裏ユキヒロック

ロックとバイクとラーメンが大好きだ。

柔かい話

2006年06月30日 | 映画・TV
堅い話が続いたので、今日は柔かい話を。

「えー、豆腐って言いますとこの時期はやっぱり冷奴・・・」

>って、そういう柔らかいじゃないでしょ!

気を取り直して・・・

「えー、田村で金! 谷でも金! 今度は母でも・・・」

>って、それは柔道のヤワラ(ちゃん)かい?の話でしょ!
もういいや、タコでもイカでもオッパイでも何でも
柔かい話すりゃーいいじゃん!
許す! もう好きにしてー!

「じゃ、お言葉に甘えて・・オッパイの話を。」

>アホかー!


・・・くだらない一人芝居はこの辺にして本題に。
ん?本題・・今日は本題 特になし。

最近、TVを観ていてちょっと気になったことを箇条書きで。

1.ワールドカップってまだやってんだよね?

2.フジテレビのドラマ「医龍」
http://wwwz.fujitv.co.jp/iryu/index.html
天才医者役の坂口憲二さんがどうしても
医者に見えないのは僕だけじゃないと思う。
あんな不器用そうな人に命を預ける気がしね~。

3.TBSドラマ クロサギ
http://www.tbs.co.jp/kuro-sagi/
クロサギ役の山下君は「野ブタ。をプロデュース」での
http://www.ntv.co.jp/nobuta/
「修二と彰」の「彰」役の演技と、演ぎ分けってのが
出来ないようですが、

よくよく考えたら野ブタ。の時は
「特別出演」だったので、クロサギが高校生の時が「彰」だったという
大どんでん返し・・まさに詐欺的な局を超えた
壮大なドラマが完結することになる。
映画→ドラマ→映画の「海猿」どこしの騒ぎじゃねーよ。
スケールが違う。
・・・ジャニーズ恐るべし・・・そして深い。

4.フジTV ブス恋
http://www.ktv.co.jp/busu/
の主題歌の幸田來未の來の変換が面倒だ。
主題歌だけでなくちょい役で出演してたけど、
最初から主役でも違和感なかったのでは?・・・勿体無い。

あ、俺 今日は 長井みたいだな~

まつがいない!

(が、まちがっている)

ユートピア

2006年06月30日 | ひとりごと・日記
ユートピア(utopia、理想郷)
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イギリスの思想家トマス・モアが
1516年にラテン語で出版した著作、また同書に出てくる
国家の名前。 「無可有郷」とも。
ユートピアは現実には決して存在しない理想的な社会として描かれ、
その意図は現実の社会と対峙させることによって、
現実への批判をおこなうことであった。
ただし、逆説的な社会でもあるので、
通常使用されている「理想郷」としてのユートピアより、
トマス・モアらによる「ユートピア」には非人間的な
管理社会の色彩が強いためである。
(Wikipediaより)


我々の先人達は、
「少しでも暮らしが楽になるように」と、懸命に働き続けた。

その結果は、現代の輝かしき発展と繁栄に繋がっている。

しかし、その繁栄の裏側に

ニート・引篭り・高齢社会・小子化社会・・・

これらの問題は、あたかも悪いことのように語られる傾向にあるが、

実際には どうだろう?

「ニート餓死」「引篭り窒息死」なんてニュース聞いたことないよね?

例外としては、せいぜい「高齢社会」に「腹上死」ってのはありえるけどね。(笑)

「働からざるもの 食うべからず」なんてもう ナンセンス。

働かなくてもなんとか食えるし、
餓死なんて言葉は望まないかぎり・・すでに死語の世界なのだ。

就労率になるのか就業率って言うのかそういう割合の詳しい数字はわからないけど、
自分の家族や廻りを見渡せば、定年とか学生であるとか抜きにして、
「働ける身体を持っているのに働いていない人」なんてのは、
5人に1人くらいはいそうじゃない?

貯蓄や年金、替わりに誰かが養ってたり、社会保障で生活費を賄ってる
様々な理由はあれど、実際は働かなくても生活できているのだ。

・・・そこでもう一度 よく考えてみよう。

先人達の言う

「少しでも暮らしが楽になるように働く」って言い換えれば、

「働かなくても暮らせるようになりたい」ではないでしょうか?

つまり、「働かなくとも生活できる社会の実現」が
ユートピア(理想郷)だったのです。

ん・・・働かなくても生活できる社会?

おお、現代こそ ユートピア(理想郷)そのものじゃありませんか!!

ニート・万歳! 引篭り・OK牧場! 
カモン・高齢社会! VIVA!・小子化社会!

寧ろ、彼等は理想郷に住む一握りの選ばれし者。

「えーい! 頭が高い! ひかえおろう!!」

・・・黄門さまも吃驚だ。

労働者である我々は今だ「労働は美徳」などと言う
旧時代的なパラダイムに支配されているSLAVE(奴隷)なのだ。



Special Thanks To :
(マチャさん ご教授ありがとう 自分なりに解釈してみました。
ブラックジョークのひとネタ。ごちそうさまでした。orz)

三方一両損

2006年06月30日 | ひとりごと・日記
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三方一両損(さんぽういちりょうぞん)
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大工の熊五郎が 落とした三両の金を、
左官の金太郎が拾って届けたが、熊五郎が受け取らないので、
大岡 越前守が一両足して、両人に二両ずつ褒美(ほうび)を与え、
三者が一両損をしたのだから、収めようと裁いた。
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地元の養護学校の近くに斎場建設計画があり、
この数年間、その学校関係者を中心に反対運動が巻き起こっていた。
地道な活動を重ね、その輪は広がりをみせ市民レベルで反対の方向へ
傾きかけていたものと思っていたら、
先日、その事業がその予定地のまま本格的に建設へ向うことが決定した。

人は必ず死ぬ。

斎場の必要性は誰もが理解できるだろうし、
人の死についてあまりにも隠されていたり、
まるで、汚らわしいもののように扱われているのはオカシイとも思う。

ただ、自分の家の目の前に、斎場やゴミ焼却施設が
建設されることになれば、反対するのは当たり前なのだけど、
ある意味、地域エゴと言われても仕方がない部分もある。
エゴというか、必要なのに家の前は嫌だから必要ないという矛盾だよね。

今回は、わざわざ養護学校の隣にそもそも計画された意図に、
やはり悪意を感じてしまうような違和感が拭えないのは
僕だけはないと思う。

そもそも、なぜこの計画の大前提である土地の買収の
見込みが立ったのか?
なぜ地元であるはずの地主の反対はなく、
用地買収の見通しが出来たのか不思議だった。

正解は単純で、地主はそこに住んではいないから。

離れた市街地に住んでいる人達の土地だったのです。
まさに対岸の火事であって、寧ろ利用価値の少ない場所なので、
今のうちに少しでも高く売ってしまいたい意識が働くのも当然。

さてここで、誰が良いとか悪いとかを罵り合っても意味はない。
各々が各々の事情や感情が入り混じっていて、
立ってる位置によって正義だとか悪だとかの判断基準は難しい。

では具体的な解決策は?

争い事を解決する方法に「三方一両損」と言う考え方がある。
本当は、三方が一両得するのが、一番良いのだ。

例えば今回の場合、僕が大岡ならば、

養護学校の土地と、地主が現在住んでいる市街地の土地を役所が買い上げ、
地主は売ろうと思っていた土地に移転。
地主が住んでいた市街地の土地に養護学校が移転したら、 
斎場を養護学校跡地に建設。

つまり、養護学校と地主を入替えてしまうのだ。

斎場建設賛成の地主は土地が売れるのは変わらないのだから一両得。
養護学校は便利の良い市街地に移転できて一両得。
斎場は計画どおりに建てらるのだから役所も市民も一両得。

これが、ユキヒ大岡の三方一両損ではなく、三方一両得 也!!

一件落着~~~~~ あー、でめでたし、めでたし。

ところが、民主主義とは多数決なのである。

この話を民主主義の観点から考察すれば、
役所の出す一両=税金を払ってる市民であり、
絶対的大多数なのだから、「可愛そう、お気の毒」という
心情は別として、斎場建設のために余計な税金は使う必要はないという
結論になるはずである。
賛否の投票になれば、養護学校が我慢すれば良いという結果が
一番望ましいとなるであろう。

これって、恐ろしいと思いませんか?

あなたの家の前に、あなたがどんなに反対しても
ある日、忽然と斎場やゴミ焼却場が建設されるのです。

自由を掲げる民主主義の現代には、
一両を出してくれる大岡越前は存在しないのだ。

落語にもならない、オチのない笑えない時代なのである。