夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

白内障の手術の前、本格的な診察を受診し、緊張感のあまり酷(ひど)く疲れて・・。

2015-09-30 17:12:36 | 白内障
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活11年生の71歳の身であるが、
過ぎし8月25日に最寄駅の近くに眼科専門医院で検査を受けて、
まぎれない白内障です、と診断された。

そして独り住まい家内の母が膝(ひざ)と腰が悪化して、入院をしたり、
ここ数週間は通院となっているが、何かと家内は付き添い、介護などで家内の母宅に駐在することが多く、
私は我が家で飛び石の『おひとりさま』と生活を過ごしている。

このような家内の母の予定も配慮して、私は11月に白内障の手術を受けたいです、
と診断された副医院長に要望したりした。

一昨日、この眼科専門医院に家内が電話連絡をしたら、
明日の29日の午後2時半過ぎに、手術を担当される医院長が診察される日なので、
詳細事項も含めて確認したく、ご来院して下さりますよう、
と家内は伝えられた。

そして、奥様に必ずご主人様と、ご一緒に来て下さい、
と付け加えられたりした。

この間、通院している最新の『検査結果報告書』と服用している『薬』一覧表を
持参して下さい、と言われたりした。
          

私は過ぎし2010年(平成22年)の秋に、私は健康診断の結果、糖尿病と診断され、青色吐息となり果て、
内科の医師の指導、家内は野菜を多くした料理、そして私はウォーキングをほぼ毎日したりした。

そして翌年の2011年(平成23年)の3月の初旬、
最寄の内科に4週間毎に定期健診を受けて、糖尿病の範囲の対象から克服でき、
悪玉コレステロールは基準値の90%、これ以外はすべて優等生となった。

この後は、4週間毎に定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、
血糖値を下げる薬、そしてコレステロールを下げる薬を頂き、 日々朝食後に飲んでいるが、
これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。
          

昨日の29日、私たち夫婦は最寄駅の近くにある眼科専門医院に午後二時に到着し、
診察の午後部は二時半からであったので、一階の待合室で待機していた。

やがて私は二階の診察室で多彩な診察を受診した後、
初めてお逢いする手術を担当される医院長と問診したりした・・。

そして私が持参してきた内科に通院している最新の『検査結果報告書』と服用している『薬』一覧表、
先ほどの多彩な診察の結果を視察した後、
白内障の手術は出来ます、と医院長から私は言われ、安堵した。

そして医院長から、白内障の状況、当院の手術方法、手術前後の注意事項を
懇切丁寧に説明をして下さった。

この中で、特にパンフレットを提示しながら、
眼内レンズには、『単焦点』と『多焦点』を説明された。
http://www.cataract-iol.jp/lens/index.html
☆公式サイト【白内障情報室】==>『眼内レンズによる見え方の違い』

そして概算費用などを説明を受けた後、私は『多焦点』を要望し、今後の手術は左眼は11月17日とし、
右眼は一週間後の11月24日と決定した。

こうした中で、手術の一週間前の11月10日には、
最終診察と手術の時間確定が問診の最後に確定した。


私は今回の10幾つか眼の診察を若き30歳前後の女性から検査したが、
生れて初めての涙腺の状況、眼のふちを清められたりし、
緊張感のあまり酷(ひど)く疲れを感じたりした。

何かとプラス思考で過ごしている私であるが、根は小心者で、
やはり眼の手術は怖いなぁ、と思っていたからである。
          

やがて私は二階、三階の診察室から、家内の待っている待合室に行き、家内と合流した。
こうした時、受付にいた女性が家内の前に来て、
ご主人様が医院長と問診する直前に、奥様に立ち会いして頂くが本来でしたが、
奥様に連絡を怠(おこた)り、大変申し訳ございませんでした、
と受付の方は家内に詫びたりしていた。

この後、眼科専門医院を辞した私たち夫婦は、買物する為にスーパーに向かっている途中、
昨日、受付の方は電話で、あなたは71歳と知り、身を案じて、私に必ず同行するように思ったのかしら。
と家内は微苦笑をしながら私に言ったりした。

『齢の割合に僕は若いと言われたりしているが、承諾書を提出する時、
保証人としてXXちゃんの署名が必要だから、医院長との問診で誤解がないように、
立ち会って欲しかった・・と僕は思っていたょ』
と私は苦笑しながら家内に言ったりした。

そしていずれにしても私の秋の最大の課題は、
白内障の左眼、そして右眼の手術を無難に終えて、
近眼の酷(ひど)い私は、高校生よりメガネをしているが、
果たして手術の結果、メガネ不要となるか・・秘かに祈願したりしている。

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自身の10年前のブログの投稿文、読み返したりし、微苦笑を重ねて・・。

2015-09-29 09:59:30 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の71歳になったばかりの身であり、
昨夜のひととき、10年前のブログの投稿文、どのように綴っていたか、と読み返したりした。

私はある民間会社に35年近く勤めて2004年(平成16年)の秋に定年退職後となり、
多々の理由で年金生活を始め、まもなくブログの世界を知った。

そしてブログの投稿文を始め、やがて年金生活で初めての誕生日を迎え、
2005年(平成17年)9月27日に投稿した文である。

恥ずかしながら、素直に再公開すれば下記通りである。
          
【9月27日に生まれて・・♪

私は昭和19年9月27日に生を受けた。

この頃、東京の郊外でも、軍事工場が近くにあったので、ときたま空襲があり、
私の生まれた家でも近くにあり、多少の影響を受けた。

私の家では、農家であったので、宅地の外れに大きな防空壕で備え、
母屋と防空壕、そして田畑を行き来していた、
と後年になった時、聴いた。

こうした敗戦濃厚の時代に生を受けたので、
小学校の高学年の時、一葉の写真を見た時は、
その夜は子供ながら、浅い眠りとなった。

この写真は、天皇陛下の横で悠然とたたずむマッカーサー元帥の姿であった。

そして私の生を受けた一年後であったので、なおさら印象深く、私の心に残った。

今朝の読売新聞の『編集手帳』にも綴られていたので、引用させて頂きます。

昭和天皇が東京・赤坂の米国大使館に
マッカーサー元帥を訪問したのは、
1945年(昭和20年)9月27日であった。

2日後に新聞各紙に写真が残った。
モーニング姿で直立する陛下の隣で、
開襟シャツの元帥が腰に両の手を当てて悠然とたたずむ。
勝者と敗者の違いを伝えて、余すところがない。

以上、新聞記事から引用しました。

私は小学校より、アメリカに対して複雑な思いで昭和50年を迎えた。

この頃までは、敗戦の間際にソ連が北海道占領プランがあった、
とおぼろげながら何かの本で読んだりしていた。

昭和50年のなかば、一冊の本に出会った。
『ドキュメント昭和史』(平凡社・発行)の全8巻を購入し、読み耽っていた。

この中で、第6巻目に《占領時代》を読み、この敗戦直後の状況を教示してくれた。

【日本分割占領案】が歴然と存在していた。
各国の国益をかけた外交が行なわれ、
最終的にはアメリカのトルーマン大統領の国益の基に、
アメリカ人の連合国司令官の下で統治された。

この書物のお陰で、アメリカを静観した形で、アメリカを観ることが出来た。

あの敗戦の一年後に近い9月27日は、陛下と元帥の写真を蘇るたびに、
勝者から観た歴史の背景を知り、より一層鮮明な日の想いとなった。】


このような幼い文章で綴り、この当時の私は自身の綴った文章をコピーできる技巧も無知で、
まして写真を添付するテクニックも知らず、
ただその時に思ったり、考えたりしていることを、ひたすら綴っていた時期であった。
             
☆たまたま今年の5月に、福永文夫・著作の『日本占領史 1945-1952 東京・ワシントン・沖縄』(中公新書)を購読したが、
この本の帯に、昭和天皇が東京・赤坂の米国大使館にマッカーサー元帥を訪問した情景の写真があり、今回あえて掲載した☆

そして今、ブログ11年生となっているが、
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、
そして年金生活の日々の心情を脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、
あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。
       
恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
          

今回、たまたま自身の10年前のブログの投稿文を読み返したが、
10年前は幼い文章、浅い内容なりに、このような思いで過ごしていたのか、と微苦笑を重ねたりした・・。

そしてこの10年、私なりの日々の出来事が走馬灯の浮かびながらも、余りにも早く過ぎ去った、
と実感を深めている。

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月を愛(め)でれば、満月の十五夜(じゅうごや)も良いが、十六夜(いざよい)に圧倒的に魅了され・・。

2015-09-28 14:00:57 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の71歳になった身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭の中、築後38年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

昨日の昼下がり、家内は独り住まいの家内の母宅で3泊4日で介護、料理、掃除、洗濯など孤軍奮闘し、
こうした時は帰路の途中で、デパートの地下街の食品売り場で、
私好み食べ物を買い求めて帰宅した。

こうしたことは、ここ3か月の習(なら)わしとなっているが、
たまたま私は70歳を卒業し71歳に昇格した誕生日だったので、
夜のひとときに、私たち夫婦はささやかな酒宴の真似事をしたりした。

この少し前、お互いに雨戸を閉めようとした時、
『お月さま・・綺麗だわ・・』
と家内は私に話しかけた。

私は我が家の主庭に隣接した隣家の屋根とマンションの大きな建物の間に、
満月のように輝いている月を眺め、
『確かに・・『中秋の名月』の『十五夜』は綺麗だよねぇ・・』
と私は誉(ほ)めながら応(おう)じた。

やがて10時過ぎに、私は独りで玄関の軒下に下り立ち、
澄み切った夜空にぽっかりと月が煌々と光をおびているのを眺めながら、
お月さま・・私に向って微笑んでいるみたい、と私は感じ深めたりした・・。

こうした単細胞のような思いの心の奥底には、
私は定年退職するまでの半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしているが、
このような心情を察した天上の神々から、人生の後半の贈り物のひとつ、と私は解釈しているからである。
          

この後、ぼんやりと私の幼年期の頃、生家でささやかな月見の祝いをしていたことが、
思いだされた・・。

私が地元の小学校に入学したのは、1951年(昭和26年)の春であった。

この当時の生家は、祖父、父が中心となって先祖代々から農業を引き継いで、
程ほど広い田畑、雑木林、竹林などを所有し、小作人だった方のお力を借りながらも田畑を耕していた。

私は長兄、次兄に続いて生を受けた三男坊であるが、
祖父、父は2人男の子が続いたので、跡継ぎの男子は万全と思ったので、今度は女の子を期待していたらしく、
やがて妹が誕生して、祖父、父は何かと溺愛していた。

そして三男坊の私は期待されない児と思い、幼児心に何となくいじけた可愛らしくない児であった。

この当時、この時節の満月を迎える中秋の名月の時は、
母屋の主庭に面した縁側で、月が観える位置に飾りを供(そな)えていた。

三方(さんぽう)と称された檜(ヒノキ)の白木で作った方形の折敷(おしき)に三方に穴が開いた台に、
半紙を敷いて、お米の粉で作った団子を15個ばかり供えられていた。

薄(すすき)が活(い)けられ、その脇には収穫された農作物の里芋(さといも)、
サツマイモ、蓮(の根)などが置かれていた。

私は祖父から不憫に感じられたせいか、ときには可愛いがわられて、
祖父の冷酒を呑む横に座って、満月を眺めたりしていた。

今、こうして想いだすのは、農家であったので、
春から育てられた農作物が何とか夏の日照り、台風などの被害を受けることなく、
無事に秋の収穫を迎えることができ、感謝をささげる意味から、
このように形式がとられたと解釈している。

こうしたささやかな『月見』も数年後、父が死去し、祖父にも死別され、
大黒柱を失った生家は衰退の一途となり、このような儀式には余裕がなく、消滅した。
                    
定年後の年金生活をし、齢を重ねるたびに圧倒的に深く魅了されるのは、
なぜかしら『十六夜(いざよい)』である。

もとより『いざよい』は、「いざよう」の語源からであり、
ためらい、ためらう、ことなど意味しているが、
『十五夜』よりしばらく遅れて昇ることから『 いざよい』と称されてきた。

私は月を眺め、自分のその時の思いを託〈たく〉したりしているが、
この時節になると、『十三夜(じゅうさんや)』を誉めたり、
その後の中秋の名月と称されている満月の『十五夜(じゅうごや)』を見惚〈みと〉れたり、
やがて、 待ちわびた『十六夜(いざよい)』に圧倒的に魅了されたりしている。

古人の時代から、満月よりやや遅れてためらうように昇って来る、と伝承されてきているが、
つたない私の人生の歩みは、読書に目覚めた時、社会人になった時、結婚した時など、
何事も遅く微苦笑を重ねて、何かしら共感を深めている。

そして何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだった為か、
50代の頃から、『十六夜(いざよい)』を愛(め)でれば、
ためらうように月が昇り、ほのかに少し欠けた形に、
少しいびつな形をした壺(つぼ)と同様に、確かに美を感じ深めたりしている。

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数多くのお方に支(さ)えられて、満71歳の誕生日を迎え、偏(ひとえ)に感謝です。

2015-09-27 11:14:30 | ささやかな古稀からの思い
私は本日の27日、満71歳となり、偏(ひとえ)に家内はもとより、兄妹、親戚、知人、
そしてブログ上で私が愛読しているお方に支(さ)えられて、お蔭さまで誕生日を迎えることができ、感謝の一言です。

私は中小業の民間会社に35年近く勤めて、この間に幾たびのリストラの中、
何とか障害レースを乗り越えて、定年を迎えることができたので、敗残者のようなサラリーマン時代を過ごした。

そして何かと悪戦苦闘の多い中で、敗残者のような状況であったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、
その直後から年金生活を始めたのは2004年(平成16年)秋、60歳であった・・。
          
私の父は42歳の若さで病死され、私が50代の時に2歳年下の職場同僚、そして知人も57歳で死去し、
私は呆然としながら、この当時は定年後の10年間は五体満足で生かしてくれ、
と念願したりしてきた。

そして年金生活を始める時、秘かに私はセカンドライフの日々に、
『清く貧しく美しく』と信条を掲げた。
          

この発想の根源は、定年後の年金生活を始めた当初、ご近所の奥様と立ち話などをした時、
60歳のお若いのに、悠々自適な生活で羨(うらや)ましいわ、と言われたりしたが、
もとより私は一流大学を卒業した後、官公庁、大企業などで邁進(まいしん)され栄達したエリートのお方たちと違い、
高収入、高額な退職金には無縁で、程遠い生活実態であった。

その上、私は屈折した日々の多い半生を歩み、何とか定年を迎えることができたので、
半生記は何かと自慢史が多いと伝えられている中、私は限りなく遠い存在である。

そして私は確固たる実力もないくせに、根拠のない自信があり、
感覚と感性は人一倍あると思いながら、独創性に優れていると勝手に思い込み、
ときには独断と偏見の多い言動もしたりしてきた。

或いは、その分野で専門知識があり優れた人の前では、謙虚となりながらも卑屈になったりした・・。
このように可愛げのない男のひとりであった。
                               

私は定年退職後に年金生活を始めたが、
1944年(昭和19年)9月生まれであるので、満62歳にならないと年金は満額を頂けないので、
この間の2年間は満額の6割弱の片翼飛行のような、年金生活を過ごすことになった。

程々の貯金を崩しながら、つつましく退職後の生活を過ごす予定で、
私は秘かに退職時に、未知の年金生活に向い、自身を励ます意味合いも含めて人生信条を掲げた。

そして年金生活は何かと身過ぎ世過ぎの日々の生活実態と思われ、
『清く貧しく美しく』とした。

この根源は、敬愛している松山善三(まつやま・ぜんぞう)氏の脚本・監督された『名もなく貧しく美しく』(1961年=昭和36年)、
そして宝塚歌劇団の『清く正しく美しく』から、言葉を重ね合わせ、
何かしら慎(つつ)ましい年金生活に相応しいと確信した。
          

こうした『清く貧しく美しく』の人生信条を掲げた中で、
日常生活を過ごす目標として、『野に咲く花のように』とした。
          
『野に咲く花のように』の発想の語源は、
古人の利休が、花は野にあるように、という銘言は私なりに知っていたが、
私は40歳の初めに、夏季休暇で家内と共に旅先で、実感させられ、まもなく私なりに命名した。

海辺のリゾートホテルに滞在していた私たち夫婦は、
昼下りのひととき、庭園にある茶室で茶事があるので、支配人から家内が誘われ、
私も末席としてお供した。

家内は茶事を中学生の頃から習っていたので、
私は結婚してから色々と和事に関しては、家内から影響を受けたりしていた。
茶花、花入、茶碗、掛け軸などを知り、四季の移ろいも改めて知りはじめた・・。

結婚して、3年後に家を建てた時、多額な借入となったが、私は何かと単細胞の性格で、
何かに夢中になると、あなたしか視(み)えないように熱中になることが多く、
その上に若さの勢いとして、家屋の中で茶室まで設けた。

私は茶事に関しては無知であったが、
家内が免許状の昇進と共に、礼金も増えたりし、こうしたことは暗黙のような約束事を知った時は、
不思議な世界と思ったりしていた。
         
そして無知な私でも、リゾートホテルの庭園にある茶室は、
掛け軸、花入、茶花も簡素で、素朴な茶碗で抹茶を頂いたりしたが、感銘を受けたりした。

やがて茶室から庭園に出た私たち夫婦は、その後に私は家内と散策した時、
『野に咲く花のような茶事であったね・・』
と私は家内に言ったりしたので、家内は微笑んでいた・・。

私はこの1985年〈昭和60年〉の夏の時節以来、
人生のささえる確かな言葉として『野に咲く花のように』と掲げて、
年賀状などで明記し、たびたび公言したりしてきた。
                             

こうして私は年金生活を始めて1年を過ぎた頃、
たまたま作家・城山三郎さんの著作の『無所属の時間に生きる』を読んでいた時、
『この日、この空、この私』の一節を瞬時に圧倒的に魅了され、この時から教訓としている。

《・・人生の持ち時間に大差はない。問題はいかに深く生きるか、である。
深く生きた記憶をどれほど持ったかで、その人の人生は豊かなものにも、貧しいものになるし、
深く生きるためには、ただ受け身なだけでなく、あえて挑むとか、打って出ることも、肝要となろう。・・》
そして私は亡き城山三郎さんの遺(のこ)された言葉を秘かに指針として、日々過ごしている。

          
そして恐れ多くも日本の歴代天皇が継承してきた三種の神器と称せられる鏡・剣・玉があるが、
平民で無力な私は、『清く貧しく美しく』、『野に咲く花のように』、そして『人生を深く生きる』言葉を
私の年金生活の三種の神器かしら、と思いながら過ごしてきている。

このようなことを根底に私は過ごしてきているので、
野に咲く花は、素朴で気負いもなく、何かとやすらぎを覚えたりしてきた。

このように私は三つの格言を秘めて、年金生活を過ごしてきた。
                              

数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、
何かと安堵しながら、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズ、
と知人、友人からの便りを受けたりしてきた・・。

私も長き人生に於いては、60代の期間が何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。

そして70代となれば、体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

私は昨年70歳となり、幾つになっても夢をみる少年のような言動が多いが、
やはり霞(かすみ)を喰っては生きられないので、
現実として最優先には『いきがい』、次に『健康』、そして程ほど『お金』と思い、過ごしてきた。

そして男性の健康平均寿命は71歳であるが、何とか男性の平均寿命と称せられる80歳まで、
認知症に遭遇せずに、たとえ歩く状態がノロマになっても、
駅前までの1キロぐらいの路を自力で買い物に行きたい、と念願している。

こうした思いには、後期高齢者入門とされる75歳を第一目標として、
到達できたならば、それから一歩づづ堅実に気を楽にして過ごすことが肝要である、
とブログの先達者の投稿文からも学んだりしてきた。
          
もとより、こうしたことは自助努力も必要であるが、天上の神々の采配に寄ることであり、
定年退職するまで敗残者のような半生を歩んできたので、
先苦後楽の人生航路だ、と何かとプラス思考の私は思い深めているが、果たして・・
と思ったりしているのが今の真情である。

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ときおり『おひとりさま』の生活、苦手な陸上競技の障害走のハードルのように、過ごして・・。

2015-09-26 11:06:10 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の老ボーイであるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
家内は一昨日の24日より3泊4日の予定で、独り住まいの家内の母宅に行っている。

私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に主人に病死され、
我が家より2時間は要する千葉県のある市で独り住まいの生活をされて、早や11年目となっている・・。
       
こうした中で、家内の母は自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、
ここ10年の恒例となっている。

そして家内は殆ど毎夜、家内の母の本日の出来事と安否状況を確認する為、
電話連絡をしている。
                     
                                        
家内の母は、80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、まもなく杖(つえ)を突く身となって、
『要支援2』となっている。

こうした中、整形外科、内科、眼科に通院している中、膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、
ここ3か月ぐらいは少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査が加わり、
やがて通院を幾たびかして折、家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなっている。

そして家内の母は気力も衰えた為か、家内は介護、料理、掃除、洗濯などを孤軍奮戦し、
最終日には家内の母が食事に困苦しないように、果物、保存ができる料理などをして、
我が家に帰館する状況となっている。

このような結果として、4泊5日、11泊12日、或いは3泊4日とか、
幾たびか飛び石ように行ったりしている。

この間、私は我が家で『おひとりさま』の生活をしている。

お茶の世界では、茶庭には飛び石があり、お客様に庭をゆっくりと鑑賞して頂くために、
遠回りさせたり、飛び石の配置も狭くしたり、或いは適度にしたりして優雅な世界であるが、
何かと愚図の私としては、『おひとりさま』の生活は、落ち着かなく過ごしている・・。

私は家内より先に、あの世に行くことは漠然としながらも深めているが、
この世の中は予期せぬ出来事に遭遇することがあり、私を残して家内が先き立たつことも考えられるので、
『おひとりさま』の特別演習だ、と自身を叱咤激励して過ごしている。
                     
         
平素の私は、家事の全般の料理、掃除、洗濯などは、家内にお願いしていたので、
恥ずかしながら初心者の若葉マークのような身であり、戸惑いながら行っている。

朝、最優先の実施事項は、台所にある調布市から配布されたカレンダーを見て、
『燃えるゴミ』、『ベットボトル』、『古紙・新聞』などの指定日を確認して、
これに対応して、調布市から指定された道路に面した門扉に置いたりした。

そして、台所で一合ばかりのお米を洗い、五穀米を加えて電気炊飯器に10分後にセットし、
この後は読売新聞の朝刊を読みながら、冷茶とアイスコーヒーを飲んだりする。

やがて前菜は、新タマネギを野菜調理器の新兵器のサラダセットでスライスし、生ワカメとあえたり、
或いはミッカンぽん酢とお醤油をかけて、大きな皿に盛大に食べたりした。

この後は、十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、焼きノリ、サバの味噌煮の缶詰か
シャケの瓶づめとしてきた。

私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の代表とされる『一汁三菜』の真似事をし、
これが飽(あ)きたら日本人はやめるょ、と心の中で呟(つぶや)いたりしている。

この間、ご飯の一合は多すぎるので、半分はラップに包んで、
こっそりと冷蔵庫の片隅に保存し、翌朝に電子レンジで温めて、頂いているので、
二日に一回だけ、お米を洗いのが実態となっている。
          
やがて朝食後、台所で皿洗いなどをして、水遊びをした。
          

昼食はフランスパンを三分の一、ときにはアンパンを頂いたりしている。

そして夕食は、私の場合は、朝食と同様な前菜を盛大に食べた後、
2日に1回、スーパーで買い物をし、野菜コーナー、肉類コーナー、お惣菜コーナーの売り場で、
適度に選定し、冷茶を飲みながら食べたりしてきた。

しかしながら独りだと話し相手がいなく寂しいので、缶ビール500mlを2本だけ呑んだり、
ときにはウィスキーをオンザロックして数杯を呑みながら、テレビのニュース、
或いは映画棚から観たい作品のDVDを取り出して視聴したりした。
                            

日中のひととき、乾燥の機能がある洗濯機で、洗いから乾燥までしてくれるオール自動セットに頼り、
パジャマ、肌着、タオルなど2日に1回として、
あとはお願いねぇ、と洗濯機に向って呟(つぶや)いたりした。

そして2日1回ぐらいの部屋の掃除日として、孤軍奮闘したりした。
          

夜の9時過ぎなれば、我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
いつものように、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。

或いは私たち夫婦が外出する時は、玄関などの鍵は二か所にしている。

平素はこのような時は家内に、戸締り終了しました、と報告しているが、
『おひとりさま』だと、報告する相棒がいなくて、何かしら戸惑って、独り苦笑したりしている。

私たち夫婦は何かと二人で一人前と思ったりする時がある。
このような思いから、私は家内の留守の間に、空き巣、放火に遭遇したりすると、
もとより私たち夫婦の残された人生に困苦するし、
まして私の不手際で火災を発生させたら、我が家の老後の人生設計は根底から悲惨になる。
          

このような『おひとりさま』の生活を過ごしていると、
陸上競技の障害走の一種で、110メートルを走る間に10台ぐらいのハードルを跳び越えながら、
走る競技に思い重ねてしまうこともある。

私が1951年(昭和26年)小学校一年の秋、 初めて運動会で50メートル競争に出場した・・。
この当時は、6人で同時に走ったが、そのうちに頑張れば、
と私は思っているうちにゴールに着いた。

結果は、後ろから2人目の5位だった・・。
この頃は、走り終えると、1位の旗から6位まで並列されていたので、
もとより私は『5』の旗の後に並ばされた。

そして私は何故かしら、小学校を卒業するまで、
6人で走るといつも5位が続き、勉強の成績と同様に劣等生であった。

やがて中学の体育の授業で、50メートルぐらい間に幾つかハードルを置き、
私は走りながら跳び越えていたら、最後のハードルに足が残ってしまい、
よろけてしまったことがあったりした。
          

こうした苦手な障害走であるので、『おひとりさま』の生活は緊張感と気楽な複雑の思いで、
過ごしているが実態となっている。


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特養増設 待機解消の政府案、シニア世代はやがて晩年期になると朗報かしら、と思い馳せ・・。

2015-09-25 13:17:43 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に片隅に住む年金生活の70歳の身であるが、
昨日の朝、いつもように配達された読売新聞の朝刊を読んでいたら、トップ面に、
《特養増設 待機解消へ
        介護離職ゼロ目指す》
と多きく見出しされていた。

私は特養と省略されている特別養護老人ホームなどの施設は、
政府が掲げている「在宅介護の推進」だったので、
どうして在宅介護より国負担が多い特別養護老人ホームを増設するか、と戸惑ったりした。
          
        
記事の大半を転記させて頂くと、
《・・安倍首相は、先の自民党総裁選の公約で掲げた「介護離職ゼロ」の実現に向け、
特別養護老人ホーム(特養)の大幅な整備に乗り出す方針を固めた。

全面的に介護が必要な入所待機者を、2020年代初めまでに解消することを目標に掲げ、
16年度当初予算から特養の整備費用を拡充する。

24日の記者会見で、社会保障制度改革の最重要施策として表明する。

(略)特養の入所待機者は、13年度で全国に約52万人いる。
このうち、身の回りの世話が一人ではできず、
自宅で待機している「要介護3」以上の約15万人をゼロにすることを目標とする。

特養を増やす具体策として、政府は、
消費増税分を原資とする「地域医療介護総合確保基金」(15年度の介護分で724億円)を財源として活用する。
社会保障の財源としては将来、家庭に眠っているタンス預金を
掘り起こすことが期待される「無利子非課税国債」の発行が検討される可能性がある。

このほか、特養の事業者に対しては市街地の国有地を優先的に貸し出す。
市街地の空き家や空き店舗を特養に活用できるようにすることも検討している。

首相は、特養の整備により、介護を理由とした現役世代の離職を減らしたい考え。

「団塊ジュニア」と呼ばれる働き盛りの40~50歳代を中心に「介護離職」を余儀なくされる人は
年間10万人に上っており、人材不足に悩む企業にとって問題となっている。
首相は、介護離職がアベノミクスを推進する上での阻害要因になっているとみて、
最重要施策として取り組む考えだ。

介護休業を取りやすい環境づくりも進める。
介護休業は現在、要介護状態にある家族1人につき連続して93日まで取得可能だが、
複数回に分けて取得できるよう法改正する。

具体策のポイント

☆特養などの入所待機者を解消するため、消費増税分を財源とした基金を活用して介護施設を整備
☆特養事業者に対し、市街地の国有地を優先的に貸し出す
☆介護休業を分割して取得できるよう法改正・・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
          

過ぎし私は高齢者入門の65歳の時、遅ればせながら、
心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。

そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、
75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、やがて80代後半では
何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されているを学んだりした。

私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇せず、今日に至っている。

しかしながら命ながらえば、やがていつの日にか、介護を受ける身となる。
          
こうした思いから、私は介護付き施設に関して注視するようになった。
          

そしてビジネス総合情報誌として名高い『プレジデント』の昨年の記事を読めば、
《・・脳卒中や転倒骨折など、介護は入院から始まることが多い。
だが、入院期間はどんどん短縮されており、平均すると20日前後。

リハビリのために介護老人保健施設(老健)に入所しても、入居期間は原則3カ月で見直される。
いずれにしても、すぐに在宅介護に直面することになる。

「家族で介護できる状況であればいいですが、仕事や家庭の状況で厳しいケースも多い。
特に高い要介護度や要医療管理、24時間見守りが必要な認知症の場合には、
すぐにでも入所できる施設を探さなければなりません」

しかしながら公的介護施設の中核である特別養護老人ホームは、待機者約52万人という状態。
2015年度には入所条件が原則『要介護3』以上に引き上げられ、ますます狭き門となる。

「国は施設入所から在宅介護への移行を図っており、要介護者が『安住の地』を見つけるのは難しくなる一方。
要介護者に最適な施設を見つける間、在宅介護でしのぐ場面が必ず出てきます」

もちろん、民間の介護付き有料老人ホームという選択肢もあるが、
付帯する介護保険サービス以外は全額自己負担のため、費用負担は重くなる。
施設により料金やサービス内容に幅があり見極めが難しく、施設と合わずに入退所を繰り返すケースもある。
          

「残念ながら今、介護は少ないサービスの取り合いになっています。
介護費負担を心配する人も多いのですが、
大事なのはお金よりも介護サービスを上手に活用するための情報です」

例えば介護保険制度では、訪問介護やデイサービスなどのよく知られたサービス以外に、
要介護度ごとに決められた自己負担の月額上限を超えた分が戻ってくる
高額介護サービス費の支給」などの負担軽減措置も用意されている。

介護の情報戦を制するためには、「地域包括支援センターを利用して情報を集めておくことが大切です」
「包括」は介護保険の手続きや介護サービスの手配などを行う介護保険の窓口だが、
高齢者の生活全般を支援するサービスを展開している。

「一番ハッピーなのは、少しでも長く元気でいること。
『包括』では認知症や転倒防止の予防講座なども実施しているので、
元気なうちから参加しておくといいでしょう。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
          

私たち夫婦は、『介護流民』にならないひとつとして、このようなことを学んだりしてきた。

やがて私の家内、妹のふたりも団塊世代であり、2025年には75歳以上となり、
2038年には推計約170万人もの人が亡くなる“多死社会”のピークが来る、
と私は学んだりしてきた。

そして特別養護老人ホームは、介護度・所得金額によって異なるが、
昨今の個人負担額の毎月は、概算6~9万円と知ったりした。

或いは民間の介護付き有料老人ホームの個人負担額の多くは、
初回の入居料金を1000万円前後を支払った後、
毎月は、大半が20万円前後は知り、私たち夫婦ふたりが要介護となった時、
ふたり分だと・・と思案したりすると、私は溜息を重ねたりしてきた。
          

そして本日の読売新聞の朝刊を読んでいたら、
《・・首相は記者会見で、特別養護老人ホーム(特養)などの施設整備を加速し、
「介護離職ゼロ」を20年までに実現する考えを表明した。
介護施設の増加で、介護を理由にした現役世代の離職を減らし、企業の人材不足に歯止めをかけるためだが、
こちらも達成には、多くの問題をクリアする必要がある。

厚生労働省によれば、25年度に必要な介護人材は253万人に上る。
介護職の就職・離職の状況が現状のまま推移した場合、37万7000人の介護人材が不足するとの推計があり、
首相が唱える施設数の増加でさらなる人材不足に陥る可能性もある。

介護施設の増加については、政府が掲げてきた「在宅介護の推進」との整合性も問われる可能性がある。
在宅より高コストの特養入所者が増えれば、介護保険料の上昇など経済的負担が重くなるとの指摘もある。

これについて首相は記者会見で
「都市部では圧倒的に施設が少なく、在宅では十分な支援が難しい地域があるので、
施設をしっかり用意する必要がある」と強調した。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
          

今回、首相は記者会見で
《・・「都市部では圧倒的に(特別養護老人ホーム(特養))施設が少なく、
在宅では十分な支援が難しい地域があるので、施設をしっかり用意する必要がある」と強調した。・・》
このような発言に、私を含めて、シニア世代はやがて晩年期になると朗報かしら、
と私は微笑んだり苦笑したりした。

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ブログのシニア投稿文から私は学びながら、本日もあるお方から深く教示されて・・。

2015-09-24 14:56:53 | ささやかな古稀からの思い
私はある民間会社に35年近く勤めて2004年(平成16年)の秋に定年退職後となり、
多々の理由で年金生活を始め、早や11年目となり、まもなく71歳となる身である。

私は年金生活をしていると、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどが、心の叫び、思いがあふれ、
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

そして私は、ブログの世界を知って丸10年が過ぎて、早や11年生となっている。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。

こうした中で、ここ10年数多くのシニア方の投稿文を読ませて頂いたりした。
そして日記として綴られている場合は、
その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生の軌跡に思い重ねさせて頂きながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。

こうして読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の哀歓を学び、年金生活を過ごしたりしている。
          

本日も私が愛読している数多く方の投稿文を読ませて頂いた。
こうした中で、あるお方の投稿文を読ませて頂き、多々教示された。
http://blog.goo.ne.jp/bakabonn1009/e/9db21ba28958972b9690833861a969eb?fm=rss
☆【まるちゃんの めざせ!快適スローLife】
==>9月24日『能力に蓋(ふた)をするもの 五蓋(ごがい)』☆

私は数多く学んた後、サンガーラワ経って、どのようなことなの、
と真摯に興味が増して、ネットでいろいろと検索したりした。

仏教の一派としてサンガーラワ経がある、と私は解釈した。
そしてスマナサーラ長老の法話として、『能力を奪う五つの障害』もある、と学んだりした。

こうした中で、各命題『なぜ覚えたことを忘れるのか?』、『脳をとことん働かせる』、
『能力の細菌』を読んだりした後、
『身体は衰えても 頭は明晰に』には、齢ばかり重ねた私でも、特に深く学んだ。
          

《・・この経典は、別の言葉で言えば、「どうすれば頭が良いままで生きていられるか」という話しです。

現代人が心配している病気の一つに、認知症があります。
これは癌よりも危ない病気だと思います。

私は、癌になって立ち上がれなくなっている人を見ても、そんなにかわいそうとは思いません。
なぜなら頭はしっかりしていますし、考えることができますから。

その人は残りの人生の計画をしっかりたてて、明るく、人間らしく、理性を保ち、
人間としてのプライド持って過ごすことができます。


でも、認知症になったらどうしますか。
理性が低下し人間性まで衰えたりするのです。これは大変悲しいことです。

認知症になるのは、私たちから見ればだいたい年上の方でしょう。
ですから尊敬したいのですが、でも当人は知性も理性も社会性もほとんどなくなっている場合が多く、
自分の子供の顔さえ忘れているほどです。

病気ですからしょうがないのですが、
だからといって人間に生まれたのに、人間としての尊厳を失ってしまうということは、
けっして良いことではないのです。

ですから、頭だけは衰えないように気をつけたほうがよいのです。
身体は衰えても気にすることはありません。

足が動かなくなったら車いすに座っても、ベッドに横になってもよいのです。
人と話したり、本を読んだり、文章を書いたりして、
人間として堂々としていることが大切なのです。

もし手が動かないなら、口で話せばよいのです。
身体は衰えても、頭だけは衰えないように気をつけたほうがよいのです。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。.
          

私は定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。

世の中の数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、何かと安堵しながら、
第二の人生は身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズの中、
知人、友人から何かと嬉しい、楽しげな便りを数多く受けたりしてきた・・。

そして私も過ぎ去った60代の年金生活の10年間の日々は、私の人生の中で何より安楽な時代、
と思い重ねたりして享受してきた・・。

こうした中で、私は66歳の時に糖尿病と診断され、青色吐息となる中、
食事の改善とひたすら歩いて、何とか克服してきた。

そして糖尿病の再発防止もさることながら、何よりも怖いのは認知症であり、
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
自宅付近から3キロ範囲にある遊歩道、小公園などを歩くことが多くなっている。
          

このような心情がある私は、今回の『身体は衰えても 頭は明晰に』には、
深く教えを受けたりした。

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秋晴れの中、私たち夫婦は恒例のように、長兄宅で談笑を重ね、やがてお墓参りして・・。

2015-09-23 15:02:39 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市に片隅に住む老ボーイの70歳の身であり、
今朝、さわやかな17度前後の秋晴れの朝を迎えて、ときおり涼しい微風が心地良かった。

そして何かと鈍(にぶ)い私でも、古人から伝えられている名言、
寒さ暑さは彼岸まで、と思い馳せ、暑さに何かと苦手な私は微笑んだりした。

そして『秋分の日』は、私たち夫婦は結婚以来39年ばかり毎年この日は、私の実家の長兄宅に行き、
長兄夫婦、そして叔父叔母と談笑後、長兄宅を辞してお墓参りに行くが恒例となっている。

今朝いつものように朝の9時過ぎに、私たち夫婦は私の実家の長兄宅に行くと、
長兄夫婦、長兄の長男夫婦そして叔父、叔母さんと談笑を重ねたが、
中には叔父、叔母さんが亡くなったので、後継者のご子息の私から見れば従弟(いとこ)たちが来宅され、
私は盛大に談笑を重ねたりした・・。

そして私たち高齢者で70、80歳代であり、
長兄の長男夫婦、従弟(いとこ)たちは40、50歳代であり、
やがては代変わりになるが、私たち高齢者は体力の衰えは隠せないけれど、
お互いに心は溌剌で、私は安堵しながら微笑んだりした。
                    
                    
やがて、私たち夫婦も長兄宅を辞した後、秋晴れの中、
私たち夫婦は小田急線の『狛江駅』から徒歩数分にあるお寺に向かった。
そして途中の花屋さんで、私の母が好きだった花を買い求めたりした。

家内はここ3日、山ガールに負けないような時間帯で、洗濯、掃除、料理で奮闘してきたので、
疲れが残っていたので、異例であるが路線バスに乗車して『狛江駅』前で下車した。
          

数分歩いて寺院に到着するが、お墓参りをされる方が多く、境内は賑(にぎ)わっていた。

私はお墓参りは、生者の死者に対する慰めと思ったりしているが、
生を受け、まぎれなく両親、祖父、叔父、叔母、そして祖先のお陰で、私がこうして生きているので、
感謝の意味から墓前にお線香、花をささげて手を合わしている・・。

このように、『春分の日』、『お盆の日』、この日の『秋分の日』、そして『母の命日』、
年にわずか4回ばかりであるが、私たち夫婦はお墓参りをし、
私の母が亡くなって17年目となるが、これ以来毎年の習わしとなっている。

         
寺院の境内は広く大きな樹木が数多くあり、秋のお彼岸の中日にふさわしく、ご家族連れが多く賑(にぎ)わい中、
ときおり夏の香りを残すように蝉(セミ)が鳴いていた・・。
やがて私たち夫婦は隣接しているお墓に向った。

お墓を少し清めた後、墓石を水で清め、途中で買い求めた花を4束のお花が奉(ささげ)、お米を備えた。
そして、お線香を奉げた。

お線香の紫煙が晴れ渡った空の中を立ち昇る中、
祖先はもとより、亡くなった祖父、父、母、次兄などから、改めて私は見守られて日々を過ごしている、
と私は感謝をしながら、手を合わしたりした。
          
こうした思いを重ねた後、母のおもかげがよぎっていった。
          

生前の母と家内は、ある程度の遠慮がお互いにあった上、
何かと心身の波長が合い、私は家内、母に秘かに、今でも感謝している。

私の場合は、農家の三男坊として生を受けたが、やがて父が私の小学校の2年の時に病死され、、
その一年半も過ぎない時に祖父も死去されたので、何かと母の存在が多かった。
そして私は実家から分家のような形で、実家の近くに住んで早や38年が過ぎている。

やがて私が54歳の時に母は亡くなわれたが
ときたま今でも生前の母のちょっとしたしぐさ、言葉づかいが想いだされる・・。

そして秋日和の中、お線香の煙が芳香を残して、
空中の中をゆったりと、立ち昇りながら消えていった・・。
          
          
やがて一昨日に初めて学んだ悟りを開くために必要な6つの徳目「六波羅蜜」を思い重ねたりした。
(1)布施(ふせ)=物財や安心を分け与える
(2)持戒(じかい)=規律を守る
(3)忍辱(にんにく)=辛抱強く取り組む
(4)精進(しょうじん)=物事に励む
(5)禅定(せんじょう)=心を穏やかにする
(6)智慧(ちえ)=知識を深める

しかしながら齢ばかり重ねた私は、遥かに遠い空のように感じ、
いつになったら・・と思いながら苦笑したりした。
          

この後、私たちは駅前で家内は化粧品、胃腸薬などでドラッグストアーに行き、
私は本屋に寄り、近くのスーパーの食品フロアーで、待ち合わせをすることした。

やがて私は、家内と合流し、家内の負担を配慮して、
秋味の整えた具材のあるお弁当などを昼食代わりに買い求めて、
駅前より私たち夫婦は路線バスに乗車して、我が家に帰宅したのは、12時過ぎであった。

私はまもなく71歳、家内は12月下旬に66歳となるが、
10年先でも、こうした『秋分の日』を過ごせれば良いよねぇ、
と私は家内に言ったりした。

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65歳の家内は、ガンバレXXちゃん・・と自身の愛称を呟(つぶや)きながら・・。

2015-09-22 16:58:23 | ささやかな古稀からの思い
私は東京都の調布市に住む年金生活の70歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に築後37年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。

世の中はシルバーウィークと称される大型連休の中、我が家は平素のように過ごしている。

平年より変わったことは、独り住まいの家内の母が膝(ひざ)と腰が悪化して、
ここ2か月少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査が加わり、
家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなっている。

このような結果として、4泊5日、11泊12日、或いは3泊4日とか、
幾たびか飛び石ように行って、母の介護、掃除、料理、洗濯などを含めて孤軍奮戦してきた。

この間、私は我が家で『おひとりさま』の生活をし、
何かと愚図の私としては、『おひとりさま』の生活は、落ち着かなく慌ただしく過ごしてきた・・。

過ぎし19日の夕方、家内は、3泊4日で我が家に帰宅した。
          

まもなく家内は、晴れ間が続くと天気情報を確認した後、
明日は2時に起きて洗濯するわ、と私に呟(つぶや)くように言ったりした。

我が家の洗濯物は、私たち衣服に家内の母の分も加わり、
衣服、季節物のカーテン、毛布など宅配便を利用して、我が家に到着しているので、
少し多いと思われる。

私はいつもように朝6時過ぎに起床して、居間に下り立てば、
家内はNHKのテレビニュースを視聴していた。

そして私は何時に起きたの、と家内に訊(たず)ねば、
朝1時半過ぎに起床して、洗濯機を稼働させたり、掃除をしたらしい・・。

そして日の出の5時半頃の時間に合わせて、家屋に隣接した小庭にある外干しの竿(さお)に、干したりしていた、
と何かと愚図の私は聞いたりした。

『ここ10数年ブームとなっている山ガールだって・・
この時節は4時頃に起床して・・5時半過ぎに次の行程を歩きだすのが、
標準日程なのに・・XXちゃんは早すぎるょ・・
せめて日の出の頃から起床して、洗濯物を洗濯機にセットすれば・・』
と私は若き学生時代に山歩きのクラブでテント生活をしてきた体験を含めて、
家内に言ったりしてきた。
                       
『それじゃ・・洗濯物は予定通り終わりません』
と家内は言いながら、やがて第二波、第三波と洗濯物を洗濯機にセットし、
やがて外干しの竿(さお)に、干してきた。

そして家内は、いつものように料理、洗濯、掃除などをして、
昼食後、やがて居間の片隅で一時間ぐらい昼寝をしている。
          

やがて3時過ぎに、隣家の関係で陽射しが外干しの竿(さお)に陰りはじめると、
家内は洗濯物を取り込んで、乾燥機にセットする物と、
或いは半分ぐらいは、二階の洋室は西陽が燦々と照らしているので、室内干しにしたりしてきた。

こうした時、家内は洗濯物を抱(かか)えて、一階の居間から階段を上がる時、
ガンバレXXちゃん・・ガンバレXXちゃん・・と自身の愛称を呟(つぶや)きながら、
自身を激励して、階段を上がっていたを、私は偶然に私は聴いたりしていた。

そして私は、手伝うから・・と家内に言った時、
あなたは階段を踏むはずしたら大変ょ・・大丈夫ですから・・と私は言われたりした。

夕食後、家内は9時過ぎに寝室に行き、2時前後に起床して奮闘し、
このようなサイクルをしてきた。

          

私の方は、いつもように家内から依頼された平素の買物で、
独りで最寄りのスーパーに行ったり、或いは駅前のスーパー、専門店に行ったり、
本屋に寄ったりしてきた。

この後、独りで自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策してきた。

午後の大半は、本を読んだりすることが多い。
そして小心者の私は、家内に引け目を感じて、家内の茶坊主に専念し、
家内がコーヒーが飲みたい雰囲気を察して、私は日に5回ぐらいは淹れたりしてきた。
                     
そして昨日の私は、朝の8時半過ぎから小庭の手入れに、
泥まみれ汗まみれとなり、7時間ばかり孤軍奮闘したりしてきた。

本日の私は、明日は『秋分の日』で私たち夫婦はお墓参りの前には、
長兄宅に行くので、祖品を買い求めたり為に、駅前に行ったりした。
          

やがて駅前の専門店が集約されているビルに入った。
     
私が専門店で買い求める品は、和菓子にも拙〈つたな〉い知識しかない私が、
ここ10数年、新年、春のお彼岸、お中元、夏のお盆、秋のお彼岸、お歳暮などの時、
実家、知人宅に選定している和菓子であった。

恥ずかしながら告白すれば、文明堂の三笠山であり、この詰め合わせを愛用している。

三笠山を中核に、ゆず、白桃、あんず、抹茶、栗などの風味の品が、
それぞれの季節に応じてあるので、私なりに調和して詰め合わせにして、進呈しているのが、
ここ10数年の習わしのようになっている。

このように私たちは、シルバーウィークを過ごしてきた。

そして家内は24日より3泊4日で、家内の母宅に行く準備をしたりしているので、
家内には負けるょ、と体力の衰えた私は微苦笑したりしている。

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お彼岸に先祖供養をするワケ、遅ればせながら私は学び、微苦笑して・・。

2015-09-21 07:26:16 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく71歳になる身であり、
来たる23日の『秋分の日』には、祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ日と称せられ、
私たち夫婦も、毎年この日は私の実家の長兄宅に行き、
長兄夫婦と他愛ない話をした後、辞してお墓参りに行ったりしている。

私はお墓参りは、生者の死者に対する慰めと思ったりしているが、
生を受け、まぎれなく両親、祖父、叔父、叔母、そして祖先のお陰で、私がこうして生きているので、
感謝の意味から墓前にお線香、花をささげて手を合わしている・・。

このように、『春分の日』、『お盆の日』、この日の『秋分の日』、そして『母の命日』、
年にわずか4回ばかりであるが、私たち夫婦はお墓参りをしている。
          
          
昨夜のひととき、【産経デジタル】の中のひとつ終活WEB【ソナエ】を見ていたら、
『秋の彼岸入りは20日 お彼岸に先祖供養をするワケは?』と見出しを見て、
私は漠然とした思いであったので、こっそりとクリックして記事を読んだりした。

やがて私は遅ればせながら、初めて学ぶこともあり、教示されて微苦笑したりした。
無断であるが転載させて頂く。

《・・2015年秋の彼岸の入りは9月20日です。
彼岸明け26日までの1週間、特に彼岸の中日にあたる23日には先祖供養のため、
多くの人がお墓参りに訪れます。

今年は5連休のシルバーウイーク。お墓参りの日程もゆったりと決められますね。
では、なぜお彼岸にお墓参りをするのでしょうか? 改めてお彼岸の由来を紹介しましょう。
          

■先祖が近くなる「お彼岸」

「彼岸」は春分の日、秋分の日をはさんた前後3日間の計7日間のことを言います。

今年の秋の彼岸は、9月23日が秋分の日で、中日(ちゅうにち)になるため、
20日が彼岸入り、26日が彼岸明けとなります。

「彼岸」は、サンスクリット語の「波羅蜜多」(=完全であること、最高であること)という言葉に
由来しています。

迷いや煩悩にあふれた現世の「此岸(しがん)」に対して、
彼岸は迷いや煩悩から脱し、生死を超えた悟りの世界のことをいいます。
亡くなった後に向かう極楽浄土こそが「彼岸」なのです。

では、この時期を彼岸というようになったのは
「極楽浄土は西にある」という西方浄土の思想が大きく影響しているそうです。

春分の日や秋分の日に太陽は真東から上り、真西に沈みます。
夕方の太陽をみていると、極楽浄土のある方向がすぐに分かります。

極楽浄土である彼岸(あの世)と現世である「此岸」(この世)が「通じる」と考えられるようになり、
寺院では「彼岸会(ひがんえ)」の法要を行うようになったようです。
          

■お彼岸にする「仏事」は

お彼岸では、夏のお盆のときのように仏壇を飾りつけたり、
お坊さんを呼んでお経を読んでもらったりといったことはあまりしません。

では、どんな仏事を行うのでしょうか。

お彼岸の期間の7日間は、中日が先祖に感謝する日で、
残りの6日間は、悟りを開くために必要な6つの徳目「六波羅蜜」を修めます。

(1)布施(ふせ)=物財や安心を分け与える
(2)持戒(じかい)=規律を守る
(3)忍辱(にんにく)=辛抱強く取り組む
(4)精進(しょうじん)=物事に励む
(5)禅定(せんじょう)=心を穏やかにする
(6)智慧(ちえ)=知識を深める

先祖への供養や感謝の気持ちを持ってお参りするだけではなく、
こんな大切な行いをする期間なのです。

6つの徳目を修めるのは大変なことですが、お彼岸をはさんだ1週間は、
自分自身の怠惰な生活を反省し、何か徳を積むいい機会なのです。

シルバーウイークには21日の敬老の日も含まれます。
高齢の父母、祖父母の長寿を祝い、感謝の気持ちを表せば、大きな徳になりそうですね。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。.
                   

このような記事であり、悟りを開くために必要な6つの徳目「六波羅蜜」に関して、
具体的に初めて知り、齢ばかり重ねた私は、いくつになっても、お勉強だょなぁ、
と赤面しながら心の中で呟(つぶや)いたりした。

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金木犀の香(かぐわ)しい芳香の中、安全保障関連法を思い馳せれば・・。

2015-09-20 15:39:52 | ささやかな古稀からの思い
私は年金生活11年生の老ボーイのひとりであるが、
今朝、NHKのテレビニュースを視聴していたら、シルバーウィークは全国的に晴れる日多い中を迎えて、と知り、
働いて下さる諸兄諸姉の多くの人は、多忙な毎日せめて休日ぐらいは秋晴れに恵まれ、
良かったですねぇ、と微笑んだりした。

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住み、
私の生家に近く、この地域に住んで早や65年が過ぎている。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後37年過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
          


平素の買物メール老ボーイの私は、秋晴れに恵まれた青空の中、いつものように午前中のひととき、
独りでスーパーで買物の責務を終え、帰宅した・・。

こうした中で、過ぎし一週間前の頃から我が家の小庭では香(かぐわ)しい芳香が漂(ただよ)い、
金木犀(キンモクセイ)が咲き始める時節だ、と私は微笑んだりしてきた。

我が家の小庭には庭の片隅に一本、そして居間に隣接した和室の近くに一本あり、
私がテラスに降り立つと、かぐわしい芳香が漂(ただよ)ってきたので、
近寄るとたわわな莟(つぼみ)を眺めたりして、昨日は快晴に恵まれ、今は満開となっている。
          

私はこの金木犀(キンモクセイ)の香りは、秋の到来を告げてくれる花木であり、
好きな花のひとつである。

今は満開のたわわな橙黄色の小花となり、周辺にかぐわしい芳香が漂(ただよ)わせている。
          
やがて一週間が過ぎた頃、ときおり風がなくても小花が音もなく散り始めて、
黒土に落下する時に、かすかな音をたてる。

そして樹元の周囲は黒土の上で、こぼれた橙黄色の小花が彩(いろど)る。

こうした中で、やがて金木犀の枝に橙黄色の小花が残っているが、
大半は地上の黒土に絨毯のように敷き占め、沈香の香りを残す情景となる。

このような情景を私は眺めたりすると、この世の確かな美はこのようなものかしら、
と私は眺めて毎年過ごしている。
           
        
私はぼんやりとテラスに降り立ち、少し離れた満開となっている金木犀を眺めたりした。

やがて昨日に成立した安全保障関連法に思いを馳せたりした・・。

私はここ一週間、テレビニュースを視聴したりすると、少しやりきれない思いがあふれて、
16日には、『安保法制、日本人が求めているのは「生活保守」「安全」であり・・論説、私は賛意し・・。』、
昨日の19日に『安保法案、民主党が主導している国民の不安をあおる言動は、罪が重い・・。』、
と題して、私はあふれる思いを一気呵成で書き上げて、投稿した。

先ほど、ぼんやり多くの憲法学者からは、たとえ限定的であっても、
集団的自衛権行使を容認する法律は憲法違反だ、と叫ばれる中、
安倍政権は迅速に安全保障関連法を成立させたことは・・と思案したりした・・。
          

もとより政府は、国家の存在、そして国民の平和と安全を守ることが、
何より重大な優先とした責務である。
そして国際社会の平和と安全に対しても、貢献を配慮して責務も求められている。

日本を取り巻く安全保障環境は厳しさを増している。

北朝鮮は、核・ミサイル開発を強行し軍事挑発を続け、隣国の韓国、日本など有事に対処しながらも、
少なくとも東アジアが不安定となっている。

そして中国は軍事強化を増している。
我が国の沖縄県の尖閣諸島周辺に於いては、中国軍による射撃用レーダーの照射、
或いは戦闘機の異常接近といった挑発行為が、幾たびか起きている。

或いは、中国は東シナ海の日中の中間線付近で、
日本の再三にわたる抗議にもかかわらず、ガス田開発を一方的に行っている。

2013年6月以降、海上施設は計16基に急増し、
これらの施設がレーダー基地や偵察ヘリコプターの活動拠点となる恐れもある。

そして南シナ海に於いては、中国は独断的な解釈をして、
フィリピンなどが領有権を主張するスプラトリー(南沙)諸島の岩礁埋め立てを強行し、
軍事拠点化を進め、国際法を完全無視して、海洋権益を主張している。

こうして南シナ海の周辺諸国は、軍事力を拡大している中国におびえているが、現状でもある。


こうした中で、日本は原油やガスなどを輸入に依存している。
中東・ホルムズ海峡からインド洋から南シナ海、東シナ海へと至る長大なシーレーン(海上交通路)は、
日本にとって、経済もさることながら、国民生活を守るうえで最大の課題のひとつでもある。

こうしたシーレーンやその周辺で不測の事態が起きれば、我が国に甚大な影響をもたらす。
          

少なくともこうした難題に日本は直面しているので、
たとえ多くの憲法学者からは、たとえ限定的であっても、
集団的自衛権行使を容認する法律は憲法違反だ、と叫ばれる中、
安倍政権は緊急の難題に対処するために、迅速に安全保障関連法を成立させた、と私は思ったりした。

もとよりこうしたことは、国家の存在、そして国民の平和と安全を守ることが、
何より重大な優先とした責務、そして国際社会の平和と安全に対しても、配慮したことである。

そして集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法は、
戦後日本の安保政策は大きく前進することとなる。

そして日米同盟を基軸とする日本の抑止力を高め、迫する東アジア情勢への備えを万全をめざして、
中国の軍事力を牽制し、衝突を避けるためにも、国際の貢献にも寄与していくだろう、と思い重ねたりした。
          

多くの憲法学者から「限定的であっても集団的自衛権行使を容認する法律は憲法違反だ」
と批判が出たりしたが、
たとえ訴訟されても、日本が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために
「必要な自衛のための措置」をとりうることは当然、
と1959年の砂川事件の最高裁判決したのに、準拠すると思ったりしている。

こうした根底には、憲法の一部を懸案して、国民に戸惑いをさせるより、
国家の存在、そして国民の平和と安全を守ることが、何よりの政府の最優先の責務である、
と私は信じている。

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安保法案、民主党が主導している国民の不安をあおる言動は、罪が重い・・。

2015-09-19 11:34:16 | 時事【政治・経済】等
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の70歳の身であるが、
一昨日の17日、NHKのテレビを視聴していたら、
参院委員会室前の通路で、数多くの女性議員を中核に盾(たて)ようにして、
委員長や委員の入室を邪魔する状況を偶然に見た・・。

そして委員長らの体を激しく押さえつけたり、マイクを奪ったりしていたので、
私は園児のような言動に、有権者のひとりとして恥ずかしく赤面したりした。

もとより私たち有権者から、国の選挙を通して選ばれ、信託されたのが国会議員であり、
国会に於いては、真摯に審議を行い、議論する責務あり、そして心の節度ある言動が求められる。

私は民主党が主導しているこのような言動は、あきれ果てて失望を深めた。


昨年の2014年7月中旬、集団的自衛権がマスメディアで論議されていた当時、
集団的自衛権などは世界の主要国に於いては、
それぞれの国は国益に基づいて、軍事、経済などを背景として、
外交を通じて国際間の政治が行われている。

そしてそれぞれの国は自国の領有は維持し、行使する権利を保有する中で、
国民の生命の安全と財産を守る責務が実施されている。
          

今回の安保法案は、集団的自衛権が中核であり、
中国の軍事力増大、そして南シナ海の逸脱した埋め立て、北朝鮮の核、ミサイルなど不安を増している中、
日米同盟を更に強化し、抑止力を高めて、切れ目のない事態に対処して、
より一層、日本国民の大切な生命の安全と財産を守る法案でもある。


敗戦後の日本の安全は、占領下の時代はアメリカを中核とした連合国の傘下となり、
やがて独立したが、この後もアメリカと日本の国益に基づいて、
アメリカの防衛体制システムの下で、米軍と自衛隊の連動で、今日の平和がある。

そして占領下で施行された憲法、特に第9条などは関係なく、現在の平和があり、
ともすれば国民の一部の方には、自国の防衛意識が薄らいだ風潮が見られる。

もとより平和を願うだけでは、平和は維持できないという歴史上から実態であり、
世界の主要国は、それぞれ軍事力を有して、自国の防衛に努める怜悧な現実がある。

そして日本は憲法の解釈により「集団的自衛権は保有はするが、行使はできない」という自らに禁じて、
世界の主要国から見れば、自国の防衛もままならない半人前の不思議な国と黙視されいる。

昨今の安倍政権の奮戦は、遅ればせながら、その禁止を解こうという目的であり、
日本も世界の主要国に仲間入りをするだけである。

このようなことが解らない人は、平和ボケであり、国際間の怜悧な常識も欠落した人であり、
世界の主要国、特にロシア、中国などから冷笑されている、と私は憂いたりしてきた。
          

日本は長年、国際間、日本の事情により、憲法第9条を付加解釈して、
その時代を対処してきた歴然とした事実があり、国際間、日本の変貌があり、
今日の時代に相応しい日本の憲法を改正する要望が、一部からなされたりしてきた。

本来であれば、新たなる憲法が試案を国民投票などにより、国民の賛意の上、
新たなる憲法が立案、施行されるが望ましいが、
ここ5年以内でも、東アジアでも緊迫とした要素、たとえば尖閣諸島、東シナ海の日中境界線のガス開発なと、
多くの難題が山積している。

こうした諸事情もあり、現行の憲法第9条を付加解釈に関しては、
今回の安保法案を提出され、憲法学者により憲法違反、或いは合憲と賛否両論となり、
国民の大半は戸惑ったりしてきた。
          

過ぎし4月に、安全保障関連法案の審議に関して、
民主党は将来の集団的自衛権の行使容認に含みを残す党見解をまとめた後、
どのような状況なら容認するかの党内論議を回避し、園児のような言動で法案反対を唱え続けている。

その上 民主党は野党の代表格として対案を提出して、与野党間で真摯に審議することを避けて、
私は民主党の諸兄諸姉議員は、税金泥棒とも感じたりしてきた・・。

そして戦争法案、徴兵制の復活などとマスメディアを通して、
政治に専門知識もない私と同じ国民の大半に対して、不安をあおる言動をし、国民を混乱させた罪は重い。

岡田代表は以前から良きブレない直球だけの論戦をされ、怜悧な国益を配慮した政治家のひとりであり、
確か10年以上前からは米艦防護を可能にすることに前向きであり、現実を解る人と好感してきたが、
突然の反対一辺倒になってしまったのか、私は不可解となってきた。

こうした岡田代表に、戦争法案、徴兵制の復活などとありえない悪知恵を授(さず)けたのは、
党内の平和ボケした一派か、或いは生活の野党を率いる小沢一郎さんかしら、と私は妄想をしたりしてきた。
          
そして民主党議員を中核とした方たちは、国会外のデモとも連動させて、
法案成立をあらゆる手段で阻止する言動を繰り返している・・。
          

改めて今回の安全保障関連法案は、
集団的自衛権の行使の要件に関しては、もとより日本の存立が脅かされ、
国民の権利が根底から覆される明白な危険がある「存立危機事態」に厳しく限定し、
日本周辺有事における米軍艦船の防護などを想定したものである、と私は認識している。


一昨日の17日、安全保障関連法案が参院特別委員会で、与党の自民、公明両党を中心に、
野党の元気、次世代、改革の3党で、賛成多数で可決された。

やがて私がニュースを読み、3党が賛成できたのは、自民、公明両党との協議して、
自衛隊の海外派遣に対する国会の関与を強化することで合意した、と知った。

たとえば中東での機雷掃海など、日本攻撃が差し迫っていない存立危機事態時の防衛出動は、
例外なく国会の事前承認を求める。

或いは重要影響事態でも、国民の生死に関わる場合を除き、事前承認を求める。
これらが5党の合意の柱である、と学んだりした。

もとより安全保障に関わる法案は、多くの政党の賛成で成立させることが望ましく、
私は微苦笑させられたりした。
          

そして19日未明、参院で安全保障関連法が成立した。

本日、参院で安全保障関連法が成立に伴い、安倍首相は首相官邸で記者団に、
「国民の命と平和な暮らしを守り抜くために必要な法制であり、戦争を未然に防ぐためのものだ。
今後も積極的な平和外交を推進し、万が一の備えに万全を期していきたい。

世論調査の結果によれば、まだまだこれから粘り強く、丁寧に説明を行っていきたい」
と私はニュースを読み、そうですよねぇ、と賛意したりした。

このような心情で、無力で専門知識のない私は、安全保障関連法案に関して、
戸惑いながら思いを重ねたりしてきた。
          

余談であるが、17日夜の参院平和安全法制特別委員会での安全保障関連法案の採決の際、
自民党の大沼瑞穂参院議員(36歳)が、民主党の津田弥太郎参院議員(63歳)に後ろから羽交い締めされた上、
引き倒されるなどの暴行を受け、けがをしていたことをニュースで知った。

参院第1委員会室で採決が行われた際、自民党の大沼瑞穂参院議員は、
大混乱となった委員長席周辺ではなく、委員席の間の通路に立っていた。

すると突然、民主党の津田弥太郎参院議員に背後から羽交い締めにされて後ろに引き倒された。
さらに両脇の下に腕を入れられ、後方の椅子に引きずられた。
この後、津田さんは、大沼さんをいったん膝の上に乗せた上で床に投げ飛ばしたという。

大沼さんは右手を床についた際、薬指と小指を突き指した。
すでに病院で治療を受け、診断書も作成してもらった、このような内容を知り、
清粛な国会に於いては、いかなる理由があっても、許されることではない。

民主党の津田弥太郎参院議員は、自ら議員辞職を提出していただきたい。

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老化を防止するためには、やはり食事と睡眠が肝要と学び、私は微苦笑させられて・・。

2015-09-18 14:46:42 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の老ボーイの身であるが、
昨夜のひととき、ネットでニュース記事を彷徨(さまよ)っていた時、
【老化を加速するインスリンをコントロールするには、食品と〇〇が有効!】
と見出しを見て、どういうことなょ、と瞬時に好奇心があふれて、クリックした。

そして配信元は『OurAge』と明記され、初めて見るサイトであったので、
こっそりと調べたりした・・。

まもなく驚かされたのは、集英社が発行している雑誌『MyAge』のオンラインメディアとして、
『OurAge』のサイトと知ったりした。

そして『OurAge』は、女性の美と健康を応援するサイトと学び、
少しためらった後、幼年期から女性に何かと憧憬してきている私は、
ゆるしてねぇ、と心の中で呟(つぶや)きながら、記事を恥ずかしくも精読してしまった。

やがて女性はもとより、男性のシニア世代にも老化を防ぐには、
やはり食事と睡眠が肝要と学びながら、微苦笑したりした・・。

この記事は、『OurAge』で9月16日に配信され、無断ながら転載させて頂く。
          

《・・老化を加速するインスリンをコントロールするには、食品と〇〇が有効!

野菜のほか大豆製品、チーズ、ナッツ類なども低GI値の食品。
バランスよくとって血糖値を上手にコントロールしたい。

近年注目を集めているホルモン、インスリン。
血糖値を下げるホルモンだ。

血糖値の上がりやすい食生活を日常的に続けていると、オーバーワークになり、
効きが悪くなったり、枯渇して糖尿病のリスクが高まってしまう。

「ですから、インスリンを上手にコントロールして、血糖値の上昇に気を配る必要があるんです」と、
ハーバード大学医学部教授の根来秀行さん。
専門は内科学、睡眠医学、腎臓病学、抗加齢医学、など多岐にわたり、世界的に活躍する医学博士である。

インスリンのコントロールのために、まず言われるのが、血糖値の上昇を緩やかにする、
いわゆる低GI値の食品を積極的にとること。

「葉野菜やきのこ、果物、肉、魚、海藻、大豆製品、チーズ、ナッツ類などがおすすめです。
食べる順番もポイント。

野菜→たんぱく質→炭水化物の順で食べましょう。
炭水化物を後に回すと、血糖値の上昇がゆるやかになるんです。
インスリンも緩やかに分泌されますよ」
          

また、実はインスリンに大きな影響があるのが、睡眠だ。
「意外に知られていないのですが、
睡眠もインスリンのコントロールに深く関係していて、寝不足で睡眠の質が低下すると、
血糖値が上がることもわかっています。

みなさん血糖値というと、食事のことばかり気にしがちですが、
いくら低GI食品を摂っていても睡眠が不十分ではダメ。

インスリン自体に老化を促進する作用もあるので、老化防止のためにも、
規則正しい生活習慣を身につけてインスリンを浪費しないようにしましょう」(根来教授)

規則正しい生活で体内リズムをつくれる人は、
ホルモンがしかるべき時に、働きやすい体内環境を作れる人、と根来教授は言う。

実践は意外と難しい「規則正しい生活」だが、できることからトライしていきたい。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。.
          

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後37年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私は9月下旬の誕生日を迎えると71歳となり、
家内も12月下旬の誕生日を迎えると66歳となる中、
お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
          

私の朝食の原則として、前菜を必ず頂いている。
キャベツを千切って電子レンジで少し温めて、もずく三杯酢をかけて盛大に頂くこともあるが、
今年は何かと天候不順で、新鮮なキャベツにめぐり逢えないことがある。

こうした時は、タマネギをスライスし、生ワカメとあえて、
そしてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、大きな皿に盛大に食べたりしている。

或いはスライスしたタマネギに、もずく三杯酢をかけて頂くこともある。

やがて十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、カブの醤油漬け、カブの葉の塩漬け、焼きノリ、
そしてシャケの瓶づめ、或いはサバ缶のミソ煮で頂く、
『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』の真似事をしている。

家内は大半、食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、ホット・コーヒーを飲みながら頂くことが多い。

昼食はお互いに、蕎麦(そば)、或いは素麺(そうめん)を食べたりしているが、
ときには私はフランスパンを三分の一、家内はケーキのような菓子パンを頂き、
バナナなどの果物も食べたりしている。

そして夕食は、私の場合は、朝食と同様な前菜を盛大に食べた後、
牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉などのいずれかを野菜を加えて、多めに頂いたりし、
ときにはシイタケ、シメジ、マイタケなどの茸(きのこ)も好きで、食べたりしている。

家内は肉と野菜を食べたりした後、プリンかショートケーキを食べたりしている。

このような我が家の実態であり、私は食事に関しては満足している。

今回の記事を読み、私は《・・野菜→たんぱく質→炭水化物の順・・》は、
ほぼ順序よく食べたりしているが、ときおり果物、チーズを少したべたり、ナッツ類は欠落しているので、
苦笑したりした。
                    

睡眠に関しては、私は夜は読書が多く、深夜12時過ぎに寝付き、
起床は6時頃が多く、寝不足と感じたら、年金生活の特権として、昼寝を甘受している。

そして私は寝付いたら、単細胞の為か、余程ない限り熟睡していることが多い。
たとえば、家内から深夜2時過ぎに震度3の地震があったわ、
と朝に教えてもらっても、私は感じなく過ごしてきたことが多い・・。

しかしながら震度5弱となれば、鈍(にぶ)児の私でも、感じ受け止めている。

過ぎし12日の朝5時半頃、二階の寝室で布団の中で、まどろんでいた・・。
まもなく地震のような揺れを感じ、やがて地震だ、強く揺れるよなぁ、
と思いながら、はっきりと目覚めて、しまったこともある。

数分足らずで揺れは収(おさ)まったので、布団から抜け出して、
やがて一階に降り立ち、洗面して雨戸を開けた後、NHK総合テレビニュースを視聴していたら、
関東地方の中でも、私の住む調布市が震度5弱の揺れを観測されて、
日本全国のトップニュースとなったりして、私は微苦笑したりした。


このように老ボーイの私は、今回の記事で、
老化を防止するためには、やはり食事と睡眠が肝要と学び、私は微苦笑している。


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『特定健診』を受診して早や11年、老ボーイの私は微苦笑を重ねて・・。

2015-09-17 14:32:25 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後37年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をし、まもなく11年生となる。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私は9月下旬の誕生日を迎えると71歳となり、
家内も12月下旬の誕生日を迎えると66歳となり、高齢者無職夫婦世帯となっている。
          

こうした中で、調布市から2か月前に、年に一度の『特定健診』の通知書を頂き、
私は3週間前に最寄りの内科病院に予約したりした。

本日の午前中のひととき、家内は昨日より3泊4日で家内の宅に行っているので、
私は『おひとりさま』の生活となっているが、
雨が降る中、受診する為に、内科病院に向かった・・。

そして傘を差して小公園を通り過ぎ、一年に一度だけの『特定健診』なのに、
雨が降るなんて、私は最近行いが悪いかしら、と独り苦笑したりした。

私の住む市では年に一度の健康診断は、
過ぎし平成19年度までは『お誕生日検診』と可愛らしい名称であったが、
この後は、何かしら基本健診に血圧測定、血液検査などが加味され、『特定検診』と改称された。

私は健康診断を受診する時、基本健診としては、
身長、体重、採血、心電、尿検査、血圧測定などが行われた後、最後に医師との問診となっている。
そして希望者には胃がん、大腸がんの検診があり、私は毎年受診してきている。
          
私は何よりも困苦する検診は、『胃がん検診』である。

バリウムの白い検査薬を飲むのは苦手で、私なりに苦痛のひとときを毎年味わっている。
その上、前夜の夜9時過ぎから水を含めて飲食は避けた上、
そして当日の喫煙、歯磨きはしないて下さい、と制約されていた時代もあった。

やがて4年前の頃から、仲良しとなった40代のなかばの男性の医師からは、
XXさん・・朝方でも少しだけ水を飲んでも大丈夫ですから、
とアドバイスを受けたりしてきたので、微苦笑したりしてきた。

こうしたことで苦手のバリウムによる胃の撮影が終ると、毎年ほっとし、
言い知れぬ解放感を体験したりしてきた。

しかし、9年前に、市で一番大きな総合病院で受診した時、
40代の男性技師のもとで、検査した時、やがて終ると何故かしら首をかしげた後、
私の方に近づいてきた・・。

『本当に申し訳ないのですが・・機械の故障で・・別棟の検査室で、もう1度撮影させて下さい・・』
と云われ、私は40代の男性技師に先導されて、別棟に歩いた後で、
再び苦手なバリウムを飲んだりした。
          

8年前の時は、30歳前後の若き女性技師で、私としては瞬時に魅了された美しい顔立ちの方が、
『少し仰向けになって下さい・・
位置を変えて・・横向きにうつ伏せ気味になって下さい・・』
と甘い声の指示を聴きながら、私は検査を受けたりした。

私はバリウムさえ飲まなければ、
年金生活の自由な身の私としては、うら若き女性技師と会話できるので、
何時間かかっても良い、と余計なことを思ったりしたこともあった。


私は健康診断を受診する時の下着は、
平素と同様に、下半身はパンズ型のトランクスであり、
上半身の方は殆ど袖なしのTシャツを着ている。

この袖なしのTシャツは、ポップス系で若手に人気のあるTOKIOというグループがいるが、
この中のひとり背が高く好男性の長瀬智也さんが、以前ドラマの中で着ていたので、
私は魅了されて、家内に頼んで購入した貰ったのは、確か定年退職の3年前頃であった。

この後も、年金生活に入った後は、自在の服装が出来やすいので、
この袖なしのTシャツを真冬以外は、愛用している。
そして半袖か長袖のスポーツ・シャツを羽織って、
5月過ぎから秋まで買物、散策に出かけることをしてきた。

そして私は、恥ずかしながら胸毛があり、苦手な加山雄三さんのようにあるが、
65歳の頃から少し白髪が増してきたが、
せめて心はだけは若い方の感性と余り変わらないと思っているので、このような容姿となっている。

確か7年前の総合病院でレントゲンの健診の時、
30歳前後の稀(ま)れな美麗な女性技師の方で、
私は急いで長袖スポーツ・シャツ、そして袖なしのTシャツを脱いで、上半身は裸となった。

『XXさん・・下着は着ていても・・大丈夫ですから・・』
と笑いながら、忠告されたのである。
                              
この後、身長測定のの時、
『はい・・1メートル69.5ですね・・』
とアシスタントの女医さんから云われた。

『齢を重ねると・・少し縮〈ちじ〉むのですねぇ・・』
と私は明るく云った。

『ご年配の方は・・よくある傾向ですわ・・』
と云われた後、私は長い間、1メートル70センチの時代であったが、
0.5センチばかり縮〈ちじ〉んだことに、齢を実感させられ、苦笑したりした。

体重も70キロ代となり、家内と結婚した当時は、56キロの細身体が懐かしく、
『俺も・・71キロかょ・・』
と平素の身勝手な日常を振り返ったりしたりした。

そして、多少太っていても、心身元気であれば良いではないか、
と62歳の自分を慰めていたりした時もあったりした。
          

このように毎年、私は健康診断を受診をしてきたが、胃がん検診に伴い、
前日の夜からの水分制限、そしてバリウムの白い液体薬だけは、齢を重ねても苦手であるが、
これ以外は楽しい受診のひとときを過ごしたりしている。

そして私は健康診断を欠かさず受診してきたのは、何よりも自身の身体の弱点を知り、
弱点を指摘されれば、ある程度の治療、或いは自助努力で克服できればよい、
と至って常識的な思考の身なのである。

そして健康診断を受診せず放棄している人は、自身の命を粗末にしている、と思ったりしている。
                    

本日のひととき、『特定健診』を受診して早や11年となる中、
今回は体重の測定を重視してきた。

昨今、散策をサボることもあり、一週間前に我が家で入浴後、
いつもように体重計で測定したら、78キロと表示され、何かと無頓着な私でも、
あわてふためき、この後は食事を配慮したり、5日毎のお酒も断念してきた。

そして今回の体重の測定の結果、76キロです、と言われ、私は微笑んだりした。

私は定年した直後は、70キロであったが、年金生活の60代の10年間の日々は享受し、
70代の一年生もまもなく卒業して、2年生に進級するので、
体重が増えても、心身溌剌と過ごせればよい、と思いながら微苦笑したりした。
          

余談であるが、今回の医院内でのそれぞれ受診をしてきたが、
麗(うるわ)しき30歳前後の女性看護師の方が、それぞれ担当して下さり、
綺麗な女性たちの上、やさしいしぐさ、言葉で接してくれ、心まで清らかな人たち、と思い深めたりした。

そして私は幸運な男と思いながら、本日は大安なのかしら、と思ったりし、
名残り欲しいながら、本降りの中、帰宅に向かった。


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安保法制、日本人が求めているのは「生活保守」「安全」であり・・論説、私は賛意し・・。

2015-09-16 12:19:33 | 時事【政治・経済】等
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の70歳の身であるが、
昨夜のひととき、愛読している総合ビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】を見ていた時、
【日本人が求めているのは「生活保守」「安全」。    
        安保法制が成立しても「戦争」などできるはずがない】
と見出しを見て、私はクリックし精読した。

そして私は安保法制に関して、この半年ぐらい新聞、テレビのニュースを見ながら、憂いを秘めてきて、
今回の論説は私の思いに近いことを的確に表現されていたので、私は微苦笑を重ねて、賛意したりした。

論説を書かれたは、作家の橘 玲(たちばな・あきら)さんで、この【ダイヤモンド・オンライン】に於いて、
『橘玲の日々刻々』連載中のひとつの記事であり、
原文は『週刊プレイボーイ』2015年9月7日発売号に掲載された寄稿文である。

そして【ダイヤモンド・オンライン】に2015年9月14日に配信されたものであり、
無断であるが、転載させて頂く。
          

《・・日本人が求めているのは「生活保守」「安全」。安保法制が成立しても「戦争」などできるはずがない
               [橘玲の日々刻々]

戦後70周年の夏も大過なく終わり、その一方で安保法制をめぐる議論が熱を帯びてきました。
私の住んでいる街でも、週末には「平和を守れ!」「戦争反対!」のデモが行なわれています。

特定秘密保護法の審議でも反対派が国会を取り囲みましたが、
国民はほとんど関心を示さず、いまではそんな法律があることすら忘れています。

それに対して安保法制が政権を揺さぶるのは、
もともと憲法違反のものを諸事情によって合憲と強弁する筋の悪さとともに、
「戦争法案」への危機感が主婦を中心とする女性層を動かしたからでしょう。

ふだんは政治に興味を示さない女性誌も、
「読者の強い関心」から安保法制を特集するようになりました。

政治ゲームでは、敵に負のレッテルを貼るのは強力な武器になります。
民主党政権は「売国」のレッテルに苦しみましたが、
こんどは自民党政権が「戦争」のレッテルで同じことをされているだけで、
権力闘争とはそういうものです。

無益なレッテル貼りは社会のあつれきを増し政治の質を下げますが、
有権者の大半が面倒な議論を嫌い、わかりやすいレッテルを求める大衆民主政では
これはしかたのないことなのでしょう。

――米大統領選・共和党候補者指名争いでの富豪ドナルド・トランプの躍進を見れば、
同じことが世界じゅうで起きていることがわかります。

日本社会の保守化がいわれますが、ネトウヨ(注・ネット右翼)に影響されたのか、
安倍政権はそれを「愛国」と勘違いしたようです。
欧米も同じですが、政治的な大潮流は「生活保守」であって、
ひとびとが求めているのは「安全」なのです。

少子高齢化は子どもが減り高齢者が増えることですから、
高齢層の政治力が大きくなると同時に、
需要と供給の法則から希少な子どもの価値が上がります。

いまでは1人の子どもを両親と祖父母の6人で育てることも珍しくなくなりました。

そんな彼らは、自分の子どもや孫が「お国」のために生命を捧げるなどとは、
ぜったいに考えません。

かつて日本の首相は「人の命は地球より重い」といいましたが、
いまや「子どもの生命は国より重い」のは当たり前で、
だからこそ「戦争」や「徴兵制」の言葉に過敏に反応するのでしょう。

彼らにとって、子どもの安全を脅かす(ように見える)ものは、
すべて“絶対悪”なのです。
          

日本人の歴史観が奇妙なのは、「軍部や政治家が国民を戦争に引きずり込んだ」という話に、
いつのまにかなっていることです。

現代史をすこしでも勉強すれば、事実はまったく逆なことがわかります。 

日清戦争で台湾と賠償金を手に入れて以来、
日本人は戦争で支配地域を増やすことが「得」だと思い込み、
利権を手放すことに、はげしく抵抗しました。

こうした国民のエゴイズムを一部の軍人や政治家が権力闘争に利用し、
「愛国」の名の下に国家を破滅へと引きずり込んでいったのです。
――国民が戦争を求めたからこそ、国は戦争をしたのです。

こうした歴史に学ぶなら、国民のエゴイズムがこれほど頑強に「戦争」に反対している以上、
どんな愛国的な政治家でも、戦争などできるわけはありません。

安保法制がどうなろうが、平和な時代はこれからもずっとつづくことでしょう。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
          

私は高校生から歴史が好きで、特に近代史の書物を乱読してきた。
ここ20数年は、塩野七生、徳岡孝夫、櫻井よしこ、中西輝政などの各氏を読み、
根幹の私の思想は、塩野七生さんの真似事をすれば、現実的理想主義である、と思ったりしている。

私は昨年の2014年7月中旬、集団的自衛権がマスメディアで論議されていた当時、
私は集団的自衛権などは世界の主要国に於いては、
時の政府は国益に基づいて、軍事、経済などを外交を通じて国際間の政治が行われているので、
もとより自国の領有は維持し、行使する権利を保有する中で、
国民の生命の安全と財産を守る責務が実施されているのが現実となっている。
          

敗戦後の日本の安全は、占領下の時代はアメリカを中核とした連合国の傘下となり、
やがて独立したが、この後もアメリカと日本の国益に基づいて、
アメリカの防衛体制下で守られて、今日の平和があるので、
ともすれば国民の一部の方には、自国の防衛に薄らいだ風潮が見られる。

もとより平和を願うだけでは、平和は維持できないという歴史上から実態であり、
世界の主要国は、それぞれ軍事力を有して自国の防衛に歴然とした怜悧な現実がある。

そして日本は憲法の解釈により「集団的自衛権は保有はするが、行使はできない」という自らに禁じて、
世界の主要国から見れば、自国の防衛もままならない半人前の不思議な国と黙視されている。

昨今の安倍政権の奮戦は、遅ればせながら、その禁止を解こうという目的であり、
日本も世界の主要国に仲間入りをするだけである。

このようなことが解らない人は、平和ボケであり、国際間の怜悧な常識も欠落した人であり、
世界の主要国、特にロシア、中国などから冷笑されている、と私は憂いたりしてきた。

この後、私は安保保障の第一人者の小川和久さんの著作『日本人が知らない集団的自衛権』(文春新書)を読み、
改めて数多く教示されてきた。

そして国会議員の諸兄諸姉は、少なくともこの本を理解した上で、
真摯に与野党間で安全保障に関して審議してほしい、と念願したりしてきた。
          

安全保障関連法案の審議に関して、
過ぎし4月に、民主党は将来の集団的自衛権の行使容認に含みを残す党見解をまとめた後、
どのような状況なら容認するかの党内論議を回避し、園児のような言動で法案反対を唱え続けている。

その上 戦争法案、徴兵制の復活などとマスメディアを通して、国民の不安をあおるような言動をしている。

岡田代表は以前から良きブレない直球だけの論戦をされ、怜悧な国益を配慮した政治家のひとりであり、
確か10年以上前からは米艦防護を可能にすることに前向きであり、現実を解る人と好感してきたが、
突然の反対一辺倒になってしまったのか、私は不可解となってきた。

こうした岡田代表に、戦争法案、徴兵制の復活などとありえない悪知恵を授(さず)けたのは、
党内の平和ボケした一派か、或いは生活の野党を率いる小沢一郎さんかしら、と私は妄想をしたりしてきた。
          

改めて今回の安全保障関連法案は、集団的自衛権の行使の要件に関しては、もとより日本の存立が脅かされ、
国民の権利が根底から覆される明白な危険がある「存立危機事態」に厳しく限定し、
日本周辺有事における米軍艦船の防護などを想定したものである、と私は認識している。

今回の作家の橘 玲(たちばな・あきら)さんの安保法制に関しての論説、
このような私の思いに近いことを的確に表現されていたので、
そうですよねぇ、と私は微苦笑を重ねて、賛意したりした。


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