今回の沖縄旅行を旅行先の選定や観光の企画から
幹事として全部仕切ってくれたのが、
会社の先輩だったのだが、(ありがとうございました!!)
世界中を旅行されてる方で、仕事でアフリカに数年間も駐留したり、
昨年もプライベートで南米に旅行に行ったりしていて、
なかなかの旅の達人である。
そんな達人と終始一緒に旅行できて、「旅の極意」などと
言うとちょっとオーバーだが、良い旅行をするためのヒントを
もらったような気がする。
まずもって、計画は綿密に立てるのだが、実際での旅先では、
そのプランを臨機応変に変更することを恐れない。
チケットを渡して集合場所と時間を指示した後は、
それぞれに「任せる」というやり方をしていた。
当然、人数の確認や遅れそうな人には細心の注意を払っているのだが、
決してその姿を見せない。
団体旅行の最低限の制限の中でも、
旅を自分で切り開いてく「自由」を与えることによって、
団体行動なのだが、束縛感を緩めて愉しませてくれるのだ。
見学できる限られた時間の中で、その人が見たい場所や
興味のあるとこだけをじっと見ていても良い、
そしてなにより急かすのでなく、その人の歩む早さで見学させるのです。
幹事と言うと気疲れ多いと思うけど、
決してそんなこともなく、自身も「大らかさ」というか、
スケジュール変更や旅先で出逢った人との
「ノリ」を大事にしつつ、起きてしまうハプニングを
逆に愉しむ余裕を持っている。
見るからに怪しい「夢先案内人」に対しても、
古くからの友人のようにフランクな対応で、
その「怪しさ」を「楽しんでしまえばいいじゃん!」
というノリが面白かった。
ま、日本国内であれば、命までは取られないのだ。
予定のなかった2日目の夜、
はっきりと場所も内容もわからないライブハウスを、探してみたり
ライブハウスで涙を流すくらい感動して踊っていたりして、
旅を楽しむ術を心得てるように思えた。
旅は「場所を変えた」だけでは、ただの「移動」でしかなく、
そこで出会う人との交流や、予想だにしていなかった事象が
あって初めて「旅」と言えるのではないか?
「遠慮」ってのが実は旅には邪魔になる時があるのかもしれない。
かと言って、「旅の恥はかき捨て」などと、何でもありではないのだけど、
最低限の迷惑をかけてはいけないけど、許される範囲で自分を解放し、
出逢った人を受け入れる心構えを常に持っていると、
旅は実に楽しいものになるということを教えてもらった気がする。
お陰で自分の中に「沖縄」という所に思い入れが少し芽生えた。
ただ、「行ったことがある」や、「通り過ぎる街」ではなく、
その場所を好きに思えることができたら、
その旅は成功だったのではないだろうか?
これからも、そんなことを意識して旅ができたらなぁ~と思った。