私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
古惚けた一戸建てに住んでいる。
午前のひととき平素の買物専任者の私は、スーパーに2店で買い求めた後、
少しばかり散策した。
午後のひととき音楽棚からCDアルバムを2枚ばかり聴いた後、
やはり私は一枚のCDを音楽棚から取り出したのである。
シンガーソングライターと名高い中島みゆきさんのアルバムの一枚であった。
今回、私が手にしたのは、『短編集』とタイトル名であり、
そして11曲目の『ヘッドライト・テールライト』をCDラジカセに指定した・・。
このアルバムは2000(平成12)年11月15日に発売され、
私は中島みゆきさんのファンのひとりであるので、
退社後の駅前のソフト販売店で購入したアルバムのひとつである。
私は中島みゆきさんのファンの証(あかし)に関しては、
このサイトに於いても数多く綴ってきたので省略をするが、
この頃もアルバムが発売されるたびに買い求めてきた。
このアルバムが発売された当時の私は、
前年の1999(平成11)年2月より、本社の勤め先より、出向となった。
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私は音楽業界のあるレコード会社に1970(昭和45)年より勤めていたが、
レコード業界は、1998(平成10)年に売上の主軸となるCDがピークとなり、
この少し前の年からリストラ烈風となった。
私の勤めた会社も同様に、早期退職優遇制度の下で、上司、同僚、後輩の一部が業界から去ったりし、
人事異動も盛んに行われたりし、 私も50代のなかば、取引先の物流会社に出向を命じられ、
この中のひとつの物流センターに勤務した。
私は本社で30年近く勤めいたが放り出され、私でも失墜感もあり都落ちの無念さを感じたが、
半年後から何とか馴染み、自分の敵は自分です、と悪戦苦闘しながらも精務した。
この間、出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、
私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、リストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004〈平成16〉年の秋に定年退職を迎えたのである。
そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、
退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
この間、確か2000(平成12)年の頃だったと思われるが、
家電メーカーなど大手企業がリストラ旋風になり、
『レコード各社は中小業であり・・特に外資系は先手となりリストラをし、俺のように出向となったり・・
家電メーカーは今頃になって・・リストラかよ・・やはり大手企業は余裕があるよなぁ・・』
と私は心の中で苦笑させられていた。
この一方では、時代を反映させてかNHKが『プロジェクトX 挑戦者たち』が放映され、
この番組の主題歌として中島みゆき女史の『地上の星』、
そしてエンディング・テーマ曲として『ヘッドライト・テールライト』が流れていた。
http://www.youtube.com/watch?v=1v90BoB__3E&list=PL9E92108FA8D928A1&index=4
☆YouTube【『ヘッドライト・テールライト』 作詞、作曲・中島みゆき、編曲・瀬尾一三、唄・中島みゆき 】☆
私が初めて『ヘッドライト・テールライト』聴いた時、
瞬時に魅了され、そして感銘を受けたのは、
♪語り継ぐ人もなく
吹きすさぶ風の中へ
紛れ散らばる星の名は
忘れられても
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
【『ヘッドライト・テールライト』 作詞、作曲・中島みゆき、編曲・瀬尾一三、唄・中島みゆき 】
という詞であった。
そして何よりも出向となっていた私の心情を支えてくれたり、
この後の定年退職後の年金生活の今でも、最も励ましてくれる詞が、
♪行く先を照らすのは
まだ咲かぬ見果てぬ夢
遥か後ろを照らすのは
あどけない夢
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
【『ヘッドライト・テールライト』 作詞、作曲・中島みゆき、編曲・瀬尾一三、唄・中島みゆき 】
この励ましてくれる詞が、私にとっては何よりも大切な言葉となっている。
私の人生の半ば、中島みゆきさんの『エレーン』を1989〈昭和64〉年に遅ればせながら初めて聴き、
この当時の私は情報畑で、消費税実施が4月から実施されるのでシステム改定、
そして昭和天皇がご逝去となり、『昭和』から『平成』の年号改定に苦闘していた時で、
心身ボロボロのような時に聴いたのである。
その後、私は40代の半(なか)ばに、ギックリ腰が悪化して、
28日ばかり入院して、もとより業務から離脱し、社会から取り残されたように心情の時、
『永久欠番』で救われたり、
齢を重ねた今は、『ヘッドライト・テールライト』が支えとなっている。
このように私は人生の苦節の時、3度も中島みゆきさんの歌で救われたので、
私は敬愛しながら、女史という敬称が相応しい、と思っている。
私は女史という敬称は、女性の中で私が深く感銘を受けた社会的地位や名声のある女性に対し、
敬愛をこめて使用している。
たとえば、今回の場合は『中島みゆき氏』では、何かしら固苦しく他人行儀のような心持ちであるし、
『中島みゆきさん』では、敬愛していても直接にお逢いして言葉を重ねた人でないので何かしらおかしく、
まして私より齢下のお方であるので、『中島みゆきちゃん』・・馴れ馴れしく失礼であるし、
『中島みゆき』などと呼び捨てにするのは論外と思ってきたのである。
やむえず、『中島みゆき様』と照れ隠しのように綴ったりする時ある。
このような思いで、『中島みゆき女史』、私の心からしてぴったりと確信を深めている。
昨今の社会風潮の一部に於き、気性の勝った女性をからかい気味に言う時にも用いられる、
と何かの本で読んだことがあるが、
こうした解釈をされる方は、特に平成の初めの頃から社会が劣化した風潮の中で、
薄まった文化しか学んだことのない人である。
こうした中で、特に私の秘かな心の女神は、家内は別格であるが、まぎれなく中島みゆき女史である。
尚、私はあるレコード会社の管理畑を長らく勤めた身であるが、
中島みゆき女史の専属契約先のレコード会社とは、無念ながら関係がないことを明記する。
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私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
古惚けた一戸建てに住んでいる。
午前のひととき平素の買物専任者の私は、スーパーに2店で買い求めた後、
少しばかり散策した。
午後のひととき音楽棚からCDアルバムを2枚ばかり聴いた後、
やはり私は一枚のCDを音楽棚から取り出したのである。
シンガーソングライターと名高い中島みゆきさんのアルバムの一枚であった。
今回、私が手にしたのは、『短編集』とタイトル名であり、
そして11曲目の『ヘッドライト・テールライト』をCDラジカセに指定した・・。
このアルバムは2000(平成12)年11月15日に発売され、
私は中島みゆきさんのファンのひとりであるので、
退社後の駅前のソフト販売店で購入したアルバムのひとつである。
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私は中島みゆきさんのファンの証(あかし)に関しては、
このサイトに於いても数多く綴ってきたので省略をするが、
この頃もアルバムが発売されるたびに買い求めてきた。
このアルバムが発売された当時の私は、
前年の1999(平成11)年2月より、本社の勤め先より、出向となった。
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私は音楽業界のあるレコード会社に1970(昭和45)年より勤めていたが、
レコード業界は、1998(平成10)年に売上の主軸となるCDがピークとなり、
この少し前の年からリストラ烈風となった。
私の勤めた会社も同様に、早期退職優遇制度の下で、上司、同僚、後輩の一部が業界から去ったりし、
人事異動も盛んに行われたりし、 私も50代のなかば、取引先の物流会社に出向を命じられ、
この中のひとつの物流センターに勤務した。
私は本社で30年近く勤めいたが放り出され、私でも失墜感もあり都落ちの無念さを感じたが、
半年後から何とか馴染み、自分の敵は自分です、と悪戦苦闘しながらも精務した。
この間、出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、
私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、リストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004〈平成16〉年の秋に定年退職を迎えたのである。
そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、
退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
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この間、確か2000(平成12)年の頃だったと思われるが、
家電メーカーなど大手企業がリストラ旋風になり、
『レコード各社は中小業であり・・特に外資系は先手となりリストラをし、俺のように出向となったり・・
家電メーカーは今頃になって・・リストラかよ・・やはり大手企業は余裕があるよなぁ・・』
と私は心の中で苦笑させられていた。
この一方では、時代を反映させてかNHKが『プロジェクトX 挑戦者たち』が放映され、
この番組の主題歌として中島みゆき女史の『地上の星』、
そしてエンディング・テーマ曲として『ヘッドライト・テールライト』が流れていた。
http://www.youtube.com/watch?v=1v90BoB__3E&list=PL9E92108FA8D928A1&index=4
☆YouTube【『ヘッドライト・テールライト』 作詞、作曲・中島みゆき、編曲・瀬尾一三、唄・中島みゆき 】☆
私が初めて『ヘッドライト・テールライト』聴いた時、
瞬時に魅了され、そして感銘を受けたのは、
♪語り継ぐ人もなく
吹きすさぶ風の中へ
紛れ散らばる星の名は
忘れられても
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
【『ヘッドライト・テールライト』 作詞、作曲・中島みゆき、編曲・瀬尾一三、唄・中島みゆき 】
という詞であった。
そして何よりも出向となっていた私の心情を支えてくれたり、
この後の定年退職後の年金生活の今でも、最も励ましてくれる詞が、
♪行く先を照らすのは
まだ咲かぬ見果てぬ夢
遥か後ろを照らすのは
あどけない夢
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
【『ヘッドライト・テールライト』 作詞、作曲・中島みゆき、編曲・瀬尾一三、唄・中島みゆき 】
この励ましてくれる詞が、私にとっては何よりも大切な言葉となっている。
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私の人生の半ば、中島みゆきさんの『エレーン』を1989〈昭和64〉年に遅ればせながら初めて聴き、
この当時の私は情報畑で、消費税実施が4月から実施されるのでシステム改定、
そして昭和天皇がご逝去となり、『昭和』から『平成』の年号改定に苦闘していた時で、
心身ボロボロのような時に聴いたのである。
その後、私は40代の半(なか)ばに、ギックリ腰が悪化して、
28日ばかり入院して、もとより業務から離脱し、社会から取り残されたように心情の時、
『永久欠番』で救われたり、
齢を重ねた今は、『ヘッドライト・テールライト』が支えとなっている。
このように私は人生の苦節の時、3度も中島みゆきさんの歌で救われたので、
私は敬愛しながら、女史という敬称が相応しい、と思っている。
私は女史という敬称は、女性の中で私が深く感銘を受けた社会的地位や名声のある女性に対し、
敬愛をこめて使用している。
たとえば、今回の場合は『中島みゆき氏』では、何かしら固苦しく他人行儀のような心持ちであるし、
『中島みゆきさん』では、敬愛していても直接にお逢いして言葉を重ねた人でないので何かしらおかしく、
まして私より齢下のお方であるので、『中島みゆきちゃん』・・馴れ馴れしく失礼であるし、
『中島みゆき』などと呼び捨てにするのは論外と思ってきたのである。
やむえず、『中島みゆき様』と照れ隠しのように綴ったりする時ある。
このような思いで、『中島みゆき女史』、私の心からしてぴったりと確信を深めている。
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昨今の社会風潮の一部に於き、気性の勝った女性をからかい気味に言う時にも用いられる、
と何かの本で読んだことがあるが、
こうした解釈をされる方は、特に平成の初めの頃から社会が劣化した風潮の中で、
薄まった文化しか学んだことのない人である。
こうした中で、特に私の秘かな心の女神は、家内は別格であるが、まぎれなく中島みゆき女史である。
尚、私はあるレコード会社の管理畑を長らく勤めた身であるが、
中島みゆき女史の専属契約先のレコード会社とは、無念ながら関係がないことを明記する。
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