ポルシェがル・マン24時間レースで初めて勝利を飾るのは意外と遅くて1970年のことでした。
1951年にポルシェ356/4で初めて参加して以来、実に20年かかったことになります。
この間ル・マンではジャガー(5勝)とフェラーリ(6連勝を含む8勝)が圧倒的に強く、また1966年から1969年までの4年間はフォードが4連勝を飾っていました(例外は1952年のメルセデスと1959年のアストンマーチン)。
特に1969年はポルシェ908とフォードGT40が24時間走ってわずか120メートルの差で勝利が決まるという大接戦を演じたのです。
この年スポーツカーの世界選手権(当時は「マニュファクチャラーズ選手権」といいました)を獲得したポルシェにとって残るタイトルはル・マン24時間のタイトルだけだったのです。
1970年、ポルシェは7台のポルシェ917をレースに投入し、実に11台も投入されたフェラーリ512Sなどと死闘を繰り広げます。
そしてついにそのうちの1台(ザルツブルグチームのポルシェ917K、カーナンバー23)が悲願の初優勝をとげました。
ドライバーのひとりハンス・ヘルマンは前年わずかの差で優勝を逃したポルシェ908のドライバーでした。
ちなみにスティーブ・マックイーンの有名な映画「栄光のル・マン」はこのときのレースが舞台となっています。当然のことながら映画の中での結果はまったく違っていますが...。
2位にはマルティニ・レーシングのポルシェ917LHが入りました。
ブルーとグリーンの“サイケデリック調”にペイントされた通称「HIPPIE(ヒッピー)」と呼ばれたクルマでした。
この頃はまだあの有名なマルティニ・カラーではありませんが、当時としては十分にインパクトのあるデザインでした。(余談ですがレースの前月、ビートルズの「レット・イット・ビー」が発表されています。)
これら2台のポルシェ917は昨年のうちにショップとオークションで手に入れました。どちらも有名なクルマなので割と簡単に手に入れることが出来ました。
残る1台が3位になったポルシェ908/2(下の写真)、これがなかなか手に入りませんでした。
ポルシェ908は1969年がピークだったクルマなので、いくら総合3位とはいえあまり作られなかったのでしょう。ショップでも一軒だけでしか見かけませんでした。
先日やっとオークションで「安く」手に入ったので、今回ブログで3台揃って“お披露目”をすることができたという次第です。
フロントの黄色と赤のペイントが特徴的なこのクルマ、実はこれもマルティニ・レーシングからの出走なのです。
まだ「マルティニ」のロゴが小さく控えめに描かれています。一方の黄色と赤はスポンサーであるシェル石油からとっているのでしょうか。
優勝と2位のポルシェ917Kは4.9リッター・エンジン、対するポルシェ908/2は3リッターですから小排気量でよくがんばった方だと思います。
ポルシェ908/2のドライバーの一人、ヘルムート・マルコは翌1971年のル・マンでマルティニ・レーシングからエントリーしたポルシェ917Kに乗り見事優勝してポルシェに二連覇をもたらしていますが、その話はまた別の機会に譲ることにしましょう。
モデルは優勝した917Kと908/2がスパーク製、「HIPPIE」はミニチャンプス製です。スケールは1/43。
1951年にポルシェ356/4で初めて参加して以来、実に20年かかったことになります。
この間ル・マンではジャガー(5勝)とフェラーリ(6連勝を含む8勝)が圧倒的に強く、また1966年から1969年までの4年間はフォードが4連勝を飾っていました(例外は1952年のメルセデスと1959年のアストンマーチン)。
特に1969年はポルシェ908とフォードGT40が24時間走ってわずか120メートルの差で勝利が決まるという大接戦を演じたのです。
この年スポーツカーの世界選手権(当時は「マニュファクチャラーズ選手権」といいました)を獲得したポルシェにとって残るタイトルはル・マン24時間のタイトルだけだったのです。
1970年、ポルシェは7台のポルシェ917をレースに投入し、実に11台も投入されたフェラーリ512Sなどと死闘を繰り広げます。
そしてついにそのうちの1台(ザルツブルグチームのポルシェ917K、カーナンバー23)が悲願の初優勝をとげました。
ドライバーのひとりハンス・ヘルマンは前年わずかの差で優勝を逃したポルシェ908のドライバーでした。
ちなみにスティーブ・マックイーンの有名な映画「栄光のル・マン」はこのときのレースが舞台となっています。当然のことながら映画の中での結果はまったく違っていますが...。
2位にはマルティニ・レーシングのポルシェ917LHが入りました。
ブルーとグリーンの“サイケデリック調”にペイントされた通称「HIPPIE(ヒッピー)」と呼ばれたクルマでした。
この頃はまだあの有名なマルティニ・カラーではありませんが、当時としては十分にインパクトのあるデザインでした。(余談ですがレースの前月、ビートルズの「レット・イット・ビー」が発表されています。)
これら2台のポルシェ917は昨年のうちにショップとオークションで手に入れました。どちらも有名なクルマなので割と簡単に手に入れることが出来ました。
残る1台が3位になったポルシェ908/2(下の写真)、これがなかなか手に入りませんでした。
ポルシェ908は1969年がピークだったクルマなので、いくら総合3位とはいえあまり作られなかったのでしょう。ショップでも一軒だけでしか見かけませんでした。
先日やっとオークションで「安く」手に入ったので、今回ブログで3台揃って“お披露目”をすることができたという次第です。
フロントの黄色と赤のペイントが特徴的なこのクルマ、実はこれもマルティニ・レーシングからの出走なのです。
まだ「マルティニ」のロゴが小さく控えめに描かれています。一方の黄色と赤はスポンサーであるシェル石油からとっているのでしょうか。
優勝と2位のポルシェ917Kは4.9リッター・エンジン、対するポルシェ908/2は3リッターですから小排気量でよくがんばった方だと思います。
ポルシェ908/2のドライバーの一人、ヘルムート・マルコは翌1971年のル・マンでマルティニ・レーシングからエントリーしたポルシェ917Kに乗り見事優勝してポルシェに二連覇をもたらしていますが、その話はまた別の機会に譲ることにしましょう。
モデルは優勝した917Kと908/2がスパーク製、「HIPPIE」はミニチャンプス製です。スケールは1/43。