私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
私達夫婦は、国内旅行が共通の趣味であるので、四季折々に各地を訪れている。
まだ未知の地も数多く、その時に思いついた旅行も多いが、
いつの日にか日本海に面した青森県の黄金崎(こがねざき)の『不老ふ死(ふろうふし)温泉』に行ってみたい、
と私は漠然と思ったりしていた・・。
今年の3月、家内は家内の母の二人連れで、4月中旬に、
広島の広島平和記念資料館と四国の道後温泉に7泊8日の旅行を起案したので、
私は家内の用心棒と時刻表と地理に疎(うと)い家内のアドバイスで、
私達夫婦は駅前の旅行代理店に行ったのである。
旅行代理店の人と詳細の話になったので、私は席を外れて、
店内の片隅のソファーに座り、近くにあるパンフレットを取り、読んだりしたのである。
この中のひとつにJR東日本が発行している『びゅう(VIEW)』の『北東北 青森・秋田・岩手』編があり、
この中のひとつとして、『黄金崎 不老ふ死温泉』の解説と写真があり、私はしばらく読んだりしたである。
私達夫婦は日本海の波打ち際に面した露天風呂には、無念ながら未知であった。
能登半島の輪島温泉、新潟県の瀬波温泉、山形県の湯野浜温泉などの観光ホテルに宿泊し、
いずれも日本海に面した宿であったが、波打ち際までには幾分遠かったのである。
こうした思いもあり、波打ち際に面した露天風呂として名高い『黄金崎 不老ふ死温泉』に、
いつの日にか訪れてみたい思ったりしていたのである。
駅前の旅行代理店から帰宅後、家内に『びゅう(VIEW)』の『北東北 青森・秋田・岩手』編を手渡した後、
未知の『黄金崎 不老ふ死温泉』の想像、その周辺の情景を私は家内に話したのである。
私達はこの周辺はわずか一度だけ、少し知る程度であった。
2006(平成18)年の夏、東北の4大祭りの中の『秋田の竿燈まつり』と『青森のねぶた祭』を
団体観光バスツアーで観賞する旅行で、
『秋田の竿燈まつり』を観た翌朝、国道101号を北上とした時、JRの五能線とほぼ平行になり、
海沿いに五能線を走る列車が観えたりしたのであった。
そして、私達のバスは白神山地の『十二湖』めぐりをした後、JRの『十二湖駅』の駅前でトイレ休憩をし、
その後も国道101号を北上し、JRの『深浦駅』の駅近くの観光ホテルで昼食を頂いたのである。
この後は、五所川原市の郊外を通り、青森の『ねぶた祭』を観賞した。
このような思いで話を私は家内に情景をまじえながら、話したりしたのである。
二週間ばかり過ぎた今朝、小雨が降りしきる午前中、
家内は小さな声で、
♪上野発の夜行列車 おりた時から
青森駅は 雪の中
北へ帰る人の群れは 誰も無口(むくち)で
海鳴(うみな)りだけを きいている
【『津軽海峡・冬景色』 作詞・阿久悠、作曲・三木たかし 】
と唄っているのである。
私達はこの二週間、『黄金崎 不老ふ死温泉』めぐりの旅行日程を思案してきたのであるが、
B型の私の性格と家内のA型の不思議な夫婦の組み合わせの為か、
おかしな旅行日程を懸案しているのである。
東京駅から秋田新幹線『こまち』で秋田駅に着いた後、
リゾート『しらかみ』に乗り換えて北上し、『ウェスパ椿山』駅で下車した後、
黄金崎温泉の『黄金崎 不老ふ死温泉』の新館iに3泊する。
この後は、リゾート『しらかみ』で北上し青森駅の終点まで、
そして竜飛岬まで津軽腺とバスを利用して、竜飛温泉の『ホテル竜飛』で3泊し、
青森駅に戻った後は、駅より70分ぐらいバスに乗った八甲田山のふもとにある酸ケ湯(すかゆ)温泉に1泊、
奥入瀬の奥まった蔦(つた)温泉に2泊する。
そして青森駅から特急スーパー『白鳥』で八戸駅で下車し、
八戸駅より東北新幹線『はやて』で東京駅に向かい、帰京。
私は、『黄金崎 不老ふ死温泉』で3泊して、露天風呂から日本海の夕陽を眺めことが夢であったが、
どうしてこのような日程になったの、と微笑しているのである。
このような思いをいだいて、5月24日の朝、
小雨が降り、梅雨の時節の前の長雨が続く走り梅雨かしら、と私は思い、
『こまち』は定刻通り8時56分に東京駅を発車し、盛岡駅経由で秋田駅方面に向った。
途中の福島駅を通過した頃からは、
小雨降る中をまじかに田畑、少しばかり遠方の里山は霧につつまれ、
そして彼方の山嶺は雨と霧でかすんでいた・・。
盛岡駅を過ぎてまもなく、畑と雑木林、そして里山が車窓が観られ、
ときおり清流の状景が眺められ、墨絵のような情景が展開したりしていた。
『こまち』は午後1時前に予定通り秋田駅に到着し、
私は愛煙家なので、早速喫煙ルームに駆け込んで、煙草に火を点け、
JR東日本の各線は原則として全面禁煙となっているので、
どうしてなの、とぼやきながら乗車時間の4時間ばかり耐えた解放感に充たされた。
こうしたしぐさの私をプラットフォームのはずれで見ていた家内は、
苦笑を重ねていた。
この後、『リゾートしらかみ』の午後2時12分発まで、
秋田駅でJR周遊の特典である駅弁の受け取り、
構内の売店で私は地酒の300ml、家内は熱い煎茶ペットボトルを買い求めたりし
待合室で昼食とした。
地酒を呑みながら、その地の食材を中心にした駅弁を頂き、
その地に住まわれる会話を聞きながら、ひとときを過ごしたのであるが、
まぎれなく文化のひとつと深めたりしていた。
『リゾートしらかみ』は秋田駅から青森駅を結ぶ路線で、
大半は五能腺を走る特急であり、座席もゆったりとし、喫煙室もある優美な列車である。
秋田駅を定時に発車し、能代駅を過ぎ、あきた白神駅の手前の頃から、
日本海の状景が車窓から眺められ、
以前に秋田の竿灯祭りと青森のねぶたを観る為に団体観光バスで車窓から見た情景と、
私なりに重ね合わしたりした。
この後、私達夫婦はウェスパ椿山駅で午後4時20分に下車し、
駅前で待機していた宿泊先の『不老ふ死(ふろうふし)温泉』の送迎バスに乗り込んだ。
小雨の降り続ける中、日本海に面した黄金崎(こがねざき)にある観光ホテルには、10分たらず到着した。
そして、この観光ホテルの新館に3泊としていた。
http://www.furofushi.com/
☆『黄金崎 不老ふ死温泉』ホームページ☆
打ち寄せる波のまじかにある海岸の露天風呂で、
日本海の落陽を眺め・・として名高い観光ホテルであるが、
3泊4日をしたが、雨時々曇りの日々となり、夕陽が洋上に沈む光景は無念ながらめぐり逢えなかった。
しかし、雨が止んだひととき、館内から海岸に向う歩道を百メートルぐらい歩み、
波打ち際に、ひょうたん形の露天風呂がふたつある。
右手は女性専用、左手に男女混浴があり、私は男女混浴の湯船に身体をゆだねたりした。
2日目の午前10時過ぎ、ひとりだけ60代の男性がいるだけで、
長野県の茅野市の方で独り旅で北東北の温泉を廻りながら、旅を楽しまれている人であった。
とりとめない旅先の温泉のことなどを談笑を重ねたりした・・。
館内の大浴場からの日本海の眺めも良く、隣接しているパノラマ展望風呂は、
屋根がある小さな露天風呂のような感じで、洋上の情景がゆったりと眺められるので、
私は朝夕のひとときは、身も心もゆだねたりした。
そして、ロビーの片隅で、青森県の地方紙のひとつの『東奥日報』を読んだりし、
今回の旅の終わりまで何かと愛読したりした。
食事に関しては、日本海のこの地の周辺で獲れる地魚、貝づくしの幸を十二分に賞味でき、
見た目より遥かに美味しく、鮮度抜群が味の基本であることを改めて認識させらた。
私が何よりも魅せられたのは、部屋からの眺めである。
たまたま東館の二階の中央部にある部屋に宿泊したが、
窓辺にある椅子に座り、朝、昼、夕に幾度も眺めたりしたのである。
日本の海岸に多い防波堤のコンクリートやテトラポットなどはなく、
日本海の波が海岸に直接に打ち寄せ、海岸からまじかな洋上の周辺に、
小さな岩が集積して、あたかも小さな列島のように点在し、
こうした列島が幾10か観られ、波を受けたり、しぶきをあびたりしていた・・。
そして引き潮、或いは満潮の時に、うつろいながら変貌した情景を観せていた。
こうした風景を眺めたりしていると、室町時代の頃からの石庭など景観よりも、
遥かに深く魅了させられ、私は飽(あ)きずに眺めたりしていた。
5月27日の朝、『黄金崎 不老ふ死温泉』の観光ホテルに別れを告げ、
私達は送迎バスで五能線のウェスパ椿山駅に向った時、
道路際には芽吹きが終わり新緑に染まり、中には早くも若葉となった落葉樹の中、
ときおり八重桜(ヤエザクラ)が観られ、私はこの地にも春到来を感じ、和(なご)んだりした。
10時35分発の『リゾートしらかみ』で青森駅に向った。
そして、私はいつの日にか波打ち際にある《ひょうたん形の露天風呂》で、
落陽の情景の中で、心身を受けとめたたい、
或いは雪が舞い降る日本海の洋上を眺めて観たい、
と思いながら、家内に話しかけたりした。
家内も波寄せる身近な《ひょうたん形の露天風呂》に魅了され、
落陽の情景も素敵だし、雪が舞い降る日本海の情感があって、
と同意し、私達はふたたび訪れよう、と『リゾートしらかみ』の車内で話し合ったりした。
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私達夫婦は、国内旅行が共通の趣味であるので、四季折々に各地を訪れている。
まだ未知の地も数多く、その時に思いついた旅行も多いが、
いつの日にか日本海に面した青森県の黄金崎(こがねざき)の『不老ふ死(ふろうふし)温泉』に行ってみたい、
と私は漠然と思ったりしていた・・。
今年の3月、家内は家内の母の二人連れで、4月中旬に、
広島の広島平和記念資料館と四国の道後温泉に7泊8日の旅行を起案したので、
私は家内の用心棒と時刻表と地理に疎(うと)い家内のアドバイスで、
私達夫婦は駅前の旅行代理店に行ったのである。
旅行代理店の人と詳細の話になったので、私は席を外れて、
店内の片隅のソファーに座り、近くにあるパンフレットを取り、読んだりしたのである。
この中のひとつにJR東日本が発行している『びゅう(VIEW)』の『北東北 青森・秋田・岩手』編があり、
この中のひとつとして、『黄金崎 不老ふ死温泉』の解説と写真があり、私はしばらく読んだりしたである。
私達夫婦は日本海の波打ち際に面した露天風呂には、無念ながら未知であった。
能登半島の輪島温泉、新潟県の瀬波温泉、山形県の湯野浜温泉などの観光ホテルに宿泊し、
いずれも日本海に面した宿であったが、波打ち際までには幾分遠かったのである。
こうした思いもあり、波打ち際に面した露天風呂として名高い『黄金崎 不老ふ死温泉』に、
いつの日にか訪れてみたい思ったりしていたのである。
駅前の旅行代理店から帰宅後、家内に『びゅう(VIEW)』の『北東北 青森・秋田・岩手』編を手渡した後、
未知の『黄金崎 不老ふ死温泉』の想像、その周辺の情景を私は家内に話したのである。
私達はこの周辺はわずか一度だけ、少し知る程度であった。
2006(平成18)年の夏、東北の4大祭りの中の『秋田の竿燈まつり』と『青森のねぶた祭』を
団体観光バスツアーで観賞する旅行で、
『秋田の竿燈まつり』を観た翌朝、国道101号を北上とした時、JRの五能線とほぼ平行になり、
海沿いに五能線を走る列車が観えたりしたのであった。
そして、私達のバスは白神山地の『十二湖』めぐりをした後、JRの『十二湖駅』の駅前でトイレ休憩をし、
その後も国道101号を北上し、JRの『深浦駅』の駅近くの観光ホテルで昼食を頂いたのである。
この後は、五所川原市の郊外を通り、青森の『ねぶた祭』を観賞した。
このような思いで話を私は家内に情景をまじえながら、話したりしたのである。
二週間ばかり過ぎた今朝、小雨が降りしきる午前中、
家内は小さな声で、
♪上野発の夜行列車 おりた時から
青森駅は 雪の中
北へ帰る人の群れは 誰も無口(むくち)で
海鳴(うみな)りだけを きいている
【『津軽海峡・冬景色』 作詞・阿久悠、作曲・三木たかし 】
と唄っているのである。
私達はこの二週間、『黄金崎 不老ふ死温泉』めぐりの旅行日程を思案してきたのであるが、
B型の私の性格と家内のA型の不思議な夫婦の組み合わせの為か、
おかしな旅行日程を懸案しているのである。
東京駅から秋田新幹線『こまち』で秋田駅に着いた後、
リゾート『しらかみ』に乗り換えて北上し、『ウェスパ椿山』駅で下車した後、
黄金崎温泉の『黄金崎 不老ふ死温泉』の新館iに3泊する。
この後は、リゾート『しらかみ』で北上し青森駅の終点まで、
そして竜飛岬まで津軽腺とバスを利用して、竜飛温泉の『ホテル竜飛』で3泊し、
青森駅に戻った後は、駅より70分ぐらいバスに乗った八甲田山のふもとにある酸ケ湯(すかゆ)温泉に1泊、
奥入瀬の奥まった蔦(つた)温泉に2泊する。
そして青森駅から特急スーパー『白鳥』で八戸駅で下車し、
八戸駅より東北新幹線『はやて』で東京駅に向かい、帰京。
私は、『黄金崎 不老ふ死温泉』で3泊して、露天風呂から日本海の夕陽を眺めことが夢であったが、
どうしてこのような日程になったの、と微笑しているのである。
このような思いをいだいて、5月24日の朝、
小雨が降り、梅雨の時節の前の長雨が続く走り梅雨かしら、と私は思い、
『こまち』は定刻通り8時56分に東京駅を発車し、盛岡駅経由で秋田駅方面に向った。
途中の福島駅を通過した頃からは、
小雨降る中をまじかに田畑、少しばかり遠方の里山は霧につつまれ、
そして彼方の山嶺は雨と霧でかすんでいた・・。
盛岡駅を過ぎてまもなく、畑と雑木林、そして里山が車窓が観られ、
ときおり清流の状景が眺められ、墨絵のような情景が展開したりしていた。
『こまち』は午後1時前に予定通り秋田駅に到着し、
私は愛煙家なので、早速喫煙ルームに駆け込んで、煙草に火を点け、
JR東日本の各線は原則として全面禁煙となっているので、
どうしてなの、とぼやきながら乗車時間の4時間ばかり耐えた解放感に充たされた。
こうしたしぐさの私をプラットフォームのはずれで見ていた家内は、
苦笑を重ねていた。
この後、『リゾートしらかみ』の午後2時12分発まで、
秋田駅でJR周遊の特典である駅弁の受け取り、
構内の売店で私は地酒の300ml、家内は熱い煎茶ペットボトルを買い求めたりし
待合室で昼食とした。
地酒を呑みながら、その地の食材を中心にした駅弁を頂き、
その地に住まわれる会話を聞きながら、ひとときを過ごしたのであるが、
まぎれなく文化のひとつと深めたりしていた。
『リゾートしらかみ』は秋田駅から青森駅を結ぶ路線で、
大半は五能腺を走る特急であり、座席もゆったりとし、喫煙室もある優美な列車である。
秋田駅を定時に発車し、能代駅を過ぎ、あきた白神駅の手前の頃から、
日本海の状景が車窓から眺められ、
以前に秋田の竿灯祭りと青森のねぶたを観る為に団体観光バスで車窓から見た情景と、
私なりに重ね合わしたりした。
この後、私達夫婦はウェスパ椿山駅で午後4時20分に下車し、
駅前で待機していた宿泊先の『不老ふ死(ふろうふし)温泉』の送迎バスに乗り込んだ。
小雨の降り続ける中、日本海に面した黄金崎(こがねざき)にある観光ホテルには、10分たらず到着した。
そして、この観光ホテルの新館に3泊としていた。
http://www.furofushi.com/
☆『黄金崎 不老ふ死温泉』ホームページ☆
打ち寄せる波のまじかにある海岸の露天風呂で、
日本海の落陽を眺め・・として名高い観光ホテルであるが、
3泊4日をしたが、雨時々曇りの日々となり、夕陽が洋上に沈む光景は無念ながらめぐり逢えなかった。
しかし、雨が止んだひととき、館内から海岸に向う歩道を百メートルぐらい歩み、
波打ち際に、ひょうたん形の露天風呂がふたつある。
右手は女性専用、左手に男女混浴があり、私は男女混浴の湯船に身体をゆだねたりした。
2日目の午前10時過ぎ、ひとりだけ60代の男性がいるだけで、
長野県の茅野市の方で独り旅で北東北の温泉を廻りながら、旅を楽しまれている人であった。
とりとめない旅先の温泉のことなどを談笑を重ねたりした・・。
館内の大浴場からの日本海の眺めも良く、隣接しているパノラマ展望風呂は、
屋根がある小さな露天風呂のような感じで、洋上の情景がゆったりと眺められるので、
私は朝夕のひとときは、身も心もゆだねたりした。
そして、ロビーの片隅で、青森県の地方紙のひとつの『東奥日報』を読んだりし、
今回の旅の終わりまで何かと愛読したりした。
食事に関しては、日本海のこの地の周辺で獲れる地魚、貝づくしの幸を十二分に賞味でき、
見た目より遥かに美味しく、鮮度抜群が味の基本であることを改めて認識させらた。
私が何よりも魅せられたのは、部屋からの眺めである。
たまたま東館の二階の中央部にある部屋に宿泊したが、
窓辺にある椅子に座り、朝、昼、夕に幾度も眺めたりしたのである。
日本の海岸に多い防波堤のコンクリートやテトラポットなどはなく、
日本海の波が海岸に直接に打ち寄せ、海岸からまじかな洋上の周辺に、
小さな岩が集積して、あたかも小さな列島のように点在し、
こうした列島が幾10か観られ、波を受けたり、しぶきをあびたりしていた・・。
そして引き潮、或いは満潮の時に、うつろいながら変貌した情景を観せていた。
こうした風景を眺めたりしていると、室町時代の頃からの石庭など景観よりも、
遥かに深く魅了させられ、私は飽(あ)きずに眺めたりしていた。
5月27日の朝、『黄金崎 不老ふ死温泉』の観光ホテルに別れを告げ、
私達は送迎バスで五能線のウェスパ椿山駅に向った時、
道路際には芽吹きが終わり新緑に染まり、中には早くも若葉となった落葉樹の中、
ときおり八重桜(ヤエザクラ)が観られ、私はこの地にも春到来を感じ、和(なご)んだりした。
10時35分発の『リゾートしらかみ』で青森駅に向った。
そして、私はいつの日にか波打ち際にある《ひょうたん形の露天風呂》で、
落陽の情景の中で、心身を受けとめたたい、
或いは雪が舞い降る日本海の洋上を眺めて観たい、
と思いながら、家内に話しかけたりした。
家内も波寄せる身近な《ひょうたん形の露天風呂》に魅了され、
落陽の情景も素敵だし、雪が舞い降る日本海の情感があって、
と同意し、私達はふたたび訪れよう、と『リゾートしらかみ』の車内で話し合ったりした。
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