先程、ときおり愛読しいる公式サイトの『東洋経済オンライン』を見たりしている中、
『 来年の年金給付が「増える」ことの代償は何か 』と題された見出しを見たりした。
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、程ほど貯金を取り崩しながら、
ささやかに過ごしている。
こうした中で、年金は我が家の生活費の基盤であるので、
今回の『来年の年金給付が「増える」ことの代償は何か』・・どのようなことですか、
と思いながら精読してしまった・・。
この記事は、慶應義塾大学 経済学部教授の土居 丈朗さんの寄稿文であり、
『東洋経済オンライン』に2018年11月26日に配信され、無断であるが記事の大半を転載させて頂く。
《・・来年の年金給付が「増える」ことの代償は何か
来年度予算編成が佳境に入っている。
来年度予算案には、2019年10月の消費増税に伴う増収分が、盛り込まれる予定である。
(略)11月20日に、財務大臣の諮問機関である財政制度等審議会が取りまとめた、
「平成31年度予算の編成等に関する建議」では、消費税率引き上げ前後の消費を平準化する方策については、
「効果的、効率的かつ将来的な財政の膨張につながらないようなものでなければならない」と提言している。
それを踏まえた予算案になるかが、焦点の1つである。
■骨太方針2018に数値目標はなかった
2019年度予算案のもう1つの焦点は、社会保障費の増加が、いくらになるかである。
そもそも、少子高齢化によって、社会保障費は年々増加しているが、
その増加をいかにうまく抑えるかが、カギとなっている。
必要な社会保障給付は出さなければならないが、不必要に増加すれば、国民負担が増大する。
安倍晋三内閣では、2016年度から2018年度までの3年間で、
国の社会保障費の増加を1.5兆円に抑える目安を立て、それを実現した。
2019年度以降も、その基調を維持するのか否か。
その点について、今年前半の政策決定で激しい攻防が繰り広げられた。
(略)2019年度予算に向けて、厚生労働省は、社会保障費を前年度比6000億円増の要求をしている。
6000億円の増加は、2018年度までの3年間の増加(年平均5000億円)よりも多い。
多めに予算要求してよいことにしつつ、政策効果や優先度が低い社会保障予算を削減することで、
最終的な社会保障費の増加を抑える方針である。
社会保障費の増加を抑えるには、社会保障給付自体を削減する部分と、
医療や介護の自己負担を増やすことによって、税財源で賄う給付を抑える部分とがある。
■75歳以上の医療費の自己負担を引き上げ?
政府も検討の俎上に乗せ、世代間の格差是正の観点からも重要視されているものに、
75歳以上の医療費の自己負担割合の引き上げがある。
2018年度現在、医療費の自己負担割合は、原則として、
69歳以下は3割、70歳から74歳までは2割、75歳以上が「1割」である。
2019年に75歳になる高齢者は、今74歳で2割負担である。
2019年に75歳になる高齢者から順次、自己負担割合を「2割」のままにするという案が出されている。
同じ所得水準で、同じ病気になって医療費がかかっても、
現役世代だと3割負担、75歳以上だと1割負担である。
年齢だけで負担率が決まる仕組みに、現役世代や経済界からも異議が出ていて、
負担割合の改革に賛同する声は大きい。
ところが、2019年夏には、参議院選挙がある。
特に、投票率が高い高齢者は、年金給付や、医療や介護の給付や自己負担が
どうなるかに関心が集まる。
給付そのものを減らすことも嫌がるし、自己負担を増やすことも嫌がる。
そうなると、参議院選挙対策として、2019年度予算案には、
社会保障の給付減も自己負担増も、厳しいものは入れられない。
官邸周辺からは、「負担増」は、禁句だという話すら漏れ聞こえる。
この調子では、6000億円増の予算要求から、過去3年間並の5000億円の増に抑えるのは、かなり難しい。
そのうえ、来年の年金給付は、増額になる可能性が出てきた。
このところ、年金支給額は、ほぼ据え置かれてきた。
2016年度は、据え置き(増減ゼロ)、2017年度は、0.1%の引き下げ、2018年度は、据え置きだった。
年金支給額は、消費者物価指数の動向と現役世代の名目手取り賃金の変動と、
マクロ経済スライドを加味して、前年度より増やすか減らすかを決める。
今のところ、消費者物価指数は、今年10月時点で対前年同月比約1%の上昇となっている。
計算の詳細は割愛するが、物価が上がり、賃金も上がると、年金支給額は増える。
特に、物価が上がり、賃金も上がると、マクロ経済スライドが発動され、
物価や賃金が上がったほどには、年金支給額は上がらない(減額される)仕組みとなっている。
それでも、物価や賃金の動向がこの調子で続けば、マクロ経済スライドの発動で減らされても、
2019年度の年金支給額は、2018年度の支給額より増える可能性が出てきた。
年金給付が増えると、社会保障費は当然ながら増える。
2016年度から2018年度までの3年間では、
前掲のように年金支給額は、(意図的でなく物価・賃金動向に依存して)ほぼ据え置かれていた。
その年金給付の据え置きを含んで、国の社会保障費は、年平均5000億円の増加だった。
医療や介護で、給付抑制や自己負担増が、来年度予算でなかなか見込めない中で、年金給付が増える。
となると、来年度予算での国の社会保障費は、
5000億円を超える増加になる可能性が出てきた。
これは、第2次安倍内閣始まって以来最大の増加になるかもしれない
(2013~2015年度も、3年間で1.5兆円程度の増加だった)。
ただでさえ、現役世代の社会保険料が毎年のように上がり、
おまけに「妊婦加算」も疑問視されている。
「妊婦加算」とは、妊娠中の女性にだけ医療機関を受診した際に
追加の自己負担が課される仕組みで、2018年度から導入された。
それでいて、高齢者の医療費の自己負担は手付かず、ということでよいのだろうか。
せめて経済力のある高齢者に、もう少し自己負担をお願いするなどできれば、
相対的に現役世代の負担は軽くなる。
■現役世代への負担のしわ寄せでいいか
加えて、消費増税による増収分を活用して、低所得高齢者には、
介護保険料をさらに軽減したり、年金給付の追加増額(年金生活者支援給付金)を行うことにしている。
前掲のように、年金給付が来年増額されるとなれば、
低所得高齢者の生活環境も改善すると見込まれる。
ならば、極めて例外的に設けられている低所得の後期高齢者医療の保険料(均等割)の軽減特例(9割減や8.5割減)ぐらいは、
廃止しても支障はないはずだ。
この軽減特例の存廃は、今年末までに決着をつけることとなっている。
社会保障費の増加を抑えられないと、
現役世代に負担のしわ寄せがくる仕組みとなっているわが国の制度を、
早期にどう改めるが、いま問われているのだ。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
記事を読み終えた後、私は微苦笑を重ねたりした・・。
《・・来年の年金給付が、わずかに「増える」案・・》に応じて、
・・75歳以上の医療費の自己負担を引き上げの案・・》に微苦笑してしまった。
《・・2019年に75歳になる高齢者から順次、自己負担割合を「2割」のままにするという案・・》
たまたま私は74歳であり2割負担であり、来年は75歳で本来であったら1割負担となるが、
私の世代、続く団塊の世代が人口増が多く、こうしたことで厚生労働省か財務省の御方が思案の結果、
と私は思ったりし、苦笑したりした・・。
これとは別な《・・妊娠中の女性にだけ医療機関を受診した際に
追加の自己負担が課される「妊婦加算」・・》は、おかしなことである。
少子高齢化の中、赤ちゃん大歓迎の日本に於いて、
妊娠中の女性には、赤ちゃんの誕生日に、国家として少なくとも5百万円を贈呈するのが、
国の威信としての礼節である、と私は思ったりしている。
《・・社会保障費の増加を抑えられないと、
現役世代に負担のしわ寄せがくる仕組みとなっているわが国の制度・・》、
国は、いつも取りやすい現役世代に過重負担をしていると私は、
民間会社に35年近く勤めてきた私は、無力ながら憂いている。
私は確か9年前の頃、働いて下さる現役世代の男性の民間会社に勤めている正社員の人たちが、
平成9年( 1997年)の時点の頃から、年収が横ばいと知り、無力な私は悲嘆した・・。
私は何かと働いて下さる現役の諸兄諸姉に注視するのは、
もとより日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実からでもある。
周知の通り、失われた15年での中、政治は混迷、経済は低迷、そして社会も劣化した後、
ここ10数年は特に、たえず短期に成果を問われる勤務となっている。
そして大企業の正社員であっても、常時リストラ時代と称せられ、
多くの会社は正社員は6割、契約社員、アルバイトなどは4割、と知り、深く憂いたりしてきた。
このように私は、現役世代に過重負担をしている、と思ったりしている。
こうした中で、一部の現役世代の中では、高齢者を粗末にする風潮を恐れている。
私は自動車、スマホなども持てず、そして裕福層に無縁な身であるが、
せめて政治家、官公庁の諸兄諸姉は、やはり世代を超え、できる限り公平で具体的に社会保障制度を提示するのが、
何よりの責務だ、と私はときおり思案したりしている。