昨日の朝、ぼんやりとテレビのニュースを視聴していたら、
本日より大型連休が始まりました・・、と報じられたいた。
私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した直後から多々の理由により年金生活をし、
早や11年目となり、ともすれば曜日感覚が薄らいで、何かしら世情に疎(うと)くなっている。
そして大型連休は、私が現役サラリーマンの時代は、ゴールデン・ウィークと称していたのに、
いつのまにか呼び名が変わってしまった、と微苦笑したりした。
このゴールデン・ウィークの由来については、知識人・藤野邦夫(ふじの・のりお)氏が、
的確な解説を『幸せ暮らしの歳時記』(講談社文庫)で明示している。
《・・『ゴールデンウィーク』とは、日本でしか通用しない和製英語である。
1948年(昭和23年)に『祝日法』が公布され、4月29日から5月5日にかけて、
休日が飛び飛びであれ連続としたことから、この一週間に映画館の入場数が激増。
それに味をしめた映画関係者がPRに使用したことから、一般にもゴールデンウィークという表現が定着した。》
私は、映画関係者、多分どこかの宣伝部のコピー・ライター専任と思われるが、
命名された名付け親の人は、天分のある人と仰ぎ見てしまう・・。
こうした私の根底の思いとして、多くの家庭の現在でも、この連続休暇を楽しみに、
それ以前の日々の業務に励み、そして国民の多くが甘受できる連続休暇であるからである。
いずれの名称にしても、働いて下さる現役の諸兄諸姉は、何かと多忙な勤務をされているのだから、
せめて大型連休の時ぐらいは、ゆったりと休息されたり、
或いはご家族で皐月晴れの中、ご自由に行楽地などに行かれたり、
旅行をされりして過ごされればよい、と思ったりしたのである。
或いはこの期間でも、仕事で業務に携(たずさ)わる方たちには、
大変ですね、お身体を程々にご自愛して下さい、と心を寄せたりしている。
私の現役サラリーマン時代の時は、民間会社の中小企業であったので、
通常は5月1日から5月5日の5連休がほぼ固定で、後はカレンダーの日曜と祭日に準拠して加味されていた。
そして私はこの当時は、1週間以上連休が採用されるのは、
大手の企業の開発と製造部門だろうと思ったりしていた。
私の30代の後半の頃は、住宅ローンなどで返済に重荷となり、
家内と45分ぐらい歩いた所にある都立・神代植物公園に行ったり、
少しばかり遠い高尾山のハイキングをしたりしていた。
そして、庭の手入れなどをして過ごしたりした。
40代には、格安の団体観光周遊ツアーなどの国内旅行をしていた時もあったが、
旅行先の渋滞に困惑して、その後は庭の手入れをすることが多くなった。
最も現役時代の固定とされていた5月1日から5日までの5日間に於いても、
5日間連続して休めたのは数えるばかりであった。
私は管理系の情報畑で長く勤めていた関係で、システムの開発、運用などで出勤したり、
50代の後半はリストラで烈風の中で出向となり、物流倉庫の再編成の最適な日々となったりし、
大型連休でゆっくりと休暇できたのは、遠い世界の出来事となり、奮闘していた。
年金生活の昨今は、若葉の色合いに見惚(みと)れ、萌黄色から黄緑色、そして新緑色に染められ、
私はさりげない日ごとに移つろう枝葉を眺めたりしてきた。
空は青さ一色で、ときおり微風が吹くと薫風かしらと感じたり、
風光る情景に身も心も寄せたりしてきた。
ときには陽射しは初夏のような感じで、この時節にしては強いかしら、と思いながら、
少しばかり大きなモミジの幼い葉を拡げた下で緑陰で、身を寄せたりした。
そして、ここ2週間ぐらい前の頃から彩(いろど)ってくれている躑躅(ツツジ)の紅色の花に
見惚(みと)れたりしていた。
ここ10数年、過酷な成果主義が加速される中、短期に成果を求められる責務の時代となり、
無力ながら憂(うれ)いているひとりである。
いずれにしても大型連休に恵まれた現役の諸兄諸姉、
日常は何かと業務に追わる多忙の身の方が多いと思われるので、
せめてこの大型連休のひとときは、ご家族との心身のふれあいを大切にして頂きたい、
と私はぼんやりと思ったりしている。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村
本日より大型連休が始まりました・・、と報じられたいた。
私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した直後から多々の理由により年金生活をし、
早や11年目となり、ともすれば曜日感覚が薄らいで、何かしら世情に疎(うと)くなっている。
そして大型連休は、私が現役サラリーマンの時代は、ゴールデン・ウィークと称していたのに、
いつのまにか呼び名が変わってしまった、と微苦笑したりした。
このゴールデン・ウィークの由来については、知識人・藤野邦夫(ふじの・のりお)氏が、
的確な解説を『幸せ暮らしの歳時記』(講談社文庫)で明示している。
《・・『ゴールデンウィーク』とは、日本でしか通用しない和製英語である。
1948年(昭和23年)に『祝日法』が公布され、4月29日から5月5日にかけて、
休日が飛び飛びであれ連続としたことから、この一週間に映画館の入場数が激増。
それに味をしめた映画関係者がPRに使用したことから、一般にもゴールデンウィークという表現が定着した。》
私は、映画関係者、多分どこかの宣伝部のコピー・ライター専任と思われるが、
命名された名付け親の人は、天分のある人と仰ぎ見てしまう・・。
こうした私の根底の思いとして、多くの家庭の現在でも、この連続休暇を楽しみに、
それ以前の日々の業務に励み、そして国民の多くが甘受できる連続休暇であるからである。
いずれの名称にしても、働いて下さる現役の諸兄諸姉は、何かと多忙な勤務をされているのだから、
せめて大型連休の時ぐらいは、ゆったりと休息されたり、
或いはご家族で皐月晴れの中、ご自由に行楽地などに行かれたり、
旅行をされりして過ごされればよい、と思ったりしたのである。
或いはこの期間でも、仕事で業務に携(たずさ)わる方たちには、
大変ですね、お身体を程々にご自愛して下さい、と心を寄せたりしている。
私の現役サラリーマン時代の時は、民間会社の中小企業であったので、
通常は5月1日から5月5日の5連休がほぼ固定で、後はカレンダーの日曜と祭日に準拠して加味されていた。
そして私はこの当時は、1週間以上連休が採用されるのは、
大手の企業の開発と製造部門だろうと思ったりしていた。
私の30代の後半の頃は、住宅ローンなどで返済に重荷となり、
家内と45分ぐらい歩いた所にある都立・神代植物公園に行ったり、
少しばかり遠い高尾山のハイキングをしたりしていた。
そして、庭の手入れなどをして過ごしたりした。
40代には、格安の団体観光周遊ツアーなどの国内旅行をしていた時もあったが、
旅行先の渋滞に困惑して、その後は庭の手入れをすることが多くなった。
最も現役時代の固定とされていた5月1日から5日までの5日間に於いても、
5日間連続して休めたのは数えるばかりであった。
私は管理系の情報畑で長く勤めていた関係で、システムの開発、運用などで出勤したり、
50代の後半はリストラで烈風の中で出向となり、物流倉庫の再編成の最適な日々となったりし、
大型連休でゆっくりと休暇できたのは、遠い世界の出来事となり、奮闘していた。
年金生活の昨今は、若葉の色合いに見惚(みと)れ、萌黄色から黄緑色、そして新緑色に染められ、
私はさりげない日ごとに移つろう枝葉を眺めたりしてきた。
空は青さ一色で、ときおり微風が吹くと薫風かしらと感じたり、
風光る情景に身も心も寄せたりしてきた。
ときには陽射しは初夏のような感じで、この時節にしては強いかしら、と思いながら、
少しばかり大きなモミジの幼い葉を拡げた下で緑陰で、身を寄せたりした。
そして、ここ2週間ぐらい前の頃から彩(いろど)ってくれている躑躅(ツツジ)の紅色の花に
見惚(みと)れたりしていた。
ここ10数年、過酷な成果主義が加速される中、短期に成果を求められる責務の時代となり、
無力ながら憂(うれ)いているひとりである。
いずれにしても大型連休に恵まれた現役の諸兄諸姉、
日常は何かと業務に追わる多忙の身の方が多いと思われるので、
せめてこの大型連休のひとときは、ご家族との心身のふれあいを大切にして頂きたい、
と私はぼんやりと思ったりしている。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村