夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

平成28年度の年金額改定は、据え置きと知り、年金生活12年生の私は微苦笑を重ねて・・。

2016-02-29 14:33:45 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
今朝は4時過ぎに目覚めて、購読している読売新聞の朝刊は配達されていなかったので、
ぼんやりとネットでニュースを見たりした。

こうした中で、厚生労働省から過ぎし1月29日に、報道関係者各位に、
【平成28年度の年金額改定についてお知らせします】と題されて、
副題として【物価・賃金によるスライドは行われず、年金額は昨年度から据え置き】と記載されていた。

そして下段には、平成28年度の新規裁定者(67歳以下の方)の年金額の例が明示されていた。

国民年金
【老齢基礎年金(満期):一人分】
平成27年度(月額)65、008円==>平成28年度(月額)65、008円

厚生年金
【夫婦2人分の老齢基礎年金を含む標準的な年金額】
平成27年度(月額)221、507円==>平成28年度(月額)221、504円

このように明記されていたで、年金支給額は据え置きと知り、微苦笑をしたりした。
            

私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をしている。

こうした中で、厚生年金は減ることがあっても増えることはなく、やむなく苦笑をしたりしてきた。

ここ数年、2013年には、10月分から年金の大幅カットが始まり、
年金受給額は2014年10月に1%、2015年にさらに1%引き下げられ、
この間、夫婦2人の平均モデルで少なくとも年間7万800円もの減額になる要旨が報じられ、
私は勘弁してょ、と苦笑を重ねてきた・・。
            

6時過ぎに読売新聞の朝刊は配達されたので、いつもように私は煎茶を飲みなから、読んだりした。
そして3ページにある【総合】の面にある『社説』を読んだ後、微苦笑させられた。

今回の『社説』のひとつには、【年金額改定】と題して、
見出しとして【給付抑制の遅れは放置できぬ】と明記されていた。

無断ながら転記させて頂く。

《・・少子高齢化に対応した年金の給付抑制が、一向に進まない。
将来世代にしっかりとした年金制度を引き継ぐ上で、放置できない問題だ。

2016年度の年金額は、据え置きとなることが決まった。
物価はやや上昇したが、現役世代の賃金が低下したため、改定ルールに基づき、物価・賃金の変動に伴う増減は行われない。

この結果、少子高齢化の進行に応じて自動的に給付水準を引き下げる「マクロ経済スライド」も実施要件が整わず、中止される。

マクロ経済スライドは、年金の改定率を物価や賃金の変動率より少し低くすることで、緩やかに給付水準を下げていく仕組みだ。
年金財政の安定化のため、04年の制度改正で導入された。

問題は、物価や賃金が下がるデフレ下や低成長時の適用を制限するルールがあることだ。
高齢者の生活を考慮して設けられた。

この制限により、導入後も実施されず、年金水準の高止まりを招いた。
15年度に初めて適用されたが、再び実施不能に陥った。

現行制度は、現役世代が負担する保険料を固定し、収入の範囲内で高齢者に年金を支払う方式だ。
今の高齢者の給付引き下げが遅れると、その分は将来世代の年金を減らして収支バランスを取る。

給付抑制が予定通り進んでも、将来の年金水準は2、3割下がる見込みだ。
さらに減額となれば、若年層の理解は得られまい。

マクロ経済スライドの適用制限を見直し、経済情勢にかかわらず完全実施することが不可欠だ。

だが、厚生労働省が今国会に提出する年金改革関連法案では、完全実施に踏み込まなかった。
参院選を控えて、高齢者の反発を恐れる与党に配慮したのだろう。
            

代わりに、適用制限ルールは残したまま、抑制できなかった分を次回以降に繰り越す方式を取り入れる。
物価などが大幅に上昇した際、まとめて差し引くという。

これでは、デフレや低成長が続けば、繰り越しが重なり、いつまでも解消されない。
今回の適用中止は、その懸念を一層強めた。
物価上昇時の大幅な抑制には、高齢者の強い抵抗も予想される。

法案では、高所得者の年金減額などの課題も先送りされる見通しだ。
早期の給付抑制が財政基盤を強化し、子や孫世代の安心につながる。
丁寧に説明すれば、高齢者も納得するはずだ。

「痛み」を伴う改革から逃げていては、社会保障制度の維持も財政再建も危うくなる。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

敗戦後の荒廃した日本は、敗戦直後からの一部の裕福な家庭を除き、誰しも貧乏な時代を体験してきた世代である。
私より10歳以上の先代の諸兄諸姉の多くは、それぞれに奮戦し、
少なくとも世界の中でも、有数な経済大国の礎(いしずえ)を努力と英知で築かれた人々であり、
そして後続する私たちの世代は、諸先輩を見習い、そして少し齢下の団塊の世代も奮闘してきた。

こうした結果として、確かに日本は、世界の主要国の中に於いても、
社会インフラ基本基盤として、電気、ガス、電話、上水道、下水道も殆ど整備され、
学校、病院、公営住宅もあり、鉄道・バス路線、そして道路、高速道路もあり、港湾、橋梁なども、
整備されている稀な国家でもある。

そして年金、医療、介護などの社会保障制度も、多少の難題がありながらも存続している。
                       

私たちが過ごしてきた昭和の時代は、日本の多くの人たちは一生懸命に働けば、年収も毎年増え、
そして家族で明日に希望が持て、実感できた総中流社会であった。

こうした中でバブルが終息し、そして平成元年(1989年)11月10日からベルリン市民に寄る『ベルリンの壁崩壊』した後、
やがてソ連が崩壊し、世界の諸国の政治はもとより、外交・軍事・経済、やがて社会が一変し、
世界の経済が自由主義経済の一色となり、やがて日本は失われた15年で、
主要各国や躍進してきた中国などに国際競争力に敗退し、かっての高度成長の総中流社会の再現は、
見果てぬ夢となった。
          
殆どの民間会社は、社員が一家を養(やしな)うだけの給与を支払う余裕もなく、低下してきた。
そして私は確か5年前の頃、働いて下さる現役世代の男性の民間会社に勤めている正社員の人たちが、
平成9年( 1997年〉の時点から、年収が横ばいと知り、無力な私は悲嘆した・・。
         
更に昨今、国税庁による「民間給与実態統計調査」に寄れば、
1人あたりの年間平均給与は、継続的に下がり続け、
平成16年には438.8万円だったのが、平成26年には415.0万円と知ったりした。

ここ10数年は、民間会社は短期に成果が問われる時代の中、常時リストラともいわれたりして過酷な時代になり、
多くの会社は正社員は6割、契約社員、アルバイトなどは4割、と知り、深く憂いたりしてきた。
            

私は何かと働いて下さる現役の諸兄諸姉に注視するのは、
もとより日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実からでもある。

こうした中で、少子高齢化が増す社会となり、年金、医療、介護などの社会保障費は膨張し、
やむなく年金の削減、医療、介護の見直し改定が実施されてきた。

そして過酷な現実として、年金、医療、介護なとで、毎年一兆円が増加している。

こうした状況が放置すれば、現役世代の諸兄諸姉からすれば、高齢者は過重負担する人たち、
と思いながら険悪し、粗末にする風潮も予測できるので、
私は働いて下さる諸兄諸姉に、ときおり感謝を重ねたりしてきた。
            

私たち夫婦は子供に恵まれず息子、娘もいなく、まして孫もいないが、
世代間の対立を解消する一歩は、やはり高齢者と働いて下さる現役の諸兄諸姉と
《痛み》を共有せざるを得ない時代の到来と思い深めたりしている。

こうした根底には、つたない人生航路を歩んできた私でも、
定年後の年金生活の中で、自由な時間を過ごしてきたことが多々あり、
自分が不利なことに目をつぶったり、無視することは、人として義務が欠落している思ったしている。

このように私は生活に余裕ない身でありながら、世代間の痛みの共有、
空元気のように私は言ったりしてきた。

そして無力ながら私は、経済の復興こそが肝要であり、景気回復を待ち望み、
やがて多くの人々が実感できる社会を夢想している。

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高齢夫婦無職世帯の家計収支、我が家もほぼ同じだ、と私は微苦笑を重ねて・・。

2016-02-28 15:50:13 | ささやかな古稀からの思い
私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

過ぎし一昨年の9月に、私は古稀と称される70歳となり、
家内は一昨年の12月に、65歳となり、この少し前に市から『介護保険証』が郵送された。

そして家内はこの時に、『介護保険証』を見ながら、
『私・・実感はないけれど・・高齢者になってしまったわ・・』
と微苦笑しながら私に言ったりした。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

世の中は夫65歳以上、妻は60歳以上の夫婦のみの無職世帯は、
高齢夫婦無職世帯と称しているが、我が家も同じだよなぁ、と私は漠然としながらも心の片隅にあるが、
私たち夫婦は息子、娘がいなく、もとより孫もいないので、実感が乏しいが本音である。
                      

我が家の生計は原則として、私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で、
日常生活を過ごすことを原則としている。

そして耐久品の購入、冠婚葬祭、そして私たち夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して、ここ11年ばかり過ごしてきた・・。

こうした中で私たち夫婦は、月初めには家計簿をお互いに確認しながら実施している。


たまたま、本日の午前中のひととき、いつものように私は家内から依頼された品をスーパーに行き、
買い求めて帰宅した後、散策を中止して、2月度の家計簿を私たち夫婦は締めたりした。

もとより我が家は年金生活なので、収支の項目も少なく、
月末の公共料金の支払いも解っていたので、早期月次決算ねぇ、と私は思いながら実施したりした。

我が家は、日常で買い物したレシートなどを、
家内が一週間に一度ぐらいノートに簡単に集計している程度である。
                                  
そして家内が支出のそれぞれの区分項目を読み上げて、
私はパソコンの表計算ソフトのエクセルを活用して、入力したりした。
            

たとえば厚生年金、企業年金などの収入の項目、そして郵便局の個人年金を入力した上、
やがて銀行、郵便局、信託銀行などの残高を入力した上で、
5表ばかり我が家の独自の資産と収支別明細表を作成したりした・・。

もとより社会の少子高齢化の中で、公的年金は増えることなく減少してきたので、
私たち夫婦はお互い趣味の費用を捻出する為に、収支の実態をお互いに確認し、
ささやかに生活を過ごしたく、家計簿の月次決算をしている。

そして2月度連動させた計算で、本年の1月度から2月度まで収支、差額を見たりし、
私たち夫婦は微苦笑した。

もとより社会の少子高齢化の中で、公的年金は増えることなく減少してきたので、
世の中の我が家と同じ高齢夫婦無職世帯の方たちと同じかしら、と思ったりした。
                      

やがて私は過ぎし2月16日に総務省から公表された『家計調査報告(家計収支編)』に於いて、
高齢夫婦無職世帯の平成27年(2015年)平均速報結果の概要を思い馳せて、
ネットで検索して、こっそりと読んだりした・・。

そして表は項目別に明示されていたが、支出の項目だけは%表示だったので、私は算出し整理した結果、
下記の通りとなった。

実収入として、社会保障給付は194、874円(91・3%)、その他は18、505円(8・7%)、合計は213、379円(100・0%)。

支出としては、食料は62、429円(25・6%)、住居は17、558円(7・2%)、光熱・水道は20、485円(8・4%)、
家具・家事用品は8、635円(3・5%)、被服及び履物は7、072円(2・9%)、保険医療は24、386円(6・3%)、
交通・通信は27、312円(11・2%)、教育は0円(0・0%)、教養娯楽は26、093円(10・7%)、
交際費は30、483円(12・5%)、その他は19、511円(11・8%)、消費支出・計は243 864円(100・0%) 
   
そして社会保険料と税金なとの非消費支出として、31、842円が加算されて、
支出・総計は275、706円となっていた。

結果として、収支の差額は、不足分62、327円。

このように総務省からの表を加工したが、不足分に関しては、金融資産の取り崩しなどで、まかなっているとみられる、
と付記されていたので、私は微苦笑を重ねたりした・・。
            

収入に関しては、あくまで平均なので、もとより公的年金の社会保障給付が多い方もいれば、
不幸にして公的年金も少ない方もいるし、我が家はほぼ平均額で、微苦笑したりした。

支出に関しては、『交通・通信』は自動車の維持費と推測するが、
我が家は自動車もなく、ひたすら歩くことが多く、携帯電話も家内専用でたった一台しかなく、
平均額よりも少ないが実情である。

『教養娯楽』は私は単行本、新書本、文庫本、月刊雑誌を買い求めているし、
家内との国内旅行をときたま行ったりしているので、平均より4倍は要している。

『被服及び履物』は、家内の指示で程々良き品をデパートで買い求め、
いつまでも長らく着て、やがて普段着、最後は庭の手入れの制服としているので、
平均額よりも高くなっている。

或いは社会保険料と税金は、平均より高いわ、と家内は言ったりしている。

そして『交際費』に関しては、独り住まいの家内の母が容体が悪化して、
少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査などをしてきた。
こうした中で、長女の家内は母に付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなり、
必然的に多くなっている。

この他の支出項目は、ほぼ平均額となり、結果的には不足分は毎月平均として10万円となり、
程ほどの貯金から取り崩しているが我が家の実態となっている。
                      

しかしながら、家内は家内の母の介護で行く日が多くなっているので、
私たち夫婦は幾たびか6泊7日前後の旅路を重ねてきたが、こうしたことがままならず、
この人生は予測がつかないことも多くあるよなぁ、と私は苦笑したりしている。


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樹木希林さんの「死ぬときぐらい好きにさせてよ」の話題の広告、深淵を学び、同意を深めて・・。

2016-02-27 15:44:28 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の71歳の身であるが、
昼下がりのひととき、ネットでニュースを見ようとパソコンを立ち上げたりした。
           
私はトップページとしては【YAHOO! JAPAN】に設定しているが、
トピックス・ニュースとして、10ばかり見出しが紹介されているが、
この中のひとつに、【 樹木希林起用 死を考える広告 】と明記されていた。

私は過ぎし日に偶然にテレビを視聴して、樹木希林さんの「死ぬときぐらい好きにさせてよ」の広告を知り、
衝撃を受けて、やがて現代誰しも思索していることであり、
まして樹木希林さんは、2013年に癌ができやすい体質を指す「全身がん」であることを告白された人である。

そして2025年には団塊の世代が75歳以上に、
2038年には推計約170万人もの人が亡くなる“多死社会”のピークが来るといわれる時代である。

私は昨年の2015年9月、『平穏死』を初めて学び、深く同意したひとりである。
            

『平穏死』に関しては、『女性セブン』の2014年10月23・30日号に掲載された記事のひとつで、
ネットに2014年10月13日に公開され、私は学んだりした。

《・・(略)・・「病院で死ぬ人が在宅死を上回ったのが1976年。
40年前までは家で死ぬ人のほうが多かった。
終末期を病院のベッドで過ごし、過剰な延命治療をすることが、果たして本当に幸せなのか考えてほしいのです」

医師の長尾和宏さんは、穏やかな最期を迎える「平穏死」という考え方を提唱する。

「人が死に向かうときには、体の機能が徐々に落ちて終末期を経てから、やがて死を迎えます。
終末期に食べ物を受け付けなくなるのは自然なこと。
しかし、点滴で無理に栄養を入れ過ぎてむくみ、もがき苦しみながら亡くなるというケースも。

医療の目的は命を延ばすこと。
終末期以降も過剰な延命治療を続ける医療機関も少なくありません。

最期をどこで、どのように迎えるか、選択権は患者本人にあります。
しかし認知症や意識不明で病院搬送された後など、意思表明が困難なことも多いのです。

延命治療をどこまで希望するか、終末期医療の選び方によって、
穏やかな最期を迎えられるということを知ってほしいと考えています」・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
                     
          
私は一昨年の7月下旬、愛読している総合ビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】を読んでいる中、
竹井善昭・著【長生きすることは、本当に良いことなのか? 親の介護で未来を奪われる若者たち】
と題された見出しを見て、精読したりした。

要約すれば、昨今の若い世代の人が親の介護で、若い世代の自身の人生が大幅に狂い、
悲惨な実態を克明に描かれた後、
欧米の高齢者の終末期の治療の実態、そして竹井善昭氏ご自身の高度な病状に遭遇した時の真情、
氏の死生観を発露された内容であり、私は読み終わった後、頬に涙が流れていた・・。
          
こうした中で、特に欧米の高齢者の終末期の治療を教示されて、衝撃を受けた。
《・・日本は高齢者に対して、非常に優しい国である。「過剰に優しい」と言ってもよい。
そう言うと、反論したくなる人も多いことはよく分かる。
老人福祉はまだまだ足りていないと主張したい人もいるだろう。
もちろん、僕も日本の老人福祉が完璧だと言いたいわけではない。論じたいのはその「思想」だ。

日本は、ある意味で過剰に人を生きさせようとする。
そのことが、はたして高齢者にとっても若者にとってもよいことなのか、
それで人は幸福になるのか、ということだ。
            

あまり知られていないようだが、欧米にはいわゆる寝たきり老人はいない。
なぜなら、寝たきりになるような老人は延命処置をしない、つまり「殺してしまう」からだ。
         
たとえば、イギリスでは、自力で食事できなくなった老人は治療しないという。
福祉大国のイメージが強いスウェーデンやデンマークも同様だという。

また、これは聞いた話なので数字が不確かなのだが、
ニュージーランドではある年齢(75歳だったかと記憶している)を超えると、
病気になっても治療しないという。
モルヒネを打つなどの緩和処置はやるが、それ以上はやらないということだ。

実際に、スウェーデンの高齢者医療の現場を視察してきた医師のブログには、
下記のように紹介されている。

日本のように、高齢で口から食べられなくなったからといって胃ろうは作りませんし、点滴もしません。
肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。内服投与のみです。
したがって両手を拘束する必要もありません。

つまり、多くの患者さんは、寝たきりになる前に亡くなっていました。
寝たきり老人がいないのは当然でした。
(読売新聞の医療サイトyomi Dr.「今こそ考えよう高齢者の終末期医療」より)
            

日本の病院で同じことをやれば、確実に「人殺し」扱いされて、
マスメディアでもネットでも大炎上必至である。
しかし、欧米ではこのような考え方がスタンダードなのだ。

この差は一体何かと言うと、人の尊厳に対する考え方の違いだ。
つまり、何が何でも生かしておくことが正義なのか、
人の尊厳を守ることが正義なのか、という考え方の違いである。

人の尊厳をどう考えるかは、安楽死、つまり「死ぬ権利」を巡る議論の根幹となる問題だ。
安楽死は基本的に自らの意志で死を選ぶことだが、認知症など、自分の意志では死を選べない場合もある。
そのような場合は「殺される権利」というものも考える必要があるだろう。

人は自分の尊厳を守るために、死ぬことを選んだり、殺されることを選ぶ権利があるのかもしれない。・・》
          
こうした欧米の高齢者の終末期の治療の実態、欧米と日本の死生観の差異を学んだ後、
果たして・・と深く思案させられたひとりである。

このような思いを根底にあるので、過剰な延命治療を避け、穏やかな最期を迎える「平穏死」には、
私は望みます、と私は心の中で呟(つぶや)いたりしてきた。
            

こうした心情を秘めている私は、今回の【 樹木希林起用 死を考える広告 】と見出しされた記事をクリックすると、
【 「死ぬときぐらい好きにさせてよ」 樹木希林さん起用した話題の広告、伝えたかったメッセージとは? 】と題された
【withnews】から2月27日に配信された記事であり、無断ながら大半を転載させて頂く。

《・・「死ぬときぐらい好きにさせてよ」。
そんな衝撃的なキャッチコピーの横には、仰向けになって水面に浮かんでいる樹木希林さん。

何かといえば、ジョン・エヴァレット・ミレイの名作「オフィーリア」をモチーフにした宝島社の企業広告の話です。
今年1月に新聞掲載され、話題になりました。

宝島社といえば、過去には「おじいちゃんにも、セックスを。」といった広告で世間を驚かせてきました。
例年発表される企業広告や、今年の樹木さんの広告には、どんな思いが込められているのか? 
担当者に聞きました。

☆「オフィーリア」とは
シェークスピアの悲劇「ハムレット」に構想を得た「オフィーリア」。
恋人ハムレットに父を殺されて、気がふれたオフィーリアが、川に落ち沈んでいく場面を描いたとされています。

「死について考えることで、どう生きるかを考えるきっかけになれば」
というメッセージが込められた今回の広告に対し、樹木さんはこうコメントしています。

「宝島社の企業広告はこれまで目にしたことがあり、かなり記憶に残っています。
それはすごいことだと思い、お受けしようと思いました。
『生きるのも日常、死んでいくのも日常』 死は特別なものとして捉えられているが、死というのは悪いことではない。
そういったことを伝えていくのも、ひとつの役目なのかなと思いました」
            

企業広告で伝えたいメッセージとは? 宝島社の担当者に話を聞きました。

――今年の広告について教えて下さい

「日本の平均寿命は年々更新され、今や世界一。
いかに長く生きるかばかり考え、いかに死ぬかという視点が、抜け落ちていると感じ、今回のテーマとしました。
いかに死ぬかは、いかに生きるかと同じこと。
それなら個人の考え方や死生観がもっと尊重されていいのではないか、という視点から問いかけています」

――苦労した点や工夫した点は

「ビジュアル面では、絵画的な世界観を表現するため撮影のしかたを工夫しました。
スタジオに、オフィーリアの絵画と同じ景色を作り、8X10(エイトバイテン)という大判のフィルムカメラを使って撮影しています」

「もともと『人は死ねば宇宙の塵芥(ちりあくた)。せめて美しく輝く“星”になりたい。』だったフレーズも、
樹木さん自身と話し合いを重ね、最終的に『“塵”になりたい』に決まりました」
(ここでいうフレーズとは『死ぬときぐらい好きにさせてよ』というキャッチコピーの下にある文面)

広告への反響は

――構図は原画に忠実なように見えますが、違いは

「ミレイの絵の花には、すべて意味があるといわれています。
今回の広告でも同じものを用意していますが、一部に現代的・日本的エッセンスを加えています。
胸元の赤い花は、日本の象徴的な花・椿(つばき)です。

1月の季節の花でもあり、花言葉の『気取らない美しさ』『慎み深い』。
また、左上の青い鳥は、日本の水辺でもよく見る日本、三鳴鳥のひとつのオオルリになっています」

――今回の広告への反響を教えて下さい

「掲載当日から、1カ月以上たった今も、老若男女、多くの方々から反響が届いています。
特に50~70代からの反響が大きく、『とても共感できた。もっと掘り下げた特集が見たい』
『自分の生き方や終活について、考えるきっかけとなった』と好意的な意見が寄せられています。

SNSでは若い世代の間でインパクトあるビジュアルが話題となり、
テレビや雑誌でも今回の広告をきっかけに、現代人の死生観を問う特集が、いくつも組まれています」(略)・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

樹木希林さんは、過ぎし日2月9日のNHK「クローズアップ現代」に於いて、
「がんで残された時間をどう生きるか」をテーマで、ゲスト出演されて、ご自身の癌についてられた・・。

これに関しては【報知新聞】が記事にされ、要約させて頂く。

「平成24年で(病気が)一応済んだんですけど、またここへ来て治療が必要になりました。来週にはまた治療に入ります」と報告。
再発したがんに、ピンポイントで放射線を当てるもので「非常に楽なもの」だという。

最新の治療は、すぐに治してしくれると話し「がんは自分への気づきだから、あんまりすぐに治らない方がいい」とも。
自身は乳がんなども経験し「自分を見つめられた」
「死に対して謙虚で、ジタバタしてもみっともなくても、子供に受け継がせる(子供に死を見せる)」と涙ながらに持論を展開。

自分を気楽ながん患者と話すも、最後は希望があると語り「自宅でみんなに囲まれて、夫にはどちら様ですか?って言いたい」と話した。

「命がないんだ」と客観的に見てしまうと、仕事では感じることのないほど落ち込んでしまうこともあると告白。
解消法は笑いやうれしいことで気分を上げることで、この番組の出演依頼を即答されたりした。
            

私は記事を要約した後、私は幸いにも癌に遭遇したことはないが、いざこうした病(やまい)に遭遇した時、
樹木希林さんのように身も心も御強く、ふるまえるか、と思案させられたことも事実である。


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高齢者の高額療養費に負担増案、遅ればせながら学び、戸惑いながら溜息を重ねて・・。

2016-02-26 14:50:22 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
午前中のひととき、いつもように家内から依頼された品を求めに、独りでスーパーで買物した後、
本日も帰宅後、独りで自宅から数キロ以内の住宅街、遊歩道をひたすら歩き廻ったりした。

昼食後のひととき、愛読している総合ビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】を見ていた中、
【 下流老人増加に拍車!? 高齢者の高額療養費に負担増案 】と見出しを見て、
どのようなことなょ、とクリックして精読してしまった。

この記事は、【ダイヤモンド・オンライン】の【ライフ】の【健康】に於いて、
【 知らないと損する!医療費の裏ワザと落とし穴 】のひとつ記事であったが、
フリーライターの早川幸子さんが寄稿され、昨年2015年12月17日に配信されていた記事であり、
無断ながら殆ど転載させて頂く。
            

《・・高齢になると、高血圧症などによる持病を抱えていたり、筋力の衰えによってケガをしやすくなったりする。

内科で糖尿病の投薬を受けながら、整形外科で膝や腰の治療をするなど、
日常的に複数の病院や診療所を受診するだけではなく、症状が悪化して入院する機会も多くなる。
その一方で、おもな収入は公的年金だけという高齢世帯もあり、現役世代に比べると相対的に所得は低い。

そのため、これまでは健康保険の自己負担分も70歳を境に、軽減されるように設計されてきた。


☆高額療養費の自己負担限度額は、70歳になると引き下げられている

現在、70歳未満の人の医療費の自己負担割合は一律に3割だが、
70歳以上になると年齢や所得に応じて1~3割の3段階になる。

以前は、70歳以上の人の自己負担割合は原則的に1割だったが、
2014年4月に制度改正が行われ、70~74歳の人が2割、
75歳になって後期高齢者医療制度に移行すると1割に引き下げられることになった。
ただし、70歳以上でも現役並みの所得のある人は、3割となっている。

医療費の自己負担分が家計の大きな負担にならないように配慮した高額療養費も、
70歳以上になると限度額が次のように引き下げられる。
            

70歳以上の人の高額療養費は、現役世代と異なり、通院と入院に分けられているのが特徴だ。

たとえば、70歳以上で一般的な所得の人の1ヵ月の限度額は、
通院しかしなかった場合は1人あたり1万2000円。
入院のみ、または通院と入院の両方をした場合は4万4400円。
70歳以上の人が複数いる世帯は、世帯合計の限度額が4万4400円になる。

また、夫婦ともに70歳で2人とも国民健康保険に加入している場合は、
夫婦で自己負担したお金を計算して、その合計が4万4400円を超えると払い戻しを受けられる。

つまり、夫婦で1ヵ月の医療費が100万円ずつ、合計200万円かかったとしても、
自己負担するのは2人合わせて4万4400円でよいということだ。

ただし、高額療養費は加入している健康保険単位で計算する。
夫婦ともに70歳以上でも、夫は75歳以上で後期高齢者医療制度、
妻は70歳で国民健康保険に加入しているようなケースでは世帯の合算はできない。

制度の切り替え時期には世帯での負担が少々増えることもあるが、
これまで70歳以上の人の医療費の自己負担は、高齢者特有の受診行動と所得を考慮して、
家計に過度な負担とならないように低く抑えられてきた。


だが、現在、行われている2016年度の診療報酬改定の議論の中で、
70歳以上の人の高額療養費を見直して、患者負担を増やす案が急浮上してきたのだ。
            

☆高齢者の自己負担金は、現在すでに若い人の2倍!

公的な健康保険によって運営されている日本の医療費は、
国がコントロールすることで、全国一律の公定価格となっている。
その医療費の価格は「診療報酬」と呼ばれており、原則的に2年に1回改定される。

来年は、その改定の年にあたっており、現在、財務省や厚生労働省で
物価や賃金水準、医薬品の市場価格などを考慮しながら改定率についての話し合いが行われている。

厳しい経営環境におかれている医療者側からは、診察料や検査料の値上げが要求されており、
その財源にあてるために、現役世代より低く抑えられている高齢者の高額療養費を見直して、
患者負担を増やす案が提示されたというわけだ。

日本の医療を守っている医療機関を破綻させないためには、病院や診療所に対して、適切な予算をつけるのは必要なことだ。
だが、その財源を、高齢者の高額療養費の見直しに求めるのは、安易な解決策ではないだろうか。

というのも、高齢者はすでに高い自己負担金を支払っており、
これ以上の負担を求めることは貧困を増大させる可能性があるからだ。

70歳未満で一般的な所得の人の高額療養費の上限額は、
【8万100円+(医療費-26万7000円)×1%】。
1ヵ月の医療費が100万円の場合、最終的な自己負担額は9万円程度だ。

一方、70歳以上で入院もした場合の高額療養費の限度額は4万4400円。
医療費がいくらかかっても、4万4400円以上支払う必要はない。
            

たしかに、この数字だけ見れば、高齢者の負担は現役世代に比べて、低いといえる。
だが、実際に家計から支払っている自己負担額は、現役世代に比べると高齢者のほうがはるかに高い。

2012年度の1人当たりの自己負担額の実績(年額)を比較してみると、
40~44歳の人が3・1万円なのに対して、75~79歳の人は6・4万円。

自己負担割合や高額療養費の限度額が低く抑えられているにもかかわらず、
高齢者が実際に自己負担している金額は、現役世代の2倍になっている
(厚生労働省「医療保険に関する基礎資料~平成24年度の医療費等の状況~」)。

これは、前述したように高齢者の受診の特徴からくるもので、
75歳以上の人の受診率は、若い世代と比べると、入院が6・4倍、通院が2・4倍多くなっている。
高齢になると、どうしても病院や診療所に行く回数も、医療費の総額も増える。

そうした高齢者の高額療養費の限度額を引き上げれば、実質的な自己負担額が、さらに重くなるのは想像に難くない。
            

☆高額療養費の引き上げは、“下流老人”を増加させる

今のところ、高額療養費の引き上げ対象になる高齢者は、高所得層に限定される見通しだが、その線引きは、かなり微妙だ。
現在、現役並み所得とされている高齢者は、年金などの収入が約370万円で線引きされており、
決して「高所得」と呼べるような富裕層ではない人も混じっているからだ。

高齢者の高額療養費の引き上げが、現実のものとなったら、
年金収入でなんとか暮らせていた人も、医療費の負担によって、貧困へと陥る可能性も否定できない。
それは、今流行の「下流老人」を増加させることになりはしまいか。

数年来続いた雇用環境の疲弊によって格差は拡大し、若年層にも貧困が広がっているなか、
収入が高く、高額な資産をもつ高齢者に対して、
自分たちが使う医療費の負担を担ってもらおうという考え自体は、悪いことではないと思う。

だが、それを病気やケガをしたときの自己負担に求めるのは、社会保険の原則に反している。
            

病気やケガは、貧富の差に関係なく、誰にでも訪れるものだ。
病気の種類は所得によって選べるわけではなく、低所得でも医療費が高額になる病気になることもある。
それなのに、医療費の自己負担分を引き上げると、低所得層には重い負担になる。

その結果、本当に具合が悪いのに、お金がないといった理由で、
病院や診療所に行くのを諦める受診抑制を引き起こすことにもなりかねない。

「能力に応じて負担し、必要に応じて使う」という社会保険の原則に立ち返るのであれば、
医療費を賄う財源は、収入や資産に応じて、徴収する保険料を基本とするべきだろう。

とくに、75歳以上の人が加入する後期高齢者医療制度の保険料は、特例措置によって優遇されており、
会社員の夫に扶養されていた妻のなかには、年金収入が高いのに、ほとんど保険料を支払っていない人もいる。

後期高齢者医療制度の保険料への特例措置は、2017年度から徐々に見直しが行われる予定ではある。
だが、逼迫した医療費の財源を根本から見直すなら、毎月の年金収入だけではなく、
預貯金などの金融資産などからも負担能力をはかるような制度への見直しが求められる。

目先の財源を捻出するために、高齢者の高額療養費を引き上げると、
反対に貧困を拡大させ、生活保護に陥る人を増やす可能性もある。
医療を充実させるための財源は必要だが、それをどこに求めるかは慎重に判断する必要がある。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は71歳の身であるが、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたが、
この間、幾たびかリストラがあったりしたが、何とかくぐり抜けたが、最後の5年半はリストラ烈風となる中、
出向となったりした。

こうした状況で、年金支給額は厚労省が2016年度として公表したモデルケース、
夫婦2人分の老齢基礎年金を含む標準的な年金月額は22万1504円に対し、25万円程度となり、
医療収入区分は『一般』で、健康保険負担率は『2割』となっている。

もとより大企業で38年精進され、厚生年金は高額で、更に企業年金にも驚くような金額を支給されている方もいるが、
つたない人生航路を歩んだ私は、苦笑ばかりしてきた。
            

過ぎし年の2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始めた直後、
私たち夫婦は齢を重ねるとボケたことを配慮して、銀行、郵便局、生命保険等を出来うる限り集約したりした。

こうした中、健康保険に関して定年退職後も、勤めていた企業の所属する健康機関に継続していたが、
支払い請求額の通知を受けて、少し高いなぁ、とため息をついたりした。

現役の企業の諸兄諸姉が所属していた健康機関なので、何かしら病気とか万一の病死などは、手厚く保障され、
私の現役サラリーマン時代は給与から自動的に毎月差し引かれていたので、
余り気にせずに、高いとも低いとも感じていなかった。

やがて私は定年後に年金生活に入ったが、昭和19年9月生まれであるので、
年金満額支給は62歳になってからであり、それまでの2年間は年金支給額は、ほぼ半額程度であった。

このような収入時期の時代で、やはり企業の所属する健康機関は手厚く保障されていたが、
支払う毎月の保険料も高かった、と遅ればせながら気付いたりした。

やむなく私は、健康保険を企業の所属していた健康機関から国民健康保険に切り替え後、
最初の『国民健康保険料』の夫婦合算の請求支払額が、余りにも激少したので微苦笑したりした。

もとより国民健康保険料は、前年度の収入に基づいて、
家族構成、お住まい地域の自治体により差は発生するが、算出されている。

この後、保険関係をすべて見直して、
現役サラリーマン時代より生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険は、ほぼ半減に修正し、
火災保険、家財保険だけは従来通りとしたりした。
                                    
やがて私は高齢者入門の65歳になり、介護保険証を受けたりした。
            

その後、2011年(平成23年)10月初旬に、
家内は家内の父の命日に際して、家内の母と家内の妹の三人で、
墓参を兼ねて1泊2日の短き慰安旅行に行った時に、何かの話題の後に、年金生活の保険金の話題になったらしい。

この時に、程ほどの貯金があれば、『国民健康保険』、『介護保険』もあり、
高額治療になった場合は、程ほどの自己負担で済むから、
『医療保険』などはなくても大丈夫よ、と家内は教えらた、と家内の帰宅後に私は聞いたりした。

この後、何かと愚図の私は、現行の長期にわたって自己負担する高額な医療費について調べたりした。

そして私は厚生労働省の公式サイトのひとつ『高額療養費制度を利用される皆さまへ』を視(み)たりした結果、
公的の『国民健康保険』と『介護保険』さえ加入していれば、
我が家としては、『死亡保険』、『医療保険』、『傷害保険』は、年間として少なくとも約30万円を支払ってきたが、
我が家としては不要かしら、と私たち夫婦は結論した。
                 
そして、私は解約の手続きを開始したのは、私たち夫婦は年金生活を7年過ぎた頃であった。  

こうした中、家内は年30万円で7年だから、210万円・・無駄だったかしら、と苦笑したりした。

『でもねぇ・・先の見えない漠然とした年金生活を始めて・・無事に病気することなく、
旅行に行けたし・・こうして8年を迎えられたのであるから・・良かったじゃないの・・』
と私は微苦笑しながら、家内に言ったりした。

そして我が家は、私は国民健康保険、介護保険さえあれば、
万一、大病やケガで多額の医療費が要した時は、「高額療養費制度」を活用させて頂く、と思いながら、
生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険を解約したりした・・。
                                

こうした中で 「高額療養費制度」は、何かしら手術や治療で、
月に100万円かかることになったとしても「高額療養費制度」を活用すれば、
実際の負担額は月9万円を超えることはない、と学んだりした。

たとえば100万円の医療費のうち、70歳未満なら、
まず3割が自己負担なので、窓口で支払うのは30万円。

さらに「高額療養費制度」を利用すると、1か月の医療費が約9万円を超えた分については、
加入する健康保険に申請すると、払い戻してもらえ、約21万円が後から戻ってくる、と知ったりした。
                    
このように「高額療養費制度」を学び、何よりも私のような高齢者に頼りになる制度、
と私は信愛を深めたりしてきた・・。
                       

このように私は「高額療養費制度」に伴う高齢者の高額療養費の負担を信愛してきたが、
今回、この記事を遅ればせながら学び、社会保障の医療でも財源が難題し、やはり高齢者は負担増案が検討されていると知り、
戸惑いながら溜息を重ねたりした・・。

やがて高齢者は自身で身を守れ、と仏様か神様か解らないが、言われたように感じて、
もとより私は大病に遭遇したくないので、せめて日々歩くことが肝要だ、と苦笑したりしている。

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私の心の第二のふるさとの都立の神代植物公園、河津桜にめぐり逢い、情愛をこめて撮れば・・。

2016-02-25 18:57:23 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
午前中のひととき、都立の神代植物公園に行き、早咲きの桜が咲いているかしら、とぼんやりと思ったりした。

この神代植物公園は、過ぎし日1月28日には蠟梅(ロウバイ)、早咲きの白梅、紅梅、そして椿(ツバキ)などを鑑賞し、
2月9日には盛りの白梅、紅梅、そして椿(ツバキ)などを見たりしてきた。

そして一週間前には、近く野川の遊歩道の道端で、早咲きの大島桜か河津桜の親戚ような桜花にめぐり逢い、
今年初めて桜花だ、と微笑んだりしてきた。
            
     
私の住む自宅の近くには野川が流れて、川沿いには遊歩道があり、
上流に向かい45分ばかり歩くと『深大寺』があり、そして隣接した所に都立の『神代植物公園』がある。

私は野川の川沿いの遊歩道を歩くのが圧倒的に多いが、
時として安楽なコースを歩き、途中からパスを利用することもある。

今回も私は11時過ぎに我が家を出て、京王線の最寄駅のひとつの『つつじが丘』駅に15分ばかり歩いた後、
駅前より神代植物公園、深大寺方面の路線バスに乗車し、
やがて11時半過ぎに神代植物公園の正門前で下車したりした。

私は幼年期に農家の児として育った為か、この園内にある雑木林は、
身に心も安らぐ所となっている。
            
       
この公園は私が通った地元の神代中学校の付近にあり、
入学した1958年〈昭和33年〉の当時は、神代緑地として存在し、この周辺は雑木林、畑などであった。

やがて1960年(昭和35年)の春に中学校を卒業した後、
確か翌年の1961年(昭和36年)の秋に、拡大と整備され上、
神代植物園と改称して、都内唯一の植物公園として開園された・・。

この間の私の中学時代は、生家より自転車で通学し、ときおり開園前の雑木林の中とか周辺を下校の時などに、
学友と自転車で走りまわったりしていた。
その後、人生の節目などを含めて、四季折々通ったりしてきた。
               
そして私が心に迷ったりした時などは、樹木を眺めたり、それぞれの花に心を寄せて、
心の濾過をして浄化されたりしてきた。
                                
                   
私がこれまで生きてきたつ拙(つたな)い人生には、
時として心の証(あかし)が梅(ウメ)、椿(ツバキ)、櫻(サクラ)、花水木(ハナミズキ)、躑躅(ツツジ)、紫陽花(アジサイ)、
かえで、花菖蒲(ハナショウブ)、蓮(ハス)、木槿(ムクゲ)などに心を寄せてきたので、
それぞれのコーナー園が私のひとときの迷いも知っていると思ったりしている。
                                                 

過ぎ去り年、東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の初秋、
私は大学2年であったが、この公園の雑木林を歩いたりしながら、小学高学年より映画少年であった私は、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退することを決意したりした。

そしてケヤキ、コナラ、クヌギ、エゴノキ、コブシ、アカマツ等の中、下草としてアズマネ笹が、
彩(いろど)る中を彷徨(さまよ)うこともあったりした。
            

やがて私は結婚して2年が過ぎた33歳の頃、私の生家に近くに家を建てた後、
家内を家の周辺を案内したり、ときには神代植物公園にも訪れたりしていた。
        
そして私が40代の頃は、サラリーマンの多忙の休日の時、
四季折々に家内を誘い、私は純米酒の辛口を弐合ばかり持参して、
それぞれ花咲く時期、梅、或いは椿などを観ながら、ベンチに座りながら家内と語り合いながら、
呑んだりしたことが多かったりした。
              
やがて私が50歳代になると、会社の業務が益々多忙となり、
家内の方はテニスに熱中していたので、
国内旅行だけは何とか休暇のスケジュール合わせる程度となり、
私が日曜日に休めた時は、独りで通ったりしていた。
        
そして私は定年退職後の多々の理由で、年金生活を始めた時に於いても、独りで四季折々に訪ねてたり、
或いは家内と共に来たりしている。
                      
         
私は結婚前後の5年を除き、今住んでいる地域は65年過きているが、
心のふるさとの原景は家の周辺に、かすかに亡き祖父、父の知人だった旧家の周囲に残っているだけとなっている。

私は農家の児として生を受けたのは、1944年(昭和19年)の秋であり、
私が地元の小学校に入学した1951年〈昭和26年〉の春の当時は、
祖父、父を中心に小作人だった人の手を借りながら、程ほど広い田畑を耕していた。

そして一角には湧水があり、生家の田んぼが拡がる間に小川が流れたり、
蓮(ハス)の専用もあったりした。
或いは母屋の宅地の外れには土蔵、納屋小屋にあったりし、周辺には竹林、雑木林に囲まれた農家であった。

こうした中、この当時の周辺の情景は、京王腺の駅付近には商店街があるだけで、
周辺は田畑、竹林、雑木林など拡がり、緑豊かな村里の情景であった。
        
やがて私が小学生2年に父が病死し、この翌年に祖父も死去し、
生家は衰退したが、小学校を卒業する頃に、東京のベットタウンに変貌しはじめ、住宅街となった。

そして、この間に曲がりくねっていた野川も本格的に大きな川として護岸工事の上、
整備されたり、遊歩道や小公園も新たに設けられたりした。

こうした中で、私が農家の児として育った原景は、殆ど消え去ってしまった・・。
          
こうした思いのある私は、愛惜を重ねるように、都立『神代植物公園』の園内を歩き廻ったり、
雑木林、かえで園の数多くのモミジ林などに身に心も安らぐひとつとなっている。
       
                    
或いは近くにある『水生植物園』に行ったり、田んぼの情景、湧水を眺めたりして、
私が育った小学の低学年の頃までの情景を思い重ねて、見たりしている。

このような心情を秘めた私は、都立の神代植物公園こそが私の心の第二の故郷(ふるさと)として、
少なくとも四季折々に訪ねて、園内を歩き廻ったりしている。
       

今回、早咲きの桜が咲いているかしら、と思いながら訪ねたが、
園内案内表を見てたら、寒緋桜(カンヒザクラ)が見頃です、と記載されていた。

私は人出の多い中、桜を鑑賞するのは苦手で、この神代植物公園でも3月下旬に多彩な桜を一度だけ鑑賞してきたが、
私は我が家の周辺にある桜並木を歩き、桜見をしてきたが多かったので、
今の時節、園内で早咲きの桜に関しては、無知であった。

やがて私は園内案内表に導かれて、生れて初めて寒緋桜(カンヒザクラ)を鑑賞した・・。
  

しばらく見惚れた後、少し歩くと樹高5メートルぐらいで淡き桃色が視えて、私は近づくと、『河津桜』と名札が幹に付けられていて、
これが早咲きの桜として名高い河津桜か、と遅ればせながら初めて見て、
清楚で好感するよ、と心の中で呟き、記憶の形見として撮ったりした。
  

そして10分ばかり観たりした後、再び歩き出した。
やがてクリスマス・ローズが群生していたので、数多く咲いていたので、
寒さの中、健気に咲いてくれたことに感謝し、敬意して撮ったりした。
  

この後、白梅、紅梅の残り花、そして椿の花を褒めて帰えろうかなぁ、と思いながら小路を歩いていた時、
園内の奥まった片隅に樹高2メートルたらずで、淡き桃色が視えて、何の花木かしら、と感じ、私は近寄っていた・・。
ひっそりと咲いていた小花に瞬時に魅了されて、私は一期一会だ、と心の中で呟き、撮ったりした。
  

まもなく私は更に近づくと、樹の幹に、小さな紙に『河津桜』と名札が付いていた。
私は多くの方が見過ごしてしまうような奥まった片隅に、ひっそりと咲いていた『河津桜』に、
つたない人生航路を歩んできた私は、情愛を感じて深く魅了されたりした。

こうして予想外に、早咲きの桜花にめぐり逢いができ、このような幸福感はめったにないよねぇ、
とやがて椿園に向かったりした。

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マイナス金利の家計防衛策 「やって良い事、いけない事」を学び、私は微苦笑を重ね、指南され・・。

2016-02-24 14:54:58 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
過ぎし1月下旬の日銀政策決定会合で、日本初となる「マイナス金利」の導入が決定されて以来、
大手メディアの新聞、雑誌、テレビに於いても、マイナス金利に関して、
日本に於いては、誰も経験したことのない世界であるので、私たち国民に影響度合いを連日報じられてきた。

私は年金生活しているので、余り極端に生活費に影響しないで、と念願しなから過ごしてきた。

先程、ネットのニュースを見ている中で、
【 マイナス金利の家計防衛策 「やって良い事、いけない事」 】と題された記事を
どのようなことなの、と思いながら読んだりした。

やがて執筆された方は、ファイナンシャルプランナーの小谷晴美(こたに・はるみ)さんであり、
私は年金生活11年の中、幾たびも小谷晴美さんの家計、保険、金融商品の寄稿文を読み、
堅実なプランを提示されていたので、好感しながら多々教示を受けてきた。

そして今回のマイナス金利に関しても、解りやすく学生から高齢者まで理解できる寄稿文であり、
読了後は、齢ばかり重ねた私でも、微苦笑を重ねて、指南されたりした・・。

このつ寄稿文は、【マネーの達人】2月18日に配信され、無断であるが転載させて頂く。
            

《・・マイナス金利が導入されて「タンス預金がいいのでしょうか?」とのお問い合わせや
「資産が目減りしないように、運用をしなければ」と焦っておられる方もいらっしゃいます。

今まで経験したことのないマイナス金利。動揺されるのも無理はありませんね。

よくある質問に回答しながら、マイナス金利の家計への影響と対策について紹介します。

1.預金金利がマイナスになるの?

今回導入されたマイナス金利は、日銀と民間の銀行との間の話です。
私たちの預金の金利が、マイナスになるということではありません。

マイナス金利は、銀行がもっと気前良く(低金利で)お金を貸すようになって、景気が良くなることを狙った政策ですね。
大企業の普通預金について手数料の徴収を検討している金融機関もあるようですが、
個人の預金に手数料を課すようなことは、ないと思います。

但し、振込手数料やATM利用料などの手数料が上がる可能性は十分に考えられます。
個人としてはこのような手数料に敏感になり、金融機関を上手に利用することがより大切になってきます。
            

2.住宅は買い時ですか?

既に低水準にある住宅ローン金利が、マイナス金利の影響でさらに下がる傾向にあります。
10年固定型住宅ローン金利が、年0・7%という金融機関も出てきました。

また国債金利がマイナスとなったことにより、今後さらに長期の住宅ローン金利の低下が予想されます。
そういう意味では「買い時」と言えます。

丁度、購入を検討していた方にとっては、ラッキーな金利低下と言えますが、
ローン金利が下がったからと無理に買う必要はありません。
住宅取得計画は長期の生活設計や資金計画に基づいて行いましょう。

3年半ほど前にマイナス金利が導入されたデンマークでは、住宅ローンにマイナス金利が適用され、
借りるとお金がもらえる住宅ローンと話題になりました。

その結果、住宅購入が加熱し、住宅需要が供給を上回り、物件価格が15%も値上がりした地域もあるようです。
ローン金利の低下分以上に、高い買い物をしては元も子もありませんね。
            

3.住宅ローンの借り換えをした方がいいですか?

住宅ローン返済中の方にとっては借り換えのチャンスです。
特に、将来教育費負担が大きくなるような子育て世帯には、10年以上の長期固定のローンへの借換えをお勧めします。

長期金利の指標となる10年国債が史上初のマイナスとなったのを受け、
固定型の住宅ローン金利がさらに低下すると考えられます。
金利の動向を見ながら、借換えの準備をされると良いでしょう。

ただし、低い金利に借換えれば、必ずメリットがあるわけではありません。
借換えによって返済額が減りメリットがある方と、返済額が減っても借換えのメリットがない方がいます。

住宅ローンを借換える際には、ローン事務手数料、保証料、登記手数料などの諸費用が必要になりますので、
これらの諸費用を含めてメリットがあるか、考える必要があります。

一般に次の3つを満たす方は、借換えメリットがあると言われます。
a) 残りの債務が1000万円以上
b) 残りの返済期間が10年以上
c) 借換え先の金利と今の金利の差が1%以上

上記はあくまでも目安です。
条件以下でも借換えメリットがある場合がありますので、借換え諸費用の見積もりをとった上で、
シミュレーションをしてみてください。

c)の金利差については、0・5%程度でも借換えメリットがある場合があります。

尚、民間のローンからフラット35に借換える場合は、団体信用生命保険料が発生しますので、その点ご留意ください。
また、借入れ時に一括で保証料を支払っている場合には、借換えにより保証料が、返還される場合があります。

住宅ローンの契約書に「繰上返済・一括返済の場合の保証料の返戻についての契約条項」があるかご確認ください。
借換え諸費用=(前の金融機関に払う手数料+新たなローンに係る費用)-保証料の返還
            

4.預金は目減りする? 資産運用をすべき?

冒頭で申し上げた通り、私たちの預金金利がマイナスになったわけではありません。
日銀のマイナス金利の発表を受け、普通預金金利を0・02%から0・001%に引き下げた銀行もあります。
つまり利息が20分の1しかつかなくなったわけです。

しかし、ここは落ち着いて考えて見ましょう。
100万円を1年間預けて今まで200円もらえていたものが、10円になったということです。
その差は190円。1000万円を預けている方でも。年間1900円もらえなくなったという計算です。

その程度であれば、生活に大きな影響があるわけではありませんね。

預金利息が1%を切ってから20年ほどが経過します。
「預金では殖やせない」のは、今に始まったことではありません。

マイナス金利の報道を受けて、慌てて株や投資信託などのリスク商品に財産を投じるのは、
泳いだことがない方が、海に飛び込むようなものです。

とはいえ、そもそも資産の大部分が預金というのもリスク分散ができていないことになります。

今回のマイナス金利は、我々のお金との付き合い方、
生活設計と資金計画、資産配分について見直す良い機会かもしれません。

資産運用について「余裕資金ができてから」と思っているとなかなか投資はできません。
投資経験がないままに、退職金でいきなり運用を始めるというのは、最も避けたい状況です。

そのためには若いうちから毎月の収入から
「貯めるお金」
「殖やすお金」
「使うお金」
と分けて、コツコツ投資をはじめてみてはいかがでしょう。

金融経済教育を後回しにしたまま、投資へと誘導する国のやり方は納得いきませんが、
NISAや確定拠出年金など税制上の優遇措置もありますので、国の制度に賢く乗って資産形成を行いたいものです。

顔をつけて、バタ足をして、次にビート板を持ってと、
上手く泳げるようお金のトレーニングを始める良い機会かもしれませんね。
            

まとめ:やっていい事、いけない事

●やって良い事
(1)住宅ローンの借換え
(2)金融機関の手数料確認
(3)投資トレーニング

●やってはいけない事
(1)慌てて住宅を買う
(2)長期固定金利型の金融商品(保険)の購入
(3)タンス預金  ・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私はマイナス金利に関して、新聞、雑誌を読んだり、テレビのニュースを視聴してきたが、
私としては、この寄稿文が最もわかりやすく、信頼できる提示、と微笑んだりしている。

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ある高級介護付き老人ホーム、私は魅了され、いつ日にか入居したい夢のような施設は・・。

2016-02-23 14:34:02 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の老ボーイの71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私たちは幸運にも大病に遭遇しないで過ごしているが、
やがていつの日にか齢を重ねれば、介護にお世話になる日がくるので、 漠然としながらも介護施設には注視してきた。

昨夜、新潮社の総合ニュースサイト【ディリー新潮】を見ていた時、
【 高級老人ホーム/イマイマイズム見聞録[第47回]】
と題された見出しを見て、購読している『新潮45』の1月号に掲載された寄稿文であり、
確か昨年の2015年12月18日に発売されて、当日の夜に読んだことが思いだされた・・。

ライターの今井舞(いまい・まい)さんの『イマイマイズム見聞記』シリーズに於いて、
本号は『高級老人ホーム』と題して、ある老人ホームを訪問して、軽妙な文体で的確に実態を表現された寄稿文で、
私も多々教示させられた。

そして私は、昨今も介護施設に難題が加速している為、
今井舞(いまい・まい)さんの寄稿文の『高級老人ホーム』の中で、ひとつ老人ホームに、
私はいつ日にか入居したい夢のような施設を、改めて再読したりした・・。

そしてネットに公開された記事でもあり、転載させて頂く。
            

《・・老人ホームでの暴力や虐待のニュースが急増する昨今。
自分はもちろん、親のことも含めて、老人ホーム選びは、今や国民的関心事だ。

「いい老人ホーム」って、いったいどんなとこ? 
何を基準に選べばいいの? 
答えは簡単。「金」である。

てなわけで今月の取材先は「高級介護付き老人ホーム」。
お邪魔したのは、練馬区にある「アズハイム光が丘」。
敷地面積3000平方メートル近く、3階建てで居室80室以上、都心にしては大きなホームだ。

インターホンで玄関を開けてもらい、クリスマスの飾り付けがされた広々としたホテルのようなエントランスで、
すぐにスリッパに履き替える。

セキュリティとウイルス、両方への対策が見て取れる。
壁やドア、置かれた家具などもシックで落ち着いた色合い。
訪れたのは丁度昼食時で、スタッフの人がテキパキと配膳中。

この日は私も、実際にホームで出されているお昼をご馳走に。
ホッケの塩焼き定食は、しっかりした量で、味付けも丁度良く、食べ応えがあった。
ご馳走様でした。

食後のコーヒーを頂きながら、担当者の方から説明を受ける。
            

まずは料金だ料金。
頂いた資料に目を落とすと、「入居一時金」をいくら払うかで異なる3プランが。

一番スタンダードな約18平方メートルの個室の場合、入居一時金ナシのプランAは、月額使用料が約35万円。
入居一時金を780万円払うプランBだと月額約22万円。
入居一時金1110万円のプランCは月額約16万円。

……ひぃーッ。
予想はしてたが。悠々自適な老後って、本当に、普通の人間には手が届かない世の中になったんだなぁ。

介護スタッフ一人の受け持つ人数が少なめで、
更に仕事に集中できるよう、洗濯や炊事、配膳、運転などにあたる人材は、別に雇用。

機能訓練指導員常在でリハビリのアプローチあり。
毎日開催される豊富なアクティビティ……。
このホームで、日々どんなに手厚いケアが行われているのか、いろいろ説明を受けるが。

とにかくこの金額が払える人ってのは、そういう待遇なんだろな、の感しきり。
            

このサービスの質をキープするために、何より気を遣っているのは、良質な人材の確保だそうな。
居心地よくやりがいのある現場を目指し、サークル活動を会社側で支援したり、
子育てや介護中の人でも働きやすいシフトを組み込んだり、
採用面接に一緒に働くスタッフも参加したり、現場の声がすぐ上に通るよう常時工夫したり。

「対人間」の仕事のストレスを出来る限り軽減するべく努力を続けているそうだ。
それは何かこう、しみじみと伝わってきた。

明るいオバチャン系の人から、二十歳そこそこの若者まで、
ここには性別年齢いろんな人がいっぱい働いてて、感染症予防のためほぼ全員マスク姿だったが、
その上からでも笑顔なのがわかるくらい、皆明るく快活だった。

あー、親を老後こんなところに入れられたら、これ以上の親孝行はないだろうなぁ。

と脳内孝行しているうち、やがて本日のアクティビティ「音楽療法」の時間となり、
見学のため30平方メートルほどもある大きなリビングダイニングへ移動。

各階にこの部屋が二つ(!)あり、食事やプログラムはここで。
大きな仕切りもなく、車椅子の居住者でも気楽にぷらっと来てくつろげるオープンな雰囲気。

今は壁際の電子ピアノに向けて椅子が配置されており、開始10分前には満員御礼状態。
待ち時間にポロロン、と療法士がピアノを鳴らすだけで、嬉しそうに体を揺らす老人たち。

これは、少し認知症の症状がある人中心に行われるプログラムだそうで、
大きな声でのじゃんけんやグーパー体操、早口言葉などの後、
老人になじみのいい、「もみじ」等の昔ながらの唱歌を伴奏と一緒に。

皆楽しそうに大声で歌っている。
間々に職員が入り、ニコニコ一緒に手拍子しながら、入居者同士の手足がぶつかったりしないか、常に目を配っている。

居室が空くこの時間は、リネン交換や掃除などのチャンスで、スタッフが忙しく行き来している。
プログラムに参加せず、通りかかっただけの入所者にも声掛けが。
常に人と目が動いている印象だ。

各個室も、ドアを閉め切らず、代わりに暖簾をかけている部屋が多く、入居者同士も開放的。

あー、親を入れたいったら。
            

今回は、居住者の方にインタビューできるということで、その方の部屋へ。
「車椅子なもので、座ったままでごめんなさいね」と、上品な白髪の老婦人が迎えてくれた。

Oさん88歳。10畳以上あるスタンダードタイプの部屋は、手すり付きの広いトイレが標準装備。
介護タイプの大きなベッドが中央に、脇のチェスト上には仏壇、
テーブルには犬の写真などが飾ってあり、すっかり我が家な雰囲気。

入居者の平均年齢86歳よりも少し上のOさんであるが、
「ここへ入って2年と2ヶ月目です」と、立て板に水の見事な語り口。

ご主人を十数年前に亡くし一人暮らしだったが、脊椎を悪くして車椅子生活になったのを機に、ホーム入所を決断。
ここを選んだのは、近郊に住む二人の息子さんで、長い廊下でゆっくり歩行器を使ってリハビリできたり、
ご飯も美味しく、いろんなプログラムで毎日楽しく忙しく、ここでの暮らしにはとても満足しているという。

しかし入所して半年ほどは、気を遣うことが多かったそう。
「同じ年寄りといっても、認知症でも身体はピンピンしてる方、
頭はハッキリしているけど、体が言うこときかない方、いろんな方がいらっしゃるでしょ」。

ふんふん。
            

「近い部屋に認知症の方がいらしてね。誰々に物を盗まれた、なんて騒ぐのはしょっちゅう。
でもああいう方は、なだめるだけじゃだめ。
新聞の切り抜きなんかお持ちしてね、昔のことをお話しすると、びっくりするほどちゃんとなさるの。

戦争の時の空襲の話とか、この前も原節子さんが亡くなったでしょう。
すると『あの映画は素晴らしかった』なんて盛り上がってね。
そんなことを重ねてると、揉めごとも減るんですよ」。

ほ、ほほう。

「ああして欲しい、こうだったらいいのに、なんて小さいこと言ってたらキリないでしょ。
でも私、命に関わることだけは、キチッと申し上げることにしてますの」と、
風呂の床が滑りやすかった時、苦言を呈した話が出た。
即マットが敷かれ改善されたという。

うーむ。
この人の言うことなら、誰もが耳を傾けるだろうな。
語彙も豊富で機知に富んでる。米寿を過ぎた女性で、こんなに面白トークができる人を今まで見たことがない。

何でも、長年編み物の先生をしていて、たくさんの生徒を見てきたそうで、なるほど年輪! 
同席したホームの広報担当の人も「全て参考にさせて頂きます」と感心しきりであった。

他にも興味深い話がいろいろ。
「老人ホーム入居指南」をテーマに講演したら客呼べると思う。

新潮社で声掛けてみちゃどうか。

金があるところには、やっぱりいろんな意味で、優れた人間が集まるということを指差し確認し、ホームを後に。
            

もう十分「高級老人ホーム」は堪能できたわけだが、
今回はもう一件取材を申し込んでいたのだ。
超ド級セレブホーム「ヒルデモアたまプラーザ」に。

たまプラーザ駅から徒歩十数分。緑の多い広大な敷地に悠々と建つ大きな建物。
ビル一棟ブチ抜く吹き抜け。大浴場。最先端の機器が入るジム。床は全て天然木。
屋上庭園にはハーブが育ち、スタンダードな居室は約40平方メートル。

入居一時金は、年齢によって変わり、約2千5百~7千万(若いほど高い)。
これとは別に要月額約26万。一時金なしの場合は、月額約73万円~。

・・いやもうね、次元が違うというか、惑星が違うというか。
皆居心地良くて部屋から出てこないのか、豪奢な敷地内に誰もいなくて、SF映画見てるみたい。

たまーに見かけても、職員と気安くおしゃべりしたりせず、ホールで新聞読んでたり、一人で食事してたり。
その横顔には、人の上に立ってきた人間のオーラが感じられた。

政治や経済界のお歴々とか、大物芸能人の親とか、
とにかく、入居してるのは、めったにいるレベルの金持ちでないのは確か。
職員も、「介護職」というより「コンシェルジュ」に近い佇まいだったし。

光が丘を見たときは「よーし、散財せず貯金して親をあそこに入れるぞ!」という心持ちになったが。

たまプラーザの後は、何だろう。
何かコツコツやるのがアホらしくなって、帰りにたまプラーザの駅ビルでブーツ買っちゃった。
暖かくてとても重宝している。
親の老後より、まず自分が無事この冬を越すことの方が優先だ。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

もとより私が魅了されたは、最初に紹介された練馬区にある「アズハイム光が丘」である。
こうした施設内のスタッフ、介護士、施設内の整備された共同スペース、そして個室・・を学び、
このような介護付き老人ホームだったら、私は魅了され、いつ日にか入居したい夢のような施設であった・・。

しかしながら私たち夫婦として難題は、無念ながら総費用である。
どちらかが『おひとりさま』となり、やがて介護要の身となった時、
一番スタンダードな約18平方メートルの個室の場合、入居一時金1110万円のプランCは月額約16万円、と学んだ。

月額利用料の明細として、プランCの場合、家賃(非課税)10,000円、管理費(非課税)70,000円、
水光熱費(税抜)20,000円、食費(税抜) 60,000円である。

これだけ設備、サービスを享受できるだから、充分納得できる費用と思っている。
            

問題は介護施設であるので、当然ながら月額利用料以外にかかる費用である。
少なくとも『介護保険』の自己負担(非課税)は、要介護5となれば28,750円となる。

そして有料サービス費用(税抜)として、入浴介助(週4回以上)1回・・1,000円、
リネン交換(週2回以上)1回・・500円、協力医療機関以外への通院付添介助30分・・500円、
買物代行(週2回以上)30分・・500円、ケアプラン以外での施設外付添介助30分・・500円などもある。

或いはその他費用として、入居者や家族の個別的な選択により、医療費(訪問診療費・医療機関受診費・歯科診療受診費など)、
薬剤費、定期健康診断、介護衛生用品費(おむつ費用など)、理美容費、通信費(居室に電話を取り付けた場合)、
新聞購読費(希望された場合)、レクリエーション参加費(有料と無料のものがある)なども必要な場合要する。

こうした月額利用料以外の諸費用を十二分に配慮しないと、安息した介護生活が出来ない、
と思い重ねると、私は溜息を重ねたりした。

そして私にとっては、やはり夢のような介護付き老人ホーム施設かしら、と苦笑したりした。
            

やむなく私は介護になる身を出来る限り避けたく、
せめて自宅周辺3キロ範囲をひたすら歩き廻り、認知症だけは勘弁してょ、と心の中で呟きながら、
ときおり歩いているのが、実態となっている。

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都心の郊外に住む老ボーイの私、今年初めて桜花にめぐり逢い、微笑みながら見惚れて・・。

2016-02-22 15:53:19 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の老ボーイの71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
                                    
                    
私は2004年(平成16年)の秋に定年後の年金生活を始めて以来、
平素の買物は自主的に専任者となった私は、
家内の依頼された品物を買い求めに、独りで殆ど毎日スーパー、専門店に買い物に行ったりしている・・。

我が家は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。

或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
そして私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

いずれも路線バスの利便性は良いが、年金生活を始めてから原則として散歩も兼ねて、
路線バスを利用することなく、ひたすら歩いたりして、季節のうつろいを享受している。
                                
帰宅後も、再び独りで自宅から数キロ以内の住宅街、遊歩道をひたすら歩き廻ったりした。

こうしたことは年金生活が丸11年過ぎ、早や12年生になっているが、
国内旅行、冠婚葬祭、都心に買物、天候の悪化がない限り、私の午前中の定例行事ようになっている。
            

本日も午前中のひととき、いつもように家内から依頼された品を求めに、独りでスーパーで買物し、
老メール買物ボーイの責務を果たした後、
帰宅後、独りで自宅の近くに流れている野川の遊歩道を歩いたりした・・。

ここ5週間ばかり、私は住宅街、遊歩道、小公園、都立・神代植物園、井の頭公園などを歩き廻り、
早春の多彩な花を求めて歩いたりしてきた。

そして水仙、福寿草、クリスマスローズ、椿(ツバキ)、ボケ、白梅、紅梅などを多彩な色合いを鑑賞し、
偶然に、それぞれの花にめぐり逢え、長らく見惚れたりし、一期一会ですねぇ、
と思いを深めて、やがてデジカメで記憶のかたみとして撮ったりしてきた。

こうした中で、我が家の小庭は水仙、椿(ツバキ)が咲く中で、
遅れてごめんなさい、といったような風情で、白梅が咲いたのは一週間前であった。
            

私が本日、野川の遊歩道を上流に向かって歩いたのは、若き日に体験した恋の予感のように、
早や咲きの桜が咲き始めたかしら、と思ったりしたからであった・・。

やがて桜並木を5分ばかり歩いた先に、たった一本の大島桜か河津桜の親戚のような早や咲きの桜が、
曇り空の中で、ひっそりと咲いていたので、予感は確かだった、と微笑んだりした・・。
            

そして見惚れながら、今年もめぐり逢えたねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
            

この後、私は記念写真として、デジカメで撮ったりした。


やがて名残欲しいながら、桜花に別れを告げた後、帰路に向かっている中、
白梅、紅梅にもにめぐり逢えたりした。
  

そして何かと単細胞の私は、白梅、紅梅梅、桜花に逢えたから、桃の花が観れたら、
春の三冠王だよねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

まもなく花屋さんの片隅に、桃の花の切り花が視えて、
たわむれにこっそりと撮ったりした。
            

そして本日、生まれて初めて一日に、春の三冠王を鑑賞でき、微笑んだりした。

やがて私は、定年までの半生は、何かと苦節が多い人生航路を歩んできたが、
定年後の年金生活は安楽な日々を享受してきたので、先憂後楽な人生かしら、と思い深めたりし、
足早に自宅に向かったりした。

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『あさが来た』のモデルの広岡浅子さんの実像を学び、やがて老ボーイの私でも微苦笑重ねて・・。

2016-02-21 16:29:14 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の老ボーイの71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

我が家の家内は、昨年よりNHK連続テレビ小説『あさが来た』を視聴しているが、
私はテレビの連続番組、新聞の連続小説は何かと苦手で、
関心した場合は、後日に単行本になったシナリオ、小説を買い求めるひとりである。

こうした中で、家内が『あさが来た』を視聴している時、
私は近くで新聞を読んだり、ネットのニュース記事を読んだりすることが多いが、
この『あさが来た』の主題歌を毎回聴こえ、若き女性の唄声に魅せられ、やがて『365日の紙飛行機』の歌と知ったりした。

やがて私は独りで散策していると、♪人生は紙飛行機・・と心の中で唄いながら、やがて人影がないを確認した後、
かぼそい声で唄ったりした・・。

そして、つたない半生を歩んできた私は、この歌詞、人生を的確に巧く表現された、
と微苦笑を重ねたりした。

或いは家内がときおり、私に「びっくりぽん」と言ったりしてきた・・。
こうした影響か、何かと単細胞の私は、「びっくりぽん」と新用語を覚え、
昨今は、私でも「びっくりぽん」と呟(つぶや)く時もある。
            

本日の昼下がり、私が愛読している講談社の基幹サイトのひとつの【現代ビジネス 】を開き、
こうした中で、【 『あさが来た』広岡浅子、本当にこんなスゴい実業家だったの? 】と見出しを見たりした。

私は『あさが来た』の女主人公のモデルは、漠然としながらも広岡浅子さんと知っていたが、
詳細な足跡は無知だったので、好奇心に負けて、クリックして、 精読してしまった・・。

この記事の原文は、『週刊現代』2016年2月20日号に掲載されて、
【現代ビジネス 】に2月21日配信された記事のひとつであり、無断ながら大半を転載させて頂く。
          
《・・それにしても、あさの活躍はすさまじい。
幕末に大名から貸金を取り立てて嫁ぎ先の加野屋を救い、炭鉱経営に乗り出し、ついに銀行に生まれ変わらせた。
そのモデルである広岡浅子という人物は、本当にこんな凄腕の女経営者だったのだろうか?
ドラマを見ていると、あらためてそんな疑問が沸いてくる。

実情は、どうやらドラマ以上であったらしい。
広岡浅子の訃報を伝える『婦女新聞』大正8年1月24日の記事では、こんなことが書いてある。

〈尾張屋銀行の峯島喜代子刀自と、神戸の鈴木商店主米子刀自と、広岡女史とは、一時女富豪の三幅対と称せられたものであるが、
前二人は共に最初より良い番頭を得て事に任じ、自ら陣頭に立たなかった。
ひとり広岡女史に至っては、経営上の計画も自ら立案し、指揮官にして同時に闘将であった〉

いやはや、訃報で「闘将」と書かれるとは、そのすさまじさが窺える。
その一方、〈家運挽回に奮闘した歴史は、永久に我が婦人界に語り伝えられるだろう〉とも絶賛されていた。

訃報記事の書かれた大正8年に、加島銀行は1億4000万円の預金を有したという。
浅子は一から「メガバンク」を立ち上げたのだ。
            

ドラマの中で、あさは大番頭だった雁助と延々と「銀行にする」「しない」で議論を繰り返した。
読者には両替商と銀行はそんなに違うのか、と思った人もいたのではないか。

同作で時代考証をつとめる大阪大学名誉教授の宮本又郎氏が解説する。
「江戸期の両替商と近代の銀行は、運用資金の源泉に大きな違いがあります。
両替商の運用資金の中心は自己資本であり、銀行の運用資金の中心は預金です。

一般的に言えば、両替商は質屋などのように自分のお金を貸し付ける『金貸し』的色彩が強く、
運用先も御出入りの大名などへの貸し付けが主でした。

一方、顧客のお金を預金として集めて第三者に貸し出す銀行は『金融仲介業者』であって、
運用時には貸し付け相手を見る審査能力も問われます。
洋式帳簿も早くから導入されていましたし、銀行業務に習熟した人材を確保できるかも、初期の銀行の大きな問題だったでしょう」

確かに、あさが今まで手代だった従業員に業務を教え、
加野銀行となった店頭で「お客様にアタマを下げて!」と叱咤する場面が出てくる。
一般庶民からお金を預かる立場になったということを表しているのだろう。
            

☆自著に書いた「夫への不満」

史実ではどうだったのかを知りたいという点では、あさの夫婦関係も気になる。

あさの夫・新次郎(玉木宏)は、あさの姉・はつ(宮崎あおい)の琴を探し出してきたり、
官有物払い下げ事件で汚職疑惑に見舞われた五代の窮地を救ったりと、
遊び人のボンボンながら、陰に回ってあさをサポートする。

全国を飛び回るあさの代わりに、一人娘の面倒まで見ているのだ。
「あささんと新次郎さんのような夫婦関係は、いまどきの視聴者、特に女性には大変に支持されるでしょうね」
というのは夫婦問題研究家の岡野あつこ氏だ。

「かつての日本では、男性が働いて家に給金を入れることが美徳とされてきました。
ですが、大半の女性がいったん社会に出て働いた経験を持つ現在では、その役割分担は絶対的ではありません。
場合によっては自分が外で働き、夫に癒やしてもらいたい、という女性は意外と多いのです。

あささんは大変に忙しいけれども、仕事上のいやなことやストレスを、みんな新次郎さんが包んでくれる。
今の女性にとっては、理想のような男性かもしれません。
明治の時代には先駆的すぎて、彼の価値がわかったかどうかは疑問ですが」

たしかに広岡浅子の自著を読むと、夫・信五郎に対する評価はさほど高いようには思えない。
〈嫁してみれば、富豪の常として主人は、少しも自家の業務には関与せず、
万事支配人任せで、自らは日毎、謡曲、茶の湯等の遊興にふけっているという有様〉

〈私には他人と違って甘えた経験が更にありません。
父も母も、夫までも、私が甘えるどころか、皆私を頼りとしておったのであります〉
(広岡浅子著『一週一信』)と憤慨の面持ちで綴っている。


前出の宮本氏も、
「広岡浅子の夫の信五郎氏は〈大家育ちの坊様風で、至極穏当な方〉
〈至極温和な性質で、浅子とは正反対の人物〉と評されています。
どうやら、おおむねドラマで描かれているような夫婦だったようです」と苦笑する。

信五郎は、浅子が勉学に励むと、一緒に席について学び、
時にからかい半分で妻・浅子のことを「先生」と呼んでいたという。
            

☆本物はもっと剛情だった

また、明治9(1876)年、27歳で浅子は一人娘の亀子を出産。
ところがそれからほどなく、浅子は義弟の加島屋9代目・正秋(ドラマの榮三郎)とともに、
東京での商談に出かけていってしまう。

この時には、信五郎が幼い亀子と共に、留守を預かっていたという書状が残っている。
〈女史は有名なる剛情の人であった。一たび言い出した以上は、誰がなんと言っても貫かないでは止まなんだ。
この剛情は時に癇癪となって破裂し、時に幼児の駄々を捏ねるが如く傍人を困らせた〉

(前出・『婦女新聞』広岡浅子訃報より)というから、
信五郎は癇癪を破裂させる浅子をなだめ、時には逃げ回っていたのかもしれない。

ドラマの中では、円満な家庭を築く二人だが、史実では、信五郎は浅子が出水三井家から連れてきた腰元のむめを側室とし、
4人の子供をもうけた。

そのむめも、難産に懲りた浅子が進んで信五郎の側室に推薦したといわれており、
どうやら広岡家の実権は、本当に浅子に握られていたようだ。

では、信五郎はただのお飾りだったのかというと、必ずしもそうでもないらしい。
            

明治22(1889)年、信五郎は、尼崎紡績(のちのユニチカ)の初代社長に就任する。
「江戸時代の尼崎は、綿花の産地でした。
ですが、文明開化により海外の綿花が流入し、手工業では立ち行かなくなっていた。

そこで紡績工場を設立しようと考えたのですが、尼崎の人間だけでは資金力が不足していたため、
大阪財界の協力を取り付けようということになったのです。
その発起人に連なったのが、広岡信五郎氏と彼の謡仲間でした」(尼崎市立地域研究史料館・辻川敦館長)

また、信五郎は同じ謡仲間と日本綿花(現在の総合商社・双日)の発起人にも名を連ねた。
「広岡信五郎氏は、年を重ねるにつれ、大阪財界の大物になっていきます。

日本綿花の設立発起人は、銀行家、官僚など多士済々ですが、この人脈は信五郎氏が築き上げたもの。
温和な調整役だった彼は、加島屋の発展に大きく寄与し、浅子さんと共に家業発展に尽力しました。
いわば広岡夫妻は、現在の共稼ぎ夫婦の元祖だったのではないでしょうか」(双日広報部・小林正幸氏)

浅子は自著などでぶつぶつと不満を漏らしているが、実際の夫婦仲は、非常によかったともいわれている。

実際、浅子は、明治37(1904)年に信五郎が死去すると、一切の事業から手を引くのである。
彼女にとって事業は、信五郎とともに守ってきた「家のなりわい」だったのだろう。

信五郎の理解を得て、加島屋の身代を守ってきた浅子が晩年に打ち込んだのが、
女子教育、そして日本女子大学の設立だった。

ドラマでは「成澤泉」として登場する、日本女子大学創設者・成瀬仁蔵の著作を読み、
浅子は私財を擲って、成瀬の理想実現を助けた。
            

☆終盤の見所は女子大設立

浅子がそこまで共感した成瀬の理念とは、何だったのか。
同大学OGで子どもの問題などを専門とするジャーナリスト・猪熊弘子氏(東京都市大学客員准教授)が語る。

「在学中、創立者の成瀬先生の三綱領は、ことあるごとに言われました。
『信念徹底』『自発創生』『共同奉仕』で、わかりやすく言うと
〝これと決めた道はあきらめずに突き進む〟〝オリジナリティを大切にしていく〟〝自分のことだけでなく社会のために尽くす〟です。

これは、まさにドラマの中で、あさがやっていることですよね。
これらを4年間で叩き込まれるので、日本女子大の卒業生は、自分の意見を前面に押し出す、あさ的な人が多い。
女性社長の輩出数も女子大でトップ(全大学中5位)です。
実は私も、先日朝ドラを見ていたら、小学生の息子に『あさっていう人、ママを見ているみたい』と言われてしまいました」

成瀬仁蔵は、教育者として「女性をまず人として教育する」という理念を持っていた。
明治時代、女性は一人の人間としてより、前に女性として教育すべしという風潮だったから、
男女を超越した一個人としての女性教育を掲げた成瀬の著作に、広岡浅子が感動したのも無理はないのだろう。
            

浅子は5000円(現在の2000万円弱)をポンと出し、広岡家だけでなく実家の三井家をも動かして女子大設立に奔走した。

「広岡浅子という名前は記憶していませんでしたが、ドラマが始まってすぐ、
夏期の特別授業が行われる『三泉寮』を思い出しました。

軽井沢にある大学の寮で、全学生がここでの授業を取らないと卒業できません。
『ここは三井様のお力で建てられたのですよ』と先生に繰り返し教わっていたので、
ドラマを見ながら、私たちも浅子の恩恵を受けていたんだなぁと懐かしく思い出しました」(前出・猪熊氏)

一人娘・亀子に子爵家から婿養子を取って、後を継がせた浅子。
だが、その後の昭和恐慌で、加島銀行は倒産、広岡家は実業の世界から退場していく。

ドラマが話題になるまで、広岡浅子の名は歴史に埋もれていたが、
今も日本女子大では、浅子の遺志を継いだ女子大生たちが、人生を謳歌しているのだ。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は広岡浅子さんのまさに息をのむような波乱万丈の人生航路を学び、平坦な人生を歩んできた私は、
ただ恐れ入りました、と微苦笑を重ねながら、多々教示されたりした。

そして都心にある目白台を散策し、日本女子大の前を通りすぎる時は、
少なくとも歴史に埋もれてしまった広岡浅子さんに敬意し、襟を正して歩こう、と思ったりしている。

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年金受給者でも、節税対策のひとつを学び、やがて年金生活の私は微苦笑させられ・・。

2016-02-20 15:00:47 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
午後のひととき、ネットでニュースを見ようとしたら、
【 子どもの扶養に入って税金ダウン 年金受給者の節税対策 】
と題された記事に、どのようなことなのかしら、思いながら記事を精読した。

まもなく記事を読み終えた後、やがて私は微苦笑させられたりした・・。

この記事は、『週刊朝日』2016年2月12日号に掲載され、
朝日新聞社系の基幹サイト【dot.(ドット)】に2月9日配信され、無断ながら転載させて頂く。

《・・確定申告の時期が近づいてきた。年金受給者でも、取り戻せる税金は意外と多い。
実際、どのような場合に税金を取り戻せるのか。具体的な例を紹介しよう。
            

◇医療費

通院などでかかった治療費や薬代は、申告すれば「医療費控除」を受けられることは、ご存じの読者も多いだろう。
本人だけでなく家族の分も合算できる上、ドラッグストアなどで購入できる市販薬も対象だ。

ただし、控除対象となるのは、医療費の総額から10万円を差し引いた額なので、10万円を超える必要がある。
領収書を合計しても10万円に届かず、処分する人もいるだろう。

しかし、10万円に満たなくても対象となる場合がある。
総所得金額等が200万円未満の人なら、医療費総額から総所得金額等の5%を差し引いた額が、控除対象とされるからだ。
たとえば、総所得金額が100万円であれば、5万円を超えた医療費が控除対象になる。

共働き夫婦だと所得が多く税率が高いほうの名義で申告するほうが戻る額が大きく有利だが、
医療費が10万円を超えなくても、所得が少ないほうの名義でなら申告できる場合がある。

「給与所得者なら額面の年収が311万6千円未満なら総所得金額が200万円未満となるので、
対象となる人は多いはず」(個人の確定申告に詳しい田中卓也税理士)

また、天野伴税理士は、こう指摘する。

「対象となる医療費の範囲を誤解している人が多いが、健康保険が利かない医療費も『治療』であれば基本的には対象です。
差し歯など高価な治療こそ戻る額は大きい」

多くの著書を持つ「ぶっちゃけ税理士」こと岩松正記氏は、
医療費の領収書は同居していない家族でも、合算できると話す。

「生計が同じであれば、別居の老親や子どもにかかった医療費の領収書も合わせて控除を受けられます。
扶養控除の対象でなくてもいいので、親の収入も関係ありません」
            

◇年金生活者の節税

年金には「公的年金等控除」があり、収入が年金だけだと、所得税を払っていない人も多い。
天引きされている所得税の額は、年末に送付される源泉徴収票の「源泉徴収税額」欄で確認できるが、
ここがゼロであれば、申告しても還付を受ける余地はないことになる。

ところが、前出の天野税理士は、年金生活者であっても、劇的な節税効果を得ることは可能だと話す。
「年金生活者は自分の税をゼロにしようとするより、子どもの扶養に入ることで、
子ども側の税金を大きく減らせることがあります」

収入が年金だけという人で、65歳未満は年金額が108万円以下、
65歳以上は158万円以下なら、所得税法上の扶養に入ることができる。

控除額は70歳未満なら38万円、70歳以上なら「老人扶養親族」の扱いとなるため、
同居で58万円、別居でも48万円もの控除を受けられるのだ。

これは専業主婦などが対象になる配偶者控除の38万円を大きく上回る。

「生活費を渡しているなどの実態があれば、同居する70歳以上の両親を共に扶養に入れると
それだけで116万円もの控除を受けられる可能性もあります」(天野税理士)

116万円の控除を受けられれば、最終的な税率が10%の人の場合、11・6万円もの所得税を減らせる余地があることになる。

「一定の障害が認められれば、控除額はさらに増えます。
負担している親の医療費や社会保険料を控除対象に加えられれば、一般的な収入の会社員でも所得税がゼロになる可能性も」(同)・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたが、
この間、幾たびかリストラがあったりしたが、何とかくぐり抜けたが、最後の5年半はリストラ烈風となる中、
出向となったりした。

こうした状況で、年金支給額は厚労省が2016年度として公表したモデルケース、
夫婦2人分の老齢基礎年金を含む標準的な年金月額は22万1504円に対し、25万円程度となっている。

もとより大企業で38年精進され、厚生年金は高額で、更に企業年金にも驚くような金額を支給されている方もいるが、
つたない人生航路を歩んだ私は、苦笑ばかりしてきた。

そして我が家は子供に恵まれなかったので、上記のような節税方法は対象外となる。
            

しかしながら私が勤めてきた中で、40代にリストラとなった知人がいて、その後、やむなく個人タクシーをされて、
65歳で引退されて、ご子息家族と同居している人もいる。

或いは中学時代の同級生が、商店街で和菓子屋を父親から譲り受けていたが、
50代の初めに、近くに駅ビルに洋菓子店が5店できてしまった結果、かってような繁栄もなくなり、
64歳にご子息に店を譲り、やむなく退職された人もいる。

このように不運な人生航路となってしまった人に、今回の記事のような節税方法を実践されれば、
と私は思い馳せたりした。

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90歳の入居者が激白!介護ホームの“悲惨なる日常”を学び、私は涙を浮かべて、やがて・・。

2016-02-19 16:11:05 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の老ボーイの71歳の身であるが、
今朝、家内は独り住まいの家内の母宅に介護に行く日であったので、4時過ぎに起床した。

やがて6時少し前、私は門扉の近い道路に降り立って、家内を見送くったりした、
この後、配達された読売新聞の朝刊を煎茶を飲みながら、30分ぐらいで読んだりした後、
ネットでニュースを見ようとパソコンを立ち上げたりした。
           
私はトップページとしては【YAHOO! JAPAN】に設定しているが、
トピックス・ニュースとして、10ばかり見出しが紹介されているが、
この中のひとつに、【 90歳の入居者が激白!介護ホームの“悲惨なる日常”】と明記されていた。

私はいつの日にか介護にお世話になるか解らないが、やはり高齢者の身であるので、
漠然としながらも介護施設には注視してきた。

過ぎし2014年11~12月、川崎市幸区の老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」に於いて、
入所者の男女3人が相次いで転落死したことに、動顛させられたりした。

そして最近、転落死させた容疑者が、たとえ過酷な業務で疲れ果てていても、魔を差したといえども、
人としての世界から逸脱し、魔界の行為に私は震撼させられたりしてきた。

このような心情を秘めてきた私は、クリックして精読した・・。
            

今回の記事は、健康社会学者・河合薫さんが、理性的で渾身ある難題を明示された寄稿文であり、
無断ながら転載させて頂く。

《・・川崎市幸区の老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」で、入所者の男女3人が相次いで転落死した事件で、
殺人容疑で逮捕された同施設の元職員の男は、
「(介護に)手がかかる人だった」
「ベランダまで誘導し、男性を抱きかかえて投げ落とした」といった供述をしているそうだ。

介護のいかなる状況にあっても、暴力や虐待は許されることでない。

だが、「他人事ではない」・・・・。
介護現場で働く人たちは、口をそろえる。

「・・誰にでも、実はそういう事件を起こしてしまう立場にあるんだなぁって・・」


いや、働く人たちだけではない。
ホームに入所している“高齢者”の方も、だ。
現在、90歳。ご主人が要介護となり、ご夫婦で入所されている方から寄せられたメッセージを紹介します。
介護現場のリアルを「我がごと」として、一緒に考えてみてください。
            

「Sアミューユ川崎幸町で起こったことは、他人事ではないような気がしています。
殺害なんて絶対に許されることではないし、虐待も暴力もいかなる場合も許し難いことです。

でも、入所者の中には大声で喚き散らす人、たえずヘルパーを呼びつける人、自分が判らなくなってしまった人、
思うようにならないとヘルパーの手をかみつく人など、さまざまです。

そんな人達の家族に限って 面会に来ることがなく、ホームに預けっぱなしなのです。


私は夫とともに、毎日、食堂で食事をしているのですが、
食事は終わったのに、食べた感覚がなく「食事を早くください!」「死んでしまいます」と大声でわめいている女性がいて、
若いヘルパーが優しく対応している姿に頭の下がる思いがしています。

ヘルパーさんたちがあまりに大変そうなので、食器を運ぶくらいお手伝いしようと申し出ました。
でも、絶対にやらせてもらえません。
ナニかあったときに、施設の責任になるからです。
            

先週、またヘルパーが二人辞めてしまいました。
理由は『給料が少なくて結婚できないから』ということでした。

離職者があとを絶たず、その補充もなかなか見つからないので、
残ったヘルパー達が、過重労働を強いられているのが現状です。

ホームには各部屋にインターホーンが設置してありますが、
認知症の進んだ入所者が、ひっきりなしに夜間押すこともしばしばです。

夜勤ヘルパーは、その度に対応しなくてはならない。
就寝前に投薬が必要な人もいるので、夜勤の仕事はかなり重労働です。

ヘルパーの中には夜勤はしない、という条件で勤務している人が、かなりいるので、
限られたヘルパー達が順番でやっているのです。

すぐに順番がやってくるので、真面目なヘルパーは
体重は減るわ、顏はやつれるわで見ていて可哀想になります。

私はいつもそんな彼等に感謝と激励の言葉を送っていますが、そんな感謝の言葉だけでは、彼女・彼らが報われません。

みなさん、献身的にやってくださります。
でも、・・人間には限界ってものがありますよね。
            

政府は施設を作る、と言っていますが、その前に、ヘルパーの待遇を改善すべきだと思います。
ヘルパー不足は、入所者へ深刻な影響をもたらしているのです。

オムツ交換が4回だったのが3回になり、夜間見回りもなくなり、
適性があろうとなかろうと、採用するしかない。
悪循環です。

高齢者へ3万円支給する余裕があるなら、介護関係に回すべき、だと思います。

ここはまさしく姥捨山です。
入居者たちはみんなそういっています。


入所者は家族が介護の限界にきたために、本人の意志でなく入れられた人が多いので、
私のように発言できる入所者は、滅多にいないと思います。

私のコメントがお役に立つようでしたら、こんな嬉しいことはありません。
どうか薫さんのお力で、たくさんの方に現状を知ってもらってください」

・・これが介護現場のリアルです。
            

介護職の方たちの多くは、「おじいちゃんやおばあちゃんに、少しでも笑顔になってほしい」と献身的に働く人たちが多い。
だが、そもそもそういう方たちでさえ、常に心の葛藤に襲われるのが、介護の世界だ。

だって、関わるのは全員「人生の大先輩」。
それぞれの人生、価値観で長年過ごしてきた高齢者の方に、注意するのは、とても気を使う。
自分の親でさえそうなのだから、他人であればなおさらだろう。

「本当にこれでいいのだろうか?」
「他にもっといいやり方があったんじゃないのか?」
そんな不安に苛まれる。

相手が“人”である以上、10人いれば10通りの問題が起こる。
一つひとつは小さなトラブルで、ちょっとした対応で処理できるかもしれない。

だが、「ホントにコレで良かったのかな?」と不安になる。
特に高齢者の“変化”は突然起きるので、対処が実に難しい。

本来であれば、そういった不安を現場のスタッフたちで、分かち合えればいいのだが、
全員が自分の仕事で、いっぱいいっぱいで時間的にも、精神的にも、余裕がない。

他の職員を気にかける余裕など微塵もない。
おまけに夜勤、早番、遅番とシフト勤務なので、顔を合わせることも少なくなる。

介護の現場というのは、実に「孤独」なのだ。
            

さらに、平均月収は21万円程度で、他の職種より10万程低い。
ただ、これには施設長や看護職員など、比較的高い賃金の職種の方たちも含めた数字なので、
実際には10万程度という人もいる。

この低賃金を一般平均である30万程度にするには、
年間1兆4000億円ほど必要となり(NPO法人社会保障経済研究所算出)、
労働人口で単純計算すると「ひとりあたり年間3万円弱の負担」が必要になる。

ご存じの通り、昨年、4月から介護報酬が2・27%引き下げられたが、
これは2006年の2・4%の引き下げから2回目のこと。

介護施設の人権費率は約6割、訪問系介護は7割と大きいため、報酬引き下げはダイレクトに労働力不足に影響を及ぼす。
前回の引き下げで、労働力不足に拍車がかかったにもかかわらず、
再び引き下げを決めたのは、狂気の沙汰としか言いようがないのである。

「月額1万2000円引き上げるっていってたでしょ?」
そのとおりだ。
だが、それが本当に労働者にちゃんと支払われているかどうかは、確かではないのが実情なのだ。

また、前述の女性のメッセージからも、人手不足なのは痛いほどわかるのだが、
2020年代には、さらに約25万人もの人材が不足するとされている(厚労省算出)。

重労働、低賃金、超高齢化社会・・・。
この先どうなってしまうのだろう・・。

「高齢者へ3万円支給する余裕があるなら、介護関係に回すべき」という、
“高齢者”からの意見を、どう政府は受け止めるのか。
            

もし、質の高いサービスを望むなら、もっともっと介護保険料を国民が負担すべきで、
それができないのであれば、サービスの質を下げるしかないと思う。

食事、排泄、入浴のニーズに対応するためだけのサービスと割り切り、現状の劣悪な環境を変え、当然、残業はゼロ。
1人でも離職者を減らし、1人でも多くの人たちが介護士さんを目指し、
1人でも多くの高齢者がケアを受けられ、1人でも多くの家族が自分の仕事と両立できるようにする。

「でも、それじゃあ……」
うん。それでは・・だ。

だが介護現場は、頑張りすぎた。
頑張らないことから、議論し直す。
崩壊するよりその方がまし。

だって、このまま質を求め続ければ、介護業界は破綻する。

これ以上の甘えは、暴力と同じ。
崩壊も、虐待も、破綻もイヤ。

誰もが老いる。親も老いる。自分も老いる。
その人生最後の終の住処が、こんなにも悲惨な状況じゃ誰1人、幸せにならないのではないか。

そして、私も、もっとこの闇の解決策を現場に耳を傾け探して行きたいと思っています。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私が涙を浮かべたは、90歳の入居者が理性的に介護ホームの悲痛な実態を語り、
そして介護士が私が思ってた以上に、余りにも低賃金で過酷な責務を負わされていることであった。

そして今回、《・・この低賃金を一般平均である30万程度にするには、
年間1兆4000億円ほど必要となり(NPO法人社会保障経済研究所算出)、
労働人口で単純計算すると「ひとりあたり年間3万円弱の負担」が必要になる。・・》学んだりした。

そして労働人口は、働いて下さる方が対象と理解するが、
やはり不幸にして介護の身となった方を少しでも改善させるには、
高齢者が介護保険料をお互いに負担を増して、介護士の賃金、労働条件の待遇向上を図り、
介護士に従事して下さる方を増加させる・・。

こうしたことが私が思い立った当面の対処案であり、
肝要の厚生労働省、そして政府、介護の実態を掌握して、迅速に政策に反映して頂きたい、と切望したりしている。

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マイナス金利の時代、今後の預金・年金の状況を学び、何かとプラス思考の私でも、溜息を重ねて・・。

2016-02-18 14:20:33 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の71歳の身であるが、
過ぎし16日に日本銀行が導入したマイナス金利政策について、何かと政治・経済に疎(うと)い私でも、
これからの私に取っては、預金・年金などに関してどのようになるのか、
と不安を秘めながら憂いたりしてきた・・。

昨夜、私が愛読している講談社の基幹サイトのひとつの【現代ビジネス 】を開き、
こうした中で、【 はじめての「マイナス金利」 〜預金・年金・住宅ローン・・今あなたがすべきこと
              マネーの常識がひっくり返った! 】と見出しを見たりした。

そして私は齢ばかり重ねた私でも学ぼうとして、クリックして、 精読してしまった・・。

この記事の原文は、『週刊現代』2015年2月20日号に掲載されて、
【現代ビジネス 】に2月15日配信された記事のひとつであり、無断ながら大半を転載させて頂く。
          
《・・日銀の黒田総裁が突如放ったマイナス金利というバズーカ砲には、メガバンクでさえ狼狽している。
お金の常識が変わった。

いったいどれだけが、生き残っていられるのか。
号砲を鳴らした黒田総裁でさえ、何が起きるかを読み切れていない。
確実に言えるのは、国や銀行を信じればバカを見るということだ。
            
    
☆なぜお金に詳しい人は、さっさと日本国債『変動10』に資産を移したのか

☆元本は確実に保証される

「私は30年にわたって国債・債券市場を見てきましたが、マイナス金利は、初めての経験です。
債券市場のベテランの間ですら、なにが起きるのかが、読み切れなくなっている。
大手金融機関も緊急ミーティングを開催し、対策を練り始めた。
これからは文字通り、誰も見たことのない世界に突入する。なにが起きても、おかしくないのです」(金融アナリストの久保田博幸氏)

おカネの常識が変わった。
すぐに情報武装・生活防衛を始めないと、大損を被ることになる。

われわれがまず押さえておかなければいけないのは、預金危機の時代が幕開けしたということだ。

「マイナス金利をすでに導入済みの欧州で起きていることを見ると、企業や機関投資家の多くの大口預金金利が、マイナスになっている。
個人向けの預金では、さすがに預金者の『反乱』を怖れて、マイナス金利にはなっていないが、
ゼロ近くまで金利を下げたり、ATMなどの手数料を上げたりする動きが出ている」(東短リサーチ代表の加藤出氏)

銀行預金に預けていれば、元本保証のうえ金利がつくので「絶対安心」ではなくなるのが、
マイナス金利時代の特徴だ。

「日本では、これから個人向けの預金が、実質的にマイナス金利になる可能性すらあります。
銀行が一定額以上の預金者に対して『口座管理手数料』を取る動きに出かねないからです。
振込手数料も増額される懸念がある。

これからの預金金利は、ゼロに近い金利に張り付く。
それなのに、管理料や手数料が増額されれば、実質的にマイナス金利になってしまうわけです」(ファイナンシャルプランナーの紀平正幸氏)

実際、日本銀行がマイナス金利を決定した後、普通預金の金利を「0・001%」という超低金利にまで下げる銀行が出てきた。
100万円を預けた場合、年間金利は10円。
振り込みやATM利用で100円超の手数料を取られた途端、損をすることになる……。

預けていれば「減らない」のが銀行預金の最大の利点だったことを考えれば、
資産の置き場として銀行預金は、無意味になると言える。
            

☆最強の運用先は一つに絞られる

「マイナス金利時代の資産運用は、利息を殖やすという観点ではなく、いかに減らさないかが重要になってきます」と、
前川FP事務所アドバンス代表の前川貢氏は言う。

「特に年金以外に収入のない高齢者は、資産を大きく減らすと生活に致命傷になりかねない。
その意味で言うと、株も投資信託も為替も値下がりリスクからは逃れられない。
そうして金融商品を消去法で考えていくと、マイナス金利時代に最強の運用先は一つに絞られてきます。
個人向け国債『変動10』しか考えられない」

個人向け国債『変動10』というのは聞き慣れないかもしれないが、財務省が個人用に発行している国債の一つ。
これまではあまり注目されてこなかったが、ここへきておカネのプロたちが、こぞって推奨し始めている。

そもそも『変動10』とは、10年満期の変動金利の国債。
1万円から購入でき、購入後は半年ごとにその時点での金利で利息がもらえる。なにより、元本が保証される。

「10年間持ち続ければ、10年後には元本がそのまま返ってくる。
購入後1年が経過した後は中途解約ができますが、その場合も直近2回分の金利を返上すればいいだけ。
つまり、いずれのケースでも、元本は確実に保証される」(ファイナンシャルプランナーの藤川太氏)

実は金利にも「最低保証」がある。

「『変動10』の金利は、普通の10年モノ国債の平均金利に0・66を掛けたものが適用されますが、
下限が0・05%に設定されている。
今後はゼロに近い超低金利が続くことを考えれば、たとえ0・05%でも最低保証されているのは貴重です」(生活設計塾クルー代表の目黒政明氏)

『変動10』を100万円以上購入した客に、現金プレゼントのキャンペーンをしている証券会社も多い。
それも、「100万円なら3000円」、「500万円なら2万円」という高水準である。

「もちろん、将来的に金利上昇局面が来た場合、『変動10』は相場に沿って金利が上がる。
上昇局面にも乗れるメリットがある」(前出・目黒氏)

『変動10』は毎月、新規で発売される。
おカネに詳しい人はすでに気付いて、大切な「虎の子」を移し始めている。
            

☆年金はどうなる?

☆もう5年後にはもらえないかもしれない。年金は「繰り上げ」でもらえ

まちがいなく破綻する

「今回のマイナス金利政策の導入で、年金の運用が困難になる危険性があります。

国民の年金積立金およそ140兆円の巨額資産を預かって運用するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)は、
資金の約35%を日本国債に充てています。

その利回りが低下するわけですから、目標の運用利回りを達成するためには、
国内外の株式や外国債券で、よりリスクの高い運用が必要になる。

しかし、それだけのリスクに見合ったリターンが見込めるかどうか、甚だ疑問です。
その中で、国債の利回り低下は、確実に起こります。
年金の運用リスクが、これまで以上に高まることは間違いないでしょう」(日本リサーチ総合研究所主任研究員・藤原裕之氏)

実際に、GPIFが今年度の第2四半期で、7兆8899億円の損失を出したのは周知のとおり。
今年に入ってからの日経平均株価の下落で、一説には16兆円を溶かしたとも言われる。

安倍政権下で株価下支えのために、国内株式での運用比率を12%から25%へと倍増させた「リスクを取る」運用が裏目に出た格好だ。

運用の失敗は、年金財政を傷ませる。
厚生労働省が一昨年に行った検証では、「最悪のケース」を想定すると、
今から35年後の2051年に年金積立金が枯渇し、年金財政が破綻すると試算している。

しかも、この想定はいささか楽観的だ。
試算では、厚労省は長期的な経済の見通しを「物価上昇率0・6%、実質賃金上昇率0・7%」と想定している。
            

しかし、日銀の黒田東彦総裁は2%の物価目標を掲げるが達成の見通しが立たず、現在は0・5%程度と言われる。
実質賃金も、直近の調査では0・4%減少と、上昇の気配がない。

つまり、現在の経済状況の延長線上で考えるなら、年金財政は2051年を待たずに必ず破綻する。
藤原氏が言うように、その時計の針をさらに早めるのが、「マイナス金利政策」ということだ。

だったら、年金は早めにもらってしまえ。
経済評論家の森永卓郎氏は筋金入りの「繰り上げ受給」論者だ。その森永氏が言う。
「今のままでは、将来的に受け取れる年金額が、今よりも減る可能性が極めて高い。
最悪のケースは、年金の支給が70歳になることです。

70歳まで働ける勤め先があって、かつ元気に働ければまだいいですが、そうでなければ10年間も無収入状態になります。
そのときに悔やまないためにも、年金はもらえる年齢になったら、すぐにもらうことを私はおすすめします」
            

☆繰り上げの手続きはカンタン

今年の4月以降に55歳になる男性は、老齢基礎年金(国民年金)と老齢厚生年金の受給が、ともに65歳からになる初めての世代だ。

だが、年金は受給開始を繰り上げて60歳からもらうことが可能だ。

手続きは簡単。60歳になる誕生日の3か月前に日本年金機構から「裁定請求書」という書類が送られてくる。
年金をもらうには、この書類に必要事項を記入して、提出しなければならない。

繰り上げ受給をする場合は、年金事務所で「繰り上げ請求書」をもらってきて署名をし、「裁定請求書」とともに提出すればいい。

森永氏が続ける。
「日本人男性の平均的な『健康寿命』(健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間)は71歳です。
年金をもらい始めても、すぐに病院行きになる可能性がある。
これではなんのために年金をコツコツ払ってきたのかわかりません。

だったら60歳から受け取って、自分の好きなことに使う暮らしのほうが豊かな人生に決まっていると私は思います。
受け取りを確定してしまえば、ある意味で『既得権益』になりますから、
仮に制度自体が70歳に後ろ倒しになったとしても、すでに受給が始まっているものに、手を付けることはありえません。
自分の持っている権利を確定させるためにも、できるだけ早く年金をもらうべきでしょう」

繰り上げると年金額が減らされることには注意が必要だ。
年金は1か月繰り上げるごとに、0・5%減額される。

65歳から受給開始の年金を5年間(60か月)早めて、60歳から受け取ると、30%の減額となる。
また、一度繰り上げ受給を選択すると、元に戻すことはできない。

厚労省が発表しているモデルケースだと、夫婦2人分の老齢基礎年金を含む標準的な年金月額は22万1504円(2016年度)。
通常より5年前倒しにした場合の月額は15万5053円、年額は186万636円になる。

繰り上げ受給と5年遅れの通常受給で受け取る年金の累計額を比較すると、16年8か月までは前者が多い。
つまり、76歳8か月までは、繰り上げ受給のほうが、通常の受給よりおトクなのだ。
            

年金が破綻し、大幅減額となる日は近づいている。
早くもらうか、満額になるのを待つか——どちらが賢明な判断か、考えたほうがいい。・・》

この記事の続きとして、住宅ローンが掲載されていて、《マイナス金利の影響で住宅ローンは、少し時期を前倒しにして購入、
或いは借り換えで低金利のメリットを受ける》
と詳細に記載されているが、もう一度私は住宅ローンで家を建て替える余裕がないので、省略する。
            

私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
多々の理由で年金生活を始めて、丸11年が過ぎ、12年生となっている。

私たち夫婦は子供に恵まれなく、たった2人だけの家庭であり、
私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

我が家の生計は原則として、私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で、
日常生活を過ごすことを原則としている。

そして耐久品の購入、冠婚葬祭、そして私たち夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して、ここ11年を過ごしてきた・・。

こうした中で、我が家の銀行、郵便局、信託銀行などの貯蓄は、
安全利回りが原則で、周知の通り金利はわずかである。

そして年金生活を始めて数年は、200万円前後の赤字となったりしたが、
その後は毎年は120万円前後の赤字の実態なので、もとより増えることはなく、残額は減るばかりとなっている。
                             

2004年(平成16年)の秋に定年退職し、年金生活を始めた直後、私たち夫婦は齢を重ねるとボケたことを配慮して、
銀行、郵便局、生命保険等を出来うる限り集約したりした。

こうした時、ある銀行の窓口で私の退職金を引き出した時、支店長から応接間に招待され、
支店長から『一時払い終身保険』を私たち夫婦に説明して頂ながら、勧誘させられたりした。

しかし10年間の運用利回りが良いと言われても、長期に及び資金が固定されてしまうので、
魅力は感じることなく、対象外とした。

この直後、支店長から3分の2はある投資信託で高い金利、残りの3分の1を安全利回りで運用されれば確実に増えます、
と勧誘するように助言されたりした。

そして支店長が自分もしていますよ、と自身の投資額と金利の推移表のカードを
私たち夫婦に見せて、先月は5万少し・・と提示して、微笑みながら勧誘した。

しかし私たち夫婦は、もとより金利の変動は良いことあれば悪いこともあり、
悪化しマイナスになった場合は、残された人生に狂いが生じるので、安全な国債などした。

私は小心者のせいか株、投資信託などのハイリターン、ハイリスクで、
残された大切な人生に一喜一憂するのは、何よりも心身によくないと思ったりした。

そして、貯金関係は殆ど国債の元本保証プラスわずかな金利、そして定期貯金を選定したのである。
                                 

こうした私たち夫婦の根底には、バブル期の終了まじかに、投資信託に失敗したことがあったことが主因であった。
バブル期、私は現役のサラリーマンであり、同僚たちが盛んに株の売買で、高揚していた。

そして私は基本的な私たちの生活資金として、この当時は預貯金は1000万に到達していない上、
小心者の為に株のハイリターン、ハイリスクは避けて、ボーナスを頂くたびに定期貯金に加算したりしていた。

やがてある証券会社より、投資信託の勧誘のパンフレットが郵送され、
何かしら四半期毎に8%~12%の利回りがあった、と直近の四半期実績推移表が添付していた。

こうした中で、私は天下のXX証券が、世界中の資金を運用するプロの集団だから、と信頼して、
取りあえず100万円だけ、我が家は投資した。

やがて一年過ぎた頃、結果として元本の100万円の消えて、精算は85万円にお詫び状が付いていた。
そして我が家は少なくとも15万円も損失したので、これ以来どのような証券会社より勧誘が来ても、
無視をしたりしてきた。
                    

我が家は国債を二千万円足らずを購入しているが、絶対的に大丈夫、と問われれば、
『国債が駄目になった時は、日本が滅びる時である・・その時は私たちの生命財産はもとより保障されないので・・』
と私は今でも公言をしている。

このように我が家は預貯金に関しては、元本保証プラスわずかな金利主義となっている。


確か年金生活を始めた翌年の2005年(平成17年)頃に、
外資のシティバンクの新聞に《・・金融資産1億円の方に・・》と掲載していた。

私はこっそりと読んだりしたが、金融資産と住宅の敷地の固定資産評価額を加算したら1億円は超えるが、
とても金融資産1億円は・・と項垂(うなだ)れたりした。
            

今回の記事に於いて、《・・日本銀行がマイナス金利を決定した後、普通預金の金利を「0・001%」という超低金利にまで下げる銀行が出てきた。
100万円を預けた場合、年間金利は10円。
振り込みやATM利用で100円超の手数料を取られた途端、損をすることになる・・》溜息をしたりした・・。

私が利用している銀行の現金自動預け払い機(ATM)に於いて、
現金を引き出す際の出金手数料は、日中は無料だが、早朝や夜間、土日などは1回につき108~216円(税込み)を要している、

こうした対策として、過日、コンビニなどのATMでの出金手数料を無料にする場合があると知り、
ゆうちょ銀行では、首都圏などのファミリーマート約500店にある「ゆうちょATM」で、24時間365日無料、と学んだりした。

そして今回の記事に於いて、今後の少しまとまった預金は、やはり《日本国債『変動10』、
と教示されたりした。
            

年金に関しては、少子高齢化の社会の中、過酷な現実として、社会保障費の年金、医療、介護なとで、毎年一兆円が増加している。
過ぎし年に学んだことは、2014年度の年金給付総額は56兆円となる中、
公的保険料から35・4兆円、国から補助12・4兆円、積立金の運営収入など8・2兆円、
と実態を改めて知ると、私は少なくとも年金の実質減額は、やむえないなぁ、と私は微苦笑したりした。

そして年金支給額は、ここ10数年は減少することはあっても、増えることはない実態となっている。

今回の記事に於いて、これから年金を受ける人は、
受給開始を繰り上げて60歳からもらうことも、ひとつの対策だ、と学び、
私は62歳に年金満額であったが、60歳より年金生活を始めたひとりであったので、微苦笑させられた。

しかしながら、今回の年金の記事に於いて、《・・現在の経済状況の延長線上で考えるなら、年金財政は2051年を待たずに必ず破綻する・・》
は悲観論者であり、溜息を重ねたりした・・。
            

やがて何かとプラス思考の私は、経済復興を信愛しているので、
少しは悪化しても、破綻することはない、と思案しているひとりである。

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都心の郊外に住む我が家、遅ればせながら白梅が、恥じらうように咲き始めて・・。

2016-02-17 15:29:16 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の71歳の身であるが、
雑木の多い小庭の中、古ぼけた一軒屋に住んでいる。

昨日の午前中のひととき、いつもように家内から依頼された品を求めに、独りでスーパーで買物した後、
帰宅後、独りで自宅から数キロ以内の住宅街、遊歩道をひたすら歩き廻ったりした。

そして帰宅後、門扉から玄関に向かう石段を上がると、塀際に植えている白梅が咲いていたことに気付いた。
たわわに大きく膨らんだ莟〈つぼみ〉の中で、純白の花を見つけて、
数えたら5輪ばかりあり、恥じらうように咲いていた。

何かしら私は見惚れていると、遅れてごめんなさい、といったような風情で咲き始めて、
私は微苦笑したりした。

微苦笑させられたは、私は何かと遅れた人生航路を歩み、
読書の魅力に気付かされたのも高校に入学してまもない時であったし、民間会社の中途入社できたのも25歳、
そして結婚したのも31歳であり、何かとこの人生の歩みが遅い航路となったりした。

このように主(あるじ)の私にに似た遅咲きの白梅が、愛(いと)おしく感じて、微苦笑をしたであった。
            
               ☆掲載した写真すべて、我が家の小庭で、たわむれに撮った☆

ここ数週間、私は散策の時、早春の花にめぐり逢いを求めて、
自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、小公園、或いは近くに流れている野川の上流3キロぐらい歩いた先の都立・神代植物園を訪ねたりして、
椿(ツバキ)、水仙、福寿草、クリスマスローズ、ボケ、白梅、紅梅などを多彩な色合いを鑑賞してきた・・。

そして偶然に、それぞれの花にめぐり逢えると、長らく見惚れたりし、一期一会ですねぇ、
と思いを深めて、やがてデジカメで記憶のかたみとして撮ったりしてきた。
            

私は幼年期に農家の児として育った為か、生家の庭の片隅にある梅の純白な花が満開を過ぎると、
ときおり微風が吹くと、かすかに花びらが揺れて、やがて花びらが舞いながら地上の黒土に彩(いろど)る情景が、
圧倒的に魅せられてきた。

やがて私が生家の近くに一軒家を新築して、まもなく親戚から白梅としだれ紅梅をお祝いとして頂いたりした。

そして8年過ぎた40歳を過ぎた頃から、白梅は、
朝方のひとときは、この世に比類のない清麗の美を感じ、
昼下りの陽射しの中では、早春の訪れを実感させられ、
夜の薄闇の中に於いては、白き花が浮かんだりした情景を眺めると妖艶さも感じたりしてきた。

やがて定年退職後、多々の理由で年金生活を始め、初めて早春を迎えた時、
俳句を詠(よ)む素養はない私でも、たわむれに数句を脳裏に浮かべたりした・・。
            

凛(りん)として ほのかに匂ふ 梅の花
梅の花 人知(ひとし)れず咲き 匂い寄せ
このような秘かに咲く 冬麗(とうれい)のなか 梅匂い

このような拙(つたな)さがある句に、やはり私は散文で綴る方が気楽だねぇ、と微苦笑したりした。

そして白梅は、その人の心情を映す合わせ鏡のような多彩な色合いを見せて下さる花でもあり、
私は四季折々の花木の中で、特に魅了される花のひとつである。


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「自己免疫力」を徹底強化する身近な食材「ベスト・イレブン」を学び、私は微苦笑を重ねて・・。

2016-02-16 16:01:56 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
午前中のひととき、いつもように家内から依頼された品を求めに、独りでスーパーで買物した後、
本日も帰宅後、独りで自宅から数キロ以内の住宅街、遊歩道をひたすら歩き廻ったりした。

午後のひととき、ネットでニュースを見ようとしたら、
【 身近な食材「ベスト・イレブン」による最強レシピ 「自己免疫力」を徹底強化する最新技術(1)】
と題された記事に、どのようなことなかしら、思いながら記事を精読した。

まもなく記事を読み終えた後、やがて私は微苦笑させられたりした・・。

この記事は、『週刊新潮』2015年12月31日・2016年1月7日新年特大号に掲載され、
新潮社の総合ニュースサイト【ディリー新潮】に配信され、この中の一部を無断ながら転載させて頂く。

《・・太古の昔、生物の寿命を決定づけていたのは、生来の免疫力の差。
それと口にできる食べ物奈何(いかん)であった。

そこで免疫力を最大に高め、この冬を医者いらずで乗り切るための食材「ベスト・イレブン」と
それらを連動させた最強料理をご紹介したい。
            
              ☆掲載した写真すべて、本日散策の時、記憶のかたみとして撮った☆

◎身近な食材

イレブンの顔ぶれとプロフィールからお伝えしよう。

【1・ニンニク】
米国立がん研究所が、がん予防フードのピラミッドの頂点に認定。アリシンという成分に強力な免疫増強作用や抗ウイルス作用がある。

【2・キャベツ】
イソチオシアネートという成分は、肝臓内の解毒酵素の働きを促進し、がん細胞を抑える。

【3・ヨーグルト】
善玉菌のエサとなる乳酸菌が腸内フローラの環境を良くし、免疫力をアップさせる。

【4・納豆】
大豆に含まれるサポニンは強い抗酸化作用がある。
納豆には、スーパーオキシドデスムターゼというさらに強力な抗酸化物質が含まれる。

【5・刺身(鮭・青魚)と生卵】
生魚や生卵にはアミノ酸の一種、グルタミンが大量に含まれており、リンパ球の栄養分になる。
熱すると壊れるので、生で摂るべし。

鮭にはアスタキサンチンという色素があり、強大な抗酸化作用がある。
また青魚のEPA、DHAにもがん発生を抑える疫学調査の結果が出ている。

卵黄には、抗酸化ビタミンも多い。

【6・鶏の胸肉】
鶏肉のカルノシンやアンセリンというアミノ酸に抗酸化効力がある。
とりわけ胸肉には、イミダペプチドという「抗疲労成分」も多量に含まれる。
冬季、長距離を飛ぶため、渡り鳥の胸肉には、この「抗疲労成分」が凝縮されているという。

【7・海藻類】
コンブ、ワカメ、メカブなどには、フコイダンというぬめり成分が含まれている。
免疫機能を向上させるインターフェロンを増やす働きがあり、がん予防に効果がある。

【8・ブロッコリー】
スルフォラファンという成分には、解毒酵素の働きを活性化し、発がん物質を無毒化する作用や、優れた抗酸化作用がある。
発芽後2~3日の「ブロッコリースプラウト」が最も濃度が高くなることが分かっている。

【9・ニンジン】
βカロテンには活性酸素を強力に除去する作用があり、細胞のがん化を抑える力を持つ。

【10・キノコ類】
βグルカンという免疫力増強に有効な成分が含まれる。

【11・リンゴ】
皮の部分の食物繊維ペクチンには善玉菌の繁殖を促す効用があり、大腸がんを予防。
抗酸化作用をもつ10種のポリフェノール成分も含まれる。・・》
            

この記事は、上記の食材「ベスト・イレブン」を取り上げた後、
レシピのプレゼンターとして、料理研究家歴20年の管理栄養士、村田裕子さんが料理例を紹介している。

この後、がん予防と食事の関係に詳しい、西台クリニック画像診断センターの済陽(わたよう)高穂院長が解析されいる。
ご興味のある方は、全ての記事が掲載されている内容を、あえて添付する。
http://www.dailyshincho.jp/article/2016/01070700/?all=1
☆【ディリー新潮】==>『身近な食材「ベスト・イレブン」による最強レシピ 「自己免疫力」を徹底強化する最新技術(1)】』☆

私は民間会社の苦楽の多い中小業の会社に35年近く奮戦し、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
多々の理由で年金生活を始め、早や12年生となっている身である。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
私は食事に関しては、何かと単細胞の為に、年金生活12年となっているが、真実一路のようにパターン化している。
従って、今回の記事に於いて、推薦される食材と少し違うかしら、と微苦笑を重ねたりした。

私の朝食の原則として、前菜を必ず頂いている。
キャベツを千切って電子レンジで少し温めて、もずく三杯酢をかけて盛大に頂くこともあるが、
或いはタマネギをスライスし、生ワカメとあえて、
そしてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、大きな皿に盛大に食べたりしている。

やがて十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、カブの醤油漬け、カブの葉の塩漬け、焼きノリ、
そしてシャケの瓶づめ、或いはサバ缶のミソ煮で頂くことが多い。

こうした根底には、私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の代表とされる『一汁三菜』の真似事をし、
これが飽(あ)きたら日本人はやめるょ、と心の中で呟(つぶや)いたりしている。
            

家内は時折つきあうが、大半は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、ホット・コーヒーを飲みながら頂くことが多い。
そしてバナナなど果物も食べたりしている。

昼食はフランスバンを三分の一ぐらい私は食べたりしているが、
家内はケーキのような菓子パンを食べることが多い。
そして昼食は、お互いに自由な時間で頂いているのが、実態となっている。

やがて夕食の時は、私は、朝食と同様な前菜を盛大に食べた後、
牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉などのいずれかを野菜を加えて、多めに頂いたりし、
ときにはシイタケ、シメジ、マイタケなどの茸(きのこ)も好きで、食べたりしている。

家内は肉と野菜を食べたりした後、プリンかショートケーキを食べたりしている。

こうした朝食、夕食を頂いている中でも、
私は平素は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、男の癖におしゃべりで、
家内と談笑をしたりしている。

このように定例的な我が家の食事内容となっている。
            

ここ半年前の頃から、冷凍食品のブロッコリーが加わっている。

たまたま最寄のスーパーには、ニチレイの『高原育ちのブロッコリー』があり、
一袋には生鮮ブロッコリー約1・3株分で、250グラムで、これを電子レンジで温めて、頂いている。

私は9割方、ミッカンぽん酢とお醤油をかけて、盛大に食べ、家内は一割を食べ、
お互いに朝、夕食に賞味しているので、我が家は日に2袋愛食している。

私は前菜として、今朝もタマネギをスライスし、生ワカメとあえたのを盛大に食べた後、
ブロッコリー220グラムを頂いている。

何かしら私は、もとより味も良いし、「自己免疫力」も向上して、
何よりも口の中、食道、胃、大腸まで浄化してくれると思いながら、
私の好物となったりしている。

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国民健康保険高齢者の私でも、初めて高額療養費の還付金を受けて、微苦笑して・・。

2016-02-15 15:13:59 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の住む年金生活の71歳の身であるが、
過ぎし12日の金曜日の夕暮れ、門扉に近い郵便受け入れ箱を見たら、
調布市役所の福祉健康部・保険年金課より私宛に葉書が郵送されていた。

やがて私は居間に戻り、何かしらと思いながら、秘密保護シートがあったので、
剥がすと『国民健康保険 高額療養費のお知らせ』と題されて、
診察年月(27年11月)、支給予定額(4、500円)、受診者(私の氏名)が明示されていた。

私は国民健康保険に加入して、一昨年の9月に70歳の誕生日を迎える直前に、
市から『国民健康保険高齢受給者証』が郵送され、3月以前に生まれていたら1割負担と知り、
無念ながら2割負担と知り、微苦笑させられたりした。

今回の通知書は、何かしら同じ月に医療機関に支払った保険診療の自己負担額を全て合計し、
所得(私は同世代の殆ど方と同様に『一般』)に応じて自己負担が12、000円の限度額を越えた場合、
越えた金額が後から支給される、こうした条件により、私は初めて高額療養費の還付金を受けることとなった。

私が一か月以内に自己負担が12、000円の限度額を越えた主因は、
私が白内障の手術を左眼、右眼の両眼を受け、保険対象外で手術代だけでも、
342000円X2=684000円となったりしたことである。
            

そして今回、申請すれば、還付金を受けられると知り、手続きが明記されていた。

①この通知はがき
②印鑑(認め印)
③上記診療年月に受診した分の医療費の領収書(全部)
④保険証
⑤上記受診者全員の個人番号(マイナンバー)がわかるもの
⑥振込先となる所帯主名義の口座がわかるもの

このように記載されていたが、《医療費の領収書》には困ったなぁ、と思った。
私は過ぎし2日に、武蔵府中税務署に『所得税の確定申告』で医療費控除を受ける為に、
領収書を添付して郵送してしまったので、手元にはなかったのである。

しかしながら、この通知はがきの片隅に、
《申告に領収書を出された場合は、その旨窓口でお申し出ください》とスタンプで印字され、
私は微笑んだりした。
            

本日、私は久々に市役所に行った。

やがて、保険年金課の若き30歳前後の男性担当者に、所定の書類などを提示し、
所得税の確定申告書の私の控を見せて、医療の領収書がないことを承諾して頂き、
やがて支給4、500円、3月2日振込予定の認可印を頂いたりした。

余談であるが、私は初めてマイナンバーを活用したが、
このようなことで使うとは、家内が最近よく呟(つぶや)くことを真似すれば、びっくりぽん、である。

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