私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、私より5歳若い家内と2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた戸建て住んでいる。
そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、雑木の多い小庭の中で、古ぼけた戸建て住んでいる。
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
こうした中で、たまたま昨日、私たち夫婦の結婚記念日であった。
いつものように平素と変わらず私たちは過ごし、夕食を頂いたりした。
そして私は、久しさに日本酒の四合瓶の『菊水』を呑みながら、
いつものように談笑する中、
『僕たちの結婚記念日も・・変ったよねぇ・・』
と私は家内に微笑みながら話したりした。
『そうよねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら私に言ったりした。
私たち夫婦は1976年〈昭和51年〉3月30日に、都心にある学士会館で結婚式、そして披露宴を終えた後、
最寄りにあるニューオータニに宿泊した。
翌年の初めて『結婚記念日』は、私はサラリーマンの多忙時であったが、
この世はロマンも大切だと私は思い深めて、
その週の土、日曜日を活用して、結婚当日の夜に宿泊したニューオータニに1泊2日で滞在した。
当日の夕食の時、家内は水色のロングドレスを着て、私も少し高価なブレザーを着たりしていたので、
ボーイさんから結婚披露宴後の新郎新婦と間違われて、私たちは微苦笑したりした。
そして私は背伸びして、私たちは高級ワインを呑みながら、フランス料理を頂いたりした。
翌日は庭園を散策したり、茶屋風で和菓子を頂き、濃茶などを呑んだり、
至福のひとときを過ごして帰宅した。
翌年になると、幾たびか婚約期間にデートした時のひとつ銀座の食事処で、
夕食を頂き、記念日をお互いに祝ったした。
そして3年目になると、賃貸マンションから私の生家の近くに戸建ての新築に引越し前後で、
慌しい中、披露宴でキャンドル・サービスの際、大きなキャンドル(蝋燭)を頂き、
これを新居の居間にある食卓テーブルで灯(とも)したりした・・。
この大きなキャンドルは、どうした訳か解からないが、25年まで目盛りが付いていた・・。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったが、数多くの夫婦は25年過ぎれば、子供達が成人し、
やがて次世代となるからだろう、と漠然としながら私は感じたりした。
私たち夫婦は確か10年目の頃までは、記念日の夕食の時は、キャンドルを灯して、
家内が改まった容姿で、私たちは居間で食事を頂いたりした。
そして互いにプレゼントの品を渡しあっていた・・。
その後は、私たち夫婦は共通の趣味のひとつは国内旅行であり、
私のサラリーマンの職務として、3月決算月は更に多忙期となったので、
2月に2泊3日で各地を訪ねて、記念旅行に変貌した。
2004(平成16)年の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活となった私たち夫婦は、
家内からは旅行の宿泊数が多いのが良いわ、との要望で、
この記念日前後は、5泊6日前後の旅行となってきた・・。
我が家の私たち夫婦の両親は、家内の母だけとなり、遠い地に独り戸建に住んでいる。
やがて、家内は家内の妹と交互に、介護に泊りがけで行く日もある。
こうした時は、我が家は私が『おひとりさま』となっている。
そして結婚記念日の日も、定年後の18年の中、私は我が家で『おひとりさま』で迎えた年も、
4回ばかりあったりしてきたが、こればかりはやむえないよねぇ、独り苦笑したりしてきた。
このように私たち夫婦は、年月を重ねると変貌して、私は微苦笑したりしている。
やがて、2019年の4月、家内は初期の膵臓がんに遭遇して、
家内は2泊3日で検査入院した後、
家内は2泊3日で検査入院した後、
5月12日より摘出する手術で入院をして、この後の経過状況、
やがて回復状況も医師より順調と診断され、19泊20日間を得て退院となり、
我が家に生還してきた。
やがて回復状況も医師より順調と診断され、19泊20日間を得て退院となり、
我が家に生還してきた。
もとより、この間の私たち夫婦は、最悪の場合を想定することもあったりして、
震撼しながら揺れ動いたりした・・。
そして転移などで死去する確率も高く、家内は身の回りを整理し、
やがて私たち夫婦は、再入院、葬儀、お墓、ひとり住まいなどを、
人生の晩年期の終活を話し合ったりした。
やがて4年近く、定例の精密検査を幾たびもしてきたが、
不安の中でも、幸運にも転移がなく、今日を迎えている・・。
このように私たち夫婦は、年月を重ねると変貌して、私は微苦笑したりしている。震撼しながら揺れ動いたりした・・。
そして転移などで死去する確率も高く、家内は身の回りを整理し、
やがて私たち夫婦は、再入院、葬儀、お墓、ひとり住まいなどを、
人生の晩年期の終活を話し合ったりした。
やがて4年近く、定例の精密検査を幾たびもしてきたが、
不安の中でも、幸運にも転移がなく、今日を迎えている・・。
たまたま昨夜、ささやかな酒宴を終り、
いつものように台所で私は食後の皿洗いをしていると、
♪花も嵐も 踏み越えて
行くが男の 生きる道
このような歌を心の中で唄ったりした・・。
やがて私は、古き昭和13年の頃の映画の『愛染かつら』の主題歌で、
私が敬愛している作詞家の西条八十さん、そして作曲家の万城目正さんの名曲のひとつであるが、
どうしてこのような古き歌を私が唄ったのか・・と微苦笑したりしている。