冒頭の写真はメルセデス・ベンツ300SL、1952年のル・マン24時間レースに優勝したクルマです。
モデルはイクソ製。
ドイツの自動車メーカーメルセデス・ベンツが初めてルマンにその名前を刻むのは1930年、メルセデス・ベンツSSというクルマで出場しますが結果はリタイヤでした。
戦前はその一度だけ、戦後もポルシェなどが早くから出場していたのですが、メルセデスは1952年が久しぶりの参戦でした。
2台エントリーされた300SLは順調に周回を重ね、3位のクルマに15周の差を付けて1位と2位を独占しました(2位は1周遅れ)。
ガルウィングドアと燃料直接噴射式エンジンが特徴的なレースカーです。
圧倒的な強さを見つけたメルセデス・ベンツが次にル・マンに姿を現したのは1955年、クルマは300SLRでした。
しかし、レース中に多くの観客を巻き込んだ大事故を起こしレースを棄権、そのままスポーツカーレースから撤退してしまいました。
→ 当時の映像
次にメルセデスがル・マンに姿を現すのは1989年、ザウバー・メルセデスC9での挑戦でした。
実はその3年前の1986年から、ザウバー・チームにエンジンを供給するなどしていたのですが、世はまさにグループCの時代、王者ポルシェに古豪ジャガーが挑戦するという時代、芳しい成績は残すことができませんでした。

1989年に投入されたシルバーの車体のC9は3台、予選を1位と2位で通過すると、決勝レースでも明け方から首位に立ち、37年ぶりの総合優勝を果たすことになります。
残りの2台も2位と5位に入りました。
ちなみに、優勝したクルマは予選は11位でした。
モデルはhpi-racing製。
優勝を記念した3台セットもありますが、こちらは1位のみの単体モデルです。
翌1990年は不参加、そして1991年には全く新しいクルマC11でル・マンに出場します。

上の写真は、3台出場したうちの総合5位に入ったカーナンバー31、F-1で有名なミハエル・シューマッハーがステアリングを握っています。
ちなみに残りの2台はリタイヤでした。
モデルはスパーク製。
高名な選手がステアリングを握っているという理由なのか、#31は中古市場で他の2台よりも高価格で取引されているようです。
グループCカテゴリーが終了し、GTカーの戦いになっっていた1998年、メルセデスは7年ぶりに三たびサルテ・サーキットに戻ってきました(ル・マンの舞台となるサーキットの名前、ル・マンに戻ってくることを格好つけてこういうので、私も真似してみました)。

2台出場したCLK-LMは予選1位と3位を獲得するも、決勝では早々と(わずか19周と31周)リタイヤしてしまいました。
上の写真はポール・ポジション(予選1位)を獲得したカーナンバー35のCLK-LM。
市販車のCクラスのシャシーにEクラスのエンジンを積んだレースカー、という感じでしょうか。
モデルはスパーク製。
翌1999年、メルセデスは新しいクルマCLRを3台ル・マンに持ち込んできました。
予選は4位と7位と10位。
しかし練習中に派手に宙を舞い、チームは決勝に出場することなくサルテから去ってしまいました。
そしてそれ以降、現在に至るまでル・マンには顔を見せていないのです。
CLRのミニカーは見ていません。
王者アウディが連覇を続け、ポルシェも今年から本格的に参戦するようになったル・マン24時間レースですが、メルセデスの復帰は果たしてあるのでしょうか?
モデルはイクソ製。
ドイツの自動車メーカーメルセデス・ベンツが初めてルマンにその名前を刻むのは1930年、メルセデス・ベンツSSというクルマで出場しますが結果はリタイヤでした。
戦前はその一度だけ、戦後もポルシェなどが早くから出場していたのですが、メルセデスは1952年が久しぶりの参戦でした。
2台エントリーされた300SLは順調に周回を重ね、3位のクルマに15周の差を付けて1位と2位を独占しました(2位は1周遅れ)。
ガルウィングドアと燃料直接噴射式エンジンが特徴的なレースカーです。
圧倒的な強さを見つけたメルセデス・ベンツが次にル・マンに姿を現したのは1955年、クルマは300SLRでした。
しかし、レース中に多くの観客を巻き込んだ大事故を起こしレースを棄権、そのままスポーツカーレースから撤退してしまいました。
→ 当時の映像
次にメルセデスがル・マンに姿を現すのは1989年、ザウバー・メルセデスC9での挑戦でした。
実はその3年前の1986年から、ザウバー・チームにエンジンを供給するなどしていたのですが、世はまさにグループCの時代、王者ポルシェに古豪ジャガーが挑戦するという時代、芳しい成績は残すことができませんでした。

1989年に投入されたシルバーの車体のC9は3台、予選を1位と2位で通過すると、決勝レースでも明け方から首位に立ち、37年ぶりの総合優勝を果たすことになります。
残りの2台も2位と5位に入りました。
ちなみに、優勝したクルマは予選は11位でした。
モデルはhpi-racing製。
優勝を記念した3台セットもありますが、こちらは1位のみの単体モデルです。
翌1990年は不参加、そして1991年には全く新しいクルマC11でル・マンに出場します。

上の写真は、3台出場したうちの総合5位に入ったカーナンバー31、F-1で有名なミハエル・シューマッハーがステアリングを握っています。
ちなみに残りの2台はリタイヤでした。
モデルはスパーク製。
高名な選手がステアリングを握っているという理由なのか、#31は中古市場で他の2台よりも高価格で取引されているようです。
グループCカテゴリーが終了し、GTカーの戦いになっっていた1998年、メルセデスは7年ぶりに三たびサルテ・サーキットに戻ってきました(ル・マンの舞台となるサーキットの名前、ル・マンに戻ってくることを格好つけてこういうので、私も真似してみました)。

2台出場したCLK-LMは予選1位と3位を獲得するも、決勝では早々と(わずか19周と31周)リタイヤしてしまいました。
上の写真はポール・ポジション(予選1位)を獲得したカーナンバー35のCLK-LM。
市販車のCクラスのシャシーにEクラスのエンジンを積んだレースカー、という感じでしょうか。
モデルはスパーク製。
翌1999年、メルセデスは新しいクルマCLRを3台ル・マンに持ち込んできました。
予選は4位と7位と10位。
しかし練習中に派手に宙を舞い、チームは決勝に出場することなくサルテから去ってしまいました。
そしてそれ以降、現在に至るまでル・マンには顔を見せていないのです。
CLRのミニカーは見ていません。
王者アウディが連覇を続け、ポルシェも今年から本格的に参戦するようになったル・マン24時間レースですが、メルセデスの復帰は果たしてあるのでしょうか?