五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

不吉な音

2013年09月30日 | 日々のつれづれに
我が家にある洗濯機。
家を建てた平成3年からずっと我が家の洗濯一切を受け持ってきた、けっこう古い電気製品です。

もう20年を軽く超えて、我が家の家電の中では最長老の部類に属しているんだなあ、と思っていたら、最近脱水の際に異音がするようになりました。
ガラガラではなくブーンという音がいやに大きいのです。
モーターそのものの音のようで不吉なこと...。

上に据え付けられている乾燥機の方はずいぶん以前にベルトが切れたりして修理に出してからは壊れません(というか、子供たちが大きくなって家を出て行ってからはあまり使わなくなった)。
それに比べて洗濯機の方はずっと無事に動いていたのですが、そろそろ終焉を迎えるのでしょうか?

実はここ何年か、家内と家電フェアなどでドラム式の新しい洗濯機を眺めてはいるのですが、今の機械が健気にも動いているものだから踏ん切りがつかないでいました。
冷蔵庫もそうですが、年中使っているものなので壊れてから慌てる、ということにはしたくないものの、何ぶんお金のかかる家電なので、そういう心づもりでいないといけません。

とはいいながら、家内が少しうれしそうなのもわかる気がしますが。

住民説明会

2013年09月29日 | 日々のつれづれに
お仕事で市川三郷町の八之尻(はちのしり)という地区に行きました。
暮れにここで防災訓練(孤立化対策)があるので、それの説明会を開くためです。

大規模な地震などが起きて交通や通信が遮断されてしまった場合の通信を確保し、安否の確認ができるようにという今回の実証実験、大学と町役場と集落を無線でつなぎ、スマホなどから安否情報を入力したり、IP電話を使って話をするなどの対策をとって、最低限のコミュニケーション手段を確保しようというものです。

「暮らしやすさ日本一」を目指す町が、国の補助と大学の協力を受けて実施する今回の実証実験ではICT(情報通信技術)を使って平常時と震災時との両方で、町内の山間集落の住民や学校を舞台に実験を行います。

ICTというと何となくとっつきにくい感じがありますので、今回の説明会ではスマホの実機を使って実際に会話を行ってみるなどのデモが行われました。

下の写真は実験で使用するテレビ電話機。
バッテリーでバックアップされ、震災時にはコミュニケーション手段として活躍しますが、通常時は一人暮らしの老人宅に設置して、町の職員と定期的に会話するなどに使用されます。



打ち合わせの案内状

2013年09月28日 | 新米組長
11月3日に行われる八乙女神明宮大祭の組長打ち合わせの案内状を作り、午後配ってきました。
打ち合わせは10月10日の夜、場所は町民会館。

打ち合わせ会に出席していただく組長は私を含めて全部で11人。
それに総代と副総代、宮司さんの計14名。

案内状自体は昨年のものがあるので、それを見ながら日付を直す程度で簡単に作成できました。
問題は組長さんのお宅に伺って渡すこと。

組長さんの名前は分かっているのですが、普段お付き合いのない組長さんもいらっしゃるので、町内の地図や電話帳(名前と住所が書いてある)を調べて家を特定(!)。

一軒一軒回って、自分たちの組が今年の年番であることを伝えて協力をお願いしながら案内状を渡してきました。
中には不在の家もあったので、ポストに入れざるを得ないお宅もあったのですが、ほとんどの組長さん(あるいは家の方)に渡すことができました。

回ってみてわかったことですが、表札を出していない方がけっこうありました。当然郵便ポストにも何も書かれていないわけで、郵便配達の方は慣れているのかもしれませんが、私などは何度も見返したりしてしまいました。
プライバシー保護はわかりますが、最低限苗字だけでも出すべきだと思いました。

八ヶ岳夕景

2013年09月28日 | 市川三郷百景
今日は今年一番の(もちろん夏以降ですが)冷え込みだったとか。
風があったせいか日中の暑い時は除いて、半袖で外に出ると肌寒く感じられる一日でした。

どこのお店に行っても、夏もの一掃のバーゲンが行われていたりします。
まことに季節の移ろいは早いものだと感じざるを得ません。

夕方少し時間ができたので、家の裏手にある笛吹川の土手まで歩いてみました。
日が落ちてしまったせいか、空も田んぼもすっかり冷え込んでしまったような感じ。

土手の上から見る八ヶ岳の夕景色も、物寂しい雰囲気でした。

フォント追加

2013年09月26日 | 私のPC
パワポ(PowerPoint)などのいわゆるプレゼンテーション・ソフトを使って資料を作るとき、気を付けなければいけないことの一つに、使用するフォントの種類を選択することがあります。

プレゼンをするためにどうしてもカッコいいフォントを使って着飾ってしまいがち。
しかし、自分のPCで作って自分のPCからプロジェクターで投射するだけならそれでかまいませんが、誰かにそのデータを送る場合、相手側のPCにそのフォントが入っていないと悲劇的なことになります。

せっかく選びに選んだフォントなのに、まったく似ても似つかわしくないものに変わってしまうこともあります。
先日ある人から送られてきたパワポの資料、「HGP創英角ゴシックUB」というフォントで見出しを設定してあったのですが、私のPCでは毛筆フォントに変わっていました。
また、表示フォントの幅が微妙に異なる場合があるので、全体のレイアウトが崩れてしまうことだってあるのです。

実は私はマイクロソフトのパワポではなくキングソフトのKingOffice2010というソフトを使っているのですが、私のPCにそのフォントが入っていないために別のフォントで表示されてしまったのです。
その意味では「HGP創英角ゴシックUB」を使った先方に非があるわけではなく、安いOffice互換ソフト(と限られたフォント)を使っている自分の方がいけないのですが...。

以前はめったにないことでしたので、Office互換ソフトでもあまり問題なかったのですが、最近ひんぱんにファイルのやり取りをすることが増えてきたので何とかしなければならなくなりました。

方法は二つ。
マイクロソフトのMS-Office2013を購入(問題だったフォントもインストールされます)するか、フォント・データ自体をインストールするか。

MS-Office2013はまだまだ高価。しかし、安く購入できるダウンロード版を見つけたので半分心が動きかけていた時に、キングソフトのホームページでダウンロード版の追加フォントを見つけました。
欲しいフォントがほとんど入って価格は1,000円。
もう迷うことなくこちらを購入することに決めました。

購入するためには、同社のショッピング・サイトから現在使用しているKingOffice2010のシリアル・ナンバーを入力して申し込みます。
シリアル・ナンバーの確認に少し手間取りましたが、キングソフトのサポートセンターの超素早い対応のおかげで無事に購入しダウンロード/インストールをすることができました。

不具合を出していたファイルを開いてみて、正しいフォントで表示されていることを確認、一件落着となりました。
今回親切な対応をしていただいたキングソフトのサポート・センターの方に改めて感謝申し上げます。


追記:
とはいうものの、お客様からこのソフトについての質問を受ける機会も増えています。
やはりMS-Officeはいずれインストールしなければならなくなりそうです。

フォントはOS(たとえばWindows)にある程度始めからバンドル(標準添付)されているのですが、装飾用のフォントはOfficeソフトやはがき作成ソフトなどを購入してインストールしなければなりません。
たかがフォントとはいえ、パソコンの表示・出力(印刷)を構成する重要なソフトであることは間違いないので、十分に注意が必要ですね。


歓迎会

2013年09月25日 | 日々のつれづれに
久しぶりの歓迎会、それも自分自身がゲストというのは何年ぶりになるでしょうか?
前回がいつだったか、少し思い出せないくらい昔のことです。

今一緒に仕事をやっている大学の先生方らと、甲府市内の沖縄料理のお店で歓迎会を開いていただきました。
総勢5名、特に堅苦しい挨拶をするわけでもなく、ゴーヤ餃子、海ぶどう、チャンプルー、何とかいう名前のお魚のフライなどをつまみにシークァーサーのハイボール(「ハイサイボール」というのだそうです)や泡盛の古酒(クース)を飲みました。

プライベートの話や沖縄ネタで盛り上がる一方で、どうしても話題が仕事の話になるのは致し方のないことかもしれません。
「飲みゅにケーション」などといって、立場の異なる人たちが一つの仕事を円滑に進める上では必要なことの一つだと思います。会社にいた頃も、お客様や代理店の方と飲む機会がずいぶんありました。

7月に始まったこのプロジェクトも半ばに差し掛かり、これから本格的に忙しくなるこの時期、さらにエンジンをふかして取り組もうと心を新たにしたところです。

ブラックベリー身売りへ

2013年09月24日 | 日々のつれづれに
ブラックベリー身売りへ=スマホ草分け、加金融会社連合に(時事通信) - goo ニュース

一時は「ウォールストリートの必需品」などと呼ばれ、一世を風靡したブラックベリーがついに身売り、という報道。
元々はポケベル・メーカーだったこの会社、スケジュール帳やメール機能、簡易キーボードなどを備えた端末を発表してビジネスマンの人気を博したのですがついに...。

ケータイの雄・ノキアもマイクロソフトに身売りされるなど、王者の栄枯盛衰が激しいこの業界ですが、今後も「BlackBerry」のブランドは生き残ることができるのでしょうか?
それとも名前は単なる飾りで中身は???みたいな端末に成り下がってしまうのか?
いずれにしろ、最終的にはどこかのメーカーなりに売りに出されるのでしょうね。

あのアップルでさえ、新しいiPhone5c/5Sがあまり新しい機能を備えていない、つまり「驚きの新製品」ではなかったという理由で株価を下げるという事態にもなりました。
まことに常にトップに君臨するのは難しいものですね。

ひるがえってExperiaでスマホ市場を席巻したサムスンは?-いや、ここでは止めておきましょう。

株価の変動はシビアなものがあって、私がかつて勤めていた会社でも、決算発表で利益が出たことを発表したにもかかわらず、アナリストが予想した数値まで届かなかったという理由でストップ安になったことがありました。

「市場の期待」といえばそれまでですが、機関投資家が一斉に売りを浴びせた、などという報道を見聞きすると、少ないお金で株の売買をしている個人投資家の悲哀を思わざるを得ません。
それも含めて自分の責任ではあるわけですが...。

彼岸花

2013年09月23日 | 日々のつれづれに
今日は彼岸の中日。
母の眠る寺に墓参りに行ってきました。

境内は同じ目的の方々(参拝客というのか、善男善女-お寺では言いませんか?)が大勢詰めかけていました。
お寺にお布施を収めて彼岸会の塔婆と記念品をいただきます。

彼岸花とはよく言ったもので、寺のあちらこちらに彼岸花の赤い花が咲いています。
不吉な別名が数多くある花ですが、一般的には曼珠沙華(まんじゅしゃげ)という名前が有名でしょうか。
普段あまり色の多くないお寺ゆえ、花弁の赤がことさら目に強く写るようです。

三連休の真ん中

2013年09月22日 | 日々のつれづれに
今回のブログのジャンル設定は「山梨県」ですが、果たして適切かどうか疑問...。

三連休の真ん中の22日、朝山梨の自宅を出てクルマで東京の家内の実家に行きました。
前日まで組のご不幸のお手伝いなどがありましたが、東京行きは予定通りに。

途中の談合坂SAで休憩するまでは順調でした。
八王子インター出てすぐ、府中に入るあたりから徐々に渋滞し始めました。
やはり連休中はクルマが多い。
クルマの流れがまったく止まってしまうほどでは無かったのですが、延々と続くノロノロ渋滞にげっそり、結局高井戸インターにはいつもより一時間ほどかかって着きました。

長女の家と家内の実家とに荷物を置いて、私は家族を残して中野、吉祥寺に買い物に出かけました。
長女は次男とふたりで義弟の二人の子供たちの相手、家内は久しぶりに義母と水入らずでお話を、私はいろいろ見たいところもあったので、という口実です。
中野ではブロードウェイにいって2軒あるミニカーショップを覗いてきました。
何を買ってきたかはまた別の機会に。

中野ブロードウェイの中や外はお客であふれていました。
さすがに三連休。

休む間もなく、中央線の快速に乗って今度は久しぶりの吉祥寺へ。
駅近くのミニカーショップ兼カフェでしばらく休んだ後(ここでは何も買いませんでした、ゴメンナサイ)、足を少しのばして、昔通った行きつけの酒屋「亀屋」さんに行きました。
今日メルマガが入っていたので、衝動的に訪れたのです。

山梨ではあまり見かけないシングル・モルトを手に入れることができて大満足。
倉庫まで探しに行ってくれた店員さんに感謝感謝です。
「スプリングバンク」。今度友人が来た時に飲んでみることにします。

酒屋さんから三鷹駅まで歩いて(ミニカーはともかくお酒を一本ぶら下げて歩くのはいい運動になります)、今度は上りの快速に乗り荻窪まで。
荻窪駅に着いた時にはすでに時間は午後5時を過ぎてしまっていました。

駅前のミスドでミスドビッツ2箱と崎陽軒のシュウマイを何箱か買って、それらを持って家族が待つ阿佐ヶ谷の実家に戻りました。

大勢で夕食を摂り、女子サッカーを見て(巨人-広島戦の様子はネットで確認しながら)帰路に着いたのは午後9時を大きく過ぎていました。

帰りの中央道はいつもより混んではいたものの(反対側の上り車線は大渋滞でした!)、割とスムーズに走ることができました。
途中立ち寄った談合坂のSAには明らかに東京ドームに応援に行ったと思われるテンションの高い人たちを見かけました。

往きのクルマの多さもそのせい?
まさかねぇ。

なんとか今日のうちに家にたどり着くことができました。
明日は墓参り。

駿台甲府 秋の大会二回戦で散る

2013年09月21日 | がんばれ!駿高野球部
秋季関東高校野球山梨県大会は19日に二回戦を行い、駿台甲府チームは吉田に3-4で敗れました。

駿台甲府は吉田の1年生エースに対して12安打を放ちましたが、初回、5回、最終回の1点ずつにとどまり、追いつくことはできませんでした。
犠打も6を数えたのですが、あと一歩の決定力に欠けたというところでしょうか。

一方、4人の投手陣は吉田に3安打しか許しませんでしたが、12四死球を与え3つの暴投もあって守りきることができませんでした。

来年の春の大会に備えて、これからの期間もう一度攻撃と守備を鍛えなおして臨んでもらいたいと思います。応援しています。

がんばれ!駿高野球部。

最後の旅立ち

2013年09月20日 | 新米組長
組の中でのご不幸があり、今夜が通夜で明日が告別式、ということは以前に書きました。

亡くなったのが17日、葬儀の日程が遅れたこともあり、通夜の前に火葬をするというスケジュールのため、午後1時半に当夜の前に組の人たちが集まりました。
お坊さんが来て読経を済ませ、その後納棺、そして出棺となります。

家の中では親族たちが棺を持ち、外で待ち構える組の人たちに渡し、霊きゅう車に運びます。
故人としては自分の家から出かける最後の時。

通夜の場では当番の我々は帳場を預かって参列者への対応や記帳などに追われていますので、なかなか故人をしのんでいる余裕はありません。
ですから、出棺の時が最後のお別れになります。

いつもながら物悲しいホーンが低く鳴る中、故人を乗せたクルマは斎場へと向かっていきました。

ポルシェ936

2013年09月19日 | ミニカー
今回は1976年から1981年にかけて活躍したプロトタイプ・カー、ポルシェ936を取り上げます。

1970年、1971年とポルシェ917が圧倒的な強さでスポーツカー選手権を制したため、レギュレーション変更により締め出されてしまったポルシェは、新たな戦いの場を求めて(というかスポーツカーとしての新市場を求めて)アメリカのCan-Amレースに参加します。

しかしそこは、7リッター・クラスの大排気量マシンを擁する王者マクラーレンやローラ、シャパラルなどが競い合う世界でした。
5リッターのエンジンしか持たないポルシェは、ターボチャージャー・エンジンを開発し、その強大な馬力でまたたくまにCan-Amレースを席巻します(1972年、1973年シリーズ・チャンピオン獲得)。

私の中のポルシェ936というのは、この強力なターボ・エンジンを持って再びスポーツカー・レースに戻ってきたポルシェが走らせたクルマ、というイメージでした。

冒頭の写真は、1976年のル・マンで優勝したポルシェ936、ル・マンで勝利した初めてのターボ・エンジン・カーとなりました。
ドライバーはジャッキー・イクスとG.ヴァン・レンネップ。マルティニ・ストライプのカラーとともに新しいポルシェを印象付けました。
このミニカーはトロフュー製。ル・マンを初めて制した936ということで、かなり出回っているポピュラーなモデルです。


翌1977年、ポルシェは改良型エンジンを積んだ936/77を2台エントリーします。ライバルは4台のルノーアルピーヌ。
スピードはルノーが勝りますが、最終的には936/77の4号車がトップで走り切って二連覇を成し遂げます。
ちなみに3号車はリタイヤ。



この4号車のモデルはミニチャンプスの特注品(7台セットのうちの1台)ということで、オークションの世界にもなかなか姿を現しません。
ル・マンの歴代優勝マシンを集める上で最大のネックになっていたモデルだったのですが、幸運にも手に入れることができました。


続く1978年、ポルシェは三連覇を狙って新開発の936/78を2台(5号車と6号車)と前年優勝の936/77(7号車)を持ち込みます。
936/78のエンジンはポルシェ906の時代から連綿と続く、それまでの911ベースのものから新開発の935ベースのものに変更され一段とパワーアップされました。
予選トップは5号車。しかし、決勝レースでは255周を走ったところで事故によりリタイヤしてしまい、ルノー・アルピーヌが悲願の初優勝を飾りました。
ちなみに総合2位に6号車、3位には7号車が入っています。



2台の936/78はリア・ウィングの端が垂れ下がった形をしているのが特徴的、一方の936/77は当たり前ですが前年度のクルマと全く同じ形をしています。
モデルの台座を見てお分かりのように、5号車と7号車はミニチャンプス製、6号車だけがトロフュー製です。


1979年、スポンサーがESSEX(エセックス・ペトロリアム、今はない石油関連企業)に変わりデザインもブルーと赤のシンプルなカラーリングになります。
前年度優勝のルノーが撤退してしまったため、2台のワークス・カー936/78はガチガチの優勝候補でした。
ちなみに持ち込まれた2台の936/78、実は前年の5号車が今回の12号車(予選2位)、そして6号車が14号車(予選1位)と同じ車体なのです。

決勝レースでは2台の936/78はともにリタイヤしてしまいます。優勝したのはクレーマー・レーシングのポルシェ935K3でした。



2台のポルシェ936/78はそれぞれトロフューとミニチャンプス製。
こうしてみるといずれの年もバラバラでまったく統一感がありませんね。
これはそれぞれのメーカーのモデルの出来具合を見比べるためにわざとしているわけではなく、まったくの偶然の産物です。


うーん、今回もまた長くなってしまうなあ...。


(気を取り直して)1980年、この年ポルシェは924カレラGTという市販車を改造したクルマをル・マンに持ち込みました。
ポルシェ936の姿は見当たりません。
そしてこの年の本命と目されたのはヨースト・レーシングがマルティニと組んでエントリーしたポルシェ908/80。

えっ?ポルシェ908?

ここで以前の私のブログを思い起こしていただきましょう(と、強引に関係づける)。

 → 忘れえぬポルシェ908

この中で1つだけ書き残した908がまさにこの908/80なのです。
正体をバラしてしまうと、この908/80の実態は908/3のシャシーに911ベースのターボ・エンジンを搭載し、936のボディをかぶせたもの。
GTカーばかり(というわけでもありません)がエントリーしたこの年のル・マンにあってプロトタイプ・カーのこのクルマが本命視されたのも当然でしょう。

しかし結果は総合2位。混戦の末、優勝したのはジャン・ロンドー自らドライブするロンドーM379Bでした。

 → ただ一人のロンドー

実はこの1980年のポルシェ908/80のモデルは探してもなかなか見つからないのです。
本には古いソリド製のものが存在するとのことなのですが、どなたか教えてくださると本当にありがたいです。
ちなみに1980年の908/80は「こんな形」をしています。

で、下の写真は翌年の1981年のル・マンに出場した同じシャシーのポルシェ908/80です。
この年はまたまたスポンサーが変わってしまったので、妙なデザインのクルマになってしまっていますが、予選は3位に入ってまだまだ戦闘力のあるところをみせました。
しかし残念ながら決勝ではわずか80周を走ったところでリタイヤしています。



まあ、誰が何と言おうとカタチは908ではなく936ですよね。
もっと言ってしまうと936/77でしょう。
ヨーストさんも、よくこんなクルマをひねり出しますね。



それにしてもやはりカラーリングは好きになれません。


閑話休題。
話を936に戻しましょう。

その1981年のル・マンを制したのは新しいポルシェ936/81でした。
2台エントリーして予選は1位と2位を獲得します。
決勝でも予選トップの11号車がそのまま逃げ切って優勝、2位に14周の差をつける圧倒的な勝利でした。
優勝したジャッキー・イクスはル・マン5勝目。彼は1976年、1977年の936もドライブしています。
一方の12号車は総合12位でした。



実はこの936/81のエンジンは翌年から始まるグループCという新しいカテゴリーに適応するもので、1982年から選手権を席巻するポルシェ956/962Cの先駆けともいえるクルマなのです。
強いのも当然です。

かのクリスチャン・ディオールのデザインしたというカラーリングは、今までのものとは一線を画しています。
スポンサーは香水メーカーの「Jules」。
モデルは2台ともミニチャンプス製。

ポルシェ917に比べると知名度でやや見劣りする936。
しかし、917が結局ル・マンを2度しか勝っていないのに比べ、936は3度も勝っているんですよね。
さまざまなエンジンと車体を乗り継ぎながら、二つの黄金期の間にあってそれらに勝るとも劣らない成績を上げた936。
もっと今以上に評価されてもいいのではないかと思います(私の思い込みかなあ)。

ということで、ポルシェ936一代記のおしまいです。

リニア中央線概要公開

2013年09月18日 | 日々のつれづれに
JR東海、リニア中央新幹線の概要を公開 - 路線や駅の建設予定地が明らかに(マイナビニュース) - goo ニュース

リニア中央線の東京(品川)-名古屋間のルートの概要が明らかにされました。
山梨県内のルートはすでにおよそ公開されているもので、リニア新駅についても代替目星をつけていた場所になるようです(あくまでも現段階ではルート案)。

リニア中央線の着工は2014年、開業するのは2027年といいますからあと14年後。
ふーん、私は73歳か。一度くらいは乗ってみたいものです。

まあ、これから南アルプスをぶち抜く長大なトンネルを掘ったりするのだから無理ないですね。
一部では「2020年の東京五輪に間に合わせて!」などという意見もあるみたいですが、しっかりと調査して安全に掘り進めてもらうよう期待します。

一方、名古屋-大阪(新大阪)の改行は、さらに18年後の2045年。
生きていれば私は91歳。
こちらのルートはまだ未定。一説では奈良と京都が新駅について綱引きをしているのだとか。
経済効果もわからないではないですが、あまり強引な誘致はいかがなものかと思います。

今年4回目

2013年09月17日 | 新米組長
色々なことは経験を重ねるたびに慣れていくものではあるけれど、世の中には「そんなことに慣れたくはないなあ」というものもあります。

自分の組内でまたご不幸がありました。
今年に入ってからこれで4回目。

不謹慎ながら、1回目の時のドキドキ感はありませんでした。
先月、先々月と続けて組内のお葬式を経験したため、うろたえることは一切なし。

すぐさま自分のスケジュールを確認して、断りのメールを入れるところへは入れ、三役の人には日時を記したメールを送り、通夜と告別式のお手伝いを頼む人たちの家を回りました。
何か淡々と仕事をした感がありました。

通夜が20日、告別式が21日。
ちょうど秋の彼岸と重なります。

雨台風

2013年09月16日 | 日々のつれづれに
今朝豊橋あたりに上陸した台風18号は速度を増して東日本を縦断し、すでに三陸沖に抜けた模様、まだまだ風雨の影響を受けている地域もありますが、今後はその勢いを弱めていくことになりそうです。

それにしても今回の台風は、その発生から時間があまりたたないうちにやってきた割には雨が多かったですね。
山梨県でも、雨のために道路や鉄道が大きな影響を受けました。
しかし、テレビで見る西日本各地の被害は予想以上のもので、突風や土砂崩れ、河川の氾濫による被害は甚大なものになりました。

中でも観光の名所、京都の嵐山の河川氾濫は、何度か行ったことのある場所だけに夫婦でテレビにくぎ付けになっていました。行ったことのある土産物屋の店舗内に容赦なく襲い掛かる濁流は自然の脅威を感じさせます。
普段はゆったりとした流れである桂川であったのに、渡月橋にぶち当たる波を見ていると別の川を見ているようでした。
これから秋の観光のシーズンを迎えるだけに、一刻も早い復旧を祈りたいと思います。

今このブログを書いている時間、山梨では台風の「吹き戻し」というのでしょうか、強風にあおられています。
家の裏から見える空も変化の激しいこと。
台風が通り過ぎたことで油断していると色々なものが飛ばされてしまうことの多いこの時間帯、気を付けなければいけません。