夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

高齢者入門となった私は、ささやかな記念旅行に伴い、9月30日まで投稿休止・・。

2009-09-27 05:59:09 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の身であるが、
恥ずかしながら高齢者に入門する65歳となり、家内も12月下旬に60歳となる。

私は過日に市から介護予防の健康診断がいつでも受診できる通知があったり、
家内は国民年金の支払いも卒業できるので、何かしら夫婦でささやかな祝いをしょう、
とここ三ヶ月ばかり話し合ってきたのである。

本日より月末の30日まで3泊4日のささやかな国内旅行に出かけるので、
このサイトに投稿は1時休止とする。


旅行の概要日程は、昨日このサイトに【高齢者に入門する私は、ささやかな記念旅行は・・。 】と題し、
投稿しているので、ご了解をお願います。



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改めて、山口百恵ちゃんの『いい日旅立ち』が街に流れていた頃の私は・・♪

2009-09-26 23:12:26 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
日中のひととき、ラジオから山口百恵ちゃんの『いい日旅立ち』の唄声が聴こえてきた・・。

この後、私は庭のテラスに下り立ち、煙草を喫いがら、微風が吹く中、
樹木や草花を眺めたりし、秋めいた情景に心身をゆだねたりした。


♪雪解け真近の 北の空に向い
 過ぎ去り日々の 夢を叫ぶとき

【 『いい日旅立ち』 作詞、作曲・谷村新司、編曲・川口 真、唄・山口百恵 】

先程、ラジオから流れていた歌が脳裏に残っていたせいか、
私は心の中で唄いだしたのである・・。


この歌は街に流れていたのは、 確か昭和53年の晩秋であったと思われるが、
JRの前身の国鉄時代の新宿駅で『いい日旅立つ』の歌が流れて、
私はプラットフォームで東京駅行きを待っていたのである。

この頃の私は、あるレコード会社に勤め、六本木の本社で情報畑で奮闘していた時代であった。
そして毎月20日の数日は、新宿駅から神田駅に行き、日本橋ある情報処理会社に行っていたのである。

このような時、朝のラッシュ時に山口百恵ちゃんの唄声、或いはメロディーでよく流れていた・・。

♪帰らぬ人たち 熱い胸をよぎる
 せめて今日から一人きり 旅に出る
 ああ 日本のどこかに
 私を待ってる 人がいる


【 『いい日旅立ち』 作詞、作曲・谷村新司、編曲・川口 真、唄・山口百恵 】


私は前方に見える中央線の松本行きの『L特急』の列車が、
始発前の待機の状況で勇姿を見せて折、
多忙な私にとっては、平日にゆっくりと旅行に行けるのは夢のようなことであり、羨望しながら見つめたりしていた。

この年の春に私は家を建てた年であったので、公私共々多忙な中、
住宅ローンなどを含めて一戸建ては何かと出費が多く、私達夫婦は悲鳴をあげながら、
この難局を何とかしなければ・・と家内はパートに出たりし、互いに奮闘したりしていた。

この年の前の2年間は、新婚生活を初めて賃貸マンションに住んでいて、
最初の夏季休暇の時は、『L特急』に乗車し、上野駅から長野電鉄に乗り入れた湯田中駅の終点で下車し、
その後は路線バスで志賀高原の奥地のホテルに2泊3日で行ったりした。

翌年も、『L特急』で新宿駅から松本駅で下車し、
その後は大糸線で簗場駅で下車し、青木湖の湖畔にあるホテルに2泊3日で滞在し、
周辺を散策したりした。


そして、家を建てた当年、殆ど生活に余裕はなかったが、
せめて夏季休暇の時ぐらいと、旅行会社のJTBの格安のパンフレットを見て、
蓼科高原の白樺湖の湖畔にある観光ホテルに2泊3日としたのである。
この時も、新宿駅から茅野駅まで『L特急』を利用した後、路線バスで白樺湖に行ったのである。


このような私達夫婦はささやかな思いでが『L特急』と共にあるので、
ラッシュアワーで混んでいるプラットフォームに立ちすくんで、
前方に観える『L特急』の列車を眺めていたのである。

そして、いつの日にか、平日のゆっくりとした時に、『L特急』で旅行するのが、
私の30代の叶うことのない夢であったが、
その後は洒落た最新鋭の列車に中央本線などは変貌してしまったのである。


私は、『いい日旅立ち』を聴いたりすると、『L特急』の列車が浮かび、
私の苦節の多かった30代の思いでと共に蘇(よみが)り、
年金生活となった今、なぜかしら愛惜を深めたりしている。



http://www.youtube.com/watch?v=nK9yTUGcjhg
【 『いい日旅立ち』 作詞、作曲・谷村新司、編曲・川口 真、唄・山口百恵 】




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高齢者に入門する私は、ささやかな記念旅行は・・。

2009-09-26 09:54:34 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
明日の27日に高齢者に入門する65歳になり、家内も12月下旬に60歳となる。

私は市から介護予防の健康診断がいつでも受診できる通知があったり、
家内は国民年金の支払いも卒業できるので、何かしら夫婦でささやかな祝いをしょう、
とここ三ヶ月ばかり話し合ってきた。

私達夫婦の共通趣味は、国内旅行であり、子供も恵まれなかったこともあり、
現役のサラリーマン時代の時から、多忙な合間に国内旅行をしてきた。
私も住宅ローン等で苦渋した時は、格安な旅行の時もあったし、
或いは勤め先から勤続XX年などで金一封と特別休暇などを頂き、少しばかり贅沢な旅行をしてきたりした。

国内旅行に関しては、このサイトに数多く綴ってきたが、
この中のひとつとして、【 されど旅行は、3度ばかり楽しめる・・!? 】
と題していて、今年の2月23日に投稿していたが、あえて再掲載をする。

【・・
私は年金生活の5年生の64歳の身であるが、
家内と共通の趣味は国内旅行なので、日本の各地に四季折々に訪ねたりしている。

家内の母も独り住まいとなっているので、ときおり旅行に誘い、
私達3人で温泉滞在をすることが多いが、
ときには旭川市、那覇市、長崎市などに滞在し、市内の観光名所先を観たりしている。

こうした旅行の場合は、我家では自動車もなく、
私の定年退職後はペーパー・ドライバーを卒業し、免許証を更新を断念したので、
当然の結果として、ドライブは対象外であり、
旅行会社などに少なくとも宿泊先と交通機関をお願いしているのである。

そして家族・個人の企画した旅行、或いは団体(観光)周遊旅行を重ねたりしている。
この中で、団体(観光)周遊旅行といっても、
各地の観光地を周遊しながら宿泊地を移動するケースと
宿泊先のホテル、観光ホテルに滞在し、バス、JR、フェリー、飛行機などで往復するだけタイプもあり、
こうした場合は温泉滞在する旅行に利便性があり、費用も格安なので、私達も利用している。


私達が旅行を思い立つ時は、
我家にも旅行会社からの小雑誌の勧誘雑誌が郵送されてくるのを見たり、
新聞の旅行会社の広告を眺めたり、最寄り駅前の旅行会社のパンフレットを頂き、
リストアップしているのが殆どである。

こうした候補となった旅行に関しては、
私はある程度は観光先、宿泊するホテル、観光ホテルなどを調べたりするが、
家内はネットなどを活用して、行かれた方のプログまで掲載されて内容を読んだりし、
血液A型の性格なのか徹底的に調べるのである。

私は血液B型ので、ブログなどは、その方の自身の深い思いがあるので、
参考にならない、と笑い飛ばしているひとりである。

こうして、旅行が決定し、旅先でお互いに楽しむのである。


旅行から帰宅すると、
私はこのサイト等に綴って、投稿するが、
内容、構成とかを決めて苦心惨憺しながらも綴ったりする時が多いが、
何よりタイトル名には配慮しているのである。

小説、随筆、映画などの場合はもとより、
タイトル名で内容を適切に集約した表現となるので、
私も拙(つた)ないなりの投稿文であるが、タイトル名は気にしているのである。


私自身の旅行の場合は、
旅行先を決めるまでの時、旅行先、そして帰宅後の旅先の想いに心は馳せたりし、
多くの方と同様に、旅は3度楽しめる、と私は思ったりしている。

家内の場合は、帰宅後はあっさりして、次の旅行のことを話し合ったりし、
ときおり思い出したかのように、旅先の想いでを語ることがあるが、
家内は旅行は2度しか楽しんでいない、と私は苦笑する。

そして私がブログなどに投稿した後、
デジカメに映した旅行先の写真をパソコンで眺め、微苦笑したりすることが多いので、
こうした状況を家内から見れば、貴方は4度も楽しんでいる、
と微笑みながら云われたりしている。
・・】

このように戯(たわむ)れとして投稿したりしていた。


今回の記念旅行を話しはじめた頃は、旅行会社のパンフレットに於いて、
東北地方の南三陸にある観光ホテルで、
露天風呂から前方の入り江から彼方に太平洋が眺められる情景が掲載されていて、
家内は少なくとも3泊ぐらいはゆっくりとしたいわね、と私に云ったりしていた。

私は東北新幹線の『一ノ関』で下車して、金色堂、厳美渓を観たりした後、
南三陸にある観光ホテルに滞在し、周辺を散策し、
帰路は松島を見たりし、『仙台』から帰京することを思案したりした。


この一週間後、ある旅行会社の小冊誌が郵送されてきて、
家内がこの旅行プランどうかしら、と私に小冊誌を手渡したのである。

団体観光ツアーのプランで、東北新幹線の『福島』で下車した後、
蔵王のお釜を観た後は、南三陸にある観光ホテルに宿泊する。
翌朝は松島に寄り、仙台港よりフェリーに乗船し、太平洋の沿岸を南下して、
翌日の10時過ぎに名古屋港に着岸する。
この後は群上八幡に寄り、飛騨高山の観光ホテルに午後3時過ぎに到着し、宿泊する。
翌日は畳平、上高地を観た後は、『松本』より中央線で帰京する3泊4日の日程であった。

私は家内と長年に苦楽を共にし、何かと後方支援を得て今日の生活を迎えることができていると感謝の念から、
ささやかな記念旅行として行きましょう、と賛意したのである。

この後の私は、庭のテラスに下り立ち、煙草を喫いながら、
この旅行の詳細を見たりしたのである。

《 ~三陸産「アワビ」踊焼き、「飛騨牛」季節御膳~
  優雅なる「5つ星の宿」で美食旅
     太平洋 特等船室クルーズ 4日間 》

と明記されていたので、私は微苦笑したのである。

私は小、中学生の時は劣等性で通信簿は『3』もあったが『2』も多かったのである。
その後は『5』から『1』までの波乱の学生時代を過ごし、サラリーマンの生活を35年ばかりしてきたので、
私の半生は『3』ぐらいと日頃は感じているのである。

こうした私の心境として、「5つ星の宿」のような処は落ち着かないかしら、と苦笑したのである。




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原英次郎氏の『われわれは本当の弱者を知らない!・・ 』を拝読して・・。

2009-09-25 13:50:51 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
午前中のひととき、ネットのダイヤモンド社のビジネス情報サイトとして名高い【DIAMOND online】を見ていたのであるが、
この中のひとつの記事に於いて、私はまさに私の思いと同じだ、と思いながら深く読んだりし、
そしてため息をしたのである。

この記事は【経済・時事】コーナーの中で DOL特別レポートとして掲載された記事である。
ジャーナリストの原英次郎氏が2009年9月25日に於いて、

【 われわれは本当の弱者を知らない!
        民主党に求む納税者番号制度の早期導入 】

と題された記事であり、適切な真摯な提示をされているので、
出来うる限り多くの人々に読んで頂きたく、無断であるが、転載させて頂く。


《・・
ようやく訪れた政権交代は、50年以上に及ぶ自民党政権が残した“負”の遺産を処理する絶好の機会である。
だが、その負の遺産は、途方もなく大きい。
その解決は長い時間と国民的なコンセンサスが必要になる。

青臭いと言われようが、ここは拙速を避けて、基本的な理念や基準を確立すべきだ。
それが長期にわたって、国民の支持を得るためのカギを握っている。
ここでは、最大の課題の一つである財政再建をテーマに、そのことを考えてみたい。


☆借金は“未体験ゾーン“に突入

まず、現在の日本政府の財政状況を見てみよう。
ご承知のように、今の財政は、支出(歳出)が収入(歳入)を大きく上回っていて、大赤字の状態が続いている。
その赤字を国債という名の借用証書を発行して、穴埋めしている。
 
この5年間の国債の発行額は、2004年度35兆円、2005年度31兆円、2006年度27兆円、
2007年度25兆円、2008年度が33兆円だ。
今2009年度は、本予算が成立した直後に補正予算が組まれたため、合計で44兆円もの発行が予定されている。

歳入をどれくらい国債に頼っているかを測る指標が、国債(公債)依存度。
これは順に、42%、37%、34%、31%、37%となり、
2009年度は再び40%以上にまで高まる見通しだ。
支出のほぼ半分を借金で賄うという異常な事態である。
赤字に次ぐ赤字で、積もりにつもった国債の残高は、2008年度末で546兆円に達している。
これはGDP(国内総生産)の110%に達する金額だ。
日本が、1年間に生み出す付加価値をも上回っている。
 
中央政府、地方政府、年金など社会保障基金も加えた借金の額と、
GDPを比較したOECDの統計によれば、
200年で、日本は171%、これに対してアメリカ66%、ドイツ64%、フランス71%、
EUで最悪の財政状況といわれるイタリアでも117%だから、
日本の借金比率は、群を抜いて高い。

富田俊基氏の著書『国債の歴史』によれば、
戦争の費用を賄うために、国債を大量発行した第2次世界大戦中の1943年度で、
国の借金の残高はGDP比の133%だったから、
現在の日本政府の借金が、いかにすさまじいレベルに達しているかが分かる。


☆目先の不幸と長期の悲惨

これほどの借金大国なのに、経済が混乱しないのは、1500兆円を上回る家計の金融資産があるからだ。
この6月末現在で、国と地方を合わせて860兆円にも達する借金があっても、十分に国内でファイナンスできる。
  
加えて、長期国債の金利が1%台と歴史上まれにみる低金利で安定しているのは、
国債の投資家達が、元金の償還(返済)や利息の支払いが確実に行われると、
日本政府を「信認」しているからに他ならない。

この信認が揺らげば、国債が売られて、長期金利が上昇する。
国債の消化が困難になれば、国債が売れるまで金利を上げなくてはならないから、利払いは膨らみ、
利息も含めた借金を借金で返すという悪循環が拡大する。
結果、社会保障費などの歳出カットと、増税に追い込まれる。

国債の金利は、すべての金利の基準となるから、
企業の借入金利も、住宅ローンの金利も上がり、経済は大きなダメージを被ることなる。
短期の不幸に余りにとらわれすぎると、長期の悲惨が待っている。

財政問題の難しさは、税や社会保険料の負担と、公共サービスの提供が直接結びついていないため、
国民に財政赤字の深刻さが、直接的には感じられないことにある。
さらに、国債に対する市場の信認がいつ崩れるかは、誰も正確には予想できない。
極端にいえば、それは明日かもしれないし、5年後かもしれないので、
実際に起こってみるまで、認識できない。

もちろんまだ時間的な余裕はある。
だからこそ、民主党政権は、市場に追い込まれる前に、財政再建の道筋をつけなければならない。
加えて、景気回復、格差是正という難題にも、同時に取り組まなければならないから、
新政権は重い課題を背負ったスタートとなる。


☆本当に手を差し伸べるべき対象は誰なのか?

周知のように、民主党のマニュフェストには、
子ども手当てを始め、政府の出費がかさむものが、ずらりと並んでいる。
無駄を省いて、財源をねん出するというものの、おそらく我々は無駄を省くだけでは解決できないほど、
膨大な負債を背負ってしまったのだ。
収入は限られている。
だから、限られたおカネを、有効にかつ効率的に使わなければならない。

歳出の中で最も大きな割合を占め、今後も増え続けざるを得ない年金、医療、介護などの社会保障費について考えてみよう。
おカネを効率的に使うには、第一に民主党が「公平」についての理念を明確にしなくてはならない。
次に、その公平性を確保するための手段が必要だ。
もちろん、すべての国民が、合意する公平の概念はあり得ないとしても、
より多くの国民が、「こういう人たちには、手を差し伸べるべきだ」と考える合意点はあり得るだろう。

簡単に言えば、誰に負担してもらい、誰に再配分するかを、どのような理念と方法で行うかということだ。
だが、これを特定するのは、案外と難しい。
大事なのは、現在、流布されている通説・常識を疑ってみることである。


例えば、ジニ係数。
ジニ係数とは所得格差を表す代表的な指数で、0から1までの数値を取り、0に近いほど所得格差は小さい。
厚労省の「所得再分配調査報告書」(2005年)によれば、
税や社会保障で再配分する前の当初所得のジニ係数は0.5263、再配所得は0.3875で、
所得格差はかなり是正されている。

一方、時系列でみると、当初のジニ係数は拡大しているものの、再配分後はそれほど拡大していない。

しかし、足元では、非正規雇用者は解雇され、失業率は上昇を続け、格差や貧困は拡大していると感じている。
このギャップはどこから生じているのか。
厚労省が意図的に数字を操作しているのか、調査に時間差があるためか。
現状をより正確に把握することが必要になる。

老齢者は弱者であるというのも、検証しなくてはならない。
高齢者の平均当初所得は、84.8万円しかないが、再配分所得は370.7万円に増える。
再配分によって、所得は4倍以上になっている。

他方、母子家庭の平均当初所得は191.1万円で、再分配所得は249.4万円。1.5倍にしかなっていない。
にもかかわらず、今年度から生活保護の母子加算は削減された。

資産についてみれば、例えば、70歳代の純貯蓄(貯蓄-負債)は、2080万円、
30歳はマイナス20万円と、負債が多くなっている(総務省「2004年全国消費実態調査」)。

筆者は失業中に、介護の職業訓練を受け、実際に訪問介護の実習を受ける機会を得た。
そのとき、忘れられない光景が二つある。
一人は初期認知症の老女。
トイレは汲み取り式で、地震が来ればおそらく倒壊するだろう古いアパートに、一人で住んでいた。

もう一人は、寝たきり状態のお爺さんで、息子と二人暮らし。
昼間は息子が働きに出るため、一人きりになる。
その一方で、かなり大きなお宅に住み、経済的にも恵まれていそうな老人がいたことも確かである。

このように、我々は誰がもっと負担し、誰がもっと再配分されるべきかを、
実はよく知らないのだ。
その基準となる有力な指標は、やはり所得だろう。
だが、この所得も正確には捉らえられていない。
「トーゴーサン」といわれるような、サラリーマンと自営業者などの間には、
所得の捕捉率に差がある。

資産格差に基づく所得格差は、さらに捉えるのが難しい。

だからこそ、所得をより正確に把握するために、納税者番号制度導入すべきではないか。
所得は、税=だれから取るか、給付=誰に与えるか、双方の基準となるからだ。

財政でいえば、歳入・歳出双方に関わってくる。
民主党政権が、これまでより公平性と透明性を重視するのであれば、
納税者番号制度はそれを確保する重要な手段であり、公約通り、導入に向けて積極的に動いてほしい。

ちなみに、先進国で納税者番号制度を導入していないのは、イギリス、フランス、日本だけである。
・・》
注)記事の原文にあえて改行等を多くした。


http://diamond.jp/series/dol_report/10018/


私は2004(平成16)年の秋、中小業の民間会社のサラリーマンを定年退職をした身であり、
この後の私は年金生活をしたのである。

私は定年の5年前に改めて退職後の人生設計を家内と話し合い、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、2人だけで老後の歳月を過ごすので、
結果としては残された人生はお互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると判断をしたのである。

古惚けた一軒屋に住み、厚生年金を頂き生活費の基盤として、
共通趣味の国内旅行、冠婚葬祭などは、程々の貯金を取り崩していく基本財務設計としたのである。

私達は退職後に銀行、郵便局、生命保険等をボケたことを配慮して、
出来うる限り集約したのである。
そして、貯金関係は殆ど国債の元本保証プラスわずかな金利を選定したのである。

この時は、支店長から3分の2をある投資信託で高い金利、
残りの3分の1を安全利回りで運用されれば確実に増えます、と勧誘のような助言されたりした。
しかし私達は、私は金利の変動は良いことあれば悪いこともあり、
悪化しマイナスになった場合は、残された人生に狂いが生じるので、安全な国債などしたのである。

もとより私は小心者のせいか株、投資信託などのハイリターン、ハイリスクで、
残された大切な人生に一喜一憂するのは、何よりも険悪していたのである。

国債が絶対的に大丈夫、と問われれば、
国債が駄目になった時は日本が滅びる時である、その時は私達の生命財産はもとより保障されないので・・
と私は今でも公言をしている。


私は今日の経済の悪化、社会の劣化を無力ながら憂いているひとりである。
根幹としての解決策は、やはり社会保障を数多くの国民が実感できる制度の確立と確信している。

もとより今の制度は毎年一兆円が増加し、益々高齢化の社会を迎えているので、
やむえず社会保障費を増設して、現役の働いて下さる方たちだけに負担をさせるのでなく、
どの世代も程々に負担して、財源の基盤を安定させる。
この結果として、高齢者の人々の不安が解消されれば、何とか貯金をしてきたのをと崩して、
国内需用も増えて、経済の活性化により、雇用の増加などにより、
やがては、数多く人たちが明日の見える社会となる、と切望しているのである。

その上、どの時代でも生活に困窮される人々を救済するのも、社会保障制度であるので、
私は国はいち早く社会保障費を増設して、社会保障制度を安定させるのが、
何よりの責務であると思考しているのである。

そして、この基盤を支えるのは、原英次郎氏の明示した納税者番号制度導入であり、
これくらいの制度はいち早く実施するのが、何よりの優先課題のひとつと確信している。


私は今回、原英次郎氏の『われわれは本当の弱者を知らない! 民主党に求む納税者番号制度の早期導入』の記事を拝読して、
喚起されて、思いつくまま綴った投稿文である。

私の昨今の思いは、同じような思いで、9月21日に於いて、
【 『敬老の日』を迎え、誰でも安心できる社会は、『社会保障税』の新設を・・。】
と題して投稿もしたりしている。





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敬愛していた作家・庄野潤三氏が逝去されて・・。 《最終》

2009-09-25 09:14:35 | 読書、小説・随筆
私は1988(昭和63)年の春、40代のなかば、
本屋の棚に庄野潤三氏の『インド綿の服』の単行本を偶然に見て、
ほほ20年ぶりに庄野潤三氏の作品に読みながら、強く魅せられたのである。

この後の私は、『世をへだてて』(1987年)、『誕生日のラムケーキ』(1991年)、『鉛筆印のトレーナー』(1992年)、
『さくらんぼジャム』(1994年)、『貝がらと海の音』(1996年)、『ピアノの音』(1997年)、
『せきれい』(1998年)、『野菜讃歌』(1998年)、『庭のつるばら』(1999年)、
『鳥の水浴び』(2000年)、『山田さんの鈴虫』(2001年)、『うさぎのミミリー』(2002年)、
『孫の結婚式』(2002年)、『庭の小さなばら』(2003年)、『メジロの来る庭』(2004年)などを愛読して、
サラリーマンを定年退職したのである。


『インド綿の服』を読んだ後の私は、『世をへだてて』の単行本にめぐり逢え、
庄野潤三氏の病院内の闘病、その後のリハリビを過ごされる状況を精読しながら、私の人生観に影響を受けたりした・・。

この単行本の帯に明記されているが、

《突然襲った左半身麻痺・・
 脳内出血の大病を克服してここに綴る

 生と死をさまよう中での
 幻想と幻覚
 そして
 よみがえる生命への歓びと
 新たな観想  》

と記載されて概要であるが、もとより作者の当人の想い、奥様、
ご長女、ご長男、ご次男のそれぞれの一家の暖かな支援と思い、
病室で共に闘病した人たち、担当医師・・
こうした交流が静流の中で、圧倒的な熱い思いが伝わってくるのである。

その後の『誕生日のラムケーキ』以降の作品には、
老いていく自身と苦楽を共にされた奥様の淡々とした日常生活・・
ご長女、ご長男、ご次男のそれぞれの一家との情愛、
ご近所の方たちの交流が描写・・

私は遠い親戚の一族を見るような思いで、この人生の歳月の流れを感じたり、
思いを馳せたりし、
私にとっては、まぎれなく人生の教科書と愛読したのである。

人生は労苦が多く、ほんの安息な日々を享受し、それぞれの生きがいを
その人なりに見出していくのであるが、
私は定年後の人生の指針として、庄野文学から多く教示させられたのである。


私は庄野潤三氏のご逝去の知り、私の二十歳過ぎから読んだ庄野作品を思い浮かべて、回想したのであるが、
私は父親を小学二年の時に死去されたので、庄野潤三氏の人生に思いを馳せると、慈父のような存在の人であった、
と確信を深めたりしている・・。


私は氏のご冥福を祈りながら、
少なくとも『静物』、『夕べの雲』、そして『インド綿の服』、『世をへだてて』を読み、
愛惜のひとときを過ごそうとしている。




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敬愛していた作家・庄野潤三氏が逝去されて・・。 ②

2009-09-24 18:10:11 | 読書、小説・随筆
この頃の私は独身であった上、アルバイトをしながら文学青年の真似事をしていたせいか、
社会人の一員にも中途半端な身でもあった。
こうした体験をしていたいか、夫婦の機敏な深淵を描いた『静物』(1960年)の作品は、うわべしか理解していなく、
作者自身が練馬区の住宅街から東京郊外の多摩丘陵に新居を構え、その周辺の情景、
家族がこの地に馴染んでいく牧歌的うつろいの『夕べの雲』(1965年)に素直に魅了されたのである。

しかし私は庄野潤三氏の文学には、この程度であり、
むしろ同じ第三の新人と称される遠藤周作、阿川弘之、安岡章太郎、北杜夫などの各氏の文学作品に魅せられる方が多く、
他の世代の作家の数多い作家に圧倒的に魅了されていた。


私は1970(昭和45)年の春、ある民間会社の大手に何とか入社できて、
文学青年の真似事を断念して、遅れた社会人として私なりに清進した。

私はサラリーマンをしていたが、ときおり他の作家の小説、随筆を本屋で見かけると、
購入して読んだりしていた。

1988(昭和63)年の春、本屋の棚に庄野潤三氏の『インド綿の服』の単行本を偶然に見て、
私は読みながら強く魅せられたのである。
作者のあとがきの後半にに明記されている通り、
《・・
「インド綿の服」が『群像』に載ったのが昭和56年10月で、
「足柄山の春」が昭和62年10月だから、まるむ6年たった。

長女一家が南足柄市へ越して行ったのは「インド綿の服」の出る前の年の春であるから、
長女一家からいえば、雑木林のなかの家で新しい環境に馴染みながら過した最初の7年間の生活が物語の背景となっている。
はじめは夫婦と三人の子供で出発したものが、途中から子供となった。

             昭和62年12月      
                         庄野潤三
・・》
注)作者の原文にあえて改行を多くした。


作者のご夫妻が、ご長女一家が南足柄市の雑木林の多い中で、新居を構えて、
たくましく日々を過ごされるを交流を描写されるのであるが、
私はご長女の感性に魅せられたのである。

そして作者自身が多摩丘陵で新居の生活をはじめた昭和30年代のなかば頃と思いを重ねて、
私も昭和53年の春に実家の近くに新居を構え、苦楽の日々も体験したので、
ご長女一家の日々を秘かに応援団のような心情となり、
心酔しがら精読したのである。

この後、私は庄野潤三氏の本を見かけるたびに、購入し、愛読したのである。


                         (つづく)





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敬愛していた作家・庄野潤三氏が逝去されて・・。 ①

2009-09-24 09:00:51 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
一昨夕、敬愛しているひとりの作家の庄野潤三氏が逝去されて、
呆然となり、とうとうお亡くなりなった、と心情にかられた・・。

この後、ネットで時事通信社、毎日新聞社、産経新聞社を読んだり、
昨日の朝は読売新聞の朝刊も読んだりしたのである。

私は庄野潤三氏の逝去ニュースに関しては、
毎日新聞社の基幹ネットの【毎日jP】が最も好感したので、
無断であるが、掲載させて頂く。

《・・
       訃報 作家、庄野潤三さん死去 88歳

9月22日15時34分配信 毎日新聞

「静物」や「夕べの雲」など日常生活を静かな筆致で描き、
「第三の新人」を代表する一人として活躍した作家、庄野潤三(しょうの・じゅんぞう)さんが21日、老衰のため死去した。
88歳。

(略)

大阪市生まれ。九州帝大東洋史学科卒業後、海軍予備学生として出征。
復員後、島尾敏雄らと同人誌を創刊した。
中高教師、朝日放送勤務などのかたわら「舞踏」「恋文」などを発表。
1955年、平凡な暮らしにひそむ危機をとらえた「プールサイド小景」で芥川賞受賞。
詩情豊かに生活の細部を描いて、安岡章太郎氏や吉行淳之介、遠藤周作らとともに「第三の新人」と呼ばれた。

夫婦の亀裂を描いた「静物」(60年、新潮社文学賞)は戦後文学の名作に数えられる。
その後も「夕べの雲」(65年、読売文学賞)、「絵合せ」(71年、野間文芸賞)、「明夫と良二」(72年、毎日出版文化賞)など
人生の機微を追求する家庭小説を書いた。
一方で「浮き燈台(とうだい)」「流れ藻」など見聞に基づいてストーリーを構成した作品も好評に迎えられた。

「ガンビア滞在記」(59年)、ロンドン紀行「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」(84年)、
脳内出血後の記録「世をへだてて」など、随想にも秀作が多い。

90年代後半からは自身の日常生活を題材に「貝がらと海の音」「庭のつるばら」などを主要文芸誌に書き継ぎ、健在ぶりを示した。
それは06年3月刊行の「星に願いを」に至っている。
「庄野潤三全集」(全10巻・講談社)がある。

父貞一さんは帝塚山学院を創設した教育者。児童文学作家の庄野英二さんは実兄。78年に日本芸術院会員になった。

▽作家、阿川弘之さんの話
 従来の私小説とは微妙に異なる、清純な家庭小説を多く書いた。
 子や孫を大事にする作風が心に残っている。やるべき仕事をやり終えた一生だったと思う。

▽女優、大浦みずきさんの話
 亡父(作家、阪田寛夫)とのご縁から公演を熱心にご覧くださり、
 もう一人の父親が見守ってくれているようで、心強く思っておりました。
 いつも優しく厳しい目で見てくださり、幸せでした。
 本名(なつめ)も芸名も付けていただき、名前に恥じないよう、一生懸命生きていこうと思います。
 心よりご冥福をお祈りします。


最終更新:9月23日0時49分
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090922-00000007-maip-soci


私が庄野潤三氏の作品を初めて読んだのは、東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年の頃である。
文学青年の真似事をしていたので、遅ればせながら、
『愛撫』(1953年)、『プールサイド小景』(1955年)、『結婚』(1955年)、
『ザボンの花』(1956年)、『ガンビア滞在記』(1959年)、『静物』(1960年)、『浮き燈台』(1961年)などを読んだりしていたのである。

この後、講談社から『われらの文学』と命名された全22巻の文学全集が、
1966(昭和41)年に刊行されて、
私は《声価高まる「若い」文学全集》と称せられたこの『われらの文学』を愛読していた。

庄野潤三氏の作品が配本されたのは、翌年の3月15日に於いて、
『われらの文学 13 庄野潤三』と刊行されて、私も精読したひとりである。

そして、私は改めて、庄野潤三氏の作品、
『静物』、『夕べの雲』(1965年)、『愛撫』、『プールサイド小景』、『相客』、『道』(1962年)、
『鳥』(1964年)、『秋風と二人の男』、『ガンビア滞在記』(1959年)を読んだりした。

そして、文藝評論家・江藤淳氏が解説を書かれていたので、
読みながら私は動揺したのである。

《・・
庄野潤三氏り文学の特質は「不安」である。
そして氏の技法の中核をなすものは「暗示」、もしくは「象徴」という手法である。
このふたつの交点から、光によって表現される闇、
もっとも日常的な描写によって表現される形而上的な虚無、
誰でもが体験している時間を横切る永遠、
といったような要素で組み立てられている氏の小説が生まれる。
・・
(略)
・・》
注)解説の原文をあえて改行を多くした。


私は江藤淳氏のこの解説の最初の部分を読みながら、
私なりにの読み込んだ庄野潤三氏の文学を、いかに浅かったかを思い知らされたのである。


                         (つづく)



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久々に私達夫婦は、都心に買物を・・。

2009-09-23 20:27:04 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
私達夫婦は午前中のひとときお墓参りを終えた後、
久しぶりに都心に出て、買物をした。

新宿の『石井スポーツ』の西口店で、アウトドア用のフイールド・ジャケットを探したのであるが、
魅了される品がなく、デパートの『高島屋』、『小田急』、『京王』の新宿店を廻り、
結果としては『京王』で買い求めたのである。

この間、家内の婦人服、ブラウス等も加わり、
四時間前後の買物めぐりしたり、
休息と軽食を兼ねて、屋上のカフェテラスで私はビールを呑んだり、
家内はアイスクリームとアイスティーを頂いたりした。

このように私達は都心の人並みは苦手であるが、
やむえず年に三回前後は、新宿のデパートなどで買物をしたりしている。

私が現役時代のサラリーマンの時は、スーツ、コート、ワイシャツ、ネタタイ、靴なども、
人並みにビジネス風に徹することが多かったのであるが、
退職後の今は国内旅行などで機動性のある服装ばかり買い求めることが圧倒的に多く、
ときおりスーツ、ネクタイ売り場を通過したりすると、苦笑したりしている。

帰路、小田急線だったならば最寄駅は『成城学園前』であるので、
下車して改札口を出て駅前を歩き出すと、新宿などの都心から心身解放されたかのようになり、
私達夫婦はほっとするのである。

そして駅前の食事処で夕食を頂いて、帰宅したのは午後6時過ぎであった。

薄暗くなった中で、戸を開けたりした後、
私は煎茶を淹れたりして、
『俺達夫婦は・・都心の人並みの多いところは苦手だょね・・
俺も疲れたょ・・』
と私は家内に云ったりしている。




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改めて、祖先を敬(うやま)い、亡くなった人々を偲ぶ日・・。

2009-09-23 08:05:50 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
おだやかな薄日の射す朝を迎えている。

『秋分の日』は『祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ日』と称せられ、
私達夫婦も私の実家の長兄宅に寄った後、お墓参りに行く。
お寺の境内、墓地は、『春分の日』と同様に、にぎわう日でもある。

お墓は清められ、お花が奉(ささげ)られ、お線香の紫煙が立ち昇る中、
祖先はもとより、祖父、父、母、次兄などから、
改めて私は見守られて日々を過ごしている、
と私は感謝をしながら、手を合わしているのである。

このように、母の命日、そしてお盆の日、年にわずか4回ばかりであるが、
私達夫婦はお墓参りをしている。

この後、都心の専門店などで買物に行くので、
私達夫婦は日中の大半を外出するのは、稀なことであり、
さてどのようになるかしら、と微笑んだりしている。



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齢を重ねた私も、『日経ネットPLUS』に入会して・・。

2009-09-22 18:01:50 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
買物を担当したり、散策の時も付近の季節のうつろいを眺めたりしている。

私の殆ど日中は、小説、随筆、ノンフェクション、近代史などを読んだり、
月刊誌は『文藝春秋』、ときおり『中央公論』を読んだりし、
数ヶ月前に『フォーサイト』(新潮社)を購読したりし、何かと読書をすることが多い。
その上、定年退職の二ヶ月前に遅ればせながらインターネットを自宅で開設し、
ネットで読売新聞社、日本経済新聞社の基幹ネットを見たり、
私は現役時代はレコード会社に勤めていた延長で、音楽業界、ヒットチャート等も習性から見たりしている。
そして、何より興味のあるのは、日本の文化のこと、そして四季折々のニュースを深く見たりしている。

こうした中で、私は日本経済新聞社の基幹ネットの【NIKKEI NET】を見たりすると、
この中のひとつで【ネットPLUS】がある。

私は政治、経済、社会、文化などは興味があるが、
この【ネットPLUS】は、それぞれのタイトルだけは見られるが、
入会し会員しなければ記事を見ることのできないシステムとなっている。

私は齢を重ねた身であり、なるべく色々な会員なども削減してきたので、
そして少しボケてきた身もあり、入会して記事を読もうか、とここ半年ばかりためらってきた。

数日前、何気なしげに【NIKKEI NET】を見ていたら、
【ネットPLUS】でタイトルが羅列されて折、この中のひとつに、

《 「いまどきの高校生」の歌  》

と表示されていたので、私は強く興味に惹(ひ)かれたのである。

私の人生の信条に於いて、好奇心を失くしたらこの人生は終りだ、
と秘かに思っているので、
本日の午前中のひととき、『日経ネットPLUS』に入会して、会員となり、
この記事を精読したのである。


《 初めての俳句・短歌

   高校生の歌(1) 》

と題されて、若き高校生の日頃のさりげない思いが、
短歌に託して詠まれているのが、数首あり、優しい解説も付加されていたのである。

最初り私は、昨今の高校生の秘かに愛されている音楽の曲、と思っていたのであるが、
私は無念ながら短歌を詠む素養はないが、詠まれた方の作品を読むのは好きで、
思わず微笑みながら、拝読したのである。


尚、本来であったならばURLを添付して表示したいのであるが、
会員の規定により禁止しているので、ご了解の程を・・。

この入会の資格は、真摯な思いで明るい未来を切望する日本人であれば、
どなたでも無料で会員になれる、
と少しボケた私は解釈している。





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『国民の休日』と云われても、私は戸惑いながら・・。

2009-09-22 01:10:51 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
ともすれば曜日の感覚が薄れ、秋の大型連休はシルバー・ウィークと称されたり、
私の現役時代のサラリーマンの時には確かなかった、と思いながら、
先程カレンダーを見つめていたら、9月22日『国民の休日』、と朱記されていたので、
何の日なの、と戸惑ったりしていた・・。

こうした時は、私は秘かにあるサイトをこっそり見たりしているのである。

私か頼りにしているのは、【日本文化いろは事典】と称されるネットのサイトである。

このサイトの『祝日・休日』の項目より、『国民の休日』を見たのである。

《・・
国民の休日
読み方:こくみんのきゅうじつ

1985年12月27日に祝日法が改正され、祝日に挟まれた平日を「国民の休日」としました。
(国民の休日は祝日法ではたんに「休日」と呼ばれます)


働きすぎの現代人のための休日

働きすぎの現代人に休日を増やそうということで定められた「国民の休日」は、
現在のところ5月4日しかありません。
祝日の場合は日曜日と重なった場合、その週の月曜日を休みにするという「振り替え休日」の制度が設けられています。
しかし、休日は祝日と区別して扱われるため、もし5月4日が日曜日と重なったとしても、
振り替え休日は設けられないそうです。


ハッピーマンデー法の施行

1985年12月27日に祝日法が改正され、即日施行されました。
これにより、第一号は5月3日の憲法記念日と5月5日のこどもの日の間の5月4日が休日となりました。

2003年以降、ハッピーマンデー法により「敬老の日」が9月の第3月曜日に変更されたことによって、
9月第3(または第4)水曜日が「秋分の日」である年は、
敬老の日と秋分の日にはさまれた火曜日が国民の休日の条件に当てはまるようです。
この火曜日が国民の休日になれば、5月4日に続く第2の国民の休日ということになります。


休日と祝日の違い

祝日とはお祝いや記念の日であり、その日が休日とは限りません。
とは言え、祝日による休日やその振替休日、そして「国民の休日」といったように、
祝日の影響を受けて発生する休日が殆どです。

また、2009年になると9月に第2号の国民の休日が発生します。
2009年9月21日は 第3月曜日で敬老の日(祝日)、
その2日後の23日は秋分の日で祝日です。
よって、その間にはさまれた22日は「国民の休日」の条件に当てはまります。

そうすると、日曜と合わせて4連休という5月のゴールデンウィークのような大型連休期間が誕生することになります。
9月にこのようなプレゼントがあるとは2009年が楽しみですね。
・・》
注)原文に関して、あえて改行を多くした。

http://iroha-japan.net/
        【日本文化いろは事典】


私は恥ずかしながら、『国民の休日』の意義と由来を初めて知ったのである。

しかし、私が定年退職をしたのは、2004(平成16)年の秋であったので、
5月のゴールデンウィークの時は、確かにあったはずである。

私の勤めていた会社は、5月1日から5日まで固定のように休日であり、
多忙な時は休日出勤をしたりしていたので、うっかりと『国民の休日』と称せられた休日は無知であった、
と今頃になって気づかされたのである。

そして、上記の祝日法に寄り、今年の秋はたまたま四連休のようなめぐり逢わせになった、
と改めて学んだのであるが、私としては紛(まぎ)らわしい、と直感したのである。

毎年の9月23日の『秋分の日』の前後に、少なくとも祝日・休日の四連休とした方が、
多忙な現役の諸兄姉も安息期間として予定も立ち、何かと利便性もある、
と感じたのである。

こうした感知こそが、祝日法を改正できる政治家の感性であり、
与野党の議員も反対をする議員は皆無と私は思っている。



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今宵ひととき、『日本の四季』美麗めぐり・・。

2009-09-21 22:47:43 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
日中の10時半から夕方の4時まで、秋色にふさわしいように庭の手入れをした。
孤軍奮闘で剪定、草むしりをし、
家内は秋に向っての衣料の準備をしたりしていた。

早めの夕食はビールを呑みながら、お寿司を頂いた後、
私は疲れを覚えて、寝室の布団で2時間ばかり眠ってしまったのである。

8時半過ぎに起きだして、洗面し、ぼんやりとパソコンの前に座り、
何気なしに検索していたら、思いかけずに、『日本の四季』美麗めぐりのようなネットのサイトにめぐり逢え、
私は2時間ばかり見惚(みと)れたのである・・。


時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】に於いて、
【にっぽん歳時記】と題して、春夏秋冬の各地の情景が掲載されていた。

http://www.jiji.com/jc/offtime?p=literary-cal-08fall-photo01

私はぼんやりと見惚れながら、
自宅で豪華な『日本の四季 美麗めぐり』の写真本を頂いたように、
その地の情景に思いを馳せたり、或いは初めて観る光景に感性を揺さぶられたり、
時折ときめきも感じたりしている。




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『敬老の日』を迎え、誰でも安心できる社会は、『社会保障税』の新設を・・。

2009-09-21 08:12:57 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
今朝、いつものように読売新聞の朝刊を読んでいたら、
『敬老の日』に伴い、後期高齢者医療制度の廃止の政策転換にどう実現させるか、と記事を読んだりした。

この後、【社説】として、『敬老の日』と題して、
『安心できる超高齢社会に』と副題で掲載されて、深く精読したら、
私がこのサイトに9月11日に於いて、
【 私は『消費税』を撤廃し、『社会保障税』を10数%の新設を期待する・・。 】
と同じような思いの思考かしら、と微苦笑したのである。


まず、本日の読売新聞の【社説】の『敬老の日』の記事について、
読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】で、掲載されているので、
無断であるが転載させて頂く。

副題は【 安心できる超高齢社会に 】と題されている。

《・・
鳩山政権が発足して間もないきょう、敬老の日を迎えた。
日本の高齢化は、世界に類を見ないスピードで進行している。

敬老の日が祝日となった1966年、日本人の平均寿命は男が68歳、女は73歳だった。
それが今では男79歳、女86歳となり、年々延び続けている。
100人に1人、約130万人が90歳以上という時代である。

無論、高齢化それ自体は憂うべきものではない。
多くの人が長寿であるのは喜ばしいことだ。

にもかかわらず、超高齢社会が暗いイメージで語られがちなのはなぜか。
社会保障制度が十分に対応できていないからだろう。

新政権はこの不安を払拭(ふっしょく)するために、
老後の生活を支える年金、医療、介護をどう再構築し、維持していくのか。
山積する課題に取り組まねばならない。

まず、直面する難題は高齢者医療である。

長妻厚生労働相は就任会見で、改めて「後期高齢者医療制度は廃止する」と表明した。
ただし廃止時期には触れず、その後については「現状を把握した上で制度設計する」とした。
これは現実的な選択と言えよう。


後期高齢者医療制度は、老人保健制度の行き詰まりを打開する目的で作られた。
75歳以上の人の医療費を現役世代がどれだけ負担するかを明確にし、
県単位の保険者を作って保険料格差を縮めた。

新制度には様々な欠陥や説明不足もあったが、
呼称などに対する感情的反発が先行し、冷静な議論が行われたとは言い難い。

野党なら政策の欠点だけを追及し、
「ただちに廃止して老健制度に戻せ」と唱えればよかったが、
政府・与党となったからには、いたずらに混乱を招くだけの選択は許されまい。


後期高齢者医療制度の利点と欠点を適切に評価し、
発展的に再構築することは、「現制度を廃止する」との公約に反しない。
冷静かつ建設的に、高齢者医療の将来像を練ってもらいたい。

その場合、保険料や窓口負担が限界と見るならば、
公費の投入を増やすしかない。医療に限らず、年金も介護保険も同様だ。

だが、子ども手当など他の新規施策だけでも財源確保に疑問符がつく中で、
増税なしに高齢者施策の財源は見いだせるだろうか。

消費税を社会保障税とし、きちんと財源を確保すれば、超高齢時代の施策は選択肢が広がる。
新政権は一日も早く決断すべきだ。

(2009年9月21日01時12分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090920-OYT1T00802.htm


私がこのサイトに9月11日に於いて、
【 私は『消費税』を撤廃し、『社会保障税』を10数%の新設を期待する・・。 】
投稿文を再掲載をする。

【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
読売新聞の朝刊の一面に於いて、
ここ数日、【民主党に注文】と題された特集記事が掲載され、
政治に疎(うと)く無力な身であるが、有権者の責務として読んだりしているのである。

9月9日には、第四回であり、東大教授・吉川洋氏が寄稿されていて、
少し読みながら。日頃の私の思いを的確に明示されている思いながら読んだりしたのである。
この記事とほぼ同一の記事が、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】で、
掲載されている。

     『 社会保障 消費増税で 』

と題される記事であり、無断であるが記事の内容を転載させて頂く。

《・・
民主党の圧勝は、多くの人が閉塞(へいそく)感を感じ、新しい政権に期待した結果なのだろう。
そこを踏まえると、新政権の大事なテーマに成長戦略と分配の問題が挙げられる。


日本の経済成長に輸出が6割の寄与をしている。
このため、世界同時不況の影響を受けて、日本経済も収縮してしまった。
もう少し内需主体の経済にしようという発想には賛成だが、
子育て支援で達成できるほど単純ではない。
本格的な内需主体の経済を目指すなら、社会保障の将来像をきっちり描くことが不可欠だ。

分配の偏り、格差拡大は、規制改革だけが原因ではない。
少子高齢化や、所得の低い若者の独り暮らしが増えるなど家族の姿が変わってきた影響が大きい。
高齢化や経済のグローバル化、情報技術(IT)の変化など、
経済、社会を変える要因を十分に理解して政策を考える必要がある。

経済成長を促し、偏った分配を改める上で、国の予算を大胆に見直すことは正しい。
歳出に無駄があるなら洗い出すべきだ。
しかし、この議論はもろ刃の剣だ。
行き過ぎると「無駄はいくらでもあり、財源はいくらでも出てくる」
という幻想が生まれる。

無駄減らしだけで社会保障や様々な政策の財源が全部出てくると思ったら間違いだ。


結論から言えば、無駄減らしだけではお金が足りない。
税収、歳入増を図らなければならず、その本命は消費税だろう。
消費税を5%に据え置いて、ほかでお金をかき集めるという考えでは財政はもたない。
社会保障の将来も安定しない。

消費税を財源としてすべての人に7万円の「最低保障年金」を創設するというマニフェスト(政権公約)を機械的に見ると、
医療・介護や子育て支援も含めて消費税率は10%では足りなくなる。

歳出の洗い直しを早期に終わらせ、
「見直しで生まれる財源はこのくらい」という見通しを1~2年で示し、
新たな財源の議論に移るべきだ。


社会保障関係では、お金を支給する直接支援は所得水準の低い人たちに集中すべきだ。
そのためにも、所得を把握するための社会保障番号・カードが必要になる。
民主党は年金通帳の導入を主張しているが、
社会保障番号を入れて社会保険手帳に拡大するのが良い。


経済は外需も含めて成長しなければならない。
日本経済の屋台骨は製造業や輸出産業だ。
厳しい国際競争にさらされ、労働力人口が減る中で、
イノベーション(技術革新)が生命線である点も忘れてはならない。

国家戦略局などの制度は器であり、問題はその運用にある。
過去の経緯にとらわれず事実を虚心坦懐(たんかい)に見て、
マニフェストに書いていなくても、いいことは積極的にやるべきだ。
(聞き手 経済部次長 京屋哲郎)

(2009年9月9日 読売新聞)
・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/feature/0003/fe_002_090909_01.htm


私はこの記事に喚起され、日頃の私の思いを綴ることにする。

私の念願は、ベルリンの壁の崩壊前の日本の姿になることである。
短絡的に表現すれば、数多くの日本人が総中流家庭が実感でき、明日に希望を託すことのできた時代で、
今後の日本の指針は総中流家庭の復興で、数多くの人々が安心し実感できる社会である。

この目的を達成する為には、もとより経済の成長は不可欠であり、
急速な高齢化社会を迎えている今日、社会保障制度の基盤の安泰が何よりの前提条件となるのである。

問題は各世代の負担であるが、以前にもこのサイトで明記しているが、
もとより30、40代の若い世代に現状のように加重負担させるのは過酷であり、
肝要な働いて下さる多くの方の明日への芽を摘み取ることになる。

現状の財産形成の人口分布は、高齢者の方達が圧倒的に多く占有しているが、
高齢者自身は安心でき、将来も託すことのできる社会保障制度になっておらず、
多くの高齢者はやむえず自己防衛のために、生活を切り詰めて、少しつづ貯金をしているのが実態である。

私はサラリーマンの現役時代に数多く人々と同様に多忙の時、
終電も過ぎたのでタクシーで帰宅する途中、
『旦那・・景気を良くする方法はないですかねぇ・・』
とドライバーの方から訊ねられたことが、数多くあった。

『年金生活をしている方に、消費して頂ただければ、内需は拡大し日本経済も良くなります。
その前提としては、社会保障制度が安心できると実感されれば、
貯金を崩されて買物をされると思います・・』
と私はドライバーの方に云ったりしていた。


現状の時点に於いては高齢者の年金だけ見ても、
若い30、40代の人たちが羨望するような額が、高齢者の多くの方たちに支給されている実態である。
私さえ民間の中小業に35年ばかり勤め、年金は満62歳を過ぎてからは月平均20数万円頂いている身である。

もとより社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用を、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っている。
つまり、現役世代がその時の高齢者を支えているのである。

このような現状の制度のままで放置すれば、
若い30、40代の人たちが過重負担となり、耐え切れず反乱されても致しがたいであろう。
たとえば、若い働いて下さる方たちは、高齢者の人たちを負担させるばかり人たちと思い、
邪魔な存在と感じながら、益々粗末にする風潮のなる世界である。


このようなことを配慮して、私も高齢者に入門する身であるが、
あえて、消費税5%を撤廃し、社会保障税を少なくと10数%(専門家の諮問委員会で試案させる)を設定し、
年金、医療、介護の専用の財源とし、国からの負担の助成とする。
そして数世代の人々が社会保障税として程々に負担するのが望まく、社会保障制度を万全とした上で、
誰でも安心できる社会を期待しているのである。

このことが私がめざす総中流家庭の復興の確実な一歩と思っている。

・・】


このように投稿していたが、いずれにしても確固たる財源基盤の上で、
誰でも安心できる社会は、各世代の人々が程々に負担する『社会保障税』の新設が、
無力な高齢者入門する私さえ、早期に実現することが急務と確信している。



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松田聖子ちゃんの『風立ちぬ』を心の中で唄いだし・・♪

2009-09-20 21:37:52 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
朝の8時過ぎに、やわらかな秋の陽射しを照らす主庭のテラスに下り立った・・。

ここ数日は朝の6時は18度前後、昼下がりは26度前後、夕暮れの6時は23度前後で、
晴れ時々曇りが多い恵まれた初秋を迎え、世間ではシルバー・ウィークとなっているので、
天上の気候の神々が現役の諸兄姉の働いて下さる方たちへの
何よりの贈り物かしらと感じたりしている。

このように思いながら、風に身をまかせ、煙草を喫ったりしていた。
庭の片隅の花壇を眺めれば、薄紫色のサフランと黄色のクロッカスの小花が群生し咲いているのであるが、
微風に揺れていた・・。

私はどうした思いか解からないが、心の中で、

♪風立ちぬ 今は秋
 今日から私は 心の旅人

【『風立ちぬ』 歌詞・松本 隆 作曲・大瀧詠一 歌・松田聖子】


唄いだしたのである・・。

私は我に返り、聖子ちゃんかょ、と呟いたりしていた。


私が思わず心の中で唄った松田聖子ちゃんの『風立ちぬ』が街に流れていたのは、
昭和56年(1981年)の秋であり、この後の曲は『赤いスィートピー』もヒットされ、
私はあるレコード会社に勤めて、歌に直接かかわる制作畑でなく、情報畑でそれなりに孤軍奮闘していた頃で、
他社の松田聖子ちゃんの曲も何気なしに聴いていたのである。

私にとっては苦手な松田聖子ちゃんであるが、確かにヒット曲を連発し、
発売元のソニーはマーケット・リサーチはもとより、資金源、人材、組織力のある会社、そして肝要のスタッフの起用、
と認めたりした上で、たぐい稀(まれ)な才能と努力を重ねられた歌い手の相乗効果である。


このように聖子ちゃんの数々の唄声を聴いたりしていた。


私は定年退職後、年金生活を過ごしている今、
ときおり昔の歌がふいに蘇(よみが)り、あんな苦手な聖子ちゃんの歌も懐かしく、
心の中で唄ったりするので、苦笑することが多いのである。

10時過ぎた頃、私はいつものように最寄のスーパーに買物にでかけたのであるが、
川の橋を渡る時に、両側の岸辺は遊歩道がある。
そして、休日の日なのでいつもより人出が多く、しばらく眺めたりしていた。
初秋の陽射しの中で家族連れで歩かれたり、自転車で幼児を伴った若きご夫婦の姿も数多く見られたのであるが、
何かしら笑顔の表情が多く、安息のひとときかしら、
と私はこの人生の微笑みを頂いたのである。

ときおり風を受けたしていると、

♪風立ちぬ 今は秋
 今日から私は 心の旅人
  
【『風立ちぬ』 歌詞・松本 隆 作曲・大瀧詠一 歌・松田聖子】

と心の中で唄ってしまい、私は独り微笑をしながら、スーパーに足取り軽く向ったのである。



http://www.youtube.com/watch?v=bV_JgmcoEP0
【『風立ちぬ』 歌詞・松本 隆 作曲・大瀧詠一 歌・松田聖子】




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過ぎ去りし、定年後の私の9月19日の思いは・・♪  【下】

2009-09-20 13:10:56 | 定年後の思い
私の定年退職後の昨年の2008年の9月19日、そして一昨年の2007の9月19日の投稿文を再掲載して、
この頃の思いに馳せたりしている。

そして、2006年、2005年にどのような思いで過ごしていたか、
今回もあえて再掲載をする。


2006年9月19日の朝に、
【 初秋のひととき・・♪ 】と題して、投稿している。

【・・
東京の郊外は、秋雨前線の影響でここ10日ばかりは雨が多く、
ときたま薄日が射すような日が続いている。

今朝は早朝から、朝の陽射しが差し込んで、雨上がりの庭を照らしている。

日中は晴れ時々曇り、明日は快晴と予測され、
いずれも28度前後の晩夏の名残りのような日を迎える。

そして週末になると、雨時々曇りが予報されている。

古人達は暑さ寒さは彼岸まで、と云っていたが、
一雨ごとに秋に向っていく樹木、草花、そして微風を受ければ、
心までが実感できる。

日本列島に多くの災害を与えた台風は、
北海道の付近の日本海の海上を北上しているが、
この付近にお住まいの方達に災害が少なければ・・と思って、初秋の空を見詰めている、

・・】

この年は台風の襲来が多かったのかしら、と思いを馳せたりしたが、
今から三年前のことは無念ながら忘れ去っているのが本音である。



そして同じ9月19日の昼前に、
【 子供を怒るとき・・♪ 】と題して、投稿している。

【・・
昨今、子供を虐待し、最悪の場合は死に至らしめる、と不幸なニュースを読んだりしている。
ここまでは極端なケースでなく、子供のいたずらなどに対して、
親としての対処方法である。

私達の時代はどのようだったのかしら、思い返している・・。

私は昭和26年の春、小学校に入学した身であるので、
その頃の時代を思い浮かべていただければ幸いである。

長兄、次兄に続いて私が生を受け、私の下に妹が生まれた。

私が3歳前後の幼児の時、初めての女の子に家族はひととき溺愛した。
三男坊の私は、私をかまってくれない空気を幼児なりに、察して素直さが失われた。

夕食時、妹がスプーンを使ってご飯を食べていた。
『俺も・・匙(さじ)で食べたい・・』
と私は母に言った。

傍にいたいた父が、私の襟をつかみ、食事処から裏玄関に連れて行き、
私は外に放り出された。

私は泣きながら、暗くなった母屋の周辺を歩き廻った。

1時間すると、母が裏玄関から入れてくれた。

私の幼年期は、いじけた可愛げのない子供であり、
いたずらをした時、親の言うことがきけない、そして挨拶ができない時など、
父は小学2年の冬に死去されたが、亡くなる半年前までの幼年期はよく怒られた。
母屋の前の庭の外れにある蔵に、放り込まれたりした。

私が成人した頃は、東京オリンピックの開催の時代、
近所の若き奥さんと立ち話をした。
『うちの上の女の子・・言うこときかなかったから・・
和室の押入れに1時間位・・入れたわ・・』
と私に言った。

最近、マンションに住まわれる奥さんと話をしたりする。
『うちの子・・空のお風呂場に入れてしまうの・・』
と私に言った。

私が庭先に下り立つと、ときおり遠くから女の子の泣き声が聴こえたりする。
『ママ・・もうしないから・・』
と泣き声まじりで訴えたりしている。

子供のしつけは、学校の先生ではなく、両親と思っている。

私は子供に恵まれなかったが、果たして子供がいたならば、
どのようなしつけをしたのか、苦笑せざるを得ないでいる。

・・】

子供を育てる時、過度なしつけ、或いは虐待のような社会ニュースを視聴し、
憂いながら、果たして私の幼年期には程ほどのしつけが、
両親とか近所の小父さん、小母さんからも健全な精神で行われたりしていた。
こうした思いを重ねて投稿していたのである。



2005年9月19日の朝7時過ぎに、
【 秋晴れの日・・♪ 】と題して、ほんのわずかで投稿している。

【・・
本日も秋晴れの一日が始まる。

庭の手入れに日中は最適と思え、これから草むしりと枝の剪定をする。

・・】



そして同じ9月19日の昼過ぎに、
【 鈴虫の憩いの場所・・♪ 】と題して、投稿している。

【・・
午前中、玄関庭の手入れをした。

草むしりと枝の剪定をしたが、草むしりの一部は残した・・。

鈴虫の憩いの場所を確保したつもりである。

朝のひととき、秋の夜長に欠かせないからである。

今はけだるいので、この後に本を読み、昼寝をする。

・・】



そして同じ9月19日の夜の10時過ぎに、
【 秋の宵には・・♪ 】と題して、投稿している。

【・・
秋晴れの日が、東京の郊外では続いている。

やはり朝夕は涼しくなり、日本酒も冷酒とお燗もすることなく、常温のまま呑める時季となった。

月を眺め、物思いにふけるに相応しい夜になります。

・・】

この年(2005)の頃は、私がブログの世界を知り半年を過ぎた頃である。
この中のひとつ【goo簡単ホームページ】に投稿するのが、
何よりの楽しみであった。
この日は午前中に庭の手入れをする前後、そして夜・・短く三回ばかり投稿していた。
恥ずかしいことを告白すると、この【goo簡単ホームページ】に於いては、
私はベスト30位前後であったので、
この日もこのランキングを意識して投稿したのが本音であった。


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