夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

公共交通機関の利便性のある地域に住む高齢者の一部の方、なぜ歩かないの、と苦笑し・・。

2012-01-14 13:42:46 | 私が理解できない社会現象のひとつには
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、結婚前後の5年を除き60年を超えている。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

最寄駅は京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』であり、
小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』となり、
この間の中間地域となり、いずれもバスの利便性は良いが、年金生活の今は殆ど散歩も兼ねて歩いたりしている。

そして現役のサラリーマン時代の通勤の時は勤務地の関係、
或いは昨今の都心に買物、旅行をしたりする時は、
更にバスの利便性も良いので、『成城学園前』を利用したり、ときには散策をしたりしている。

こうした辺鄙な所に私は住み、定年後の年金生活の日常に於いて、
その日に応じて歩き廻ることが多い。


今朝の午前中のひととき、家内から買物を依頼されて、
私は最寄駅のひとつの『仙川』駅の商店街をめざして歩き出した。

淡い陽射しの中、北風が吹き5度ぐらいと思われ、バスの通る歩道を歩き、
途中の坂道の上りも速度を緩(ゆる)めることなく、
15分ばかりで商店街に着いた。

この間、バス停を5つばかり通り過ぎたが、60、70代ぐらいの男性、女性の多くが、
バスを待ちわびて並んでいた・・。
こうした情景を私は見たりし、高齢者の方はバスなどに頼らず、
歩くことが何よりの健康の源(みなもと)なのに、と苦笑させられたのである。

もとより高齢者の方で、膝を痛めたり、歩行が困難な方、
冠婚葬祭などでお出方の方、急ぎのある方たち、
或いは地方にお住まいで公共交通機関の不便な方たちは例外であるが、
単なる駅前で買い物、小用のある方たちは、歩かれた方が良いのに、と思ったのである。


高齢者の何よりの悩みは、貧富にかかわらず、
いつの日にか寝たきりの状況を一番恐れていると思うが、
こうしたことを回避する特効薬は、日常生活の中で歩くことが、まず第一歩と私は確信したりしている。

ご自分の老後の生活を大切にし、ご自身の意思で日々を過ごしたいならば、
何よりも歩けることが、肝要であるのに、と心の中で高齢者3年生の私は呟(つぶや)いたりしている。

昨年の春先、作家の曽野綾子さんの随筆を読んでいた中で、
ご主人の三浦朱門氏が、渋谷の本屋に行く為に、
お住いの田園調布より7キロぐらいの道のりを電車、車などに頼らず歩くことが多い、
このような意味合いを綴られていた・・。

私は氏は80代のご高齢なのに、恐れ入ります、と思いながら、
ご健在の秘訣のひとつかしら、と微笑んだりした。


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『ムカツク』という言葉、ここ10数年流行(はやり)言葉のひとつであるが、私は険悪して・・。

2011-02-27 18:35:29 | 私が理解できない社会現象のひとつには
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
ここ10数年、テレビ等で視聴したり、日常生活の外出などで耳にするたびに、
私は気になり、険悪する言葉のひとつがある。

『ムカツク』

この表現も険悪する。

このような言葉を口にだしたら、相手のお方は・・
こうした心情を思えば、少なくとも大人と思う人は使えないはずである。

私の現役のサラリーマン時代、10数年前に職場で若い方が使っていて、
初めて聴こえた時、
私は感性の乏しい人、人格形成の薄さを感じてしまったのである。

そして定年退職の7年前頃、街中で若き女性同士が立ち話しをして、
この『ムカツク』と蓮(はす)っ葉な言葉が聴こえた時、私は動顚しまったのである・・。


私の幼児の頃、農家で育ったのであるが、言葉が乱暴であったりした時、
祖父、父はもとより、近所の小父さん、小母さんから叱咤を受けたりした。

『その言いかたは何だ・・言葉を粗末にするなぁ・・』
と私はたとえ5歳の幼児であっても、小突(こづ)かれたりしてきた・・。

私は言葉ひとつとっても、貧富さとか社会の地位とかは関係なく、
そのお方の人格を表わす、と確信している。


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『はまる』という言葉、ここ10数年流行(はやり)言葉のひとつであるが、私は険悪して・・。

2011-02-27 08:24:26 | 私が理解できない社会現象のひとつには
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
ここ10数年、新聞、雑誌、テレビ等で視聴したり、日常生活の外出などで耳にするたびに、
私は気になり、険悪する言葉のひとつがある。

『はまる』

若い人が使うのは、言葉の感性が乏しいと苦笑をしたりしているが、
少なくとも30歳以上の大人の人が使うのは、いかがなものかしら、と思っている。


私が中学2年生だった1959(昭和34)年頃、
いつものように同級生の仲良しグループのひとりの悪友と下校した帰り道で、
たまたま女の子の話となった。

私は悪友の間柄だったので、クラスで好きな同級生の女の子のことを、
『俺・・XXさんのことが好きだょ・・』
と私は悪友に云った、と記憶している。

悪友が秘かに笑いを浮かべながら、
『お前・・そいつに云ったの・・どこまで進んでいるの・・』
と追い討ちをかけてきた。

『俺は・・XXさんに・・何にも云えてないよ・・』
と私は悪友に云った。

『駄目だなぁ・・俺なんか・・XX知っているだろう・・』
と悪友が、やはりクラスで活発な同級生の女の子の名前を明言した。

『あいつの家に云ったら・・たまたまあいつしかいなくて・・
あいつの部屋で話したりしている途中・・おっぱいが少し見えたので・・
俺はムラムラとして服を脱がしてしまって・・あいつ抵抗しなかったから・・はめちゃたよ・・』

『本当かょ・・』
と私は心の中で動顚し、あの活発な女の子が抵抗もしないで身体を許して、
こいつと性交までするなんて、信じられない、と私の方がドキドキした。


後年、私は高校生になって、突然に文学の世界にに目覚めて、
『はめる』、『はまる』ということは。
江戸時代以来の男女間の性愛の中での、まぐあいと称した性交であり、
或いはこの間のみつまじい言葉のひとつかしら、と私は解釈したりした。


こうした私なりの解釈があり、確か1997(平成9)年の時だったと、記憶している。
私は50代の前半で、ある音楽業界のレコード会社に勤めていた。
多忙で残業して、夜食を会議室で食べたりしていた。
たまたま同じ部署の24歳の小柄で可愛らしく理知的な若き女性とふたりだけであった。

私達は食事処から配達してもらった天丼を食べたりしながら、
私は差しさわりのない音楽の話を話題にしたりした・・。
そして私は、ロックグループとして勢いのある『X JAPAN』の5曲ぐらいのタイトルを云いながら、
『最近・・帰宅後、殆ど熱中して聴いている・・』
と私は若き女性に云った。

『あらぁ・・XXさんは・・我が社で『X JAPAN』を一番聴いていると思います・・
はまって、いらしゃるんですねぇ』
と若き女性は私に云いながら、微笑んだりした。

私は聴きながら、ドキリとさせられた。
私は『はまって』なんていう言葉は、可愛らしく理知的な24歳の女性が言葉にするものでない、
『夢中になっている』、『無我夢中になっている』、『熱中している』、『熱愛している』
このような表現があるだろう、と思ったりした。
しかし、この当時は若い人の世代は、『はまる』という言葉の風潮が、流行(はや)っていたので、
私は黙って、微笑みを返したりした。


私が多忙だったサラリーマン時代を定年退職した2004(平成16)年の秋、
この頃からNHKのテレビ番組で、朝の7時過ぎからニュースを視聴する習慣となった。
こうした番組の中で、出演されたゲストスターの40歳前後の麗(うるわ)しき女性が、
『はまる』と言葉を発言して、私は動顚した。

何よりも高等教育の大学を卒業して、難関のNHKに入局された方が、
NHKの初心者研修のアナウンサー教育を終え、
その後はキャリアーを蓄えた小奇麗な27歳前後の女性キャスターの方さえ使ったりすると、
容姿に似合わず蓮(はす)っ葉な言葉で使うので、程度の低い人、と感じてしまうのである。

このような思いの私は、『はまる』と言葉は、
若い人が使うのは、言葉の感性が乏しいと苦笑をしたりしているが、
少なくとも30歳以上の大人の人が使うのは、いかがなものかしら、と思っている。

少なくとも敗戦後からは、『夢中になっている』、『無我夢中になっている』、『熱中している』、『熱愛している』
という適切な言葉があるので、
この程度の言葉を大人と自覚される方には、使って頂きたい、と思っている。

反論される30歳以上の大人と自覚されているお方たちは、
流行している言葉を使わないと、
時流から取り残されると危惧し、あえて使っている方も見られる。

もとより日常の言葉は、時代を写(うつ)す鑑(かがみ)と称されているが、
日本の古来より美しい言葉があり、日常生活の基本は、さりげない会話から成り立っているのに、
余りにも粗末にしていると感じるのである。


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黒髪の美しさを忘れた日本の女性の一部の人たち、ご自分を余りに粗末にして・・。

2011-02-26 09:50:23 | 私が理解できない社会現象のひとつには
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
ここ10数年に不思議に思っていることがある。
何故、日本の女性の一部の方たちが、ご両親から与えられた黒髪をわざわざ茶色系に染めている人が、
多くなってきたかである・・。

私は黒髪の美しさを知らない程度の低い女性が増えたのか、
或いは一時期のミニ・スカートのブームが一昔あったが、
あの状況と一緒なのか、とここ10数年に思い続けていた。

私は二十歳前の女性が一過性と染めるのは、何となく理解はできるが、
大人の女性のすることではないと、思っている。
欧米の数多くの知識人が、せせら笑っているのが明白に見え、
私の方が恥ずかしいとさえ思っているのである。

一体、女性の一部の方たちは、ご自分の美しさを本当に知ってる、
と疑いたくなる。
私はご自分の容姿を粗末にした茶色系に染めた日本女性には、
魅了されたことはない。


私は現役のサラリーマン時代に、たまたまあるレコード会社の管理畑を35年ばかり勤めてきて、
海外のアーティストが来社した時、ときおり私達のフロアーまで挨拶などに、来てくださり、
多くの方を見かける機会があった。
特にロック関係のアーティストの容姿、ヘアー・スタイルなどに、驚嘆するようなことも多々あったりしたが、
あくまでライブの舞台のひとつの表現と受け止めてきた。

定年退職した2004(平成16)年、多忙だったサラリーマン時代が終わり、
NHKのテレビでニュースを観ることが多くなったが、
こうした中でも、女性のアナウンサーの方でも茶色系に染めている人が多く、私は驚いたのである。


若き女性が結婚され、やがて『お受験ママ』の体験をさる機会が多くなると思うが、
この時のお受験合格のポイントとして、短い面接時間で効果的にアピールする為の注意点などを、
私は5年前頃に何かの雑誌で読んだことがある。

確か《化粧は、気合の入れた時のメークから、2段階控えめに》

  《座った時、面接官に膝が見えないように長めのスカートを》

  《紺色の服は、規律を守る人という印象を与えます》

と記憶しているが、この時に私が感じたことは、

私は若きママ達の切実な希望を叶(かな)えるのは、
ご自身の就職活動の容姿を思い浮かべ、
茶髪に染めているのであったならば、本来の黒髪に戻すべきと思ったりしている。

黒髪は薄化粧に映(は)える美点があり、
本来のご自分の魅力を取り戻す絶好の機会と確信している。

日本女性の容姿、顔立ちは、黒髪が似合っていることは、
欧米人の知識人は以前から知り尽くしている。

このように私は、ご自分の魅力を大切にしなさい、と思ったりしたのである。


昨今、私は駅前に出かけたりすると、40代以上の女性の一部に、
茶髪に染めている方を見かける時がある。
このような時、ご自身より若い世代が流行しているヘアースタイルを使わないと、
時流から取り残されると危惧し、あえてしているのかしらと思ったりしている。

或いは美容室業界のしたたかなビジネスにより、
染める方を頻繁に来店されるように、茶髪に染める風潮を計算し尽した結果で、
浅はかな40代以上の女性の一部が、同調したのかしら、と感じたりしている。


遠い昔、舟木一夫さんが唄った『高校三年生』があるが、この二番の歌詞に於いて、

 ♪ぼくら/フォークダンスの手をとれば
  甘く匂くにおうよ黒髪が

【『高校三年生』 歌詞・丘 灯至夫、作曲・遠藤 実、唄・舟木一夫 】

あったりした。


或いは、何年前か忘れてしまったが、NHKで『宮廷女官 チャングムの誓い』を放送されて、
たまたま視聴したことがあった。
朝鮮王朝の宮廷料理を主軸としたドラマであることは知っていたが、
この頃の時代に秘められた歴史、文化、風土が私には新鮮に観えたが、
女主人公の容姿、何よりも黒髪の美しさに、改めに私は魅了された。


昨年、NHKの朝の連続ドラマで、女主人公が昭和期の背景なのに、
うっすらと茶髪で出演されて、時代関係も無視されたことに唖然とさせられ、
演出家、この女優さんの感覚についていけず、困惑した。


ここ一年、たまたまNHKで、『歌謡番組』を視聴していた時、
ある演歌の50代の女性歌手が、素敵な和服を召されていたが、なぜか赤っぽく茶色に染める方が、
平然と名曲を唄っていたのに、私は唖然とさせられた。

そして、舞台衣装のひとつで思ったりしたが、一体どのような感覚で、
と私は感じ、テレビのスイッチを切った。


私は、日頃の思いを構成も配慮しないで思うまま綴ったが、ひとえに黒髪の美しさ、
そしてご自身を粗末にすることのないように、あえて投稿した次第である。


尚、特に女性の一部の方たちのは反発されて、ご不満な方、一部のお方には感情を害されることの内容もあるが、
偏屈な独創性の独りよがりの思いの投稿内容、と解釈して頂き、
ご容赦をお願い致したい。


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私のサイトに、新たなるカテゴリー『私が理解できない社会現象のひとつには』の新設に際して・・。

2011-02-25 22:26:24 | 私が理解できない社会現象のひとつには
私は東京郊外の調布市に住む高齢者2年生の66歳の身であり、
中小業の民間会社に35年ぱかり奮闘し、定年退職を迎え、
この後は多々の理由により、身過ぎ世過ぎの年金生活している。

そして日常生活の思い、思考したことなど心の発露として、
このサイトに真摯に、ときには楽しく綴って投稿を重ねてきている。

こうした中で、これまでの幼年期から昨今までのあらゆることをカテゴリー別に綴ってきたが、
しかしながら、少しためらって投稿文に出来なかったこともある。

この中のひとつとして、昨今のさまざまな社会現象で、
独断と偏見の多いつたない私の感覚と感性に於いて、どうしても理解できないことが数多くある。

数多くのお読み頂いた方たちから、それは社会として常識の範疇なの、どうして今頃・・
と反発されるのを承知の上、
私は新たなるカテゴリー『私が理解できない社会現象のひとつには』命名して、
今後ときおり投稿する。

もとより反発されて、ご不満な方、一部のお方には感情を害されることの内容もあるが、
偏屈な独創性の独りよがりの思いの投稿内容、と解釈して頂き、
ご容赦をお願い致したい。


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