夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

黄金崎(こがねざき)『不老ふ死(ふろうふし)温泉』 2010.5.24~5.27

2010-09-19 12:37:55 | 想いでの宿
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
私達夫婦は、国内旅行が共通の趣味であるので、四季折々に各地を訪れている。

まだ未知の地も数多く、その時に思いついた旅行も多いが、
いつの日にか日本海に面した青森県の黄金崎(こがねざき)の『不老ふ死(ふろうふし)温泉』に行ってみたい、
と私は漠然と思ったりしていた・・。

今年の3月、家内は家内の母の二人連れで、4月中旬に、
広島の広島平和記念資料館と四国の道後温泉に7泊8日の旅行を起案したので、
私は家内の用心棒と時刻表と地理に疎(うと)い家内のアドバイスで、
私達夫婦は駅前の旅行代理店に行ったのである。

旅行代理店の人と詳細の話になったので、私は席を外れて、
店内の片隅のソファーに座り、近くにあるパンフレットを取り、読んだりしたのである。
この中のひとつにJR東日本が発行している『びゅう(VIEW)』の『北東北 青森・秋田・岩手』編があり、
この中のひとつとして、『黄金崎 不老ふ死温泉』の解説と写真があり、私はしばらく読んだりしたである。

私達夫婦は日本海の波打ち際に面した露天風呂には、無念ながら未知であった。
能登半島の輪島温泉、新潟県の瀬波温泉、山形県の湯野浜温泉などの観光ホテルに宿泊し、
いずれも日本海に面した宿であったが、波打ち際までには幾分遠かったのである。

こうした思いもあり、波打ち際に面した露天風呂として名高い『黄金崎 不老ふ死温泉』に、
いつの日にか訪れてみたい思ったりしていたのである。


駅前の旅行代理店から帰宅後、家内に『びゅう(VIEW)』の『北東北 青森・秋田・岩手』編を手渡した後、
未知の『黄金崎 不老ふ死温泉』の想像、その周辺の情景を私は家内に話したのである。

私達はこの周辺はわずか一度だけ、少し知る程度であった。

2006(平成18)年の夏、東北の4大祭りの中の『秋田の竿燈まつり』と『青森のねぶた祭』を
団体観光バスツアーで観賞する旅行で、
『秋田の竿燈まつり』を観た翌朝、国道101号を北上とした時、JRの五能線とほぼ平行になり、
海沿いに五能線を走る列車が観えたりしたのであった。

そして、私達のバスは白神山地の『十二湖』めぐりをした後、JRの『十二湖駅』の駅前でトイレ休憩をし、
その後も国道101号を北上し、JRの『深浦駅』の駅近くの観光ホテルで昼食を頂いたのである。

この後は、五所川原市の郊外を通り、青森の『ねぶた祭』を観賞した。

このような思いで話を私は家内に情景をまじえながら、話したりしたのである。


二週間ばかり過ぎた今朝、小雨が降りしきる午前中、
家内は小さな声で、

♪上野発の夜行列車 おりた時から
 青森駅は 雪の中
 北へ帰る人の群れは 誰も無口(むくち)で
 海鳴(うみな)りだけを きいている

【『津軽海峡・冬景色』 作詞・阿久悠、作曲・三木たかし 】

と唄っているのである。

私達はこの二週間、『黄金崎 不老ふ死温泉』めぐりの旅行日程を思案してきたのであるが、
B型の私の性格と家内のA型の不思議な夫婦の組み合わせの為か、
おかしな旅行日程を懸案しているのである。


東京駅から秋田新幹線『こまち』で秋田駅に着いた後、
リゾート『しらかみ』に乗り換えて北上し、『ウェスパ椿山』駅で下車した後、
黄金崎温泉の『黄金崎 不老ふ死温泉』の新館iに3泊する。

この後は、リゾート『しらかみ』で北上し青森駅の終点まで、
そして竜飛岬まで津軽腺とバスを利用して、竜飛温泉の『ホテル竜飛』で3泊し、
青森駅に戻った後は、駅より70分ぐらいバスに乗った八甲田山のふもとにある酸ケ湯(すかゆ)温泉に1泊、
奥入瀬の奥まった蔦(つた)温泉に2泊する。

そして青森駅から特急スーパー『白鳥』で八戸駅で下車し、
八戸駅より東北新幹線『はやて』で東京駅に向かい、帰京。

私は、『黄金崎 不老ふ死温泉』で3泊して、露天風呂から日本海の夕陽を眺めことが夢であったが、
どうしてこのような日程になったの、と微笑しているのである。


このような思いをいだいて、5月24日の朝、
小雨が降り、梅雨の時節の前の長雨が続く走り梅雨かしら、と私は思い、
『こまち』は定刻通り8時56分に東京駅を発車し、盛岡駅経由で秋田駅方面に向った。

途中の福島駅を通過した頃からは、
小雨降る中をまじかに田畑、少しばかり遠方の里山は霧につつまれ、
そして彼方の山嶺は雨と霧でかすんでいた・・。

盛岡駅を過ぎてまもなく、畑と雑木林、そして里山が車窓が観られ、
ときおり清流の状景が眺められ、墨絵のような情景が展開したりしていた。

『こまち』は午後1時前に予定通り秋田駅に到着し、
私は愛煙家なので、早速喫煙ルームに駆け込んで、煙草に火を点け、
JR東日本の各線は原則として全面禁煙となっているので、
どうしてなの、とぼやきながら乗車時間の4時間ばかり耐えた解放感に充たされた。

こうしたしぐさの私をプラットフォームのはずれで見ていた家内は、
苦笑を重ねていた。

この後、『リゾートしらかみ』の午後2時12分発まで、
秋田駅でJR周遊の特典である駅弁の受け取り、
構内の売店で私は地酒の300ml、家内は熱い煎茶ペットボトルを買い求めたりし
待合室で昼食とした。

地酒を呑みながら、その地の食材を中心にした駅弁を頂き、
その地に住まわれる会話を聞きながら、ひとときを過ごしたのであるが、
まぎれなく文化のひとつと深めたりしていた。


『リゾートしらかみ』は秋田駅から青森駅を結ぶ路線で、
大半は五能腺を走る特急であり、座席もゆったりとし、喫煙室もある優美な列車である。

秋田駅を定時に発車し、能代駅を過ぎ、あきた白神駅の手前の頃から、
日本海の状景が車窓から眺められ、
以前に秋田の竿灯祭りと青森のねぶたを観る為に団体観光バスで車窓から見た情景と、
私なりに重ね合わしたりした。

この後、私達夫婦はウェスパ椿山駅で午後4時20分に下車し、
駅前で待機していた宿泊先の『不老ふ死(ふろうふし)温泉』の送迎バスに乗り込んだ。
小雨の降り続ける中、日本海に面した黄金崎(こがねざき)にある観光ホテルには、10分たらず到着した。

そして、この観光ホテルの新館に3泊としていた。

http://www.furofushi.com/
☆『黄金崎 不老ふ死温泉』ホームページ☆

打ち寄せる波のまじかにある海岸の露天風呂で、
日本海の落陽を眺め・・として名高い観光ホテルであるが、
3泊4日をしたが、雨時々曇りの日々となり、夕陽が洋上に沈む光景は無念ながらめぐり逢えなかった。

しかし、雨が止んだひととき、館内から海岸に向う歩道を百メートルぐらい歩み、
波打ち際に、ひょうたん形の露天風呂がふたつある。
右手は女性専用、左手に男女混浴があり、私は男女混浴の湯船に身体をゆだねたりした。

2日目の午前10時過ぎ、ひとりだけ60代の男性がいるだけで、
長野県の茅野市の方で独り旅で北東北の温泉を廻りながら、旅を楽しまれている人であった。
とりとめない旅先の温泉のことなどを談笑を重ねたりした・・。

館内の大浴場からの日本海の眺めも良く、隣接しているパノラマ展望風呂は、
屋根がある小さな露天風呂のような感じで、洋上の情景がゆったりと眺められるので、
私は朝夕のひとときは、身も心もゆだねたりした。

そして、ロビーの片隅で、青森県の地方紙のひとつの『東奥日報』を読んだりし、
今回の旅の終わりまで何かと愛読したりした。


食事に関しては、日本海のこの地の周辺で獲れる地魚、貝づくしの幸を十二分に賞味でき、
見た目より遥かに美味しく、鮮度抜群が味の基本であることを改めて認識させらた。

私が何よりも魅せられたのは、部屋からの眺めである。
たまたま東館の二階の中央部にある部屋に宿泊したが、
窓辺にある椅子に座り、朝、昼、夕に幾度も眺めたりしたのである。

日本の海岸に多い防波堤のコンクリートやテトラポットなどはなく、
日本海の波が海岸に直接に打ち寄せ、海岸からまじかな洋上の周辺に、
小さな岩が集積して、あたかも小さな列島のように点在し、
こうした列島が幾10か観られ、波を受けたり、しぶきをあびたりしていた・・。
そして引き潮、或いは満潮の時に、うつろいながら変貌した情景を観せていた。

こうした風景を眺めたりしていると、室町時代の頃からの石庭など景観よりも、
遥かに深く魅了させられ、私は飽(あ)きずに眺めたりしていた。


5月27日の朝、『黄金崎 不老ふ死温泉』の観光ホテルに別れを告げ、
私達は送迎バスで五能線のウェスパ椿山駅に向った時、
道路際には芽吹きが終わり新緑に染まり、中には早くも若葉となった落葉樹の中、
ときおり八重桜(ヤエザクラ)が観られ、私はこの地にも春到来を感じ、和(なご)んだりした。

10時35分発の『リゾートしらかみ』で青森駅に向った。

そして、私はいつの日にか波打ち際にある《ひょうたん形の露天風呂》で、
落陽の情景の中で、心身を受けとめたたい、
或いは雪が舞い降る日本海の洋上を眺めて観たい、
と思いながら、家内に話しかけたりした。

家内も波寄せる身近な《ひょうたん形の露天風呂》に魅了され、
落陽の情景も素敵だし、雪が舞い降る日本海の情感があって、
と同意し、私達はふたたび訪れよう、と『リゾートしらかみ』の車内で話し合ったりした。


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蔦(つた)温泉『蔦温泉旅館』 2010.5.31.~6.2.

2010-09-14 09:37:47 | 想いでの宿
この旅行はたまたま私達夫婦の結婚して35年目となっていたので、
家内の要望は、日本海に面した青森県の黄金崎温泉の『黄金崎(こがねざき) 不老ふ死(ふろうふし)温泉』に行って観たいわ、
というのが発想の原点であった。

結果的には、JR東日本が発行している『びゅう(VIEW)』の『北東北 青森・秋田・岩手』編を見て、
喚起されて、少しばかり変ったプランを私達は決定したのである。

東京駅から秋田新幹線『こまち』で秋田駅に着いた後、
リゾート『しらかみ』に乗り換えて北上し、『ウェスパ椿山』駅で下車した後、
日本海に面した青森県の黄金崎温泉の『黄金崎(こがねざき) 不老ふ死(ふろうふし)温泉』の新館に3泊する。

この後は、リゾート『しらかみ』で北上し青森駅の終点まで、
そして竜飛岬まで津軽腺とバスを利用して、竜飛温泉の『ホテル竜飛』で3泊し、
竜飛岬を散策する。

その後は青森駅に戻った後は、
駅よりバスで70分ぐらい乗った先の山里にある酸ケ湯(すかゆ)温泉の『酸ケ湯温泉旅館』に1泊にして、
少し奥まったブナの多い森があり、この中の一部に遊歩道があり蔦温泉の『蔦温泉旅館』の西館に2泊することにした。、

そして青森駅に戻った後、特急スーパー『白鳥』で八戸駅で下車した後は、
近くにある鮫駅に移動して、
蕪(カブ)島でアホウドリを観て、八戸駅に戻り、
八戸駅より東北新幹線『はやて』で東京駅に帰京する9泊10日間の日程となった。

このようなプランで、今年の2010(平成22)年5月24日~6月2日に周遊してきたが、
【若葉の彩(いろど)る頃の青森紀行・・。【2010.5.24.~6.2.】】
と題して、帰宅後に【旅】のカテゴリーで10話ばかりで連載投稿をしている。


さて 肝要の蔦(つた)温泉『蔦温泉旅館』に5月31日、6月1日に連泊したが、
前日に山里にある酸ケ湯(すかゆ)温泉の『酸ケ湯温泉旅館』に1泊にした後、
5月31日の10時過ぎに『酸ヶ湯』からは、十和田湖方面の路線バスに乗車した。

車窓からは芽吹き、新緑、そして若葉がそれぞれの落葉樹により異なるが、
みずみずしいたわわな葉は陽射しを受けてきらめいたりする中、
バスでわずか30分足らずで、『蔦温泉』に到着した。

この広いブナを中心とした中で、たった一軒の宿である。

http://www.thuta.co.jp/index_p.cgi
『蔦温泉旅館』ホームページ☆

このホームページの『ぶなの森』の欄で掲載されている通り、
《・・
蔦温泉の周辺にはぶなの森を縫うように約2.4Km、
時間にして約一時間程の遊歩道が整備されています。

この遊歩道をひとまわりすると、蔦七沼と称される湖沼群の内、六つの沼を巡るこ
とができます。
大小様々な沼の水面に映るぶなの森が人々を魅了します。
・・》
このように解説され、私達は旅立つ前に調べたりしていたので、
チエック・イン前の時間であったので、旅行バックを預かって頂き、
念願のブナ林の遊歩道を歩き出した・・。

整備された遊歩道を歩き、ヤチダモ、オニグルミ、サワグルミを見たり、
ブナ、ミズナラの大木は、聳え立つように数多くあり、
私は圧倒された。

私は見惚(みと)れたり、デジカメで10数枚を撮ったりしていると、
たまたま通りがけの70代なかばの男性で、この付近にお住まいの方から、教えて頂いた・・。

ほんの一ヶ月前の頃は、落葉していた広葉樹が冬芽から春芽に育ち、
若葉が芽吹く直前に、
紅葉や萌黄色になる数週間の樹木の芽は鮮やかに萌える彩りとなる。
こうした光景を古来の人たちから、春もみじ、と称してきた。

この地のブナ林は、5月初めに芽吹き、そして萌黄色の葉、そして新緑となり、
下旬の頃には若葉とまたたくまに色合い染める。

このブナ林は、原生林だったが、
明治の初期の頃は薪や木炭を作る為に伐採されたりしたが、
秋に数多くの落ちた種子が自然に発芽して育ったブナで、樹齢100年前後が多い。
しかし中には、伐採されなかった数百年の大木も数多くある。

そして紅葉の10月中旬から下旬になれば、
ブナ、カツラ、トチノキの大木は、黄色に染めはじめて、
やがて葉が散る頃に、
ヤマモミジ、カエデ、ナナカマドが朱紅色、紅色に染められて、
数週間後には雪が舞い降る、
と錦繍期の情景も教示してくれた。

このような確かな言葉に、私は礼を重ねた後、別れた。


私達はブナ、トチノキ、カツラなど見たり、見上げたりしていると、
カエルの鳴き声と共に、蝉(セミ)の鳴き声が響いてきたので、
この時期にどうしてなの、と驚いたのである。
この後、温泉旅館で夕食を頂く前に、
エゾハルゼミですわ、と仲居さんから教えられた。
私は、蝦夷・・春・・蝉・・、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

この豊かなブナ林で、渓流もあり、
私はムラサキ・ヤシオ・ツツジにも魅了された。
紫色に濃い桃色、或いは桃色に紫色を混ぜ合わせた色合いで、
渓流の中にある小岩に根を下ろして、恥ずかしげに咲いていた。
こうした情景を眺め、しばらく私はたたずんだりした。

私達はゆったりとブナ林をさまように2時間ばかり歩き、
お互いに至福の思いで、温泉旅館に向った。


私達はブナ林をゆったりと散策した後、蔦温泉旅館の食事処で昼食とした。
私は少し汗ばんだので、ビールを呑みながら、
冷たい稲庭うどん、セットされた”おいなりさん”を頂いた。
想像したより、遥かに冷たい稲庭は美味しい上、
期待していなかった”おいなりさん”が私の趣向に合致していたので、
『確かな味で・・美味しいよ』
と私は家内に微笑みながら云った。

私達が昼食を終る頃、
お部屋の用意ができました、と館内の仲居さんから連絡を受けた。


この後、館内を歩くたびに、私は驚かれされた。
この本館は天井、柱は周辺の森から切り出された材木がふんだんに取り入れ、
エンジュの長押、トチの樹のコブを生かした装飾の数々・・
一部は築後100年近いもあり、書院造りの床の間も豪壮で、
そして別館へのは本館から60段の優美な存在感のある階段は圧巻であった。

私達の宿泊した部屋は、20数年前の建てられた西館で近代的な造りであったが、
窓辺からのブナの森が隣接していたので、
早朝、朝、昼下がり、夕暮れの陽射しのうつろいが、樹木の枝葉を照らす輝き、
見飽きることのない光景であった。
そして、夜には満天の星空が観られた、格別に景観の良く、
私達は幾度も、その時々に見惚(みと)れたりしたのである。

私は浴室に行った時、仰天させられた。
2泊している間、男女別の『泉響の湯』、そして男女交代制の『久安の湯』に、
何度も通った・・。
しかし最初に入った時、観光ホテルなどにある洗い場の湯の蛇口、シャワーもなく、
私はどうしてなの、と驚ろいた。
そしてボデー・ソープのみがあり、困ったなあ、というのが本音であった。

やむえず私は、90センチ正方形の掛け湯の湯船から湯桶で幾度もかけ、
ボデー・ソープをタオルにたらして、身体にこすった後、
掛け湯から湯桶で幾度もかけたり、
髪毛にボデー・ソープをたらして、髪の毛をこすり、
そして身も心も清めようと掛け湯から湯桶で幾度もかけたりしたのであった。
部屋に戻った後、ヘアー・シャンプが備品としてあったので、
私は苦笑した。


肝要の湯舟であるが、ホームページにある言葉をお借りすれば、
《・・
蔦温泉のお風呂はいずれも源泉の上に浴槽があり、
ぶなを使用した湯船の底板から湧き出す、
手が加えられていない「生の湯」をお楽しみいただけます。

「湯がこなれている」「こなれていない」という表現をしますが、
湯が空気に触れた度合いを言葉で表現したものです。
こなれていない温泉は刺激があり最初熱く感じます。

蔦温泉の「生の湯」というのも「こなれていない」湯のことであり、
当然最初は熱く感じます。
しかし二度三度と入るにつれ、やさしい湯であることが実感できるはずです。
・・》

このように解説されているが
湯船の底板はブナの感触を楽しみ、鈍(にぶ)児の私でも最初からやさしい湯と感じ、
ヒバ材をふんだんに使用され、天井も遥か三階のような高さを見上げたり、
10分ぐらい浸かっていると、身も心も温まる湯であった。

夕食は苦手な部屋食であったが、
山菜のタラの芽、山ウド、ゼンマイ、ワラビ、フキノトウなど、
素材を生かし、創意工夫のある料理である。
そして朝食も含め、何気ない素材でも、料理された方の良心が感じられる数々で、
都心の少しばかり高級な食事処より遥かに素朴で上品な味であった。


この旅館は、建物の背景にブナ林があり、
遊歩道も整備され、身近にブナ林を散策でき、芽吹き、新緑、若葉の春の情景、
夏はたわわな葉で涼しく、
錦繍の時節には、黄色、朱色などに染まり、そして落葉、
そして落葉樹は舞い降る雪となり、静寂な冬眠のような情景、
いずれの季節も、多くの方たちに魅了させる稀な立地かしら、と私なりに思ったりしている。
そして数多くある観光ホテルより、館内の建物、人も、素朴さと品格があり、
私としては限りない美を感じたのである。

旅行の最終日の6月2日も快晴の朝に恵まれ、
私達は8時半過ぎにチエック・アウトし、
少しばかり親しくなった仲居さんに、
『雪のある冬の情景を観に・・また来たいです』
と家内は微笑みながら云ったりした。

家内は専業主婦の多くにある辛口のひとりであるが、
珍しく料理、部屋、そして風呂の三拍子が気に入り、
そして夕食が終った頃に食事処の館の近くに齢を重ねた狸(タヌキ)が独りで訪れるれのに、
魅了されていた。

私達は旅館前のバス停で9時過ぎの青森駅行きの路線バスに乗り、
八甲田山の山峰を眺めながら、青森駅に向った。


尚、余談ながら館内、食事処の館で見かけた仲居さんの3名は、
私が見た限りは、黒髪に目が澄んだ方で、日本広しといえども有数な美人であり、
都心で際立った美人といわれる方より、遥かに凌駕していることを付記しておく。


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このサイトのカテゴリー【想いでの宿】の新設に際し・・。

2010-09-14 07:31:57 | 想いでの宿
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
家内と共通趣味は国内旅行であり、子供に恵まれなかったこともあり、
新婚時代から国内の各地に四季折々訪れている。

私の現役時代は民間の中小業に35年ばかり勤めたにサラリーマンで、
数多くの人と同様に多忙な身であり、
大企業のエリート・コース、官公庁のキャリア・コースにも程遠い身であるが、
それなりに短かな旅をしてきた・・。

この間、私も一戸建を構えて住宅ローンの返済に困苦したこともあり、
シティ・ホテル、リゾート・ホテル、ビジネス・ホテル、観光ホテル、
旅館、公共観光ホテル、民宿、会社関連の保養所などを宿泊したが、
つたない私はハイクラスな料亭旅館、シティ・ホテルは無縁である。

従ってその時代の旅路は、程ほどの価格の宿泊をしてきたのである。


2004(平成16)年の秋に定年退職後、直ちに年金生活としたので、
少しは長い6泊7日前後の旅もあったりしてきたが、
点在した観光地を周遊するコース、
或いは観光地のホテル、旅館などで滞在し周辺を観るコースに大別される。

この中に於いては、旅行会社の主催に基づいて、団体観光ツアーも私達夫婦は数多く利用したり、
私達ふたりだけで個人旅行も重ねたりしてきた。

そして、私は定年後は自動車の普通免許書を放棄した身なので、
個人旅行、団体旅行に関わらず交通機関は、JR、私鉄、バス、飛行機、フェリーなどに頼って旅行をしてきた。


今回、このサイトのカテゴリー【想いでの宿】の新設したのは、
これまでは旅行に関しては、
【旅】と命名したカテゴリーは、出来うる限り紀行文の形式で綴り、133通ばかり投稿し、
【旅のあれこれ】と称したカテゴリーは、旅の前後の思い、旅先のこぼれ話を綴り、159通となっている。

しかし、ここ数10年は、観光地、観光先の観光ホテル、旅館も変貌することが多いので、
改めて宿泊先で、その時代、その時に感じたことなどを独立させて、投稿文を綴り、
私達夫婦の『のちの思い』となれば、あえて独立させた。

もとより【旅】の紀行文の形式と違い、素直に気楽に記載するので、
お読み頂き、ご笑話頂ければ、幸甚である。


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