夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

北東北の一部地域の旅行に伴い、投稿中止・・。

2010-05-23 20:27:34 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
24日から6月2日まで9泊10日で北東北の一部地域を訪れるので、
投稿文は中止とさせて頂く。

私は定年退職後、まもなくしてブログの世界を知り、
旅行とかパソコンの故障などしない限り、日々数通を投稿し6年目となっている。

私の投稿文は原則として自宅の居間でパソコンに向いながら綴って折、
携帯電話さえ使えないので携帯電話も所有していない数少ない人であり、
モバイル情報と云われても何のことか無知なのである。

ひとときはミニ・ノートパソコンを購入して、
旅先などで日々の投稿の持続を考えたりしたことはあったが、
旅先の情景や情感を受け止めることに専念した方が、
のちの思いが深まると確信している古い人のひとりである。

そして旅先で魅せられたことをノートを持ちながら、
メモ程度に書き込んだりしている。

このような古い世代のひとりなので、6月2日までは投稿文は休止する。

帰宅後、つたないなりに心を揺さぶられたことなど、
ときめきを感じたことなどを恥ずかしながら素直に綴る予定である。

そして、何よりも秘かに願っていることは、
一夜でも満天のたわわな星を観られれば、
私はこれ以上の幸せのひとときはない、と思ったりしている。



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津軽半島の蟹田(かにた)、三厩(みんやま)を学ぶには、私は二冊の本を読み・・。

2010-05-23 00:08:01 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
家内との共通趣味は国内旅行であり、
たまたま私達夫婦の結婚して35年目となっているので、
明日の24日より記念旅行と称して旅立つ。

結果的には、JR東日本が発行している『びゅう(VIEW)』の『北東北 青森・秋田・岩手』編を見て、
喚起されて、少しばかり変ったプランを私達は決定したのである。

東京駅から秋田新幹線『こまち』で秋田駅に着いた後、
リゾート『しらかみ』に乗り換えて北上し、『ウェスパ椿山』駅で下車した後、
日本海に面した青森県の黄金崎温泉の『黄金崎(こがねざき) 不老ふ死(ふろうふし)温泉』の新館に3泊する。

この後は、リゾート『しらかみ』で北上し青森駅の終点まで、
そして竜飛岬まで津軽腺とバスを利用して、竜飛温泉の『ホテル竜飛』で3泊し、
竜飛岬を散策する。

その後は青森駅に戻った後は、
駅よりバスで70分ぐらい乗った先の山里にある酸ケ湯(すかゆ)温泉の『酸ケ湯温泉旅館』に1泊にして、
少し奥まったブナの多い森があり、この中の一部に遊歩道があり蔦温泉の『蔦温泉旅館』の西館に2泊することにした。、

そして青森駅に戻った後、特急スーパー『白鳥』で八戸駅で下車した後は、
近くにある鮫駅に移動して、
蕪(カブ)島でアホウドリを観て、八戸駅に戻り、
八戸駅より東北新幹線『はやて』で東京駅に帰京する9泊10日間の日程となった。

今回の旅で家内と最初の頃に思案していた時、
『竜飛岬を観て見たいわ・・』
と家内が私に云ったりしたので、
私にとってはまったくの未知の地域であり、
書棚から旅行案内書の『上撰の旅 北東北』(昭文社)を取り出して見たりした。

青森市から竜飛岬までの津軽半島の海辺の街は、
蟹田(かにた)、そして三厩(みんやま)の地域を通るが、
この後でネットで調べても、漠然とした感じであった。

この後、2週間の間、
書庫から秋永芳郎・著作の『青函トンネル』(講談社)を取り出し再読したり、
太宰治・著作の『津軽 妙』を45年ぶりに読んだりした。
この地域の歴史、文化、風土などをつたないなりに学んだりした。

もとより書物よりも実風景から学ぶことが何よりも大切なことであるが、
私の悪い癖として、わずかながらでもその地域を深く感じとれれば、
とこのような思いで旅立つ前の習性となっている。

今回の旅で、蟹田(かにた)、そして三厩(みんやま)の地域は、
電車、バスの乗り換え、車窓からの情景となるが、
果たしてどのような風景が私の心を揺さぶるか、
これも私にとっては旅の魅力のひとつとなっている。






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たがが『宝くじ』、されど『宝くじ』・・。 ~宝くじ関連8事業「廃止」…仕分け判定~

2010-05-22 13:37:46 | 時事【社会】
東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨夜、いつものようにNHKの『ニュースウオッチ9』を視聴していたら、
《・・
政府の行政刷新会議は本日、
事業仕分け第2弾後半の2日目の議論を行い、
宝くじ関連法人が行っている普及宣伝事業など8事業を「廃止」と判定した

そして宝くじ関連8事業「廃止」と仕分け判定されました。
・・》

このようなニュースを報じて折、
ときおり私は『宝くじ』を購入しているが、
このようなことに無知だった私は、唖然としたのである・・。。。


今朝、読売新聞の朝刊を読んで、
このニュースに関しては、2面の【総合】で詳細に掲載されて折、
少しボケた私は、こんなこと許されてよいの、と思い深めたのである。


この詳細記事に関しては、
読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に同様な記事が掲載されているので、
無断ながら転載させて頂く。

《・・
      宝くじ関連8事業「廃止」…仕分け判定

政府の行政刷新会議は21日、
事業仕分け第2弾後半の2日目の議論を行い、
宝くじ関連法人が行っている普及宣伝事業など8事業を「廃止」と判定した。

仕分け人側は総務省(旧自治省含む)OBへの高額な報酬や、
収益金の一部を関係法人を通じて地方自治体に分配する仕組みを問題視した。


取りまとめ役の寺田学民主党衆院議員は
「問題が解決されるまで、宝くじの認可権限者である総務相は、
宝くじの発売を認めるべきではない」
と踏み込んだ判定を下した。
判定に強制力はないが、法人側は強く反発した。

仕分け人側が集中的に追及したのは、天下り官僚の厚遇ぶりだ。
総務省OBが役員を務める宝くじ関連法人では、
常勤理事の平均年収が2000万円近くに上ると指摘。

首相官邸近くの高層ビルに事務所を置く「自治総合センター」について、
仕分け人が
「庶民の夢(宝くじ)の一部を、東京で一番高いオフィス賃料に使う必要があるのか

などと批判する場面もあった。


「宝くじマネー」の複雑な流れについても
「直接市町村に助成すればいいのに、いろんな団体が中間マージンを抜いている」
との指摘が相次いだ。

これに対し、法人側は「国からは(税金を)一銭ももらっていない」などと反論。
旧自治省出身で発売元の立場で出席した伊藤祐一郎・鹿児島県知事は
記者団に
「地方の自主財源に手を突っ込む話で、一方的だ」
と強く反発した。

一方、原口総務相は21日、記者団に
「しっかりと話を聞いてからコメントしたい」
と述べるにとどめた。

・・
(2010年5月21日23時44分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文に、あえて改行などを多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100521-OYT1T01004.htm
☆【YOMIURI ONLINE】 宝くじ関連8事業「廃止」…仕分け判定☆


私は定年退職時の一年前頃から、『ドリームジャンボ』宝くじなど、
年に6回ぐらいを購入したりしている。
もとより宝くじは一等の当選の確率は、一千万の中の一、
と長らく云われているくらいであるから、まぎれなく夢の世界、でもある。

こうしたことも判っているが、もしかしたらと思いながら、
買い求めてきたひとりである。

そして、外れた場合は、たとえば『地域医療等振興自治宝くじ』の場合は、
ささやかなりに少しはお役にたてたかなぁ、
と思ったりしてきた。

私は漠然とした『宝くじ』の思いは、
売り上げの当選金は75%、経費は数%、そして発行元の収益金は20数%ぐらい、
と何となく感じたりしていた。

今回の読売新聞が明記された中で、
図表の『宝くじ資金の流れ』を見て、しばらく私は沈黙し、
大衆の夢を食い物にしたこのようなことは果たして許されることなのか、
恥じ知らずの方が余りにも多い、
思いを重ねたりしたのである。

この図表の『宝くじ資金の流れ』を点検すると、
『経費』は全体の14.2%となり、金額では281億円となっている。

『自治総合センター』は宝くじに関しては対象外とし、
『日本宝くじ協会』などは中堅の諸兄諸姉を主体に10人以内で運営すれば、
ビルの賃貸料を含めて、年に2億円以内で充分である。

そして肝要の発行元の都道府県・政令都市などは、
『自治体衛星通信機構』、『地域創造』、『自治体国際化協会』、『全国市町村振興協会』への分担金などは廃止した上、
改めて都道府県・政令都市の数人の諸兄諸姉が、
その地域の住民に貢献できることの施策を立案し、自治体の首長が最終決定し、
住民に公布する・・。

今回の場合は、総務省OB(旧自治省含む)の一部が役員を務めるなど天下り官僚の厚遇であり、
まさに、砂糖に蟻が群がるように、
宝くじに旧・自治省の高官たちの一部が群がる恥知らずの人たちである。

私は民間の中小業に35年ばかり勤めた身であるが、
ここまで心の節度を忘れ、恥知らずの人もいる、と遅ればせながら学んだのである。
そして、こうした晩節の汚される方は、死に際はよくない、
と天上の神々は公平に采配されると思ったりしている。



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『小満(しょうまん)』の時節の頃となれば・・。

2010-05-22 09:32:08 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
今朝、雲ひとつない青空となり、快晴の朝を迎えている。
朝方の6時に18度前後、昼下がりは26度前後、夕暮れの6時には23度前後、
と地元の天気情報は報じて折、
平年の6月中旬の頃かしら、と私は微苦笑をしたりしていた。

されど私は5時半過ぎに起きだして、朝の陽射しをまばゆく感じたりして、
思わず陽に向かい、感謝の意味で両手を合わせたりしていた。

昨日は真夏のような30度の暑さとなり、暑さに苦手な私は戸惑ったり、
その前の2日間は走り梅雨のように雨が降り続ける日々であった。

昨日は『小満(しょうまん)』とカレンダーに明示され、
私が愛用している『日本文化いろは事典』のサイトに寄れば、
《・・
小満とは秋に蒔(ま)いた麦などの穂がつく頃で、
ほっと一安心(少し満足)するという意味です。

田畑を耕して生活の糧(かて)を稼いでいた時代には、
農作物の収穫の有無は、人の生死にかかわる問題でした。

そのため、麦などに穂がつくと
『今のところは順調だ、よかった』と満足したことから、
小満と言う名前が付いたようです。
・・》
と教示されたりしていた。

NHKの天気予報などを見たりしていると、
陽気がよくなり、草木が繁って天地に満ち始める頃という意味です、
と報じられていた。

いずれにしても、25度前後の燦燦とした陽射しを受け、
ときには初夏のような暑さとなったり、
ある時は本格的な梅雨の前の一時時期、小雨が降ったり止(や)んだりする走り梅雨の日々、
そして大切に保存管理してきた豊かな土、
この三拍子の調和の中で、
農作物はもとより果樹、樹木、草花がめざましく成長する、
と私は現代風に思ったりしている。

先程、庭先に下り立ち、樹木のたわわな青葉が日増しに色合いを深めたり、
枝葉を勢いよく伸ばしたりしているのを眺めたりすると、、
それぞれの樹木が、この時節が一年の中で最も心地よいのよ、
と私は実感させられたりしている。

そして稲穂に近い小判草(コバンソウ)の群生は揺れ、
半夏生(ハンゲショウ)、秋海棠(シュウカイドウ)は日増しに成長し、
どくだみ(ドクダミ)の白い花、雪ノ下(ユキノシタ)の穂が白い花になり、
この時節を教示してくれる。

私は暑い夏の季節は苦手なので、
この時節は、秘かな願いは、
23度前後の快晴の日々が4日続き、曇り空の日、雨降り日、
こうしたサイクルに天上の気候の神々が采配して下されば、
私はこよなく愛(いと)おしい日々であると思いながら、
空一面に青空の広がっている情景を見つめたりしている。



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プリンセス・プリンセスの『Diamonds』の歌を心の中で唄いながら・・。

2010-05-21 15:57:16 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
ここ2日ばかり雨が降るしきる走り梅雨の日々であったが、
今朝、雲ひとつもない青空となり、どうしてなの、と戸惑いながら、
地元の天気情報を見たりしていた。

朝の6時は18度、昼下がりは28度前後、夕暮れの6時は25度前後、
真夏日の暑さとなりますが、まぎれなく洗濯日和です。
急激に真夏のような暑さとなりますので、熱さ対策をお忘れなく、
このように私には聴こえたのである・・。

昼前に家内から依頼された簾(すだれ)を買い求めに大型スーパーに、
路線バスの通る大通りの歩道を、10分ばかり歩いて行った。
陽射しは燦燦と路上を照らし、私は夏帽子を深く被り、サングラス、
半袖のスポーツシャツであったが、暑さを感じた。

帰路、三本ばかり簾(すだれ)を担いで帰宅したのであるが、
家内から、いつも愛用しているメーカーの簾とは違います、と明言されて、
換えてもらってくるから、と私はふたたび簾(すだれ)を担いで大型スーパーに向ったのである。

汗がポタリと頬を伝わり、熱いじゃないの、
と感じたりしていると、

♪ダイヤモンドだね AH AH
 いくつかの場面
 AH AH 
 うまく言えないけれど
 あの時感じた AH AH

【『Diamonds』 作詞・中山加奈子、作曲・奥居 香、唄・プリンセス・プリンセス 】

と心の中で唄ったりしたのである。


この後、欲しかったメーカーの簾(すだれ)を見つけて、
代換させて頂き、新たに担いで帰宅したのである。


帰宅後、あと一軒のスーパーに食料品を買い求めに行く前に、
小休憩とした。
私は洗面所で顔を洗い、さめた煎茶を美味しく飲んだりしていると、
テレビの天気情報で、
今年一番の暑さとなりまして、30度を超えました、
と報じていた。


私は最寄のスーパーに向かったのであるが、

♪八月の風 両手でだきしめたら
 イマジネーション 飛び立つのサヴァンナへ

【『世界でいちばん熱い夏』 作詞・富田京子、作曲・奥居 香、唄・プリンセス・プリンセス 】

と心の中で唄ったりした。


この後、確か平成元年(1989年)の頃、
プリンセス・プリンセスの『Diamonds』、『世界でいちばん熱い夏』などが、
流行(はや)っていたと思いだしながら、
私も過ぎ去った歳月に愛惜を秘めているのかしら、
とハンドタオルで顔を拭きながら、微苦笑をした。


http://www.youtube.com/watch?v=1lvqttuTqHc&feature=related
☆【『Diamonds』 作詞・中山加奈子、作曲・奥居 香、唄・プリンセス・プリンセス 】☆

http://www.youtube.com/watch?v=mugXw7aEOP4
☆【『世界でいちばん熱い夏』 作詞・富田京子、作曲・奥居 香、唄・プリンセス・プリンセス 】☆


尚、私の現役時代はあるレコード会社の管理畑に勤めていたが、
プリンセス・プリンセスの専属契約したレコード会社とは、関係がないことを付記する。


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公務員の諸兄のクールビズ・・私が好感するのは・・。

2010-05-21 09:45:18 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
たまたま先程、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていて、
微苦笑させられた・・。

《 剃ればクールビズ? 市職員のヒゲ禁止通達 》

という見出しであり、
はじめは何の記事かしらと思いながら読んだのである。
この詳細記事に関しては、無断ながら転載させて頂く。

《・・
群馬県・伊勢崎市は、19日に職員の夏場の軽装「クールビズ」を始めたのに併せ、
ヒゲを禁止する通達を出した。

身だしなみの一環としてヒゲを伸ばした職員を口頭などで注意してきたが、
「不快に思う市民もいるため禁止する」
と初めて明文化した。

全国的に珍しいケースで、クールビズを進める環境省は
「剃(そ)れば涼しくなるかもしれないが、ヒゲとクールビズは無関係」(国民生活対策室)と困惑している。

通達は18日、庁内LANで伝えられた。
「市民に不快感を与えることなく、公務員としての品位を保持する」ことを求め、
ポロシャツなどと共にヒゲを禁じた。

市職員課によると、5月上旬に市民から
「職員がヒゲを生やしているのは何事か」
と苦情があったのが明文化のきっかけという。

担当者は「住民に好ましくないと思われるなら改善が必要。
景気悪化で公務員への見方も厳しくなっている」
と苦しい胸中をのぞかせる。


職員の賛否は分かれる。
ある男性職員(53歳)は
「公務員である以上、不快感を与えないようにすべき。
個人の自由の前に規律が大事」と賛成するが、

別の男性職員(39歳)は
「不快に思うかどうかは人それぞれ。違和感を覚える」
と不満そうだ。

総務省公務員課は
「同様の事例は把握していない。
公務員には品位を保つ義務があるが、茶髪やピアスなど、具体例は各自治体で決めること」
と話している。

(2010年5月20日11時59分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文に、あえて改行などを多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/feature/20100402-465846/news/20100520-OYT1T00248.htm?from=yoltop
☆【YOMIURI ONLINE】《剃ればクールビズ? 市職員のヒゲ禁止通達》☆


私はたまたま民間会社の中小業であるレコード会社に、
管理畑を35年ばかり勤めたことのあるひとりである。

社会風潮が変貌していることを配慮しても、
昨今、ときおり市役所などに必要書類で行ったりすると、
窓口の男性職員のクールビズの姿に好感することを記載する。

ワイシャツの長袖、或いは半袖で、色合いは白、水色、黄緑色・・。
ネクタイは水色、黄緑色などで、ノー・ネクタイでも良し。

私は何よりも市民の多くから違和感を感じすることなく、清潔感を求めるので、
もとより茶髪やピアスなどは論外であり、
ポロシャツは休日出勤の時は良し。

このような洋装に公務員の諸兄にも好感する・・。

もとより公務員は民間会社と違い、
国民の税金で養われているので、
当然のことながら民間会社より意志の覚悟が要求されるので、
洋装の身だしなみは、第一歩の常識である、と私は思っているのである。



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『サラリーマン川柳』、我が人生の友のひとり・・。

2010-05-20 21:00:15 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
たまたま先程、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていて、
微苦笑させられた・・。


《 1位は「仕分け人 妻に比べりゃ まだ甘い」 》

という見出しであり、
この詳細記事に関しては、無断ながら転載させて頂く。

《・・
第一生命保険は20日、恒例の「サラリーマン川柳コンクール」のベスト10作品を発表した。

1位は、歳出削減を狙って政府が導入した事業仕分けをテーマにした
「仕分け人 妻に比べりゃ まだ甘い」
だった。

今回は「ただいまは 犬に言うなよ オレに言え」(3位)、
「こどもでも 店長なのにと 妻なげく」(7位)など、
6作品が夫婦関係や家庭内の話題を皮肉ったものだった。

そのほか、日本経済の先行きに対する不安感からか、
「『先を読め!』 言った先輩 リストラに」(2位)、
「先を読め 読めるわけない 先がない」(6位)なども上位に入った。

今年2月に選ばれた入選100作品に対する人気投票に、約10万票が寄せられた。

(2010年5月20日18時53分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文に、あえて改行などを多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100520-OYT1T00903.htm?from=top
☆【YOMIURI ONLINE】 《 1位は「仕分け人 妻に比べりゃ まだ甘い」 》☆


私は苦笑しながら、やはりねぇ、と笑い出したのである・・。
今回の『第23回 サラリーマン川柳』に伴う入選100作品が公表された時、
私はこのサイトに、今年の2010年2月11日、
【私が微苦笑させられた『第23回 サラリーマン川柳』の入選作品は・・。】
と題して、私なりの思いを投稿している。

【・・
(略)
いつものように読売新聞の朝刊を読んで、何よりも興味を持ち熱心に読んだのは、
第31面に掲載されている第一生命の恒例となった『サラリーマン川柳』であった。

今回は『第23回 サラリーマン川柳』の入選作100作品のニュースで、

《 仕分け人 妻に比べりゃ まだ甘い 》

《 二人の子 婚活、就活 親カツカツ 》

と見出しされた句が掲載されて、私は微苦笑させられたのである。


この記事に関しては、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に於いても、
ほぼ同一の記事が掲載されていたので、無断であるが転載させて頂く。

《・・
第一生命保険は10日、恒例のサラリーマン川柳の入選作100作品を発表した。
家族をテーマに、政治や経済を交えて世相を反映した秀作が多くそろった。

歳出削減で鳩山新政権が取り入れた事業仕分けは、家庭内でも浸透。
「仕分け人 妻に比べりゃ まだ甘い」
「逆らえず ウチのこづかい 仕分け人」
「仕分け人 口調が妻と そっくりだ!」
などの嘆きの句が多く寄せられた。

不況は就職戦線などにも影響し、
「二人の子 婚活、就活 親カツカツ」
と憂うものもあった。

婚活ブームを題材にした作品も多く、
「コンカツは ロースか?フィレ?かと 父は聞き」
と親の戸惑いを描いた句のほか、
「婚活で 肉食女 草原へ」
など女性の力強さを表現した作品も多かった。

応募総数は2万9215句。
100作品は3月12日までホームページなどで公表、投票を募り、5月中旬にベスト10を決める。

(2010年2月10日23時17分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文より、あえて改行を多くした。


この後、私は『第23回 サラリーマン川柳』の入選100作品を知りたくて、
第一生命保険のホームページを検索して、この入選100作品を読んだのである・・。


そして私は、この入選100作品をA4の紙に4枚ばかり印刷して、
主庭のテラスに下り立ち、煙草を喫ったりしながら、一時間ぐらい精読したのである。

苦笑させられたり、ある時は微笑んだりしたのであるが、
私は思わず、降参します、と詠まれた方の才気を感じた句を掲載する。

《・・

☆ 仕分け人 妻に比べりゃ まだ甘い   
                      詠み人・北の揺人


☆ 定年後 肩書き外れ 人離れ  
                   詠み人・天童ラフランス


☆ 70歳 オラの村では 青年部  
                    詠み人・長老A


☆ ママドラマ パパ現実に 泪ぐむ
                     詠み人・蚊注射


☆ 老夫婦 会話はずむが… かみ合わず
                       詠み人・読み人知らず


☆ ほめ上手 君なら他社で がんばれる
                        詠み人・紙風船


☆ 妙案は 会議室より 喫煙所  
                    詠み人・読み人知らず


☆ 不景気で 就活あきらめ 婚活へ  
                     詠み人・新卒女性


☆ 母の耳 内容次第で 遠くなり   
                     詠み人・介護予備軍


☆ おかえりと 笑顔で言われ 身構える
                      詠み人・窮鼠

・・》


私は民間の中小業のサラリーマンを35年ばかり勤め、
結婚生活も34年が過ぎ、つたないなりに人生の大波小波を体験し、
人生の哀歓も少しは知っているので、こよなく『サラリーマン川柳』に心を寄せることがある。

私は無念ながら川柳を詠む素養はないが、詠まれた方の句を拝読するのが好きで、
特に上記の句には、底知れる人生のひとこまを詠む文才のある方たちであり、
齢ばかり重ねた私は、降参します、と絶賛を深めたりしている。
・・】

このように投稿したりし、やはり私にとっては、
『サラリーマン川柳』は、まぎれなく我が人生の友のひとり、と確信している。



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『走り梅雨(はしりづゆ)』、私は思わず『城が島の雨』の歌を心の中で唄い・・。

2010-05-20 08:08:41 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが.
早朝、玄関庭の軒下で、ぼんやりと雨が降る情景を眺めたりしていた。

昨日はどんよりとした曇り空の中、散髪屋(理容店)に行った後、
スーパーで買物を済ませて帰宅すると、まもなく小雨が降りだした・・。
私はこれから別のスーパーで、
重量感のある米5キロ、ビールなどを買い求めに行く予定だったのであるが、
やむえず順延とした。

『昨日までは初夏のような暑さだったのに・・』
と私は家内に云ったりしていた。

この後、私は読書をして、小雨降りしきる午後を過ごしたりした。


今朝の7時過ぎに、ふたたび玄関庭の軒下に行き、
樹木の枝葉が雨で重そうになっているのを眺めたり、
空を眺めて、少しため息をしたりしている。

こうした情景を眺めていると、心の中で思わずひとつの歌を口ずさんでいる。


♪雨はふるふる
 城が島の磯(いそ)に
 利休鼠(りきゅうねずみ)の
 雨がふる

【『城が島の雨』 作詞・北原白秋、作曲・梁田貞 】


私は昼に歯科医院で歯の治療を受けるために、
駅前まで川沿いの遊歩道を歩いて、往復するのであるが、
過日の11日も確か雨の降る日だった、と思い馳せると、
昨今の私は行いが悪かったのかなぁ、と苦笑したりした。

そして、古人たちは、本格的な梅雨の前の一時時期、
小雨が降ったり止(や)んだり状況を『走り梅雨(はしりづゆ)』と称してきたので、
東京郊外もこの時節になったかしら、と私は思い返したりした。


♪雨は真珠か
 夜明けの霧か
 それともわたしの
 忍び泣き

【『城が島の雨』 作詞・北原白秋、作曲・梁田貞 】


このように心の中で唄ったりしているが、
私は外出の時の衣服、何を着て行こうかなぁ、と思ったりしている。


http://www.youtube.com/watch?v=K7uGnSNXXYw
☆【『城が島の雨』 作詞・北原白秋、作曲・梁田貞、唄・藤山一郎】☆



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普天間飛行場移設問題は、『琉球新報』の基幹ネットを読みながら・・。

2010-05-19 08:50:29 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であり、
政治などにも疎(うと)い身であるが、
昨年の秋以来、普天間飛行場移設問題に注視してきたひとりである。

そして拙(つたな)いなりに私は、
ときおり普天間飛行場移設問題を含めた沖縄に関して、
投稿してきた。

ここ数週間は、沖縄県の有力新聞のひとつに『琉球新報』があるが、
この基幹ネットを見たりしている。

http://ryukyushimpo.jp/

今回の普天間飛行場移設問題に関しては、
無力な私なりに思考をしてきたのであるが、
やはり沖縄県民の意思が重要な解決策の基盤となるので、
地元の方の思いは・・教示して頂くひとつとして、このサイトを見たりしたのである。

もとより沖縄の県民は、本土の方たちの一部に於いては、
共有するのでなく、ともすれば他人事のように思われる方もおり、
何よりも険悪、そして困惑されると私は確信している。

こうしたことを思い馳せると、
本土の中央の首都・東京にある大手のマスコミ等の視線からではなく、
日々の生活を営まれて、命までさらしいる沖縄県民の反映、
或いは過去の実態、現在の実情、そして提言をされる沖縄の有力紙を読むことが、
私は重要視をしている。

地方のことは生活されている地元の思いを聞け、と古来からの鉄則とおり、
私はこのサイトから多々教示されている今日である。


余談であるが私は国内旅行の滞在型をする場合は、
観光ホテルなどで地元の地方紙を読んだりすることが多く、
中央の視点からでなく、その地方の視点から教示されることが多い。




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東京の郊外は、緑陰(りょくいん)に身を寄せる頃となり・・!?

2010-05-18 10:28:38 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
ここ数日は25度前後の初夏のような陽気に恵まれているが、
暑さに苦手な私は戸惑っている・・。

昨日は駅前に向かい20分ばかりの道のりを歩いたのであるが、
青空の中で雲は数えるばかりの快晴となり、
陽射しは燦燦と照り返し、眩(まぶ)しく感じたりした。

私はスリー・シーズンのスポーツシャツを着ていたが、
バスが走る大通りの歩道を5分程歩くと、暑さを感じて、腕まくりをしたりした。

ここ数週間、我が家の周辺の川べりの遊歩道から見える菜の花も終り告げて、
数多くの樹木は若葉の色濃く染め、深緑となり、勢い良く枝葉は延ばしている。


やがて坂道を歩き、私は片側の樹木の下の木陰を歩いたりした。
ときおり、風が吹くと心身心地よい。

駅前で旅行代理店で予約していた旅行券を受け取ったり、
本屋に寄ったり、スーパーで買物を終えて、帰路とした。

そして旧街道の一部が森のように樹木が多い中を歩いたのであるが、
樹木の枝葉は陽射しをさえぎり、少し暗く感じ青葉闇(あおばやみ)となっている。
このような歩道の下り道を歩くと、ひんやりとした空気につつまれて、
私は思わず微笑んだりした。

やがてこの地帯を通り過ぎると、陽射しが燦燦と照る中、帰宅したのである。


私は汗ばんだ衣服を着替え、洗面所で水で顔を洗ったりし、陽に焼けた顔に苦笑した。

その後、主庭のテラスに下り立ち、まじかに植えた大きめのモミジの樹の下で、
緑陰(りょくいん)に身を寄せるようにし、
風に吹かれながら、ぼんやりと煙草を喫ったりした。

そして数日の庭の手入れ、買物、散策などで陽に焼けた手と腕を見たりし、
これからの時節の外出は例年のように夏帽子、サングラス、そして扇子は欠かせないなぁ、
と微苦笑をしたりした。




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ステテコ、懐かしき夏の衣に、私は微苦笑し・・。

2010-05-17 08:47:45 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが.
昨夕、ニュースを検索していたら【YAHOO! JAPAN】の中に掲載されていた、
ひとつのニュースを見ていて、
思わず微苦笑さられた・・。

《 「ステテコ」おしゃれになって復活
         
             部屋着として使う女性増える 》

と題された記事であり、
5月15日10時42分にJ-CASTから配信された記事のひとつである。

《・・
年配の男性に愛用者の多かった下着「ステテコ」が最近、
若い男性に売れている。
おしゃれな柄物が登場して、部屋着としても人気が高まり、
自分用に買っていく女性もいる。

下着メーカーのアズ(大阪府箕面市)が運営するウェブサイト「steteco.com」によると、
明治時代に着物やハカマの下に履くものとして生まれた。
明治13年頃に落語家・三遊亭円遊が舞台で披露した半モモヒキをみせる踊りが
「ステテコ踊り」と言われたのがきっかけで、
半モモヒキを「ステテコ」と呼ぶようになった。

■1~4月の出荷数は前年の約3倍

年配の男性が履くイメージがあるが、最近は若い男性に売れている。
といっても白や肌色の無地ではなく、カラフルな柄物が人気だ。

アズでは百貨店やセレクトショップ、インテリア雑貨店での取扱が増え、
2010年1~4月の出荷数は前年の約3倍に伸びた。

広報担当者は、
「梅雨の時期にはムレ対策としてスーツの下に着て、
夏場は1枚で部屋着として使うこともでき、
下着、部屋着として両用できるのがいいところです」
と魅力を語る。

アズのオンラインショップで行ったアンケートで、
購買層は20~70歳代と幅広いことがわかった。
また店頭のスタッフの話によると、自分の部屋着にと買う女性もいる。

■3000円台後半がよく売れる

東武百貨店池袋店は2009年から、若者に向けてステテコの販売に力を入れている。
2010年は展開ブランドを1.5倍に増やし、
紳士肌着売り場に100種類以上を揃えた。
花柄やアロハ柄、ジーンズプリントを転写したものなどバラティ豊かだ。

価格は1785円から6300円で、
広報担当者によると3000円台後半のものがよく売れている。
4月29日から5月5日のゴールデンウィーク期間中は気温が急上昇したこともあり、
前年の6倍にあたる183枚が売れた。

「これから暖かくなると、もっと売れるだろう」
と広報担当者は期待する。

また、ここでも一番小さいSサイズをルームウェアとして
買っていく女性の姿が見られるという。
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100515-00000000-jct-bus_all
☆【YAHOO! JAPAN】J-CAST配信
「ステテコ」おしゃれになって復活    
             部屋着として使う女性増える ☆


私は1944(昭和19)年に農家の三男坊と生を受け、
地元の小学校に入学したのは1951(昭和26)年であり、
この頃は祖父、父が健在で、初夏を迎えると、夕暮れになると、
田畑の野良仕事など終えて、風呂に入った後はステテコの姿となっていた、
とおぼろげながら記憶している。

上半身は白い肌着を着て、下半身は白いステテコで、
団扇(うちわ)を扇(あ)おいでいた。
この当時は扇風機もなく、夕涼みとしていたのである。
寝室も大きな蚊帳(かや)を吊り、この中でそれぞれの夏掛けの布団で、
寝ていた。
もとよりエアコンの冷風もない頃であった。

私が高校に入学した1960(昭和35)年の5月の連休が終えた頃、
母からステテコを3枚ばかり手渡された。
私は下着の白いブリーフの上に白いステテコを穿(は)き、
そして制服の黒の長ズボンで通学したのであり、
何となく大人になったような、こそばゆい心情となった。

その後、私が大学に入学し、クラブとしてワンダー・フォーゲル部に所属し、
山登りを始める寸前に、山岳の衣服に相応しくなく、
私はステテコと別れを告げたのである。


私が年金生活をしている家の中での普段着の夏の衣服は、
色柄のパンズの上に、作務衣の民芸風の長ズボンとなっている。
そして暑さに苦手なひとりで、エアコンの冷風に頼るのが多いのである。
外出の買物、散策はストッチ・パンズの長ズボンとなり、
扇子を持ち歩き、扇(あ)おいでいる。

この記事を読んだりしていると、昨今の省エネの風潮の中で、
室内着として手軽、気楽さが受け入れられている、と感じたりしたのである。
そして齢ばかり重ねた私でも、ジーンズプリントの一枚でも穿いてみようかしら、
と微笑んだりしている。



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初夏のような陽気の中、庭の手入れをすれば・・。

2010-05-16 16:25:44 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
ここ数日、家内は梅雨の時期の前に納戸、奥の和室、戸袋、押入れを整理している。

私は今朝もぼんやりとしていたが、快晴の青空を眺めたりしていると、
庭の手入れに最適と思い、10時過ぎに庭に下り立った。
家内は2階の洋間も整理しているので、お互いに孤軍奮闘の立場である。

いつものように私は玄関庭から草むしりをはじめたが、
雲が三つばか浮かび陽射しが強く、初夏のような陽気となり、
暑さの苦手な私は、昨今の行いが悪かったのかしら、と微苦笑したりしていた。

朝の6時過ぎは13度、昼下がりは23度前後、夜の6時頃は19度前後、
と今朝、地元の天気情報を聴いたりしたが、少し暑いじゃないの、感じていた。


私は玄関庭の草むしりを早めにすませて、主庭に専念した。
可愛らしい稲のような小判草(コバンソウ)が繁り過ぎているので、
大半を抜き取ったりする。

梅雨の頃に上の数枚が白っぽく化粧したように染められる半化粧(ハンゲショウ)、
初夏の頃にビンク色の花を咲かせる唐糸草(カライトソウ)、
そして初夏から純白、或いは淡きピンク色の大輪の花を咲かせるアメリカン芙蓉(フヨウ)、
これらの花たちが我が家の梅雨の時節から初夏に彩(いろど)るのが、
毎年の慣(なら)わしなので、特にこの周辺は丁寧に草むしりをしたのである。

汗がしたたり、少し泥まみれになりながら私は、
体力の衰えを感じたりする。

そして疲れを感じると、テラスに置いている簡易椅子に座り、
煎茶を飲みながら、煙草を喫い、休息する。
一時間に5分前後であるが、こうしたことを繰り返して、
程ほど初夏を迎えるのにふさわしい情景となった。


この後、歩道に面した樹木の下を草むしりしていたら、
秋海棠(シュウカイドウ)のたわわな葉が見られ、私は微笑んだりした。
夏から初秋に可憐な淡紅色が咲き、この時節になると心を寄せるひとつの花である。

何かしら壁ぎわに秘かに咲く花のように感じ、
主(あるじ)の私のように、何事も奥手で人目にふれずひっそりと咲くことが多いので、
私は好きになった花である。

こうしたことを思いながら、草むしりをしたのであるが、
昼食抜きで専念していたが疲れも増したので、
降参して、お風呂に入ったのは午後2時半過ぎであった。

そして、浴室の中の小窓を開け、陽射しが燦燦と射しこむので、
昼下がりの露天風呂のようかしら、とたわむれたりし、
齢を重ねるたびに体力の衰えを感じたりした。




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齢を重ねた私は、赤ちゃん返りのように、よく眠り・・。

2010-05-16 07:32:26 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
古惚けた一戸建てに住んでいる。

ここ数週間、私は自身の睡眠時間が増している、と先程ぼんやりと感じたりしている。

私は年金生活を始めてからは、日の出と共に起床するのがモットーとし、
殆ど早起きとなっているが、読書が好きなので、深夜まで読んだりすることもある。
こうした翌日は、昼下がりに眠くなり、
本を布団に持ち込み、一時間ぐらい読みながら、眠りに落ちる・・。
そして2時間ぐらい昼寝となり、30分ぐらいはぼんやりとしている。

私のサラリーマンの現役時代は、数多くの多忙な人と同様に、
35年ばかりであったが、殆ど睡眠時間を削り、奮闘していた。

情報畑のコンピュータ部署が多かったせいか、
開発と運用などで徹夜をした体験も多々あり、
いま頑張らなければ、いつ頑張るの、と自身を奮いたさせてきたこともある。

そして定年退職の前の5年半は、出向となり少し遠方の勤務先に通った。
不慣れな業務と都落ちの失墜感の半年後、
私なりに精進し奮闘した5年間は、
朝は4時45分に起床し、日中は出向先の業務、帰宅は早くても夜の9時過ぎが、
標準となっていた。
この間でも、更に業務のサイクルにより、何とか終電に乗れるような時も体験もしたので、
50代後半の体力テストは勘弁してほしい、というのが本音でもあった。


こうして定年退職後は、年金生活に入ったのであるが、
ときおり昼寝をしたりすると、何よりの恵みのひととき、と甘受してきた。

しかし、ここ数週間は昼寝を含めて9時間前後の睡眠が多く、
高齢者の入門となった私は、赤ちゃん返りかしら、と微苦笑している。



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中川あゆみ、心の思いを音楽作品で発露され・・。

2010-05-15 06:58:16 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
過日、読売新聞の夕刊のひとつの記事を読んだのであるが、
思わず精読させられ、数日過ぎた今でも余韻が残っている・・。


《 中2・中川あゆみデビュー
              事実だけを歌う」宣言 》

という見出しで、掲載されて折、

この詳細記事に関しては、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に
同様な記事が掲載されているので、無断ながら転載させて頂く。


神奈川・横須賀の中学2年生、
中川あゆみ=写真=がシングル「事実~12歳で私が決めたコト~」(エイベックス)でデビューした。

自身の生い立ちをつづった歌詞が注目され、
デビュー前からインターネットで話題になっていた早熟の歌手だ。

6歳で両親が離婚。
祖母の養女になり、姓が「三原」から「中川」になった。

長渕剛が好きな“今の母”の影響でギターを始め、
小学3年生の頃から、横須賀中央駅前で歌っていたという。

小学6年生で参加したエイベックス主催のオーディションである作家に注目され、
この曲の詞を書き始めた。


「目についた三原のふた文字を無我夢中で消した 
ノートも筆箱も体操着も」。
つらい体験をあえて歌にしたのは、
「うそ偽りのない事実を歌った方が、リアリティーがあって、人に伝わりやすい」
と思ったから。

ただし、恨みは書かず、
「生まれた後は 全部私の責任でしょう」
という決意で締めくくった。

「私は自分を幸せにしたい。
なんで私だけがこんな目に遭わないといけないんだろうと思っていたけど、
昔のくよくよした自分に決別したいと思って」

中島みゆきと絢香を尊敬する末恐ろしい14歳。
これからも「事実」だけを歌っていくと宣言する。

「たくさんの人に支えられているので、これからは感謝をテーマにしたい。
生きている限り『事実』はあるので、困ることはないと思います」

(2010年5月13日 読売新聞)
・・》
注)記事の原文に、あえて改行などを多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/music/mnews/20100513-OYT8T00406.htm?from=yolsp
☆【YOMIURI ONLINE】 『中2・中川あゆみデビュー』☆


私は読売新聞のインタビューに於いて、
最近の中学2年生にしては、人に感動を与える言葉を発露されている、
とこの方の音楽は聴いたこともないが、瞬時に私は感じたのである。

何よりも私はこの方の発露された言葉の感性に驚いたのは、
《・・
「目についた三原のふた文字を無我夢中で消した 
ノートも筆箱も体操着も」。
・・》
このひと言で、稀な才能を感じたのである。

そして私の好きな中島みゆき、絢香のお2人を尊敬する、
と発言されたのには、思わずため息を私はしたりした。
もとより絢香ちゃんは若き女性なので理解し、尊敬をするというのは、
齢を重ねた私でも中学生で感性が優れていれば・・と想像ができる。

しかし、中島みゆき女史の作品を挙げたのには、
たぐいな才能が秘めている中学生である、と私は認識したのである。


このサイトに於いて、それぞれのお方が投稿されているが、
心の思いをその人となりに発露され、私は思わず最後まで読み、
その後、その人の日常生活を重ね、私は深く感動させられるお方・・
少なくとも10数人いる。

その人なりの心の思いを発露され、表現することの大切さを
改めて私は考えさせられている。


尚、私の現役サラリーマン時代はレコード会社に勤めていたが、
今回の中川あゆみさんの専属契約のレコード会社とは、関係がありません。



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『おじさ~ん・・イェ~イ!!』と私は励まされて・・。

2010-05-14 17:00:29 | 現役サラリーマン時代の想いで
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の65歳の身であるが、
民間会社のサラリーマンを卒業した身であり、
現役時代を振り返る時、どなた様も体験されたと思うが、
その時、思いもよらない人たちから私は激励の言葉を受けたりした。


私は東京オリンピックが開催された時に大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をし、先行きの見えないような彷徨(ほうこう)した5年を過ごした後、
ある民間の大手企業に何とか中途入社した後、
まもなくレコード会社に転籍させられた。
もとよりレコード会社は中小業であり、この音楽業界に35年ばかり勤めたが、
最後の5年間が決まった時、私なりの人生のターニング・ポイントのひとつと成った。


私の勤めていたあるレコード会社は、業界全体の売上げピークは1998(平成10)年で、
この前後は、各社が社内業務の見直し、組織の大幅な改定、グループ会社内の統廃合、
そして資本による合併などが行われたりした。

これに伴ない、正社員のリストラが行われ、
人事配置転換による他部門の異動、出向、早期退職優遇制度により退職が行われた。


私は1970(昭和45)年の中途入社であったが、
この頃の時代の風潮としては、多くのお方と同様に、
この会社で定年の60歳まで勤め上げて、
私なりの人生設計を持っていた。

そして激動の1998(平成10)年の前後、
先輩、同僚、後輩の一部の人が、第二の人生を選択し、
早期退職優遇制度に申請を出されていたが、
私は定年まで勤め上げる思いが強くあったので、彼等の決断を見送っていた。

その後、1999(平成11)年の新春、
私は人事担当の取締役から、出向の話を打診された時、
《何で・・俺が・・》
と思いがあった。

周囲の人事異動が激しく行われていた時期であったので、
ある程度の人事の異動が覚悟していたが、
出向とは予測もしていなかったのが本音であった・・。


私は出向を受け入れ、取引会社のひとつに勤めはじめた。
出向身分は、会社に直接に貢献できる訳もなく、まぎれなく戦力外なので、
屈辱と無念さが入り混じ、失墜感があったのである。

出向先は神奈川県の東名高速道路に隣接した所にある物流会社の本社であった。
この物流会社は全国の主要基点に物流センターを設置し、
音楽商品のレコード、カセット、CD等、映像商品としてビデオテープ、DVD等を運営管理している。
そしてそれぞれの物流センターは、
販売店からの日毎の受注に応じた出荷や返品を含めた商品の出入り、保管などの業務管理を行っている。

私はこの中のひとつの物流センターに通ったが、
センター長をはじめとする正社員の5名の指示に基づいて、
若手の男性の契約社員、アルバイトの10名、
30代と40代の多い女性のパートの100名前後の職場であった。

それまでの私は、殆ど30年近く都心の本社勤めで、
いろいろな部門を異動してきたが、もとより男性社員はじめ、多くの女性正社員、契約社員と職場を共にしたが、
こうした物流センターの職場環境には戸惑ったりした。

そして通勤時間帯も大幅に変貌したのである。
それまでの都心の本社は9時半が始業時であり、私は8時に家を出て、
少なくとも30分前後に出社していた。

物流センターは原則として9時の始業時であったが、
曜日によっては実質8時からであり、その前の事前準備などをが配慮すると7時半過ぎとなっていた。
退社できるのも曜日によって異なり、大半は7時前後であり、
私の通勤時間は1時間半は要していた。

私の通勤の最寄り駅は、小田急線の『成城学園前』で、
自宅から始発のバスに乗り、この駅から下りの電車で『本厚木』まで利用した後、
バスに乗り継いで、各諸業種の物流倉庫が建ち並ぶ場所へと通ったのである。

都心の本社に通っていた時代からすれば、まさに都落ちの心情であった。


通勤はじめて半年ぐらいは、センター長のご厚意で、
私の出社は8時半となった。
最初の頃、現場を学ぶために、倉庫の中を歩き商品配列を覚えたり、
急ぎの商品を手配したり、移動させたりすると、
不慣れとそれまでの本社はデスク・ワークばかりしてきた私は、
退社後は疲労困憊となっていた。

こうした時、確か週末の金曜日か土曜日になると、
明日は休みだ、と思いながら、『本厚木』の駅近くのバス・ターミナルでバスを下車した後、
小田急線の『本厚木』の駅に向う途中に長いアーケード街を歩き、
この中のある居酒屋に寄ったのである。


確か物流センターに通いはじめて数週間と記憶している。
一軒の小さな居酒屋に9時過ぎに入っていたのであるが、
お客さんが2人の男性客が差し向かいとなっているだけであった。

私は片隅の席に座り、注文に取りに若い女性に、
地酒を弐合とおつまみとしてふた品をお願いした。
私は弐合徳利を傾け、ぐい呑みに注(そそ)ぎ、少し呑んだ後、
おつまみの焼き魚を食べたり、煙草を喫ったりした。

そして、心身共々の一週間の悪戦苦闘が終った、と疲労困憊となったりしていたが、
安堵したりした。
この後、私は通勤のアタシュ・ケースの中から、
持参しているCDアルバムの五枚から、一枚を選定した後、
CDウォークマンをセットし、聴きはじめた・・。

この後、私は弐合徳利のお代わりを注文し、
運ばれてきた若い女性から、
『何を聴いて・・いらしゃいますの・・』
と私は訊(たず)ねられた。

私はイヤホーンを外して、
『ここ一年はX-JAPANが多いけれど・・中島みゆきもよく聴くよ・・』

確かこのように私は云ったりし、たまたまこの若い女性が中島みゆきのファンであったので、
お客さんが少なかったせいか、私達は10分ぐらい談笑した・・。

この若い女性は、小田急沿線にある大学に通われ、
アルバイトとして、友人と共にこの居酒屋に週三回勤務している、
と私は教えられた。

私の疲労困憊の疲れきった表情、そして落胆している表情も隠し切れず、
『都落ちで・・この本厚木も不慣れでねぇ・・』
とこのようなことを私は云ったりしたと思われる・・。


この後、終電の一時間前に私はこの居酒屋を辞して、
駅の改札口に向かい歩き出した。

この直後、後ろから、
『おじさ~ん・・イェ~イ!!』
と先程の大学生が友人と共に、右手を高く掲げて、私に大声で云った。

私は驚きながら、右手を少し振りかざして、応(こた)えた。


その後、この居酒屋は店じまいされて、新たな店となり、
ふたたびこの大学生の女性とは逢うことはなかった・・。

私は半年後、この出向先の物流センターに馴染み、
精進しながら、定年退職までの5年間を勤めた。

この間、このアーケードを通り過ぎると、
ときおり私は励まされた大学生の女性の表情と
しぐさを思い出されることがあった。

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