなかったのではないかと思われます)。
決勝の結果がぱっとしないせいなのか、残念ながらこのミニカーは発売されていません。
エブロさんあたりで発売してくれないものでしょうか?


酒井選手はその後1971年度の初代富士グランチャンピオンシリーズの総合タイトルを獲得するなどした後、1973年に引退しご自分のチームを運営されていましたが、2001年4月に58歳の若さ(今の私と同年齢)で亡くなりました。

常に華々しいスポットライトを浴びていたとはいえない酒井正さんですが、一部のファンに強烈な印象を残していったドライバーの一人だったような気がします。
今回、記念すべきデイトナ・コブラを入手することができたので、酒井正さんというドライバーと日本GPにまつわるお話を書いてみました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする