夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

過ぎ去りし、定年後の私の10月5日の思いは・・♪  【下】

2009-10-05 22:24:59 | 定年後の思い
2006年の10月5日の朝には、
【 恋しい秋日和・・♪ 】
と題して、投稿していた。

【・・
東京の郊外は、ここ数日、雨が降ったり、ときたま曇り空となり、21度前後の日となっている。
明日も大雨が予報されて、晴れ間は土曜日からと報じられている。

昨夜も小雨が降り中、鈴虫はかぼそい鳴き声をして折、月を誉(ほ)めることも出来なかった。

酢橘(すだち)を口に含み、純米酒をそそいだぐい呑みに実を入れても、
庭に雨の降る情景を眺めても侘しい思いがする。

秋日和の夜、月を眺めながら、純米酒をその日あった弐合徳利とぐい呑みで頂きたいと思っているが、
平素の行いが不摂生の為か中々叶(かな)えてくれない。

秋日和の昼下がり、近くの公園で陽射しの中のコスモス、ススキの穂などを誉めながら、
散策する夢を見たりしている。

コスモスは秋桜と称されているが、可憐な彩りを見せてくれ、
雨に当たると花はうなだれ可哀想と思われるが、
晴れ間、曇り空でもそれなりの彩りあり、実は芯の強い花のひとつと思ったりしている。

女性の一部のお方で優美な可憐さを感じさせる人がいるが、
内面はしなやかな心をお持ちのであると想いを馳せたりしている。

こうして小雨の降る主庭を眺めながら綴っているが、
雨が強く降りそそいで来た・・。

・・】


この後、午後2時過ぎより2回にわたり、
【 されど、小文字は10代の女子に流行・・?!】 
と題して、朝夕に投稿をしていたが、今回は集約して再掲載をする。

【・・
先程、インターネットのニュースを見ていたら、毎日新聞の提供ニュースに於いて、

《小文字:10代女子に流行、難解・新表記 ネット時代の自己表現!?》

と見出し記事があったので、興味深く拝読した。

私なりのコメントは最後に表記するが、この記事は無断であるが転記させて頂く。
《・・
☆書き込みゎ小文字っかぅょ

「ゎたしゎ、きょぅゎ部活がないの」
「ぁたしゎ、中一です」--。
女子児童や女子中高校生がやりとりする携帯メールやインターネットの掲示板で、
一部の文字だけを小さく期す文章が目に付くようになった。

「小文字」と言われ、どの文字を小さくするのか、独自のルールもあるらしい。
子供達がキーボードを操るようになって登場したユニークなスタイルだが、
「間違った書き方じゃないか」
と眉をひそめる大人もいるようだ。
【扇沢秀明】

ポータルサイト「goo(グー)」を運営するNTTレゾナントの渡辺純子・メディア事業部課長によれば、
インターネットの掲示板、特に子供向けのキッズgooの掲示板の書き込みに
「小文字」が増えたのは、昨年の春頃だという。
『子供が立てたブログは、小文字だらけで、大人が読むと目が回りそう』
と苦笑する。

グーで「ゎたしゎ」と入力し、検索すると約3130件ヒット。
「ぁたしゎ」なら約1万5600件。

ヤフー!では、「ゎたしゎ」が約3万6400件、
「ぁたしゎ」は約30万2000件もヒットした。

大半が学校や塾、アイドルの話題で、
殆どが10代女子の書き込みと思われる。

東京都内の女子中学生(13歳)=1年=は、
『小学校の時に、友達から貰った携帯メールが小文字だった。
今はクラスの女子の殆どが使っている。
子犬が可愛いのと同じで、字も小さいと可愛い』
と話す。
最近は、仲間で交換する手紙にも、小文字を使うという。


☆独自のルール

だが、「小文字」は、どんな文字でも小さくすればいいというわけではない。
小さくするのは【あいうえお】【つ】【やゆよ】【わ】だ。それに【ヶ】も加わる。
ルールの秘密は「普通の携帯メールで小さく出来る字だから」。
携帯メールやパソコンをローマ字入力した時、
「l(Lの小文字)」を打ってから「wa」と打つと【ゎ】、
「li」なら【ぃ】に変換される。

実は、小文字の流行る前にも《ギャル文字》という表現スタイルが流行した。
渡辺さんは、
『ギャル文字は、アルファベットや記号を組み合わせ、
カタカナや平仮名に似せた表記で、3年前に流行った』
という。

『字も小さい方が可愛い』と話していた女子中学生は、
『ギャル文字は、(年齢が)上の人が使っている。
私は読めない』と話し、
流行の移り変わりの早さをうかがえる。

全国小学校・国語教育研究会・事務局長の飯田 薫(東京都八王子市立・鑓水小学)校長は、
『手書きしか無かった時代、女子の間では丸文字を書くのは流行った。
ネット時代は、小文字で子供なりに自己表現をしているのだろう。
教室でノートを見ると、きちんとした書き方をしている。
多くの子供が使い分けをしているようだ』
と言う。

しんし、渡辺さんは、
『大人も読むネット掲示板で、子供が小文字を使って記し、
それを見た大人が《真面目に書いているのか》と注意したケースがあった。
子供に対してもネットの掲示板の記し方のマナー教育が必要な時代になったようだ』
と話す。
          ~毎日新聞 2006年10月5日 東京朝刊~
・・》

私は一昨年の晩秋に、【簡単gooホームページ】で『風のように光のように』のサイトを掲げているが、
初めの半年間に於いて、小学生の女子の3人のお方と掲示板で交流したが、
真面目な文章を綴ってきた・・。

私は定年退職後の身であったので、お孫さんと交流しているようであったが、
私の方が相手方の女子の気持ちを考える過ぎたのか、気づかれしてしまい、
お互いに10通前後交流して途絶えてしまった。

今までに掲示板に於いて、
「あなたのホームページ・・かっこいい・・お友達になりましょう・・」
と言う意味合いの小文字をまじえた書き込みを頂いたりした。

或いは掲示板に私の綴った事に関し、小文字まじり感想のような書き込みを頂いたりした。

私は最初の半年で、3名の小学女子生の交流で疲れを覚えたので、
申し訳ないが返信を出来ず、一ヵ月後に削除してしまった。

私は前記の飯田校長の説を重視している。
たまたま私のような歳を重ねた小父さんに書き込まれた時、
小文字をまじえた文章は、正直なところ戸惑ったりした。

多分、ブログの世界の掲示板であったので、気楽に書かれたと思っている。
日頃、小中学校の生徒は何らかのプレシャーを持っているので、
息を抜いて、気軽に綴るので心が解放されたならば、よいではないかと思っている。

どの時代でも、成年になる前の一時期の自己表現のひとつと思っているからである。
・・】


2005年の10月5日の朝5時に、房総半島の白浜の観光ホテルに滞在していたが、
【 夜明け前のコーヒー・ラウンジ・・♪ 】
と題して、投稿していた。

【・・
コーヒー・ラウンジはこの時間は営業しておらず、片隅にあるインターネット・コーナーで綴っている。

自動販売機で煎茶を買い求めたのを飲み、ときおり煙草を喫っている。

温泉滞在が続くと、早寝早起きが加速してくる。

これは非日常のなせる技である。

・・】


この後、午前11時半過ぎに、
【 昼前のメイン・ロビー・・♪ 】
と題して、投稿していた。

【・・
観光ホテルで平日の昼前は、一日の営業時間で一番すいている時である。

閑散として折、ここコーヒー・ラウンジも数組のお客さんがいるのみで、静かなひとときである。

前方の海原は、曇り空でひっそりしていて、岬の白い灯台も昨夜中働いていたせいか、
今は疲れているように眠っているように観える。

どの風景も昼前のひっそりと静けさを保ったひとときである。

・・】


この日の夕方に、
【 夢の中で・・♪ 】
と題して、投稿していた。

【・・
ルーズベルト大統領の急死を受けて、
思いがけずに大統領になれたトルーマンは、国務省の高官より原子爆弾の計画を知らされて、
動揺した。

決断は明日まで、と差し迫られたトルーマンは眠れない夜明けを迎えた。

戦いは俺たち軍人に任せろ、と軍の首脳部から頭ごなしに日中言われつづけていた。

そして、徴兵した青年を早く帰還させるのが、国民の望みだ。
何よりもスタリーンは欲張り過ぎだ、何をするか解らない男だから、
この際、アメリカの底力をはっきりと見せるのも、大統領の役割です。

トルーマンは、ドイツのゲルマン民族に投下するのでなく、
日本人に対してだから、とも考えた・・。

以前、トルーマンはルーズベルト大統領がイギリス、ソ連の首脳と会談の直前の時、
あのジャップ、と日本の事を呟いたのを、聞いてしまったことがあったのである。

トルーマンは原爆の件は、
あくまでルーズベルトが対ドイツに対して、総力挙げて開発してきたのだから、
私のサインは九割方ルーズベルト貴方自身の責任である。
こうトルーマンは自身の心に云いつづけながら、投下の承諾書にサインした。

こうして国益に基づく決定は、はかなく冷徹に行われた。

私は、こんなことで決定されたんじゃ、良心のかけらもないじゃないか、
貴方は二十世紀の最大の悲劇の十字架を亡くなった今でも背負いつづけろ、
と私はトルーマンの墓石に向かって叫んだ。

私は昼寝から、目覚めた。


夢だったのか、汗をかいたので、顔を洗った。

ぼんやりと煙草を喫っていたら、紫煙で目が煙くなったらしく、思わず手を当てた。

私は人前では、国益に基づいた国家の決定は、冷徹きわまりのないことである、と明言しているひとりであるが、
私の心の内部は、血のかよった弱くて、わだかまりのある複雑なひとりの男である、と改めて思ったのである。

・・】


このように私は本日の10月5日時点を基軸に、
昨年の2008年から定年退職後の一年少し前の2005年まで遡(さかのぼ)ったのであるが、
果たして進化してきたか、或いは退廃してきたか、解からないのである。




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過ぎ去りし、定年後の私の10月5日の思いは・・♪  【上】

2009-10-05 17:30:08 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の65歳の身であるが、
朝の8時過ぎに雨の降る前に、伊予地方産の小ぶりの柚子(ユズ)を8個ばかり捥ぎ、
この後、花梨(カリン)の大きくなった黄色に色づきはじめた実が、
7つ地表に落下していたので、やむえずゴミ袋に入れたりした。

そして、9時半過ぎから早くも霧雨が降りはじめ、ときおり止んだりし、
昼下りより本格的に小雨が降りはじめた・・。

私は過日、ささやかな私達夫婦の記念旅行後、
このサイトに9章に及び『秋霖の中、いとおしき情景の旅路は・・。』と題して、投稿してきた為か、
少しぼんやりとして、平坦な文章を綴った、と反省をしたりした。

この後、私はこの時節、定年後の生活はどのように過ごしてきたのか、
と漠然と思いながら、このサイトを開いたりした・・。


昨年の10月5日の朝には、
【 私は深夜、昭和35年頃に、思いを馳せ・・♪ 】
と題して、朝夕に投稿をしていたが、今回は集約して再掲載をする。

【・・
昨夜、NHKのBS2で、黒澤 明・監督の没後10年に際し、
『悪い奴ほどよく眠る』が放映されたので、視聴したのである。

昭和35年(1960年)に公開された映画であるが、黒澤プロダクションの第1作とも知られている。

私はこの映画を昭和39年(1964年)前後に、
遅ればせながら名画を上映する映画館で観たりしたので、40数年ぶりとなる。


改めて観た映画であったが、当時はテレビが普及しはじめたといえ、
まだまだ映画界は数多くの映画が上映され、
多くの日本人は映画館に出かけて、入場料を払い、鑑賞したのである・・。

この映画を再見し、一番驚き、そしてため息をしたのは、出演される俳優の豪華さであった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E3%81%84%E5%A5%B4%E3%81%BB%E3%81%A9%E3%82%88%E3%81%8F%E7%9C%A0%E3%82%8B

私は昨今、映画を鑑賞後、ひとつの本を開くことが多いのである。
映画専門誌の『キネマ旬報』の増刊号で、
『1946~1996 キネマ旬報 ベスト・テン全史』であり、
通算70回記念出版として、平成9年(1997年)2月22日に発刊された書物である。

昨夜もテレビであったが、観賞を終えた後、
深夜にこの本を開き、この映画が上映された頃の昭和35年のページを読み、
この当時の頃の私に思い馳せたのである・・。


東京郊外の調布市で育った私が、地元の中学校を卒業したのは、
昭和35年(1960年)の春であった。

その直後、都心の私立高校の普通科に入学し、
都心育ちの多い学友と初めて接し、こうした影響か、
勉学の楽しさを知り、そして文学にも目覚めた。

しかし、『安保新条約』に伴う反対デモで社会全体が喧騒し、
6月の初日は都心の治安が不安定となり、学校が臨時休校となったが、
この頃の私は、恥ずかしながら『安保新条約』は無知であり、
無邪気に明治時代からの小説を読み耽(ふけ)っていた。

そして、『安保新条約』反対デモで、東大生の女子大生が亡くなったり、
まもなく、街には西田佐知子の『アカシヤの雨がやむとき』が流れていた・・。

秋になると、浅沼・社会党の委員長が演説中、右翼の少年に刺殺されるという惨事があり、
私は衝撃を受け、時事の世界に関心を持つようになった。


日常生活に於いては、テレビのドラマ『ガン・スモーク』、『ローハイド』、
『ララミー牧場』、『ボナンザ』、『ライフルマン』等を視聴していたが、
相変わらず小学4年頃から映画館に通ったりし、映画を観たりしていた。
この頃の私は、洋画一辺倒であり、
『ベン・ハー』、『アラモ』、『太陽がいっぱい』、『渚にて』等と、
明るいアメリカの青春映画であった。

この後、高校二年の冬休みのひととき、
黒澤 明・監督の『椿 三十郎』と『用心棒』の2本立てを、二流の映画館で観たのであるが、
『用心棒』に感銘し、私は日本映画も捨てたもんじゃない、と思い、邦画も再び熱狂したのである。

そして、昭和39年(1964年)『東京オリンピック』が開催される頃まで、
『悪い奴ほどよく眠る』が封切られた昭和35年当時の映画も、
名画を上映してくれる映画館に通いつめて、鑑賞したのである。

思い浮かべると、邦画は『おとうと』、『黒い画集 あるサラリーマンの証言』、『笛吹川』、『秋日和』、『裸の島』等、
洋画も『チャップリンの独裁者』、『甘い生活』、『大人は判ってくれない』、
『勝手にしゃがれ』、『スリ』、そして『人間の運命』、『誓いの休暇』などに、
盛んに鑑賞していたのである。

あの当時の昭和35年の映画は、テレビが普及し始めた頃であっても、
数多くの人は、映画館で入場料を払い、鑑賞していた時代であった。
この当時の作品は、まさに満天の星空の中で、キラキラ星のような名画が多々上映されて、
今の私にとっては、ため息するほど、映画界も幸福な時代であった。


このような思いを馳せながらも、
私にとっては多感な少年が青年へと変貌する時代であり、
貴重な心身の日々を重ね、今の私は何よりの心の財産と思っているのである。

・・】


そして一昨年の2007年本日の朝の11時過ぎには、
【 私なりの本屋、古本屋、そして図書館・・♪ 】
と題して、投稿していた。

【・・
私はサラリーマンを卒業して、年金生活の3年生の身であるが、
高校生の時代から、こよなく読書をしている。

私の日常は、買物と散策をし、ときには庭の手入れをする程度であり、
趣味として、読書と映画鑑賞、そして音楽を聴くことで過ごしている。

若い時に映画青年の真似事をした時代もあったので、
昨今はVCT、DVDの保存した映画専用棚から居間で鑑賞したりする。

或いは、たまたまレコード会社に長年努めていた為か、
音楽専用棚からカセット、CD、DVDを取り出して視聴をしたりしている。

ここ数年の映画、音楽には興味が薄れて、2005年以前の作品が多いが、
本屋には相変わらず通い続けている・・。

本屋の陳列棚、平台で小説、随筆、歴史書、現代史などの新刊本、旧刊本を見たり、
そして文庫本、雑誌などを眺めて、買い求めるのが圧倒的に多い。

こうした時も興味がなかった場合、ときおり街中の古本屋に寄ったりしている。
こうした折、通常の本屋の店頭在庫の流通の急流と違い、
思いがけない本にめぐりあったりする。

そして、私なりに巡り逢えた本の一冊が、こんな廉(やす)くていいの、と思いながらも、
著作者への悲しみを覚(おぼ)えたりしている。

私が殆ど図書館を利用したことがないが、
『武蔵野の民家』、『やきもの全集』等の一冊が数万円以上の高価な本、
或いは私の住む郷土史などは借り受けて、拝読したりしている。
こうした時は、公共品なので、手垢が付かないように、事前に手を洗ったりしている。

私は本に関しては、雑誌は別として、
引越しを4回してきて、止む得ない限り、殆ど保存している。
例外としては、映画青年の真似事を断念した直後、
映画研究をしている友に、邦画シナリオ大全集を挙(あ)げた程度である。

こうして私は高校生以来、読書を第一趣味としているので、
3部屋に置いている数々の本棚からはあふれて、押入れなどに保存している。

ときおり私は本棚を眺め、この一冊の本はあの時に読んで心を揺すぶられた、
と思いながら当時の頃を馳(はせ)せたりしている。

何より私なりの読書の魅力は、著作者の導きで、私のつたない思考で、
その世界に思いを馳せたりすることができるので、
それなりに人生の心の師と確信しているのである。

・・】


そして、この日の夜の7時過ぎには、
【 ときには、運勢も・・♪ 】
と題して、投稿をしていたのである。

【・・
家内が夕食の料理の前のひととき、読売新聞の夕刊を読んでいた・・。

家内が突然声を上(あ)げて、
『家族の世話大切・・家事の協力・・』
と私に向かって読み上げたのである。

『これ・・今週のあなたの運勢よ・・』
と家内は微笑みながら言った。

私達夫婦は、子供に恵まれなかったので、夫婦2人だけの生活を30数年過ごしている。

私の退職後の生活は、国内旅行の共通趣味なので、ときおり私共は日本の四季折々を訪れているが、
日常の生活は互いの趣味を尊重している。

その上で、私は買物と庭の手入れを担当し、そして茶坊主をしている程度で、
家内に家事全般の料理、洗濯、掃除などをまかせているのである。

家内は私が元気なうちはよいが、
万一の場合は洗濯と掃除程度は覚えていたほうが・・
と年に数回程度言われたりしている。

『そうだよね・・』
と私は言いながら、私は家内にまかせて、ここ3年となっている。

いずれはどちらかが、片割れとなるので、私は微苦笑しながら返事をしたりしているが、
果たしてこの先は・・と年に数回程度、真面目にため息したりしている。

・・】

                              《つづく》



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天上の気候の神々は、不思議な采配をされ・・。

2009-10-05 10:10:50 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の65歳の身であるが、
今朝の6時過ぎは18度のどんよりとした曇り空となっている。

昼過ぎから20度前後で雨が降りだし、夜の6時過ぎは17度前後、
明日は雨の一日、と地元の天気情報は報じている。

過ぎ去りし秋のお彼岸の頃は、
今年は台風がこなかったねぇ、と私は家内に云ったりしていた。
実際は台風の影響で一度限り、強い雨が降った程度で、忘れてしまう程度であったりした。

このように恵まれた初秋を過ごしたのであるが、
9月27日に私は恥ずかしながら高齢者に入門する65歳となり、
家内も12月下旬に60歳となるので、
ささやかな記念として3泊4日で私達夫婦は旅行をしたのであるが、
旅先は秋晴れはひとときもなく、小雨が降ったり止んだりしていたのである。

帰宅の翌日は晴れ間となり、家内は洗濯、掃除などで孤軍奮闘していた。
そして翌日は小雨が降ったり止んだりし、私はどうしたの、と空を見つめたりしたいた。
一昨日、午後から空は明るくなり、夜に満月となった月を誉め、
天上の気候の神々は中秋の名月にふさわしく、いきな計らいをして下さった、
と感謝しながら微笑んだりしていた。

そして昨日は午前中は明るい曇り空で、午後より穏やかな晴れ間となり、
夜は月も美麗となり、私には微笑んでいるように観えたりしたのである。


この時節は秋の長雨を古人は秋霖(しゅうりん)と称しているが、
これからの4日ぐらいは曇り時々雨のマークが続き、
今年は余りにも長い、と空を見つめたりしている。
家内は、秋日和のように秋晴れの一日になってほしいわ、と少しぼやいたりしている。

太平洋上に秋雨前線が停滞し、その上に台風が二つ日本列島に向かい、北上してくるので、
しばらくの間はこのような天気が続くようだねえ、まさに三重苦だ、
と私は苦笑しながら、家内に云ったりしている。


そして私は秋日和の中、コスモスなどが咲く中を散策し、
幼稚園の園児、小学校の児童の歓声を聞いたりすることを夢想している。



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