夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

映画好き鎌田實医師が選ぶ「大好きな音楽映画」ベスト10、高齢者の私は学び、やがて私のベスト10は・・。

2020-08-31 14:37:10 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく76歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 NEWSポストセブン 】を見たりしていると、
映画好き鎌田實医師が選ぶ「大好きな音楽映画」ベスト10、

と題された見出しを見たりした・・。

私は
諏訪中央病院名誉院長の鎌田 實(かまた・みのる)さんにに関して、
お逢いしたことはないが、テレビで視聴したり書物を読んだりして、
 敬愛を深めている御方となっているが、
今回、鎌田 實さんが映画好きと知ったりした。



私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退して、
映画青年の真似事をした時代もあったりした・・。

このような関係で、鎌田 實さんは映画のどのような作品が好感されているか、
ほぼ同世代の私は、知的好奇心に負けて、記事を精読してしまった・・。

この記事は、『週刊ポスト2020年8月28日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の公式サイトの【 NEWSポストセブン 】に8月21日に配信され、

無断であるが記事の大半を転載させて頂く。 


《・・新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、
行動自粛が呼びかけられてからかなりの期間が経った。

2019年より前とは違う生活を心がけるにあたり、疲れてきた人も目立つなか、
諏訪中央病院名誉院長で長野県茅野市在住の鎌田實医師が、
コロナ疲れを吹き飛ばす映画鑑賞法について紹介する。

 

3月からの5か月間、自宅のある茅野を出たのはたった2回。
取材や仕事の打ち合わせは、オンライン、
テレビやラジオの出演もオンラインで、難なく行なっている。

毎週のように講演会などで全国をまわっていた“旅暮らし”が、
もう大昔のことのようだ。

浮いた時間、古い映画を見始めたら止まらなくなった。
まず『モロッコ』。

久しぶりに見たが、何度見てもすばらしい。
90年前にこんな映画が作られていたなんて、信じられない。

監督はジョセフ・フォン・スタンバーグ。
外人部隊の基地があるモガドールという町に、傭兵としてゲイリー・クーパーがやってくる。

マレーネ・デートリッヒが演じるのは、食い詰めた歌姫。
シルクハットのシルエットで登場するシーンは、実に美しい。

恋に落ちた2人だが、クーパーは鏡に口紅で グッドラックと書いて、
砂漠の戦場へと去っていく。

デートリッヒは、婚約を決めたお金持ちに別れのキスをして、
砂漠に向かって歩き出す。

勇壮な鼓笛隊に送られた兵士のあとを追って、
ハイヒールを脱ぎ、灼熱の砂漠を素足で歩き始めるエンディングは実に見事だ。

デートリッヒはこの映画の後、大女優になっていく。
アガサ・クリスティの『検察側の証人』を原作にした、ビリー・ワイルダー監督の『情婦』では、
タイロン・パワーを相手役に、妖艶な美しさを見せつけている。



ゲイリー・クーパーの作品も追っかけてみた。
彼がアカデミー主演男優賞を取ったのが『真昼の決闘』。

西部劇のぼくのおすすめは、この作品か『荒野の決闘』。
ジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演の『荒野の決闘』は、
女性が見ても楽しめるのではないか。

この映画が作られたのは、ぼくが生まれた年の2年前の1946年。
 大学生になってから、文芸座の3本立てで観たような記憶がある。

小説にも飛んでみた。
映画『モロッコ』と同じ、モガドールを舞台にした小説『空気の名前』(アルベルト・ルイ=サンチェス著、白水社)という小説を、
数年前、アフリカを旅行しながら読んだ。

女性へと脱皮していく少女を、メキシコ出身の作家が美しい文体で描写している。



映画館に少しずつ人が戻りつつあるなかで、
『海の上のピアニスト』が約20年ぶりに4Kデジタル修復版と、
当初イタリアで公開された170分版で、8月21日からロードショーされる。

DVDで見たが、映像が美しく、すばらしい。
監督は『ニュー・シネマ・パラダイス』や『鑑定士と顔のない依頼人』のジュゼッペ・トルナトーレ。

生まれてから一度も船から下りたことのないピアニストが、
ジャズピアニストと船の上で対決する。これが圧巻だ。

映画と音楽は、切り離すことができない。
映像を見ると音楽を思い出し、音楽を聴くと映像を思い出す。



そこで、記憶をたどりながら大好きな音楽映画ベスト10という遊びを始めてみた。

1位は、見終わった直後だったこともあって、やっぱり『海の上のピアニスト』。

2位は2年前大ヒットした『ボヘミアン・ラプソディ』。

3位は第二次世界大戦におけるワルシャワを舞台にした、ロマン・ポランスキー監督の『戦場のピアニスト』。
『ローズマリーの赤ちゃん』のポランスキーが、こんな映画を作るのかと思って感動したのを覚えている。

4位は、天才モーツァルトを描いた『アマデウス』。
映画としてうまくできているなと思った。

5位はキューバの日常を描いた音楽ドキュメンタリー『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』。
音楽を楽しんでいるオッサンたちがいると思うとうれしくなった。

6位は『セッション』。
鬼コーチとドラマーというスポコン的映画だが、鬼気迫る演奏に気分が高揚する。

7位は、『ブルース・ブラザース』。

8位は『Ray/レイ』。レイ・チャールズの伝記映画だ。

9位はぼくが大好きなチェット・ベイカーを描いた『ブルーに生まれついて』。
麻薬の売人から顎を砕かれ、前歯を失ってからトランペットの演奏が難しくなり、歌うようになった。
この歌が暗くていいのだ。

10位は『ジャニス リトル・ガール・ブルー』。
ジャニス・ジョプリンのドキュメント映画だ。


こうやって考え始めると、ベスト10では収まりきらない。
『シェルブールの雨傘』は20歳のカトリーヌ・ドヌーヴが美しく、ミシェル・ルグランの音楽もすばらしかった。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』もいいし、
『天使にラブ・ソングを・・・』も大好き。

『MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス空白の5年間』という映画もなかなか渋いいい映画だ。
『ピアノ・レッスン』は、映像も美しくて音楽も優れていた。




しつこい性分のぼくは、今度は、音楽映画じゃなくて、
映画音楽だったら何が好きかな、と考えた。

1位は『カサブランカ』の「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」、

2位は『明日に向って撃て!』のバート・バカラックの音楽、

3位は『死刑台のエレベーター』マイルス・デイヴィスのトランペットの即興的な演奏が渋くてすごい。

4位は黒澤明の『七人の侍』。

5位は『ロッキー』。「ロッキーのテーマ」は筋トレの定番である。

こうやって、コロナ自粛中に遊んでいると、あっと言う間に時間が経っていく。(略)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



私の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

こうした中、ブログの投稿文を綴ったり、数多くの御方の投稿文を読ませて頂き、
多々シニア世代の日常生活を学び、人生の確かな教科書と学んだりしている。




私は恥ずかしながら青年時代に、映画、そして文学青年の真似事をして敗退し、
やがて音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めた為か、
書物やビデオ・テープ、DVDなどの映画作品、或いはレコード、カセット、CD、DVDなどの音楽作品は、
程々に所有している。

たとえば、その日に観たい映画は、居間にある映画棚が引き抜いて、
少し大きなテレビ画面を通して、鑑賞している。

             

そして私なりのつたない鑑賞歴でも、魅了された作品は、何回でも観るタイプである。

例えば邦画の場合は、『二十四の瞳』、『東京物語』、『浮雲』、『雨月物語』等である。

洋画に関しては、『街の灯』、『市民ケーン』、『第三の男』、『逢びき』、『ライムライト』、
『ジョニーは戦場に行った』等は、10年ごとに観たりしている。

或いは最初の一ヶ月に於いて、少なくとも10回以上熱中して観る映画もある。
邦画の『七人の侍』、『用心棒』、『駅~STATION~』、
洋画の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』、『ディア・ハンター』、
『ゴットファーザ Ⅱ』などが鮮明に記憶に残っている。
               
このように若き時代の一時には、映画館に通ったりして、程ほどに映画作品を鑑賞してきたので、
1966(昭和41)年頃までに上映された作品は知っているつもりであるが、
その後は数多くのサラリーマンと同様に多忙な時代を過ごしたので、余り鑑賞する機会がなくなった。

            
 

定年後は年金生活をして、ときおり居間の映画棚に保管してあるビデオテープ、DVDの1000作品ぐらいを
居間のテレビを通して鑑賞したりしている。

しかしながら、2000年(平成12年)の頃までに制作された作品が圧倒的に多いので、
古き良き時代の映画の愛好者のひとりかしら、と微苦笑する時もある。

そして私は、その時に観たい映画作品は、何故かしら、やはり季節に応じて観てしまう。


 
          
冬の季節の時などは、『アラビアのロレンス』、『プラトーン』、
『イングリッシュ・ペイシェント』等の砂漠、荒野、ジャングルの背景が多くなる。

そして夏の時節は、『ドクトル・ジバコ』、『カサブランカ』、『かくも長き不在』等の
寒冷地、静寂な戦争を背景にした選定が多くなったりしている。

不思議なことであるが、猛暑の夏の時、『アラビアのロレンス』の砂漠、
『戦場にかける橋』の熱帯林の背景は、やはり暑くて落ち着かないのである。

かといって、居間を寒いぐらいに冷房を冷やして、
鑑賞するのは映画の内容からして、おかしな事と思ったりしている。

このようにして私は鑑賞しているが、1950年代、1960年代の公開された作品が圧倒的に多く、
ときおり私は、どうしてかしらと微苦笑したりしている。

                          

そして私の拙(つたな)いなりの観賞歴であり、映画青年の真似事をして敗退した身なので、
感銘させられた作品には、リスペクト(尊敬)や敬意をしている上、
過ぎし年に私はベストテンを勝手に選定している。

映画専門雑誌の名高い『キネマ旬報』の1999年10月上旬特別号 として、
『映画人が選んだオールタイム・ベスト100の外国映画編』を購読し、
私なりに喚起させられて、まもなく選定した私の洋画のベストテンである。

①『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』セルジオ・レオーネ監督(1984年)
②『ディア・ハンター』マイケル・チミノ監督(1979年)
③『イングリュシュ・ペイシェント』アンソニー・ミンゲラ監督(1979年)
④『ピアノ・レッスン』ジェーン・カンピオン監督(1993年)
⑤『かくも長き不在』アンリ・コルピ監督(1961年)
⑥『街の灯』チャールズ・チャップリン監督(1931年)
⑦『ゴットファーザー(三部作)』フランシス・F・コツポラ監督(1972・1974・1990年)
⑧『自転車泥棒』ヴィットリオ・デ・シーカ監督(1948年)
⑨『ジョニーは戦場へ行った』ドルトン・トランボ監督(1973年)
⑩『逢びき』 デイヴィッド・リーン監督(1945年)

数多(あまた)の感動をもたらしてくれた作品の中より選定するのが、
もとより酷な作業で、『時』が人生にもたらす影響をヒントに選定したが、
いずれがベストワンになっても良い作品とも思ったりしている。

そして選定の際に於いて、 『第三の男』キャロル・リード監督 (1949年)、
『市民ケーン』オーソン・ウェルズ監督(1941年)、『アラビアのロレンス』 デイヴィッド・リーン監督(1962年)、
『許されざる』クリント・イーストウッド監督(1992年) 、『カサブランカ』マイケル・カーチス監督(1943年)等は
最後まで検討させられた作品でもある。 《1999年9月29日、私の日記より》

そして小説、映画、音楽などの選定する時は、その人の性格、人格、思想を表わす、と改めて気付かされたりしている。

             

この後も、キネマ旬報』の1999年10月下旬特別号として、
『映画人が選んだオールタイム・ベスト100の日本映画編』を購読し、
私なりに喚起させられて、まもなく選定した私の邦画のベストテンである。

①『駅 STATION』降旗康男 ・監督(1981年)
②『用心棒』黒澤 明・監督(1961年)
③『人間の條件(全六部作)』小林正樹・監督(1959~61年)
④『東京物語』小津安二郎・監督(1953年)
⑤『七人の侍』黒澤 明・監督(1954年)
⑥『浮雲』成瀬巳喜男・監督(1955年)
⑦『雨月物語』溝口健二・監督(1953年)
⑧『飢餓海峡』内田吐夢・監督(1964年)
⑨『切腹』小林正樹・監督(1962年)
⑩『砂の器』野村芳太郎 ・監督(1974年)

洋画と同様に、【時】が人生にもたらす影響をヒントに選定したが、
上記のいずれがベストワンになっても良い作品でもある。《2003年8月16日、私の日記より》

こうした選定作業の時、その人の人生を歩いてきた思考の全てが反映する、と改めて感じたりした。 




このように当時の私は選定したが、邦画に関しては、ここ数年は、
小学5年生の時に、独りで映画館で観た『楢山節考』木下恵介・監督(1958年)が、
私のベストワンだ、と思い返したりしている。

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新型コロナは感染すると突如「20歳」老化する「玉手箱」、高齢者の私は学び、驚嘆して・・。

2020-08-30 13:54:34 | ささやかな古稀からの思い
私は年金生活のまもなく76歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 産経デジタル 】を見ていたら、
『感染すると突如「20歳」老化する!? 新型コロナは「玉手箱ウイルス」』、
と題された見出しを見たりした。

もとより私は新型コロナの感染が怖くて三密を守るように生活しているが、
感染したら困苦するので、こっそり記事を読んだりした・・。

この記事は、7月31日に配信されていた古い記事であるが、
新型コロナの難題は終息していないので、
シニア世代と共有致しく、記事の大半を転載させて頂く。



《・・東京都や大阪府、愛知県など全国で
感染爆発状態の新型コロナウイルス。

これまでは重症者数や死者数が多くないが、
日本医科大学特任教授の北村義浩氏(感染症学)は、
新型コロナに感染すると約20歳も老化したかのように症状が悪化することから、
昔話の浦島太郎になぞらえて「玉手箱ウイルス」と名付け、
高齢者に警戒を促している。

(略)



やはり懸念されるのが、高齢者の死亡・重症化リスクだという。

北村氏は、「20代の健康な若者にすれば『ただの風邪』で終わることもあるが、
60歳以上が感染した際の症状の悪化度合いは、
突如年齢が20歳高くなるようなイメージだ。
『玉手箱ウイルス』といってもいいと思う」と指摘する。

熊本県では高齢者施設でクラスター(感染者集団)が発生したほか、
 20~30代の若者が無症状のまま高齢者に感染させる恐れもある。

地方自治体は不要不急の外出自粛なども呼びかけるが、
政府は緊急事態宣言の再発令には否定的だ。

感染対策と経済復興は両立できるのか。
北村氏は「感染を抑止するには、波が来た瞬間にロックダウン(都市封鎖)するのが一番いいが、
経済は疲弊してしまうので両立は難しい。マスクや手洗いだけでなく、
接触確認アプリ(COCOA)の活用や検査の充実も重要だ」と述べた。

新型コロナウイルス感染症対策分科会の対応も急務だ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



今回、日本医科大学特任教授の北村義浩氏(感染症学)の的言に導かれて、

多々教示されたりした・・。

私は東京の調布市の片隅に住む身であるが、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

こうした中で、もとより私は新型コロナの感染が怖くて、
三密を守るように生活しているが、万一感染したら、
76歳 + 突如「20歳」老化した場合、96歳かょ・・
勘弁して欲しいよなぁ・・驚嘆してしまった。



私が突然に96歳の容姿になってしまったら、
今70歳の家内は、私の姿を見き分けられるかしら、と苦笑したりしている。
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年金7万円で暮らせる「ケアハウス」、高齢者の私は学び、やがて晩秋期に少し安堵して・・。

2020-08-29 14:23:40 | ささやかな古稀からの思い
私は年金生活のまもなく76歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 AERA dot.】に於いて、
何かしら『 年金7万円で暮らせる「ケアハウス」・・』と題された見出しを見たりした
・・。

私は東京の調布市の片隅に住む身であるが、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私たち夫婦にとって難題は、やはり晩秋期の不安は、いつの日にか、介護・要となり、
介護施設にお世話になる時と思われる。


          
          

こうした中、要介護認定されている場合は、
特別養護老人ホーム(特養)や介護老人保健施設(老健)などの介護施設のほか、
有料老人ホーム、 介護型のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)などを学んだりしてきた。              

そして私たち夫婦は、いつの日にか『要支援』までであったら、何とか自宅で過ごせると思われるが、
やはり『要介護』になってしまったら、やむなく介護施設に入居すると思案したりしてきた。

やがてどちらかが、国の支援を受けている費用が程ほどに適度な特別養護老人ホームに、
入居が叶(かな)わなくなってしまった時、困苦する。 
         
やむなく高価と称されている有料老人ホームに、断腸の思いで自宅の敷地を売却して、
介護施設に入居しなくてはならない場合もある。

もとより介護の難題は、いつまで介護を受ける必要な期間が判らず、
やがて永がられば本人の自己負担額が増し、貯金は切り崩しても資金不足となり、
当然ながら、退所が余儀なくされて、行き場がなく迷子のような介護難民になることである。




このような不安を秘めている私は、今回の《・・年金7万円で暮らせる「ケアハウス」 ・・》って、

どのようなことなの、と思いながら記事を精読してしまった。

この記事は、『週刊朝日』の2020年8月14日ー21日合併号に掲載された記事のひとつであり、
関連の公式サイトの【 AERA dot.】に8月16日に配信され、
無断であるが記事の大半を転載させて頂く。

《・・コロナ不況で将来が不安になる中で、
年金で暮らせる「ケアハウス」(軽費高齢者ホーム)の人気が高まっている。

あまり知られていないが、自治体が建設費と運営費を補助するので、
他の高齢者ホームよりお得なのだ。

ライター・栗原道子氏が利用者にその魅力を聞いた。



「コロナで自粛中でも、散歩は自由です。
周囲は緑がいっぱいあり、北里病院も近いです」

こう言うのは相模原市(神奈川県)にあるケアハウス「グレープハウス」に入居する80代女性だ。

グレープハウスは3階建てのマンションのような外観。

築21年だが、中に入るとピカピカの廊下が目に入る。
掃除が行き届いている。

部屋は全て個室で、一人用は24.48平方メートル、

夫婦用は49.25平方メートルで広い。

一人用24室、夫婦用3室で、定員は30名。
部屋には、ミニキッチンやトイレ、浴室などが付いている。

費用は、収入や人数などで異なるが、
例えば、単身者で管理費を入居時に120万円支払った場合、
家賃、3食付きの生活費、事務費、光熱費を含めて月額8万~10万円で済む。

ケアハウスは、社会福祉法人などが運営する福祉施設だ。

自治体から建設費・運営費の補助を受けている公共性の高い施設のため、
家賃などの費用が有料高齢者ホーム、サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)よりお得だ。



ケアハウスには、自立支援型と介護型の二つの種類がある。


自立支援型は、独居生活に不安を抱える60歳以上、
介護型は、要介護1以上の65歳以上が対象だ。

自立支援型は、介護サービスは付いていない。

介護が必要になった場合は、外部の介護サービスを契約するか、
退去する必要がある。

介護型は、衣服の着脱、ベッドから車椅子への移乗、食事やトイレ、洗顔、
入浴の介助、病院への送り迎えなどを行う。

要介護度が上がっても、住み続けることができる。
看取りまでしてくれるところもある。

また、入居時は「自立型」で、最期まで看てくれる「介護型」を併せ持つ「混合型」もある。

 低所得者向けのイメージもあるが、所得制限はない。
実は誰でも申し込むことができる“穴場”なのだ。



利用者はどういったところに魅力を感じているのか。

グレープハウスは自立支援型で、
前出の女性は、このケアハウスにたどり着くまでにいろんな高齢者施設を転々としてきた。

夫と、デイサービスと老人保健施設を併せ持った佐野市(栃木県)のサ高住に入居した。

佐野の街も住みやすく気に入っていたが、

夫が先に旅立ち、息子からも「一人になったら近いところに住んでほしい」と言われていたため、
神奈川県内のいくつかのケアハウスを見学し、グレープハウスに決めた。

「私はいくつかの持病がありますので、

それらの専門医院が周辺にあるのも安心です」(女性)



同じケアハウスに住む70代の女性は、

夫を看取ったあと、1人で年金で暮らせる場所を探し、この場所を選んだ。

選んだ理由をこう語る。
「まず料金が低いことがよかったです。

たまに自炊をしてもいいという点にも惹かれました。

ボランティアをしたかったので、
事前にボランティアセンターが近くにあるかも確かめました」




さらにすごいケアハウスもある。
ラポーレ駿河(静岡市)は、鉄筋コンクリート造りで、地上6階建て。
清潔感があり、高級ホテルのようだ。
近くには川が流れ、静岡駅からバスで40分だ。

一人部屋は56
室。ワンルームタイプで、26.26平方メートルの広さ。

バリアフリー設計で、トイレにミニキッチン、収納、洗面所、電話、エアコンも付いている。
洗濯機の設置も可能。
緊急時のナースコールもあり、安心だ。

夫婦部屋は7室。
53.55平方メートルで2DK、8畳の寝室、6畳の和室、12畳のフローリングがある。
他のケアハウスと比べて、かなり広い。
共用設備も充実している。

浴場には季節を感じる坪庭があり、足を伸ばしながら浸かることができる。
「温泉に来た気分になれる」ほどだ。
365日、12時から22時の間で利用することができる。

介護が必要になっても、各フロアに個浴風呂があり、利用できる。
その他にはマッサージチェアやカラオケ設備もある。

食堂は「高級レストラン風」と評価が高い。

管理栄養士が栄養管理を行っており、専門スタッフが食事を3食提供している。
夏野菜を使ったカレーや七夕にちらしずしなど季節に合わせてメニューをつくっている。

食事時間は1時間半とゆったりめだ。
炭火焼きや揚げ物の食べ放題の企画があるなど、イベントも実施している。



3年前にここに引っ越してきた夫婦は、

2人で月14万~15万円で暮らしている。
藤沢市(神奈川県)にあった自宅は売却してきた。

妻は編み物や手芸、夫はグラウンドゴルフの趣味があり、仲間もできて幸せに暮らしているという。

魅力をこう語る。
「費用は安いのに、高級ホテルのようなところがいい。

毎年沖縄に旅行に行けるくらいの余裕がある。

要介護度が上がっても、
同じ法人が運営している特別養護老人ホーム(特養)が近くにあるので、
確実に移れるわけではないですが、そちらに移りたいと考えています。
また、近くに提携病院があるのも安心です」



ケアハウスは2009年に全国で1804施設だったが、

今では2028施設にまで増えた。

「ここ4年でケアハウスが400カ所も増えた。

高齢者が増えたので、増やしている」(厚生労働省老健局高齢者支援課)

東京など首都圏は、居住面積が狭い「都市型ケアハウス」、

地方では、介護型のケアハウスの新設が進んでいるという。

温泉保養館おおゆ(秋田県)、

瀬戸内海が望め、介護力のあるサ高住も併設する、屋島(高松市)などが筆者のおすすめだ。

ただ、運営法人でかなり質の違いがあるので、自分で訪れることが大事だ。



ケアハウスの探し方は難しくない。

まずは住みたい街の都道府県庁のホームページを開く。

そして、検索欄で「ケアハウス一覧」と検索してみよう。
都道府県内のケアハウスの一覧が出てくるはずだ。

または実際に高齢福祉関連を担当する課を訪ねれば、一覧表をもらえる。
わからなければ職員に尋ねてみよう。
東京都の区立以外のケアハウスは全国から入居可だ。

サービス提供費は、介護などサービス提供に必要な事務費だ。
費用はその人の前年度の所得や自治体からの補助金額によって異なる。
前年度の所得が150万円以下の人は、全国共通で月額1万円となっている。
各ケアハウスで所得別の支払額の表がもらえるので、入居前に把握しよう。

その他に介護保険サービスを利用している人は、介護保険負担割合分を個別に払う。

コロナ不況で外出自粛の影響もあり中高年の働き口は減っており、

年金を上積みするための生活費が稼ぎにくい状況が続く。



介護・暮らしジャーナリストの太田差惠子さんはこう指摘する。
「コロナ不況で、今後も60代から70代前半は、年金が削られる。

 有料高齢者ホーム、サ高住は費用が高く、長く居続けられないケースも出てくるので、
ケアハウスを選択肢の一つにしたほうがいい」

(ライター・栗原道子、取材協力/本誌・吉崎洋夫)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



私は記事を読みながら、「ケアハウス」に関しても無知であったので、
多々教示されたりした。

そして記事に添付されている、
             
『ケアハウスの種類』、『おすすめのケアハウス』 (週刊朝日2020年8月14日‐21日合併号より)を見たりした。

そして私は、介護・暮らしジャーナリストの太田差惠子さんの提言、
「コロナ不況で、今後も60代から70代前半は、年金が削られる。
 有料高齢者ホーム、サ高住は費用が高く、長く居続けられないケースも出てくるので、
ケアハウスを選択肢の一つにしたほうがいい」
深く学んだりした。

こうしたことを学び、「ケアハウス」に入居できれば、
晩秋期は何とか介護難民にならず、安楽にすごせそうだよなぁ、
と少し安堵をしたりした。
コメント (2)
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ときおり自身のブログの投稿文より、私は教えられて、独り微苦笑をして・・。

2020-08-28 11:45:25 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく76歳の身であるが、
恥ずかしながらガラケーと称される家内の携帯電話を受信だけ体験し、
そしスマホと省略されているスマートフォンも使えない拙(つたな)い身である。

その上にフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンにも無縁であり、
やむなくインターネットは固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
せめてと思いながら、有線の据え置き型のパソコンとノートパソコンを利用している。

このように無線のモバイル情報機器に、遠い世界の出来事のような思いながら、
稀(まれ)な時代遅れの国民のひとりとなっている・・。




過ぎし年の2004年(平成16年)の秋に民間会社を定年退職後、多々の理由で年金生活を始め、
まもなくブログの世界を知り、国内旅行とか入院、パソコンの故障がない限り、毎日に一通は投稿し、
パソコンを日常の友のひとりとして、愛用している。  
        
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、
そして年金生活の日々の心情を脚色もないありのままの思い、
真情を投稿文に認(したた)めたく、 あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。





こうした中で、60代の投稿文の内容は、やはり幼年期~現役サラリーマン時代の想いでが多く、
或いは年金生活を過ごす実情を脚色もせず、数多くの綴ってきたりした。

やがて70代になると、自身の体力の衰えを実感して、
健康、病気、介護、葬儀、家計などを学んだことに、
私の思いを前後に加味した投稿文に変貌した内容となり、
まるで餡子(あんこ)の入った『お饅頭(まんじゅう)』のような投稿文となり、独り微苦笑する時もある。  
                                     
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
  

                       

こうした中で、一昨日に最寄り駅の近くにある眼科専門医院に通院し、
待合室で待機していた時、(この医院で)白内障の手術を受けたのは、
確か4年前の晩秋だったかしら、
と思いを馳せたりした・・。

しかしながら、過ぎ去った日々は忘れ去ることが多くなり、独り微苦笑をしてしまった・・。

やがて帰宅して昼食後のひととき、パソコンを開き、
自身のブログの投稿文で、白内障の手術を受けた頃を読んだりした・・。

そして2015年11月に白内障の手術を受け、8通ばかり投稿していた・・。

ひさびさに投稿文を読み返して、このような深情で綴っていたのか・・、
と思い重ねて、独り微苦笑をしてしまった。




ここ数年、物忘れが多くなり、溜息を重ねたりしているが、
確か私が小学3年生の頃、 亡き脚本家の菊田一夫(きくた・かずお)さんが
『・・忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ・・』と、
名作の『君の名は』で遺(のこ)された名言に、私は独り微苦笑したりしている。

そして昨今でも、新聞、ネットのニュースなどを読んだり、テレビでニュースを視聴したりすると、
やがて数日後には、忘れてしまうこともあり、つたない私の小さな悩は、 収容できずオバー・フローになり、
 忘れてしまうことで、悩が適度な記憶量に調整を図っている、 と無念ながら思ったりしている・・。




しかしながら時折、家内より『今からボケたら、困るわょ・・』、
と私は叱咤激励をされる時もある。
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コロナ対策と熱中症対策、やさしい柔軟な自己管理で予防、改めて高齢者の私は学び、やがて微笑み・・。

2020-08-27 14:58:41 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく76歳の身であるが、 
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 日刊ゲンダイDIGITAL 】を見ていたら、
『 人がいなければマスクは外してOK  熱中症は柔軟な自己管理で予防する 
と題された見出し を見たりした。

私は年金生活の中で、夏も原則として散策している。

          

こうした中で、私の夏模様として、容姿は制服のようになった半袖のスポーツシャツ、或いはアロハシャツ、
長ズボン、そして夏の帽子を深くかぶり、サングラスを掛け、ウォーキング・シューズで足元を固め、
そして紳士バックを園児のように斜め掛けにして、颯爽と歩いたりしている。

しかしながら陽射しが燦燦と照らす青空の中、歩いたりすると汗ばみ、
ハンドタオルで顔をふいたりし、ときおり扇子を取りだして扇(あお)いだりしているが、
汗がひたたり落り、微苦笑したりしている。

やむなくハンドタオルで顔などを拭いながら、できる限り樹の下にある歩道を歩いているが、
炎天下の道もあるので、高齢者の私でも、人生は気合いだ、と自身を叱咤激励をしたり、
或いは冬の寒さを思い浮かべて、 足早に歩いているのが実情である。
          

こうした時、ときおり  ♪しあわせは 歩いてこない  だから歩いて ゆくんだね・・ 
と何かと単細胞の私は、1968年(昭和43年)の頃に流行(はや)った
【『三百六十五歩のマーチ』の歌を心の中で唄い、歩く時もある。

このように私は、水前寺清子さんが唄った『三百六十五歩のマーチ』の歌に、
ときおり叱咤激励されて、 何とか健康寿命の範囲にいられるので、
作詞された星野哲郎さんに感謝をしながら、 私にとっては心身のビタミン剤だ、と思いを深める時もある。

やがて休憩ねぇ、と思いながら、小公園に寄り、幾重か大きな樹の下にあるベンチに座り、
コンビニで買い求めたペットボドルの煎茶を飲み、水分補給をしたりしている。

          

こうした根底には、高齢者は、脱水を起こしやすい要素をいくつも持っていて、 
放置すると、寝たきりや認知症を招く結果になりかねない、と学んだりしてきた。

そして脱水にならないことは、やはり喉の渇きを感じる前に、
こまめに水分補給は大切だ、 と思いながら実施してきた
     




このように昨年までは、熱中症対策をして熱い夏を乗り越えてきたが、
今年の夏は、コロナ対策のひとつとして、

買物、散策、病院の通院など外出の時は、苦手なマスクを付けてきた。

こうした中で、口の周りが熱く汗ばむようで息苦しくなり、
人影のいない遊歩道、公園などで、こっそりとマスクをはずしたりしている。

このように今年の夏は、コロナ対策と熱中症対策の二重苦で、
体力の衰え、右脚の膝(ひざ)の痛みを感じているので、
重苦の夏だよなぁ・・と微苦笑しながら過ごしている。

このような深情を秘めている私は、今回の記事を読んだりして、
やがて微笑んだりした。

この記事は、公式サイトの【 日刊ゲンダイDIGITAL 】に8月23日に配信され、
無断であるが記事の殆どを転載させて頂く。


 
《・・コロナに脅かされた2020年も、いつの間にか折り返し地点。

緊急事態宣言や自粛要請も解除され、もとの日常が戻りつつあるが、
東京都の感染者数は増減を繰り返しており、依然予断を許さない。

そして、街を歩けば、ほとんどの人がマスクをつけ、
マスクをつけない人は白い目で見られてしまうという、
「新しい日常」はまだまだ続く。

改めて新型コロナ禍での熱中症対策について、
帝京大学医学部附属病院高度救命救急センター長で、
同大学医学部救急医学講座の三宅康史教授に話を聞いた。

同氏は、環境省「熱中症予防声かけプロジェクト」の実行委員長も務める熱中症対策の第一人者である。

「通常は夏に向けて、徐々に身体が暑さに慣れていく暑熱順化が起こりますが、

今年は長引いた外出自粛で、この暑熱順化が進んでいない。

そんななかで、一気に経済活動が再開し、これまでテレワークで朝はのんびりしていた人が、
急に電車通勤を再開して、会社に行く。

さらに今年の夏は、日本人が皆マスクをつけたまま迎えるという、
かつてない夏となります。

これによって熱中症の患者がどのくらい増えるか、
予断を許さない状況です」



本来、人間は冷たい空気を吸うと、温かく湿った空気が呼気として出て、

その分身体が冷やされる。

しかし、マスクをつけたままだと、
息を吸う時に温かくなったマスクを通過してくるので、
温かい空気が身体に入ってくる。

さらに吐く息がマスクを暖めるという悪循環によって、
呼吸によって身体を冷やす効果が圧倒的に落ちてしまうのだ。

「コロナ対策にマスクは必須ですが、

そのマスクによって体温が上がって、熱中症になるリスクが高まるのも確か。

今年の夏は、コロナ対策と熱中症対策、
この両方をきっちりやらないと乗り切れないと言ってもいいでしょう」

もっとも、マスクをするとで顔の表面温度は確かに上がるとはいえ、

 そのために冷房を使ったりこまめに水分を取る人が増えれば、
 熱中症になる人も増えない可能性もある、と三宅医師は補足する。



そもそも、このコロナ禍において、常時マスクをつけていなければいけない、
と思い込むのも間違っているというのだ。

「マスクは、何のためにするのかといと、飛沫を人にかけないため。

特に大声でしゃべったり、くしゃみやせきをしたときに、
飛沫を近くにいる人にかけないためにするのです。

症状はなくても、コロナに感染している可能性はあるから、
人に自分のコロナをうつさないためにマスクをしている。

逆にいえば、周りに人がいない空間だったら、マスクをする必要はないんです。
周囲2メートル以内に人がいない、換気もできている空間なら、
必ずしもマスクをする必要はありません。

マスクをしないと白い目で見られるといっても、
周りに人がいなければ、白い目で見る人もいないわけですから」

道を歩いていても、周囲に人がいなくなったら、外してもいい。

口元が蒸し暑くなってきたら、人気のいないスペースにいって、
マスクを外すのも大いにアリだ。

「もちろん、マスクを外すだけが熱中症予防ではありませんから、

冷たい水分を取るとか、マスクをしたままでもエアコンのきいたところに行って、
冷たい風を浴びるとか、そういったことは積極的にやったほうがいいです。

マスクをしたまま涼しいところで休憩するのも、立派な熱中症の予防策です」



30分歩かなければならないとしたら、
初乗り料金分だけでもタクシーに乗るとか、
途中の喫茶店に入って涼むなどの対処法も前もって考えておく。

水分補給には、自販機でペットボトルを買うよりも、
水筒を持ち歩くのがお勧めだ。

「ペットボトルの水は、すぐにぬるくなってしまいますから、

それよりは水筒の水に氷も入れて持ち歩くのがいい。
冷たいまま維持できる持ち歩き方をするというのがポイントです」




飲み物は水が一番いいが、ジュースやカルピスには糖分を取る効果があるし、
コーラなどの炭酸飲料も、糖分を取るだけでなく、胃腸の動きをよくして
食欲増進効果があるという意味では、身体を元気に保つ効果がある。

コーヒーやビールは、利尿作用があるので熱中症対策にはマイナスだが、
ストレス解消のために適量飲む分には構わない、と三宅医師は話す。

「大事なことは、蒸し暑さを感じたら早めに少し休んだり、水分を取ること。


今年はコロナ対策と熱中症対策の両方をやらなければならない年になりましたが、
このふたつは十分に両立できるのです」‥》


  • 注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



    私は記事を読みながら、
    多々教示されて、微笑んだりした。

    たとえば《・・コーヒーやビールは、利尿作用があるので熱中症対策にはマイナスだが、
    ストレス解消のために適量飲む分には構わない・・》
     
    私は今年の7月に、紳士用の日傘を買い求めたりした。
    そして燦燦と陽射しが照らす時は、外出の散策の時など、
    日傘を差して、幾分涼しいよねぇ・・と独り微笑みながら歩く時もある。
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まもなく76歳になる私、病院に4日連続通うことになり、我ながら微苦笑をして・・。

2020-08-26 12:48:03 | ささやかな古稀からの思い
は東京の調布市に住み、年金生活のまもなく76歳になる身で、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。

こうした中で、私は齢を重ねるたびに最寄り駅の近くにある病院で、
内科、皮膚科、眼科、整形外科、歯科のそれぞれの専門病院に通院したりしてきた。




たまたま昨日の25日の火曜日は、2カ月半前の頃から、
私は手の親指周辺の痛み、
或いは右脚の膝(ひざ)の痛み、そして椅子などに長く座り続けると腰の重さを感じるようになり、
やむなく最寄り駅の近くにある『整形外科』の病院に週に一度のサイクルで通院している。

そして右脚の膝(ひざ)の痛みに関しては、買物、散策などは数キロぐらいは歩けるが、
ただ階段を下りたり、足を高めに上げたりすると痛みが感じて、
齢を重ねるとこうした老化が始まるのかょ・・戸惑いながら微苦笑をしたりしている。

そして私は、毎週の火曜日に、右脚の膝(ひざ)にヒアルロン酸注射を受けた後、
リハビリ機器の腰痛牽引、マイクロ波など療法を受けて、
自宅では
湿布の経皮吸収型鎮痛・抗炎症剤の『ロキソプロフェンNaテープ』を貼ることをしてきた。




私は本日の26日の午前中のひととき、眼科医院に通院した。

過ぎし年の5年前に白内障の手術を左眼、そして右眼の受けて、
それまで酷い近眼の0.03であったが、手術後まもなく0.8前後の視力となったりした。

そして私は高校生よりメガネを愛用してきたが、メガネが55年ぶりに不要となり、
何かと酷い近眼で劣等感を感じてきた私は、人生観さえ変わったりした。

この白内障の手術を受けてきた眼科専門医院は、この前後を含めて、
少なくとも数10回通院してきたので、 医院長をはじめ10数名のスタッフとも、 顔なじみとなり、
私は少し遠慮しながらも談笑したりしている。

          

昨年は3回ばかり訪れて、眼科の多彩な検診を受けた後、
ドライアイ気味の私は、 いつものように眼を保護し、乾燥を防ぐヒアレインと名付けられた『点眼液』を頂き、
殆ど一日に3回ぐらい両眼に点眼している。

http://www.rad-ar.or.jp/siori/kekka.cgi?n=9721
☆  くすりのしおり 公式サイト・・私が点眼しているヒアレイン『点眼液』 ☆

過ぎし白内障の手術を受けて2週間後の当時、
眼科医院の中で、 若き30代の女性スタッフより、ヒアレイン『点眼液』の注(さ)し方を教えて下さった。

『点眼液は、たくさん付けても・・眼から外に出てしまいますので、
たった1滴が最適で、まばたきしなくて、静かに目をつぶって、 1分ぐらいじっとしておくのが良いですよ・・』、
と私は学び、これ以来忠実に守って、今日に至っている。

そして白内障の手術を受けてきた眼科専門医院より指定されたヒアレイン『点眼液』を 信愛して5年が過ぎている。



             
本日、通院したことは眼科全般の診察を受け、
そしてヒアレイン『点眼液』が残量が少しになっているので、新たに6本頂きたい、
ことであったりした。

そして開診時間9時を目指して、利便性の良い路線バスを活用して、行ったりした。

やがて女性スタッフより、色々な検査を受けた中で、
視力検査があり、右眼、そして左眼も1.2と診断され、
前回に続き、良き視力を保っていることに独り微笑んだりした・・。

やがて医院長より、精密な検査を受けたが、異常なし、と診断されて、
お蔭様で・・と私は医院長に御礼を申し上げたりした。



明日の27日の木曜日は、家内が昨年の5月に大病で入院した後、
手術して下さった病院に、退院後の定期指定日の検査日で、
私は家内のボディガード兼お供に行く。

  1.            

    そして28日の金曜日は、我が家から歩いて行ける『内科専門医院』に行く。


    過ぎし2010年(平成22年)の秋、私は66歳の健康診断の時の結果、
    『糖尿病で、内科に受診して下さい』と明記されてしまった。 

     私は青ざめ、翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、そして問診の時、 
    『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・何なりと御指導をお願い致します』
    と私は内科の医師に懇願した。 


    やがて医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、 軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。 

    この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら野菜を多くした料理を作って貰い、 
    これ以来、朝夕頂いたりした。 

    そして私は、ウォーキングをしたり、或いは早足で遊歩道を歩いたりし、
    お酒はしばらく・・さよならねぇ、と夕食の時も煎茶を飲んだりしていた。

              


    こうした中、私は最寄の内科に8週間毎に定期検査日、そしてこの間に検査結果日と健診を受けて、 
     糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
    これ以外は、ほぼ優等生となって、改善努力の成果となっている。

    そしてこうした定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、

    日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。


    しかしながら家内は、糖尿病の予備群ですから、程々に注意して下さい、と言われる時もある。
       
    このように私は、来る28日の金曜日は、

    週間前に定期検査日したので、検査結果の該当日となるので、
    ここ10年ばかり通院してきた内科専門医院に行く。




    結果として、昨日の25日の火曜日は『整形外科』、

    本日の26日の水曜日は『眼科』、
    そして明日の27日の木曜日には家内のお供で大きな『総合病院』、やがて明後日の28日の金曜日は『内科』、
    生まれて初めて4日連続、医院、病院にお世話になり、
    我ながら驚き独り微苦笑したりしている。
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フォロワー9万人おばあちゃん、“戦争ダメ”が観念論となる懸念、高齢者の私は真摯に学び、やがて敬意を深めて・・。

2020-08-25 13:53:13 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 NEWSポストセブン 】を見たりしていた。


こうした中で、『 フォロワー9万人おばあちゃん、“戦争ダメ”が観念論となる懸念 』
と見出しを見たりした。

私は恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話は、
半年前の頃より、受信、発信の電話機能だけ使えるようになったが、
スマホと省略されているスマートフォンも使えない拙(つたな)い身である。

こうした中、せめてと思いながら据え置き型のパソコンとノートパソコンを利用し、
時代遅れの国民のひとりとなっている・・。





今回、《・・フォロワー9万人・・》って、確か「Twitter」などの世界で、
知り合いを見つけたり、企業や有名人について知りたいときなどは、
 そのユーザーを「フォロー」して発言を購読します。

逆に、ツイートに興味を持って自分をフォローしている人を
「フォロワー」と称されることを知人より私は学んできた。

こうした事態で、《・・フォロワー9万人・・》は多い御方と思え、
ましてお歳を召した《おばあちゃん》と知り、
私は好奇心に負けて記事を精読した。




この記事は『女性セブン』の2020年9月3日号に掲載された記事のひとつで、
関連の公式サイトの【 NEWSポストセブン 】に8月25日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・フォロワー数約9万人の「Twitterおばあちゃん」として知られる溝井喜久子さんのツイートからは、
生き抜いてきた長い歴史と86歳のいまがリアルに垣間見える。


戦後75年目、そして未曽有の感染症や自然災害にも見舞われるいま、
改めてしっかり幸せに生きることを考えたい。

そんな中で、溝井さんのツイートは、生活者の鋭い視点を発信し続ける姿は、
カッコいい老後のモデルでもある。

そこで、溝井さんに「戦争」についてと「Twitter」についての提言を聞いた。



☆戦争はダメ。命の尊さ以前に生活が壊される

溝井さんは1941年に発足した国民学校初等科(旧尋常小学校)の新1年生として入学。
その年の12月8日に太平洋戦争が始まった。

「子供だから深くは理解していませんでしたね。
でも、体育の授業は女子が長刀、男子は銃剣術。
兵隊を出した家の草むしりなど、勤労奉仕もさせられた。

通信簿には、勤労奉仕の評価もあって私は、
優・良・可の“良”でした」

終戦が近づくと、空襲も受けた。
空襲警報が出ると集団下校し、町を挙げて戦死者の出迎えもしたという。

「機銃照射を受けたこともあります。
飛行機が低く飛んで、地上の人を撃つ。

私の横の地面をバババババって弾(銃弾)が・・・。
いま思えば恐ろしいけれど、当時はそれが日常だったし、
それほど深刻な気持ちではなかったと思う。

あのとき弾に当たらなかったからいま、こうして生きている(笑い)」

少女だった溝井さんが深く体と心に刻み、
いま、ツイートを通じて若い世代に伝えたいことは、
観念的な命の尊さではなく、もっと切実なこと。

「戦争中、食べるものも着るものも、何もなくなった。
当たり前の生活ができないの。

それがどんなに悲惨なことか。何より生活が大切。
生活がちゃんとできなければ、命だって危うくなるのです。

感染症や災害に見舞われているいまは、
その脅威が少しわかりやすいかもしれませんね」

生活が壊されるから、戦争はダメ。
そんな発信ができるのは、子供でも一生活者として戦争を経験したからだ。

「当時の大人は、教育程度も低く、情報源もなかった。
みんな貧乏で税金を払うこともないから、
いまのように自分たちのお金を使って、代表者がどう動くかという意識もなかった。
生活に追われながら、お上に従うだけだったのです。




しかし終戦後、私は新制中学で、民主主義を徹底的に叩き込まれた世代。
主権在民、基本的人権の尊重。政治は生活そのものです。

いま、政治の中心に戦争体験者がいなくなり、
“戦争はダメ”が観念論になりつつあるのが、心配です」




☆人の発信を読むことからでいい。感じることが大切

最近は80代、90代でSNSを楽しむ人も増えてきた。
ほかの世代との新たな接点だ。

「昔なら作家やジャーナリストにでもならない限り、
発信するチャンスはありませんでした。

でもいまは、個人で気軽にできちゃういい時代。
私がツイートするのは、
自分が経験したことや世の中に対して思うことを、
やはり伝えておかなきゃと思うから。

戦争体験も、いろいろな経験をしている人がいるはずだから、
発表できずにいるとしたら、本当にもったいないわ」



とはいえ、パソコンやスマホもハードルは低くない。
「周りの家族も、使い方を一から教えようとしちゃダメ。
まずメールやツイッターをワンタッチで読めるように設定して渡すのです。

ツイッターではぜひ私をフォローしてね(笑い)。
私は毎日の食事の写真や日常のことをツイートして、
たくさんのフォロワーさんと会話していますし、
子供世代の40~50代の人が相談のコメントをくれたりもします。

これを読んで、人はこんなことを考えているのかと、
何かを感じることに意味がある。

そして自分も参加して、何か発信したいと思ったときが、
入力方法などの覚えどき。

人との会話の中にいることが、いまの高齢者には必要なのです」

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



私は記事を読みながら、知らなかったことが多く、

多々教示されたりした。

私は1944年〈昭和19年)9月下旬、今住んでいる近くで農家の三男坊として生を受け、
翌年の1945年〈昭和20年)8月15日に日本は連合国に降伏し、敗戦となった時、
一歳未満の乳児であったので、戦争を知らない世代のひとりとなっている。

後年になると敗戦する数年前の状況に関して、祖父、父、母、叔母の同居する人たちから、
或いは親戚の叔父、叔母からも、この当時のことを教えて貰ったりしてきた・・。


やがて映画、小説、近現代史などで戦争の悲惨、過酷さを学んだりしてきた・・。

         

この当時、住んでいた北の方面には軍事戦闘機を製造する中島飛行機の工場があり、
西の方面には軍事物資を生産する軍需工場とされた東京重機が数キロ先にあった為、
ときおり近くに爆弾が落ち、空襲警報のたびに、
宅地から少し離れた生家の崖の雑木林にある防空壕に避難した、と話しを聞いたりした。

祖父と父か中心となって、程ほどの広さの田畑を耕し、
人手の足らない時は小作人の人々の手も借りたりしていた時代でもあった。

そして空襲警報が発令されると、何をおいてもとりあえず防空壕に避難したので、
慌しい恐怖の時代でもあった。

少しばかり遠方にあった軍事物資を製造する場所、軍用機を生産している場所を目標に、
米軍の爆撃機が幾たびか飛来し、爆弾を大量に落としたのであるが、
ときには付近の田畑、雑木林に落下した、 と後年に親戚の叔父さんに私は教えて貰ったりした。

そして250キロの爆弾と言われても私は定かでないので、
更に教えを乞うと、今で言うと大きなプロパンガスぐらいょ、と叔父さんは私に教えてくけたりした。

やがて私は大きなプロパンガスのような爆弾が、空から大量に降ってくる状況を想像すると、
身も心も身震いをしたのは、高校生の頃であった。

そして後年に、1944年(昭和19年)11月24日、アメリカ軍は、
大型長距離爆撃機の『B29』がマリアナ諸島を飛びだった111機が東京に初空襲し、
目標は中島飛行機の工場だった、と学んだりした。

        

その後、幾たびか東京の都心にも空襲し遭い、決定的な東京の大惨事は、
1945年(昭和20年)3月10日、『B29』が320機以上が、
1600~2200メートルの超低高度で、夜間に焼夷弾攻撃という新戦術が、
本格的に導入された初めての空襲であった。

その目的は、市民の生活の場である木造家屋が多数密集する下町の市街地を、
そこに散在する町工場もろとも焼き払うことにあった。

結果として、大きくの街は焼かれ、焼け焦げた遺体の山となり、死者・行方不明者は10万人だった、
と記載されたいた。




私の生家は、戦時中の頃は、玄関の中は広い土間となり、
その一角の壁面に、各自の綿入れの布地の防空頭巾をつるしていた。

そして空襲警報が発令されると、祖父、父、母、叔母の人々に導かれて、
私が生まれてまもない頃の時は、長兄は5歳、次兄は2歳であったので、
防空頭巾をかぶしてもらい、手をひかれながら、防空壕に避難された・・。

私は乳児であり、おしめの取れない時期であったので、
母たちは何かと大変だっただろう、と思い返したりしている。

後年になると、叔母たちが話されたので聞いたりすると、
この当時は、防空壕の内部の土の上に藁(わら)を敷いた上に、莚(むしろ)か茣蓙(ござ)に座り、
家族全員で互いの安否を確認した上で過ごした、と教えられたりした。


このように戦争を知らない私は、防空頭巾、防空壕、高射砲台の跡、
後年の後づけとして知ったりした程度である。

       

今回、私より10歳ご年配の女性より、戦争中の小学生時代、
やがて敗戦後の中学時代に遭遇した多々な体験、出来事を学び、
こうした具体的なことこそ戦争体験のない私は、
大変貴重な実体験を学んだりし、敬意を深めたりした・・。

もとより敗戦となった日本は、数多くの方は家族を亡くされ、住まいも焼かれ、財産も失くしたが、
国からの賠償もなく、国民ひとり独りが立ち上がり、敗戦後の日々を歩みだしたことに、
私はただ項垂(うなだ)れるばかりで、当時の人々に思いを馳せると、胸が熱くなったりしている。

私は22歳の頃から、沖縄戦が事実上終結した6月23日の『沖縄慰霊の日』、
原爆という余りにも過酷で悲惨な8月6日の『広島被爆』、そして9日の『長崎被爆』、
その後の8月15日の『終戦記念日』と称せられる『敗戦記念日』は、黙祷をして50数年は過ぎている・・。




こうした根底には、かの大戦で、余りにも多くの方たちが亡くなわれて、
尊い犠牲の上で、今日の日本の心の平和の礎(いしずえ)である、と思いながら、
戦争を知らない私でも深い心の傷として、今日に至っている。

このような思いから、私は国民のひとりの責務として、
こうした日は、人々に哀悼の意を表して、黙祷をし、尊い命の冥福を祈っている。

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トイレに於いて、男性「座りション」で飛沫防ぐ、私の秘かな対策の秘伝を恥ずかしながら発露すれば・・。

2020-08-24 12:51:48 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、

おだやかに過ごしている。

こうした中で、先程、ときおり愛読している公式サイトの【 NIKKEI STYLE 】を見たりした中で、

『 トイレ掃除は上から下 男性「座りション」で飛沫防ぐ 』と題された見出しを見たりした・・。

そして何かと気になったのは《・・男性「座りション」で飛沫防ぐ・・》であり、
年金生活まもなく17年を迎える私は、精読してしまった。



この記事の原文は、『 NIKKEIプラス1 』の2020年8月15日に掲載された記事であり、
無断ながら記事の大半を転載させて頂く。

《・・新型コロナウイルス対策による外出自粛の影響で、
家のトイレを使う機会が増えた。

忘れがちな掃除のポイントと汚れをどう防ぐかについて、
家事ジャーナリストの山田亮さんが解説する。

https://style.nikkei.com/article/DGXKZO62601930T10C20A8W11600?channel=DF260120166504
【NIKKEI STYLE】
   ==>『トイレ掃除は上から下 男性「座りション」で飛沫防ぐ』★



わが家のトイレの掃除は家内にして貰っているので、
せめてオシッコで便器、付近を汚すことは私としては天敵と思っている。

何かしら今回の記事で

《・・ 男性が立って用を足せば、飛沫はかなり広範囲に散る。
その飛沫は便器にたまっていた水ではない。

表面張力の作用で多くが上から飛び込んできた液体、つまり尿である。
こうして臭いの大元がトイレに拡散する。 

飛沫は壁や床に加え、たまったほこりやちりにもつく。
そのまま放置すると雑菌繁殖の温床になる。

トイレ掃除というと、便器を思い浮かべる人が多いかもしれない。
だが、ほこりやちりを取り除き、飛沫をきれいにすることも重要だと意識してもらいたい。・・》

こうしたことは、改めて認識させられたりした。



何よりも驚きながら恐縮したのは、
最終章にある『 座って用足し 清潔に保とう 』であった。

《・・そもそも飛沫の予防策はないのだろうか。


実は、男性が座って小用を足せば、臭いの多くは解消する。

特に背の高い男性が「立ちション」から
「座りション」に変わったときの効果は絶大だ。

尿の射出位置が高いと、尿は勢いよく便器に接触する。
すると反発する飛沫の量は多くなり、飛び散る距離も長くなる。

 最近では、男性に座りションをすすめるステッカーなども手に入るようになった。
お客さんに「座って用を足してください」とは、なかなかいい出しにくい。

だが、トイレのドアや便座にステッカーを貼っておけば、
それとなくアピールできる。 

次に使う人が気持ちよく使えるように、という姿勢が大切だ。

男性が小用を足すときに、どんな姿勢を取るか聞いた調査をいくつか見ると、
男性の座りション率は、おおむね4割前後である。

これまで何気なく立ちションしていた男性には、
トイレを清潔に保つため、「小便小僧(こぞう)」風から
「考える人」風に小用スタイルを変えることを検討してみてほしい‥》



私は幼年期より『立ちション』派であり、年金生活を始めた当初は、
 現役サラリーマン時代より、家にいることが多く、
もとよりトイレの使用が多くなった。

そして一週間過ぎた頃、何かしら便器にオシッコの飛沫に気付いたりした・・。

まもなく私は便器の中にトイレットペーパーを少し浮かべて、
これにめがけてオシッコをすれば飛沫しないことに気付き、
これ以来、実施してきた。

更にオシッコを終わる寸前、男性はオチンチンを少し振り、
残尿としずくを落とす習性があるので、飛沫することもあり、
私はオチンチンを少し振ることを断念し、
トイレットペーパーを少し取って、こっそりとオチンチンの先を拭いたりしている。

このふたつの作業をすれば、立ちション』派であっても、
オシッコの飛沫は防止できている。



こうした秘伝は家の中のトイレでできることであり、
外出先の男性トイレで便器が並んでいる時は少し難しい、
と微苦笑してきた。

しかしながら外出先の男性トイレでも、ホテル、デパート、集会所など個室もあり、
私は微笑みながら、大切なオシッコをして、成功体験をして、
早や17年近くになっている。

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スマホの出現で、誰もが“査定士”になれる時代、高齢者の私は学び、驚嘆させられて・・。

2020-08-23 14:35:28 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、 
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 日刊ゲンダイDIGITAL 】を見ていたら、
『 スマホの出現で誰もが“査定士”になれる時代 』と題された見出し を見たりした。

確か1994年(平成6年)4月の頃、テレビ東京で『開運! なんでも鑑定団』の番組を
私たち夫婦は何かと魅せられて、長年に視聴したりしてきた。

そして鑑定団の鑑定士としてレギュラー出演されていた中島誠之助(なかじま・せいのすけ )さんに、
私はこの御方の人柄に、瞬時に魅せられたりした・・。



日本の骨董商・古美術鑑定家の御方であり、
たとえ鑑定した結果、価値の低い品であっても、
意匠などを褒め「大切になすってください」と依頼者に語りかけるなど、
細やかな心遣いを見せる御方である。

そして決めセリフの「いい仕事してますねぇ」で、
1996年度の「ゆうもあ大賞」を受賞され、
私は秘かに拍手喝采をしたりした。

この後、女優・高峰秀子さんの随筆を読んだりしている中、
中島誠之助さんとの交流が描かれていて、私は好感を増したりした。

このように日々のたゆまぬ努力と視る眼、才能があって優(すぐ)れた稀な鑑定家になれたと私は知り、
今回の《・・誰もが“査定士”になれる時代・・》って、
どのようなことですか、と思いながら記事を読んだりした。



この記事は、国内外の美術品・骨董品を取り扱う業界の最大手の本郷美術骨董館 で、
副代表されている猪羽恵一さんの寄稿文で【 日刊ゲンダイDIGITAL 】に8月16日に配信され、             
無断であるが転載させて頂く。

《・・あくまでもイメージ的な話だが、
最近の買い取り店では、野心的な男性スタッフよりも、
コンシェルジュのような女性スタッフが対応することが増えてきた。



この背景にあるものは、査定のシステム化である。

買い取り会社は、本部と支店に分かれて、

支店や全国各地のフランチャイズ店より送られてくる写真を
本部の専門家が査定するという方法がとられることが多くなった。

特に最近はスマホの画質がよいため、
写真だけでも8割方は、査定することができる。
われわれもスマホは大いに活用しているし、欠かせない物になった。

持ち込まれた品物を前に、本物か贋作か、自分で判断がつかない場合、

または自分の範疇にない物でも、
写真を送って判断を仰げるようになった。



便利になったものだと思っていたら、もっと便利に使う人たちが周りにはいた。

極論を言えば、査定をする人間は適材適所に写真を送れば、
査定額が返ってくるような状況になっている。

つまり、査定士に必要なのは、写真のポイントを外さないことと、
逃さない接客力だ、という話になる。

ここで冒頭に戻ると、野心的に査定をする人より、
優しく接してしっかり査定をしてくれる人の方がよくなる。

仕方なくヤブ医者に行くより、きれいで優しい医院に行くのと同じだ。
スマホの進歩が、買い取り店の出店を加速化させたのだ。

査定士も、物によっては写真で確認すれば、

現物を確認するまでもないことがあり、買い取りも売却も、
現物を一度も手にしないで、終わってしまうことすらある。

時代は変わったものだ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



私は本郷美術骨董館・ 猪羽恵一さんの記事に導かれて、

多々教示されたりした・・。

私の家内は中学生の頃から茶事を習い、私と結婚した頃は、
多少の茶道具を持参してきた。

やがて私たち夫婦が家を建てる時、家の一室を茶室として追加して、
  私は少しばかり茶事を学んだりしてきた。

こうした中で、私は辛口の日本酒をこよなく愛飲してきたので、
弐合徳利、そしてぐい呑みを買い求めてきた。

もとより一介のサラリーマンの身であるので、
程々の品であるが、私なりに旅先、デパートで選定してきた。

やがて70歳を過ぎた頃、日本酒を断念したので、酒器は寂しそうに棚に座っている。




このようなささやかな家内の茶道具を見たり、私は酒器を愛用してきたので、
何かしら専門の御方を通さずに、単にスマホの写真を通して、
査定されることに驚嘆してしまった・・。

過ぎし30数年前の頃は、音楽を聴く装置には、
アナログの時代には、多彩なオーディオ評論家が健在していたが、
デジタル全盛を得て、やがて音楽配信がスマホで聴こえる今日、
オーディヤ評論家は消えてしまった・・。

私は特に焼物などの器は、美術品と違い、

日ごろに愛用して成り立つささやかな文化と思っている私は、
創り手、或いは専門知識のある御方より、応対して学んできた。

今回のスマホの写真を通して判断される時代、
余りにも寂しいんじゃないのょ・・感嘆したりした。
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ポストコロナの医療は、セルフケアの領域へ、高齢者の私は真摯に学び、やがて多々教示され・・。

2020-08-22 13:04:59 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 AERA dot.】に於いて、
何かしら新型コロナウィルスが終焉した後、医療体制はセルフケアの領域へ、

と題された見出し記事を見たりした。

私は齢を重ねるたびに最寄り駅の近くにある病院で、
内科、皮膚科、眼科、整形外科、歯科のそれぞれの専門病院に通院したりしてきた。

或いは昨年の1月3日の深夜、救急車で搬送されて、
私の住む市の隣接した府中市にある大きな循環器専門の『榊原記念病院』に入院した。

やがて『胸膜炎』(追記・急性冠症候群)と病状とされ、

しばらく経過観察したく・・と入院が余儀なくされて、
結果的に8泊9日の入院となったりした。

このような年金生活16年半になる中で、何かと病院にお世話になっているので、
新型コロナウィルスが終焉した後は、医療体制は《・・セルフケアの領域へ・・》、
どのようになるんですか、と思いながら記事を精読した。



この記事は公式サイトの【 AERA dot.】の8月22日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・コロナ禍のいま、多くの業界が変革に迫られている。
医療分野も例外ではない。

受診控えで経営が悪化する病院もあるなか、ポストコロナの医療はどう変わるのか。

『AERA』 2020年8月24日号で、メドピアCEO・石見陽医師が語った。

【医師1335人緊急アンケート】いま、医療現場で何がおこっているのか?



新型コロナウイルスの影響で、人とリアルに会うことが難しくなり、
医療においても、さまざまな関係性が変わり始めました。

特に、初診を含むオンライン診療が特例で解禁され、
医療者と国民がつながったことは、大きな変化だと思います。

すべてがオンラインになるとは思いませんが、
少なくともオンラインでのコミュニケーションは、
これまでの診療を補完するものになるはずです。



一方で、多くの科で受診控えが報告され、

今後、一部の病院やクリニックの経営が、難しくなることは否めません。

患者が減り、経済面でも厳しくなることは、
医療に誇りを持ち働く医師にとって、少なからずショックです。

今後、医療職を選ぶ優秀な人材が減るという懸念も持っています。

けれども、医師側の発想の転換も求められていると思います。

「腕さえよければ」、「頑張っていれば」患者が来る、
という時代は終わりました。



日ごろの努力に加え、地域や患者に、
自分たちを知ってもらう広報活動も問われてきます。

こうした流れの中で、医療はセルフケアの領域とつながり、

たとえば、かかりつけ医が、日常的な健康相談を網羅するなど、
生活の中に入ってくるのでは、と考えています。

医療がサービス業に近づく時代が、
予想以上に早くやってくるかもしれません。

長期的にみれば、いま、日本の医療は

「保険診療だけで、成り立つのか」
という重要な命題に向き合っていると思います。

そこに新しいチャレンジや解釈が生まれ、活躍の幅が広がれば、
未来の後輩たちに道を示すことにもなると考えています。

(編集部・小長光哲郎、ライター・井上有紀子)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。




記事を読みながら、石見陽(いわみ・よう)医学博士に導かれて、
多々教示されたりした。

たとえば《・・日ごろの努力に加え、地域や患者に、
自分たちを知ってもらう広報活動も問われてきます。

こうした流れの中で、医療はセルフケアの領域とつながり、

たとえば、かかりつけ医が、日常的な健康相談を網羅するなど、
生活の中に入ってくるのでは、と考えています。・・》


そして患者側の私として『かかりつけ医』が必要だ、と思いながら、
やがて私にとっては『主治医』のような御方を思い浮かべて、
微笑んだりした・・。
                    

過ぎし2010年(平成22年)の秋、私は66歳の健康診断の時の結果、

『糖尿病で、内科に受診して下さい』と明記されてしまった。 

 私は青ざめ、翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、そして問診の時、 
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・何なりと御指導をお願い致します』
と私は内科の医師に懇願した。 

そして高橋真梨子さんが唄われた『桃色吐息』は妖艶であるが、 
 体力の衰えた66歳の私は、青色吐息のような表情で、内科の医師のアドバイスを聴いたりした・・。

 私は家内との共通趣味は国内旅行であり、糖尿病の場合は、もとより食事制約がある。 
このような時、家内と共に旅行の宿泊先で美味しい夕食を頂けそうな時、
 私は食べてはいけない料理だったら、余りにも惨(みじ)めである、と思ったりした。 

やがて医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、 軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。 

この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら野菜を多くした料理を作って貰い、 
これ以来、朝夕頂いたりした。 

そして私は、ウォーキングをしたり、或いは早足で遊歩道を歩いたりし、
お酒はしばらく・・さよならねぇ、と夕食の時も煎茶を飲んだりしていた。

          


こうした中、私は最寄の内科に8週間毎に定期検査日、そしてこの間に検査結果日と健診を受けて、 
 糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外は、ほぼ優等生となって、改善努力の成果となっている。

そしてこうした定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、

日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。


しかしながら家内は、糖尿病の予備群ですから、程々に注意して下さい、と言われる時もある。
   
このように私は、この内科専門医院の医院長の診察を10年ばかり受けた来たので、
秘かに私にとって大切な主治医のような存在、と思ったりしてきた。




そしてこの医院で、年に一度だけ、市より健康診断を受診してきた。

の間、『胃がん』の検査で、二度ばかり再検査・要で、精密検査として胃カメラ、
或いは『大腸がん』の検査で、一度だけ再検査・要で、精密検査として内視鏡の検査を体験してきた。


こうした時、この医院長に気弱な私が受診するには、

どの専門病院が良いか推薦して下さい、と懇願して、
私は指定して下さった専門医院で、予測した以上に検査が気楽だったので、
安堵したりしてきた。

このような幾たびの体験を重ねてきたので、
私にとっては心身共に信頼している『かかりつけ医』となっている。
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院内感染リスクポイント、高齢者の75歳の私は多々教示され、やがて微苦笑を重ねて・・。

2020-08-21 14:31:07 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、
こうした中、私は、糖尿病の予備群として4週間ごとに、

検査日の週、その後の4週間後は検査結果日で、
最寄りの内科専門医院に通院している。

或いは右脚の膝(ひざ)が痛みを感じて、整形外科に週に一回、通院している。

そして3カ月に一度ぐらい、白内障を手術して下さった眼科専門医院に、
定期検査のように通っている。

このように齢を重ねると、病院に通うことが多く、
やむえないよなぁ・・と微苦笑している。



先程、ときおり愛読している公式サイトの【 NEWSポストセブン 】を見たりしていると、
院内感染リスクポイント スタッフのマスクがバラバラは注意、
このような見出しを見たりした・・。

何かと病院に通院している私は、どのようなことなのょ、
と思いながら記事を精読してしまった。

この記事は、『週刊ポストの2020年8月28日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の公式サイトの【 NEWSポストセブン 】に8月21日に配信され、無断であるが転載させて頂く。



《・・新型コロナウイルスの「クラスター」の舞台は、
「夜の街」、「カラオケ」など様々だが、
214人が感染し、43人が死亡した東京・台東区の永寿総合病院をはじめ、
院内感染が、コロナ感染拡大の主要因である状況は変わらない。

今はどの病院も、アルコール消毒や検温、換気など院内感染対策を講じている。

わだ内科クリニック院長の和田眞紀夫氏は、
「院内の設備やスタッフの様子などを細かく見れば、
病院ごとに危機意識の差があることに気づくはずだ」と指摘する。



☆その見分けるポイントとは?

病院施設の管理に関する医療サービスアドバイザーの武田哲男氏によれば、
診察室に多くの判断材料がある。

医師や看護師などのスタッフが全員マスクをつけており、
一見対策に余念がないように見えたとしても、
マスクの形状がバラバラだったら要注意だ。

「一時はマスクが品薄になりましたが、今は供給が戻っています。
 個々人で準備するとマスクの性能に差が出るので、
 病院側が高品質の製品をスタッフ全員に供給しているほうが、
安全面では望ましいと言えます」(武田氏)

医療ジャーナリスト・油井香代子氏は、「医療従事者の手」に注目する。
「医師や看護師が手に腕時計や指輪をしたまま診察をしていたら、
その病院の感染症対策は、不十分と言えます。

手首が十分に洗浄できていない可能性がありますし、
腕時計や指輪にはウイルスや細菌が留まりやすいからです。

感染対策の資格を持つスタッフがいる医療機関であれば、
腕時計などの装飾品をつけないことは、基本的にルール化されています」



平時とは異なる評価が必要なのは、診察時の医師の振る舞いだ。
和田氏が指摘する。
「通常なら、患者の目を見て話してくれる医師が
“きちんと患者と向き合ってくれる良いドクター”とされますが、
今は飛沫感染のリスクがあります。

患者のほうを見ず、パソコン画面ばかり見て話す医師は、
普段ならコミュニケーション不足のように感じられますが、
感染防止の観点からは、意識が高いと言えます。

逆にこの時期に、患者との雑談が多い医師も危機意識が足りない」

患者目線で気づくことができる医師や看護師、病院の様子に
目を配り、院内感染から身を守りたい。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



私は記事を読みながら、多々教示されて、知らなかったことが多く、

多く学んだりした。

私の通院している病院は、いずれも医院長、副医院長、

そしてスタッフが10数名いたり、受付・会計が3名いる、
駅に近い街中の病院である。

そして明るい表情で、やさしいしぐさ、言葉で応対してくれるので、
高齢者の75歳の私は、治っても通いたいくらい、良き施設の病院となっている。

今回、記事を読みながら多彩に教示されていたが、
ある病院で血液検査で、女性スタッフから注射をして血液を採って頂いた時、
腕時計をされていたが、しぐさと言葉が素敵で、私は微笑み返しをしてしまった。

このような不謹慎な私であるが、余りにシビアに感染リスクを問うよりも、
応対のやさしさが高齢者の私には癒(いや)されて、
良きこと思いながら、心身の回復も早くなるかしら、と微苦笑を重ねたりしている。
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こんなことまでやってたの? 自律神経の正体、何かと無知な私、こっそりと学び、やがて多々教示させられて・・。

2020-08-20 15:47:07 | ささやかな古稀からの思い
  • 私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
    先程、ヤフーより配信されているニュースを見ている中で、

『 こんなことまでやってたの? 自律神経の正体 』
と題された見出しを見たりした。         

私は齢ばかり重ね、何かと無知なことが多く、
恥ずかしながら、自律神経の正体も判らないので、
『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』の古来からの名言を思い浮かべて、
遅ればせながら学ぼうと思い、記事を読んだりした・・。

この記事の原文は、
初めて知る男性向け健康雑誌の『Tarzan(ターザン)』の公式サイトの【 CLUB Tarzan 】で、
2019年8月3日に配信されていた。

何かしら、カラダの不調を整える積極的なコンディショニングに於いて記載され、
無断であるが記事の大半を転載させて頂く。

《・・こんなことまでやってたの? 自律神経の正体




★自律神経は老化する。

30代から疲れや老いを自覚する機会が増える。
背景にあるのは、自律神経の老化。

呼吸、心拍、血圧、体温を保ち、消化吸収やエネルギー代謝を司る自律神経が
老いたら、若さは保てない。

ところが、交感神経と副交感神経からなる自律神経のトータルパワー(活動量)は、
10代をピークとして加齢とともに右肩下がりので低下するとわかっている。

「トータルパワーは、10代と比べて40代で約半分、
60代では4分の1を下回ります」(東京疲労・睡眠クリニックの梶本修身院長)

男女差もあり、60代までは男性の方が、女性よりトータルパワーは高く、
70代でほぼイコールになる。




★年齢、性別による自律神経パワーの変化。

血管を収縮・拡張させているのは、自律神経。
その切り替えの速さの加速度を目安として、自律神経のトータルパワーを推定したもの。

加齢で右肩下がりとなり、60代までは男性の方が女性より総じてパワーが高いことがわかる。
資料/東京疲労・睡眠クリニック


自律神経の老化の引き金は、有害な活性酸素による酸化。
ヒトは、呼吸で酸素を取り込まないと生きられないが、
その酸素の1〜2%は、活性酸素に変わる。

自律神経に限らず、老化とは、酸化がもたらすものなのだ。



なかでも自律神経を構成する神経細胞(ニューロン)は、
一度傷つけられると二度と再生しない。

ゆえに年を追うごとに酸化ダメージが蓄積し続け、
自律神経の機能は右肩下がりとなる。

30代からは、自律神経に負担をかけない穏やかな生活を心掛けよう。




★積極的な活動時間は1日せいぜい3時間

働き方改革が推進されつつあるとはいえ、
ビジネスパーソンの多くは1日10時間近く平気で働いている。

現代のライフスタイルに馴染んでいると何の疑問も感じないが、
これは自律神経のリミットを遥かに超えている。

「活発に狩りをするライオンなどの肉食野生動物の活動時間は、
せいぜい1日3時間。

ヒトは雑食ですが、活発に動き回れるのは、同じく恐らく3時間ほどが限界だと思われます。
10時間以上も活動し続けるのは無茶な話。
自律神経の老化を一層進める一因になります」

動物でも牛のような草食動物はゆっくり移動しながら、
一日中ムシャムシャと食べ続ける。

でも、体温や心拍数の変化をほとんど伴っていないから、
自律神経にはさほど負荷をかけてない。

じっと坐ってデスクワークをしていると、
活動量自体は草食動物とさして変わらないかもしれない。

しかし仕事中は「敷居を跨げば七人の敵あり」という諺があるように、
常時緊張を強いられるアウェイなモード。

交感神経がオンになりやすく、自律神経のバランスが崩れがちだ。

また、同じ姿勢を続けると血流が悪化して、それも自律神経には有害である。



★睡眠負債の正体は自律神経。
2017年の新語・流行語大賞トップ10に選ばれたのが「睡眠負債」。

睡眠不足を放置すると借金のように積み重なり、心身に悪影響を及ぼす。
その危険性を注意喚起するワードだ。

どこよりも睡眠負債が溜まるのは、自律神経。
日中、自律神経は休みなく作用し続ける。

睡眠中も自律神経はオンだが、昼間と比べるとひと息つける。
この間に自律神経の回復が進むのだ。

睡眠不足だと修復が不十分なまま翌朝を迎えるために、
自律神経に疲労が蓄積。
加齢による老化に拍車をかける。

少し詳しく解説しよう。
自律神経が酸化ストレスを受けると、
SOSとして疲労因子FFと総称されるタンパク質が出てくる。

すると酸化を防いで疲労因子FFを中和するために、
疲労回復因子FRの分泌が増える。

睡眠中は疲労因子FFの分泌が落ち、疲労回復因子FRが作用しやすくなり、
自律神経のリカバリーが促される。

忙しくて昼間に長くアクティブに活動するほど、疲労因子FFは増えるから、
長く眠って疲労回復因子FRを働かせるべき。

現実には忙しいと睡眠時間はそれだけ短くなるため、
睡眠負債が積み重なって、自律神経は劣化の一途をたどる。



★持久力の正体も自律神経。
歳とともに駅の階段を上るのが億劫になり、
長い距離を歩くのを避けるようになる。
これは持久力が低下したサイン。

持久力には全身を動かし続ける全身持久力と、
特定の筋肉だけを動かし続ける筋持久力がある。

加齢で落ちやすいのは前者の全身持久力。俗にスタミナと呼ばれる。

スタミナは、筋肉に必要な酸素を送り届ける心肺機能に左右される。

心肺機能とは、肺から酸素を吸い込み、心臓と血管ネットワークで筋肉などの組織にデリバリーし、
呼吸の結果出てくる不要な二酸化炭素を肺から排出する能力だ。
この心肺機能を背後から操るのは、他ならぬ自律神経。

「強度に応じて呼吸数や心拍数を上げ下げしたり、
血液で酸素を巡らせたりするのは、自律神経。

カラダを動かして上がりすぎた体温を発汗などで下げるのも、
やはり自律神経です。
自律神経の能力が、持久力の質を決めているのです」

息が切れるようなペースで走るとすぐに疲れて足が止まる。
息が切れる=自律神経ではコントロールできない強度だから、
脳がそれ以上の運動を強制的にストップさせるのだ。

そして加齢でスタミナが落ちるのも、
歳を重ねるごとに自律神経のパワーが下がるせいだ。



★交感神経と副交感神経の役割。
自律神経を構成する交感神経と副交感神経は、二重支配と相反支配という2つの原則で、
体内環境を一定範囲内に保つ恒常性(ホメオスタシス)を守る。

二重支配とは、一つの臓器や組織を交感神経と副交感神経がダブルで束ねることを指す。
どちらか一方のみが司る臓器は、汗腺などの例外を除くと存在しない。



相反支配とは、交感神経と副交感神経が対照的な役割を果たすという意味。
交感神経は心臓を刺激して心拍を速め、
副交感神経は心臓を抑制して心拍を遅くする。

胃腸は、交感神経がブレーキを踏んで消化吸収を抑え、
副交感神経がアクセルを踏んで消化吸収を進める。

さらに交感神経と副交感神経は拮抗する作用を持つ。
交感神経はアクセル役、副交感神経はブレーキ役だが、消化管では逆に。
出典/『すべての疲労は脳が原因2〈超実践編〉』(梶本修身著、集英社刊)

臓器は、ホメオスタシスを守るため、交感神経と副交感神経で二重に支配される。
出典/『すべての疲労は脳が原因2〈超実践編〉』(梶本修身著、集英社刊)

スイッチが入るタイミングも対照的。
交感神経は緊張や興奮、危険や恐怖に呼応し、
日中の活動時や運動時、ストレス下で優位となる。

副交感神経は安心・安全で平穏な状況に呼応し、食事中や夕方〜夜間に心身をリラックスへ誘う。

この2系統は別々のルートで全身にネットワークを広げているが、
その中枢があるのは脳の視床下部と前帯状回、大脳辺縁系だ。

この中枢で交感神経と副交感神経の働き度合いが決められており、
神経ネットワークはその情報を末端まで伝える単なるラインにすぎない。

交感神経は0.2秒、副交感神経は5分。

天は人の上に人を造らず、人の下にも人を造らなかったが、
自律神経には、厳然たる主従関係がある。

交感神経が“主”、副交感神経が“従”であり、
トータルパワーのうち交感神経で余った分が、副交感神経に割り当てられる。

それもそのはず、生存には交感神経の活躍が欠かせない。
天敵に出くわした瞬間など、生きるか死ぬか、闘うか逃げるか(ファイト・オア・フライト)という緊急事態は
交感神経の面目躍如。

心拍と血圧を上げて瞬時に活動モードに切り替え、
血管を縮めてケガをしても、出血を最小限に抑える。



★自律神経の中枢は脳の奥にある。
自律神経の中枢は、脳の視床下部と前帯状回(左右大脳半球間の信号を伝達)、大脳辺縁系にある。

交感神経と副交感神経のオンとオフはこの中枢が行う。

「交感神経は0.2秒でオンになりますが、
副交感神経はオンになるのに5分くらいかかります」

副交感神経は、緊急事態が去って安全が確保されてから、
心身を休息モードにする役どころだから、スロースターターでちょうどいいのだ。

逆に交感神経のスイッチが入るまでに5分もかかっていたら、
闘うことも逃げることもかなわず、敵に襲われて命を失うだろう。

ちなみに「息を吐くときは、副交感神経が優位になり、
吸うときは交感神経が優位になる」という話を聞くけれど、
自律神経の性質を踏まえると眉唾モノのようだ。



★夏バテの正体は、自律神経の過労。

夏バテの解消のために、ウナギ料理やレバニラ炒めなどのスタミナ食を食べるという人も多いだろう。

ウナギもレバニラ炒めも栄養たっぷりだが、
それは夏バテ軽減には結びつかない。

なぜなら夏バテは、栄養不足が引き金ではなく、自律神経の過労によるものだから。

ウナギのようなスタミナ食はこってりしているので、
思惑とは逆に消化吸収を担う自律神経の疲れを起こす恐れすらある。

高温多湿な日本の夏は、発汗などで温度調整を行う自律神経の作業量が増える。

かんかん照りの屋外と冷やしすぎの屋内を出入りするたびに、
自律神経により強い負荷が加わる。

そして汗をかいたのに、水分補給が追いつかずに脱水気味だと、
自律神経のダメージに。

また夏の強烈な紫外線を浴びると、体内で酸化が起こりやすく、
それも自律神経へのボディブローとなる。

夏バテ予防には、エアコンを賢く使って体温の上下動を抑えて、
早め・少なめの水分補給で脱水をブロック。
日傘やサングラスで、紫外線を避ける工夫もお忘れなく。

自律神経をいたわるならスタミナ食ではなく、
脳の酸化ストレスを抗酸化作用で中和するイミダペプチドを鶏胸肉などから摂ろう。



★運動はキャパシティとステートで。
過度な運動は、酸化を進め、体温、心拍、血圧が激変して自律神経に悪い。

辛い運動ほど、終了後の達成感&爽快感が強く、
自覚できない自律神経の疲れが溜まる危ない「疲労感なき疲労」を招く。
かといって運動しないと、体力は衰える一方。

運動で汗をかくと、汗腺が活性化して体温調節力が高まるし、
筋肉が増えて、血流が良くなると、自律神経も助かる。

必要なのは自らのキャパシティ(許容範囲)と
ステート(状況)に応じた運動の負荷&時間の調整だ。

キャパシティ(許容範囲)は、自律神経のトータルパワーで決まる。

加齢でパワーは落ちるから、30歳を越えたら
有酸素運動なら軽いジョグ、筋トレなら自体重トレ程度に留めて。
汗がダラダラ流れ続けたり、息が切れたりするのは、キャパ(許容)を超えた証拠。



また60分×週2回のように長時間×低頻度で行うより、
30分×週4回のように短時間×高頻度の方が自律神経には優しい。

ステートは活動や睡眠の内容で日々変わる。
それを無視して毎度同じノルマをこなそうとするのは、無謀。

心拍数の上がり具合や発汗量などでステートを見極め、
普段より心拍が上がって発汗も多めなら即切り上げ、
休息に力を注ごう。

関連記事7/25(木)発売の雑誌『Tarzan』の特集は「自律神経セルフケア」
取材・文/井上健二 イラストレーション/松原光、Yunosuke 
取材協力/梶本修身(大阪市立大学大学院疲労医学講座特任教授、医学博士、東京疲労・睡眠クリニック院長)
(初出『Tarzan』No.769・2019年7月25日発売)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



私は民間会社に35年近く奮戦してきたが、定年退職を迎えたのは2004年の秋であったが、 
最後の5年はリストラ烈風の中、私は出向となったのは55歳の時であった。

やがて私は出向先で2004年(平成16年)の秋に、
何とか定年退職を迎えることができた。

この当時は、大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
自身の力量のなさを悟(さと)ったりした・・。

そして何よりも遠い勤務先の出向先で、

私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまったので、
やむなくサラリーマン生活を卒業し、敗残者のような深情で年金生活を始めた・・。     

やがて年金生活を過ごすと、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。


          

         
65歳の頃までは、苦節が多かったサラリーマン時代の開放感にあふれて、
日々満喫して、甘味した日々を享受した・・。

やがて70歳の頃までは、ささやかな年金で目標したことも、
ひとつづつ叶(かな)い、達成感にあふれて、
充実した日々を過ごしたりしてきた。

そして70代に入ると、体力の衰えを実感させられたりした。
65歳の頃までは、たとえば日中歩き続けれも多少の疲れを感じた程度であったので、
戸惑いながら悲嘆したりした・・。

しかし同世代の知人たちと歓談したりする中で、
お互い様だょ・・と教えられて、安堵したりしてきた。




ここ数年は、私の人生は、亡くなってしまった知人、友人を含めて、
 私は多くの御方に助けられて、ささやかな願い事もかなえられてきたので、
多くの御方に感謝を重ねてきた・・。


そして私は年金生活を過ごす中、認知症、心筋梗塞、或いは寝たきりなどは、
ささやかな日常の願いも制約されるので、
殆ど毎日のように遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり大病に遭遇することは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。




私は9月下旬になれば76歳となり、やがて健康寿命を保てば、
 何とか80歳の誕生日を迎えられる、と念願したりしている。

しかしこればかりは、自助努力も大切であるが、
神様か仏様の采配する世界だよなぁ・・と微苦笑をしている。

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冷蔵庫の中で、『食中毒菌』が増える“NG行動”、改めて75歳の私は復習して、やがて微笑み・・。

2020-08-19 14:00:01 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
先程、ヤフーより配信されているニュースを見ている中で、
 
  

冷蔵庫の中で「食中毒菌」を増やす人のNGな行動
と題された見出しを見たりした。         

我が家は子供に恵まれなかったので、たった二人だけの家庭となり、
私より5歳若い家内と共にささやかに過ごしている。


そして私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなり、遠方の地に一戸建てに住み、
私より14歳年配で89歳の身となっている。


当初は、家内は季節が変わるたびに、独り住まいとなっている家内の母宅に、

6泊7日前後で行ったりしてきた。

やがて家内の妹が強力な援軍となり、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

このように、家内は家内の妹と逐次連絡しあって、家内は独り住まいの家内の母宅に行っている時は、
私は我が家で独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごし、早や16年半を迎えている・・。
          


いつの日にか私たち夫婦も、どちらかが片割れとなる『おひとりさま』になる時が来るので、
私としては『おひとりさま』の特別演習かしら、と思いながら過ごす時もある。

家内は掃除、洗濯、料理などの専業主婦としての責務を果たしてきた中で、

ときおり私が『おひとりさま』になってしまった当初、
私は長らくサラリーマンで奮闘した為か、家事に関しても少しもできなかった。

そしてせめて簡単な食事ぐらいは、家内から叱咤激励を受けて、
特訓をされたりし、こうした中で冷蔵庫のやさしい使い方を私は学んだりしてきた・・。

今回、改めて冷蔵庫に関して、特に天敵の『食中毒菌』に関しても学びたく、
記事を精読して、やがて微笑んだりした・・。




この記事は、『週刊女性』の2020年8月18・25日号に掲載された記事のひとつで、
関連の公式サイトの【 週刊女性PRIME 】8月16日に配信され、
無断ながら記事を転載させて頂く。

《・・冷蔵庫の中で「食中毒菌」を増やす人のNGな行動

「“冷蔵庫に入れておいたから、大丈夫”といった認識は、
真夏においては特に危険な考えです。
なぜなら、細菌は冷蔵庫程度の温度では、死なないからです」
と、語る宮城大学の金内誠教授。

冷蔵庫の「中」設定では、温度は3~6度とされているものが多いが、
その環境でも増える菌も存在するという。



★冷蔵庫の温度では食中毒は防げない!

「感染者数も多いカンピロバクター菌ですが、
冷凍されることなく市場に出回っている国産鶏肉の多くが、
この菌に汚染されているともいわれています。

買った後に長時間外に出しておくと、
菌は増殖しますし、冷蔵しても菌は死にません。

また、生肉から感染する大腸菌や、卵の殻などに付着しがちなサルモネラ菌などは
比較的低い温度で発育する雑菌で、
環境次第では冷蔵庫内で菌が増える可能性もあります」(金内先生)

生肉には、食中毒菌が付着していることを前提で、
取り扱ったほうがよさそうだ。

調理ずみの惣菜も、冷蔵庫に入れたからといって安心はできない。
「食品は加熱殺菌が重要ですが、加熱をした後でも温かいまま冷蔵庫に入れてしまうと、
カレーなどの粘度が高い食品は、中心部の温度がなかなか下がらず、
 温度ムラができるためウェルシュ菌が発生しやすくなります」(金内先生)


食中毒でクリニックを訪れる人の傾向を総合内科の大河内昌弘先生に伺った。
「生魚や食べた肉に十分、火が通っていなかったことが原因で
食中毒になってしまう人が多いですね。

コロナの感染対策意識が特出して高まっていますが、食中毒もコロナと同じく、
持病を持っている人や、高齢者がかかってしまうと死にもつながる恐ろしい感染症です。

嘔吐(おうと)の症状が、ひどいと誤嚥(ごえん)性肺炎なども引き起こしますし、
その後の合併症によって重症化する可能性もあります」(大河内先生)

潜伏期間もさまざまだという食中毒だが、胃腸風邪などとの見分け方は。
「夏場は特に食べたものや、周りで同じような症状の人がいないかを確認します。

同じ嘔吐・下痢でも、胃腸系の風邪と違って食中毒の場合は
抗生物質の投与が効果的ですから、
少しでもその疑いがあれば医師に相談することをおすすめします」(大河内先生)


https://www.jprime.jp/articles/photo/18546
週刊女性PRIME ★ 
写真】病原菌別にみた食中毒患者数や食中毒菌ワースト6の菌対策を一覧表でチェック!

※写真はイメージです冷蔵庫の設定温度 
※メーカーにより異なりますので自宅の冷蔵庫で確認してみてください
どこに何があるかパッと見ですぐにわかるよう、
常に冷蔵庫内は整理整頓! が鉄則

食中毒菌ワースト6の菌対策!
病原菌別にみた食中毒患者数


冷蔵庫の設定温度
※メーカーにより異なりますので自宅の冷蔵庫で確認してみてください

冷蔵庫保存の盲点を意識して、しっかり食中毒対策を!



★冷蔵庫で食中毒菌を増やさないために

外気温が高い真夏は、冷蔵庫の扉の開閉によって庫内の温度も変化する。
「開閉の頻度を少なくし、長時間あけておくことも避けましょう。
食材の表面温度が上がると、結露ができ、細菌やカビ菌が発生しやすくなります。
保冷用の冷蔵庫カーテンをつけるのもいいと思います」(金内先生)

また、冷蔵庫用温度計を使ってみるのも手だという。
「冷気が循環していないと霜が付着し、湿気を好む菌が広がる可能性が。
食材がぎっしり入ったときに、奥側と手前側の温度が異なる場合がありますから、
確認してみましょう。

食材を探すなどして長時間、冷蔵庫を開けてしまう原因としても
冷気の循環を妨げることでも、食材の詰め込みすぎはいろんな意味でマイナスでしかありません。
7割程度を心がけましょう」(金内先生)



★また意外に見落としがちなのが野菜室。

「野菜は育てるときに肥料として、動物の糞を使っているわけです。
 動物の糞は、O-157やカンピロバクターなどさまざまな菌を保有しています。

野菜室の設定温度は冷蔵庫より高く、野菜に付着した土から
雑菌が発生するおそれもあるので注意が必要です。

食べるときによく洗うのはもちろん、
菌を広げないために新聞や袋に入れて保存をしましょう」(金内先生)

さらに冷蔵庫に入れておくだけでは、安心できない食中毒の原因がもうひとつある。

「近年、アニサキスといった寄生虫による食中毒患者も増えています。
流通システムの発達で、冷凍せずに、家庭の食卓に並ぶ魚介類も増えました。

冷凍すれば寄生虫も菌も死滅するのですが、
鮮度はよくても寄生虫が死滅しないまま食べてしまうことに。

魚の内臓に寄生していることが多いので、
食べるときにはしっかり火を通す、細かく切るなどして十分に気をつけましょう」(大河内先生)


【冷蔵庫NGアクション】

食中毒予防3原則は、食中毒菌を“つけない、増やさない、やっつける”こと。
冷蔵庫では徹底した、つけない、増やさない対策が重要です!

NG1.奥までぎっしり食材を入れている
さまざまな食材が雑多にギュッと詰め込まれていると、

開閉の回数も増え、冷蔵庫を開けたまま食材を探す時間もかかる。

また、背面に冷風口が設置されている(メーカーによる)ので、
奥まで食材が詰まっていると、冷風がうまく循環せず庫内の温度が上昇し、
菌が増える可能性が。

→OK! 食材は手前によせ、7割収納を心がけて



NG2.ドアポケットに卵を入れている
開閉することによっていちばん温度変化が高いドアポケット。

温度変化により殻が結露した場合、殻の“気孔”がふさがり雑菌が増殖してしまうおそれが。

さらに、振動によって卵の殻が割れてしまった場合、
微量でも殻にサルモネラ菌が付着していたら、
菌がヒビから内部に入り込み増殖してしまうことも。

→OK! ほかの食品と接触を避けて庫内に収納


NG3.収納グッズを多用する

冷蔵庫が整理されて便利な収納グッズも、入れっぱなしになってしまうと
食べかすや液だれが付着したままとなり菌が繁殖しやすい環境に。

→OK! 収納グッズをまるごと定期的に洗う癖をつけよう


NG4.調味料の液だれ放置

ドアポケットや庫内の棚板にこびりついたままの液だれは、
放置して時間がたつと、雑菌の温床に。
ほかの食材に付着して菌を広げる原因にも。

→OK! 庫内は隅々まで清潔に!


NG5.カレーを鍋ごと保存する

カレーなど粘度の高い食べ物を大きい入れ物のまま冷蔵庫に入れると中心部が冷めにくい。

その間、雑菌が増えやすくなってしまうばかりか、
温かいままの鍋の場合は庫内の温度も上がってしまい、ほかの食材にも影響が。

→OK! 保存袋に移し流水などで冷やしたあと、なるべく平らになるよう保存を



菌を“増やさない”コツ

冷蔵庫内で菌を増やさない、広げないためには清潔に保つことと、
7割収納が大前提だ。

そこで、きれいを持続する習慣を冷蔵庫収納の達人、東いづみさんに聞いた。

「冷蔵庫奥にはモノを入れないこと、定位置を決めることが、きれいで、
なおかつ7割収納をかなえる秘訣だと思います。

モノが重なると、死角が生まれ、入っていたことを忘れてしまったり、
また取り出す時間もかかります。

よく使うものは定位置を決めてしまえば、買いすぎを防げますし、
冷蔵庫の開閉時間も減らせます」(東さん)

また、掃除も面倒なカゴ類などの収納グッズは、やはり避けたほうがいいとのこと。

「特に入れっぱなしは、避けましょう。
お惣菜や野菜を入れるタッパーなどは、食材を出したあとに、
そのつど洗うので、清潔に使えます。

冷蔵庫の中身が少ないと、サッとすぐにふきそうじができますから、
 清潔な状態がキープしやすくなります」(東さん)

また、食中毒にかからないためには、
細菌に打ち勝つ身体づくりも大切になってくる。

「感染型といわれる菌は、身体の中でも増えますが、
腸で善玉菌ががんばってくれれば、食中毒の症状も軽くなります。

ですから、ヨーグルトやオリゴ糖、食物繊維を多くとって腸内環境を整え、
免疫力を上げておくことは、食中毒予防の観点からいっても有効な対策です。

食欲がないときは、ダイレクトに栄養素が吸収でき、
オリゴ糖も食物繊維も豊富な甘酒がおすすめです」(金内先生)

 どこに何があるか、パッと見ですぐにわかるよう、常に冷蔵庫内は整理整頓! が鉄則



★気をつけたい! 食中毒菌いろいろ

食中毒のほとんどが微生物によるもので、その9割を占めている。

経年的に見てみると、サルモネラ菌や病原性大腸菌(O-157)などは減少している一方で、
肉の生食によるカンピロバクターや、
カレー食中毒の原因菌でもあるウェルシュ菌などの患者数が多い傾向に。

増殖速度が速い腸炎ビブリオや、
真空パック内でも増殖するウェルシュ菌は、残り物が入った鍋やお弁当などでも増殖するため、
この季節は特に注意が必要です。
 食中毒菌ワースト6の菌対策!・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



私は記事を読みながら、知らなかったことが多く、

多々教示されたりした。

そして時折、私は『おひとりさま』になった時、
冷蔵庫の中身のゴールキーパーの役割ができる、かしらと微笑んだりした。


いつの日にか、まさかの出来事で、家内は私を残してあの世に旅立つてしまった時、
私は『おひとりさま』で大切な食事をする基幹食材、食物の冷蔵庫・・
上手に使いこなせるかしら、と微苦笑したりしている。
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坂東眞理子さん×出口治明さんの対談、『キョウヨウとキョウイク』、『人・本・旅』で、人生豊かに、つたない私でも瞬時に賛意を深めて・・。

2020-08-18 14:23:51 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 マネーポストWEB 】の『暮らしのマネー』を見ていた時、
『 
坂東眞理子×出口治明「キョウヨウとキョウイク」「人・本・旅」で人生豊かに 』、
と題された見出しを見たりした。

私は坂東眞理子さんに関して、昭和女子大学理事長・総長をなされる御方(74歳)で、
過ぎし年に『70歳のたしなみ』(小学館)を上梓され、
私は購読して、節度のあるすぐれた御方、と感じ深めたりしている。

出口治明さん(72歳)は、過ぎし年にライフネット生命保険株式会社を設立され、
社長、会長を10年務めたのち、2018年より立命館アジア太平洋大学(APU)学長である。

この間、月刊誌、ビジネス誌などに多彩な寄稿文を発信され、
私は10幾つかの氏の寄稿文を読み、賢人の御方、と思ったりしている御方である。

今回、このおふたりの異色対談が掲載されていたので、
つたない人生航路を歩んできた私でも、少しでも学びたく記事を読んだりした。

この記事は、『女性セブン』の2020年8月20・27日号に掲載された記事のひとつで、
関連の【 マネーポストWEB 】に8月17日に配信され、
無断であるが記事の前半部を転載させて頂く。

 《・・年を重ね豊かに暮らすため何を心掛けるべきか



超高齢社会を突如襲った新型コロナウイルス。
暗澹たる気持ちで、心が押しつぶされそうになっている人も多いのではないか。

両氏が、いかにして人生を豊かにするかについて語った。


坂東眞理子さん
歳をとったら「キョウヨウ(今日は用がある)」、
「キョウイク(今日は行くところがある)」を自分から作ることが大事だと言っているのですが、
コロナ禍で高齢者はおとなしくしていなければと、過度に自粛しているのが残念です。

きちんと予防策を講じて散歩に出ましょう、
美術館に行きましょうと、背中を押したいのですが。


出口治明さん
自分の頭で考える癖をつけることが大切だと思いますね。
ワイドショーなどで不安を煽られ、
巷の噂を鵜呑みにしたら外へ出ることが憚られるかもしれません。

でもニューノーマルを守って場所を選べば、
それほど神経質になることもないと思うので、できるだけ外へ出て刺激を受けるべき。

「人・本・旅」が人生を豊かにするのですから。



坂東眞理子さん
ひとつの基準に沿わせる“自粛警察”は、行きすぎの気もします。


出口治明さん
自分の価値基準が絶対という思想は、偏りがありますね。
価値観とは本来、多様性があるものです。


坂東眞理子さん
人生を充実させるためにも「人は人、自分は自分」と考え、
他人に惑わされることなく、コロナだからこそ、
意識して上機嫌に振る舞って、自分の意志で自分を元気づけるようにしたいものです。(略)

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



私は民間会社のある会社に35年近く奮戦し2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
多々の理由で年金生活を始めた・・。

そして私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
            
家内は長年専業主婦として少なくとも洗濯、掃除、料理してきたので、
その間のささやかな息抜き・・趣味ごとを邪魔にするのは、
まぎれなく天敵と私は確信し、せめてながら平素の買物専任者を自主宣言をしたりした。

そして独りで最寄りのスーパー、駅前のスーパーとか専門店に往還したり、
買物メール老ボーイとなっている。

帰宅後は、独りで自宅付近の3キロ範囲の遊歩道、小公園を歩いたりして
季節のうつろいを享受してきた。

或いは私は両親から血液B型をさずかり受けたお調子者の為か、
家内が煎茶かコーヒーを飲みたいことを素早く察知して、茶坊主に徹し、
日に6回前後は淹れたりしている。



                    
    
私は年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、買物メール老ボーイとなっている。

こうした中、最寄のスーパーに買物に行ったり、
或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。

その後、独りで自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。

こうした根底のひとつには、私は健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活16年半を過ごしてきた。



     

 
こうした中、私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。


或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらくねぇ・・、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビールか水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は幾たびか重ねてきたが、
旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしてきた。



          
      
午後からの大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、 
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

この間、私は年金生活を過ごしている中で、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

          

そして私は愛読しているブログの数多くの御方の投稿文を読ませて頂いたり、
コメントを頂戴したり、返信をしたりしている。
或いは数多くの御方の投稿文を読ませて頂く中で、ときおりコメントをしたりしている。

こうして私はブログに関しては、ほぼ毎日3時間前後は要して、過ごしている。

こうして年金生活を過ごしたりし、ときおり小庭の手入れをしたり、
家内と共通趣味のひとつである国内旅行を遊学している。



このように私は昨年まで過ごしてきたので、
今回の賢人のおふたりの発言し、瞬時に賛意を深めて、
セカンドライフは確かに前向きで過ごしたいですよね・・賛意を深めたりした・・。



しかしながら今年の2月の上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごしてるが、
いつになったら終息なるの、と思いながらマスクをして、人出の少ない処を選定して、
独りぼっちで散策している。

このような不用不出の外出自粛の風潮で、私は日常生活のペースは戸惑い、
昨今は自粛の解消の中で、開放感に満ちたりしているが、
ある面は新型コロナウイルスは終息せず、心が幾分晴れないのが本音となっている。




こうした中で、自身の人生は、後悔のないように、
残された歳月を一日、一日大切に過ごそう、と自身を叱咤激励する時もある。
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たった10%の水分欠乏で死ぬ、中高年を襲う「熱中症」の本当の恐怖、75歳の私は学び、多々教示させられて・・。

2020-08-17 13:03:27 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、
先程、愛読している公式サイトの【 現代ビジネス 】を見たりした。


こうした中で、『たった10%の水分欠乏で死ぬ・・中高年を襲う「熱中症」の本当の恐怖』
と題された見出しを見て、《・・たった10%の水分欠乏で死ぬ・・・》つて、
どうしてなのょ、と思いながら記事を精読してしまった。

やがて、水は生きていくための大切な命のスープ、と学びながら、
改めて体と水分に関して多々教示され、
今後の私の生活に取り入れて、溌剌と生きたい、と微笑んだりした・・。

この記事は、【 現代ビジネス 】に8月15日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・水分欠乏で死ぬ…中高年を襲う「熱中症」の本当の恐怖
     ~ 酷暑襲来!どう気をつければいいか ~



熱中症は、脳梗塞や心筋梗塞と違い、
意識をまずやられるため、不調を感じることができない。

そのため熱中症は、非常に死亡率が高い。
人間の体の水分量は、子どもで体重の75パーセント、
成人で60パーセント、65歳以上の高齢者で50パーセントと、
加齢とともに減っていく。

どの年齢でも、ほんの1~2パーセントの水が欠乏しただけで、
意識障害が起きる。

体重が50キロとすると、65歳以上の高齢者の場合、
水分は25キロだから、250~500cc、
ペットボトル1本分にも満たない水が不足しただけで、意識はおかしくなるのだ。

意識を失った場合、助けを呼ぶこともできなくなる。
水を飲むこともできないから、どんどん水分が不足し、死に至ることもある。

医学博士・竹内孝仁氏のロングセラー『水をたくさん飲めば、ボケは寄りつかない』から、
熱中症の本当の恐ろしさと、水分をとるのがなぜ重要なのか、ご紹介しよう。



☆熱中症は認知症と似ている

水には、体温を保つというとても大事な働きがある。
我々の体温は、35・0~37・0度という、非常に狭い範囲に設定されている。

体温が35度まで低下すると、方向感覚がなくなり、
30度まで下がると無感覚になる。

痛みもかゆみも感じなくなるのである。
そして27度まで下がると死ぬ。

雪山で亡くなる人は、凍って死ぬのではない。
低体温で死んでしまうのだ。
 

体温は高くてもいけない。
37度で意識がおかしくなり、行動に異常が出てくる。

42度を超えると細胞が壊れ始め、45度で完全に死んでしまう。

風邪で発熱した時など、自分でもびっくりするくらい汗をかくことがある。
これは熱を下げようと、体が水を放っているのである。



記録的猛暑だった2010年の夏、
全国で5万4000もの人が、熱中症で救急搬送された。

そのうちの1718人は、不幸にも亡くなってしまった。
搬送された人のうち、約半数が、65歳以上の高齢者だったという。

熱中症は、汗などで体内の水分が失われることにより起こる。
つまり、脱水を起こしているのだ。
認知症と、まったく同じである。


5パーセント(1250cc)の水が失われると、
運動機能が低下し、足元がおぼつかなくなる。
ちょっとした距離でも、移動することが難しくなってしまう。

7パーセント(1750cc)水分が不足すると、
誰でも幻覚が見えるようになる。

認知症の人で幻覚がある場合、
認知症の症状なのか、熱中症の脱水なのか、判断することは難しい。

「天井に顔がいっぱいある」と言った認知症のおじいさんに対し、
家族が「また、おかしなことを言っている」と取り合わなかったばかりに、
熱中症で亡くなってしまったという例もある。

そして10パーセントの水分欠乏で、人は死ぬ。
体重50キロの高齢者の場合、2500cc、
洗面器1杯分の水分が足りなくなるだけで、死んでしまうのだ。

夏場の暑いときに熱中症で亡くなるのは、
この10パーセントの水分欠乏が原因なのである。

たかが水分と侮ってはいけない。
熱中症はとても恐ろしい病気なのだ。



☆認知症の人なら36・5度で脱水を起こす

水が不足すると、体にはどのような変化が起こるのだろうか? 
2~3パーセント(500~750cc)不足すると、
発熱が起こり、循環機能に影響が現れる。

体では、細胞の中で発生した熱を捨てるために、水が使われている。

水が不足すると、熱を外に出すことができず、
蓄熱が起こって、熱が出始める。
脱水の兆候として「微熱」が挙げられるのはこのためだ。
 
高齢者の場合、普段の体温が低いため、
36・5度を超えたら、発熱だと考えてよい。

特に認知症の場合、36・5度ぐらいで、
すでに脱水を起こしていると見て間違いない。

放っておくと、循環機能に影響が出てくる。
水分が減り、血液がどんどん濃縮していくのだ。

つまり、血液がドロドロになる。血の循環が悪くなり、
最悪の場合、脳梗塞などが起きてしまう。

水不足により血がドロドロになることは、
特に高齢者の場合、非常に危険である。

高齢者は、よく明け方に脳梗塞を起こすことがわかっている。
朝早く、トイレに行こうとしても体が麻痺して動かない。

朝、なかなか起きてこないので、家族が様子を見に行くと、
意識を失っていることがある。
それは水不足が原因である。

寝ている間にも、呼気などにより、体からどんどん水分が出てゆく。

眠っている時は、水を飲むことはできないため、
ちょうど明け方に最も水分が少なくなる。
その時刻が一番危険なのだ。

「夜寝る前に、コップ1杯の水を飲め」と言うが、
これはとても大事なことだ。

睡眠中、水分は減る一方だから、あらかじめ補給しておくということである。




☆「眠るように息を引き取った」のは脱水のせい

認知症では、昼間はボーッとしていて、
夜になると騒いだり暴れたりするケースがよくある。
原因は、日中とる水の量が少ないからだ。

食事したり歩いたり、日中体を動かす時間が増え、
それに見合う水分補給が行われないと、水分のバランスは次第にくずれていく。

そのため、夕方から夜にかけて最も水分が欠乏し、
脱水状態になって、意識がおかしくなる。
それが異常行動として現れるのだ。
 
夕暮れ時、認知症の人が不穏になるのを、
「たそがれ症候群」と呼ぶことがある。

夕闇の迫る頃は、なんとなく人を不安にさせる。
しかし、患者に十分水を飲ませると、そのようなことはなくなる。

また、高齢者の場合、意識障害から傾眠状態になることがよくある。
まわりが何を言っても反応が薄い。
呂律が回らなくなり、まわりが話すのをやめたとたん、すぐに寝入ってしまい、
そのまま昏睡状態に陥ってしまうのだ。

そういう状態で脱水を放っておくと、大体3日ほどで亡くなってしまう。

昔の人は、最期は大体脱水で亡くなった。
よく「眠るように息を引き取った」というが、
それは脱水が原因である。

脱水になると、最初に意識がなくなり、昏睡状態になる。
傍目には眠っているような状態のまま、
ゆっくりと臓器の機能が止まっていくのである。



☆水を必要とする理由  

老化とは、水を失っていく過程である。
体の水分量は、年とともに減っていく。

命が終わりを迎えるとき、人は、水を必要としなくなる。
植物が枯れるように、体から水が失われ、死んでいくのだ。

あらゆる生命は水に依存し、乾燥に弱いという弱点を持っている。
なぜ私たち人間も含めた生物は、水がなくては生きていけないのか?
    
それは生命の始まりが、海にあるからだ。


私たちの遠い祖先は、約40億年前の浅い海の中で誕生した。
海は穏やかな環境で生物を包み、水中にいるだけで、
必要な栄養素やミネラルを与えてくれる。

何億年もの間、生物は水の中でしか生きられなかった。
生命を育んだ海とは異なり、陸は過酷な死の世界だったからだ。

約3億6000万年前、植物が海から陸への上陸に成功する。
「生物」が海から陸に上がるまで、30億年もの長い年月が必要だった。

それは、太陽から降り注ぐ強烈な紫外線が、
生物にとって非常に有害だからである。

紫外線をさえぎるのは、上空のオゾン層である。
オゾンは、酸素が紫外線に触れ、化学変化することで生じる。

海や淡水に生息する藻類は、光合成で作り出した酸素を空中に吐き出す。

オゾンが作られるためには、まず酸素が必要だったのである。
気の遠くなるような時間をかけて、オゾンはゆっくりと大気を満たしていった。



30億年間、生物はオゾン層の完成を待ち続けていたのだ。
こうして、紫外線という問題はクリアできた。

しかし、生物が陸に上がるためには、もう一つ解決しなければならない大きな課題があった。
それが「水」である。

水のない陸地で、生物は生きていくことができない。

そこで、生物は自らの中に「海」を作るという発明をした。
体の半分以上を水で満たすことで、
初めて陸での生活が可能となったのだ。

水は、命のスープなのだ。
これが、人間の体の半分以上を水が占めている理由である。

しかし、それと引き換えに、陸の生物は、
乾燥に弱いという性質を持つことになった。

樹木は水の少ない秋冬は葉を落とすなどして休眠し、
アフリカの動物たちは乾季になると、水を求めて命がけの大移動をする。
水を飲まなければ、どんな頑丈な人でも4、5日で死んでしまう。

お坊さんが断食で、水だけは飲むのはこのためだ。
水はまさに生命を支配しているのである。

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。





記事を読みながら、竹内孝仁・医学博士に導かれて、
無知なことが多かった為、久々(ひさびさ)に学年時代で講義を受けたように多々教示されたりした。

たとえば、《・・5パーセント(1250cc)の水が失われると、
運動機能が低下し、足元がおぼつかなくなる。
ちょっとした距離でも、移動することが難しくなってしまう。

7パーセント(1750cc)水分が不足すると、
誰でも幻覚が見えるようになる。(略)

そして10パーセントの水分欠乏で、人は死ぬ。
体重50キロの高齢者の場合、2500cc、
洗面器1杯分の水分が足りなくなるだけで、死んでしまうのだ。

夏場の暑いときに熱中症で亡くなるのは、
この10パーセントの水分欠乏が原因なのである。


こうしたことを動顛しながら初めて学んだりした。



或いは《・・水不足により血がドロドロになることは、
特に高齢者の場合、非常に危険である。

高齢者は、よく明け方に脳梗塞を起こすことがわかっている。
朝早く、トイレに行こうとしても体が麻痺して動かない。

朝、なかなか起きてこないので、家族が様子を見に行くと、
意識を失っていることがある。
それは水不足が原因である。・・》

そして何より驚嘆させられたことは、
《・・高齢者の場合、意識障害から傾眠状態になることがよくある。
まわりが何を言っても反応が薄い。
呂律が回らなくなり、まわりが話すのをやめたとたん、すぐに寝入ってしまい、
そのまま昏睡状態に陥ってしまうのだ。

そういう状態で脱水を放っておくと、大体3日ほどで亡くなってしまう。

昔の人は、最期は大体脱水で亡くなった。
よく「眠るように息を引き取った」というが、
それは脱水が原因である。・・》

このようなことを真摯に学んだりした。



そして最終章として、水は生きていくための大切な命のスープ、と学びながら、
改めて体と水分に関して多々教示されたりした。


こうしたことも学びながら、今後の私の生活に取り入れて、溌剌と生きたいなぁ、と微笑んだりした・・。
コメント
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