私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
子供に恵まれことがなく家内と2人だりの家庭であり、
そして築後30数年の古惚けた家に住んでいる・・。
過日、鹿児島・市内と霧島温泉の帰路の際、
羽田空港の売店で何気なし見ていた時、
ひとつの雑誌の表紙の見出しに気になり、購入してしまったのである。
『プレジデント フィフティ・プラス』(プレジデント社)という雑誌であったが、
【 総力特集
金持ち定年、貧乏定年 】
と大きく明示されていたので、いやらしいタイトルであったが、
小心者の私は読みたいと思ったのである。
私は帰宅後の2日後に、この雑誌を読んだりしたが、
何より深く読んだのは、特集のひとつである『男おひとりさまの晩年』であり、
お金、住まい、相続、遺言、友達、そしてドッキリしたがセックスのことも、
やさしく教示されていたのである。
私は煙草も喫うし、お酒も好きだし、散歩する以外はスポーツはしないぐうだらな身で、
家内より早くあの世に行くと確信はしているが、
世の中は先のことは何が起きるか解からないので、
家内に先立だれた場合のことを一年に数度ぐらいは考えたりしている。
家内とは日頃から、葬儀、お墓のことも何度も話し合い、
葬儀は親族関係だけの家族葬とした後、お墓は樹木園に埋葬し、
それぞれ好きな落葉樹の下で土に還る、
そして四十九日が過ぎたら、その時のきまぐれでお墓参りをすれば、
とお互いに確認し合っている。
私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようにこともあるのか、
と呆然としながら四十九日を終えて、樹木園に行き、埋葬をすると思われる。
そして私は、料理、掃除、洗濯などは初心者の若葉マークのような身であり、
戸惑いながら行うが、
何より長年寝食を共にし、人生の大半の苦楽を分かち合い、
気楽に安心して話す相手がいなくなったことが困るのである。
この後は、やむえず古惚けた一軒屋を処分し、都立大きな公園の近くで、
スーパーと本屋に10分前後で行けた上で、
大学病院に公共の交通機関の利便性のある場所で、
小さな2DKのマンションを選定すると思われる。
これ以前には、住まいが狭くなるので本の大半は処分し、1000冊前後に厳選した上、
映画などのビデオテープ、DVDはもとより音楽のカセット、CD、DVDは
程々に多いがすべて移動する。
こうした独り身の日常生活の時は、
付近の公園で四季折々の情景を眺めながら散策したり、
スーパーでお惣菜コーナーの売り場で買い求めたり、本屋に寄り、
数冊を購入する。
そして週一度は定期便のような居酒屋に行き、
中年の仲居さんにからかわれながら、純米酒を二合ばかり呑むだろう。
こうした中でも、私は家内の位牌の代わりに、
定期入れに愛用した革のケースに、家内のスナップを入れて、
いつも持ち歩くと確信している。
こうした日常生活を過ごすと思われるが、
私は国内旅行も好きなので、月に3泊4日前後で、各地を訪れるだろう。
劇作家のチェーホフの遺された、
男と交際しない女は次第に色褪せる、女と交際しない男は阿呆になる、
と人生の哲学のような名言は、どうしたらよいの、と考えたりするだろう。
そして、宿泊先の仲居さんで、お酌をして下さる方たちと、
やさしくふるまいながら語りあうと想像される・・。
そして、その夜は枕元に革ケースを置いて、
人生はいつまで続くの、と少し思いながら眠るだろう。
尚、苦手な金持ち定年、貧乏定年の件であるが、
小学生からサラリーマン時代も通信簿『3』が多く、
東京郊外にたった一軒しか残せなかった拙(つたな)い身であり、
金融資産も億もないので、わが人生は通信簿と同様かしら、
と微苦笑している。
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子供に恵まれことがなく家内と2人だりの家庭であり、
そして築後30数年の古惚けた家に住んでいる・・。
過日、鹿児島・市内と霧島温泉の帰路の際、
羽田空港の売店で何気なし見ていた時、
ひとつの雑誌の表紙の見出しに気になり、購入してしまったのである。
『プレジデント フィフティ・プラス』(プレジデント社)という雑誌であったが、
【 総力特集
金持ち定年、貧乏定年 】
と大きく明示されていたので、いやらしいタイトルであったが、
小心者の私は読みたいと思ったのである。
私は帰宅後の2日後に、この雑誌を読んだりしたが、
何より深く読んだのは、特集のひとつである『男おひとりさまの晩年』であり、
お金、住まい、相続、遺言、友達、そしてドッキリしたがセックスのことも、
やさしく教示されていたのである。
私は煙草も喫うし、お酒も好きだし、散歩する以外はスポーツはしないぐうだらな身で、
家内より早くあの世に行くと確信はしているが、
世の中は先のことは何が起きるか解からないので、
家内に先立だれた場合のことを一年に数度ぐらいは考えたりしている。
家内とは日頃から、葬儀、お墓のことも何度も話し合い、
葬儀は親族関係だけの家族葬とした後、お墓は樹木園に埋葬し、
それぞれ好きな落葉樹の下で土に還る、
そして四十九日が過ぎたら、その時のきまぐれでお墓参りをすれば、
とお互いに確認し合っている。
私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようにこともあるのか、
と呆然としながら四十九日を終えて、樹木園に行き、埋葬をすると思われる。
そして私は、料理、掃除、洗濯などは初心者の若葉マークのような身であり、
戸惑いながら行うが、
何より長年寝食を共にし、人生の大半の苦楽を分かち合い、
気楽に安心して話す相手がいなくなったことが困るのである。
この後は、やむえず古惚けた一軒屋を処分し、都立大きな公園の近くで、
スーパーと本屋に10分前後で行けた上で、
大学病院に公共の交通機関の利便性のある場所で、
小さな2DKのマンションを選定すると思われる。
これ以前には、住まいが狭くなるので本の大半は処分し、1000冊前後に厳選した上、
映画などのビデオテープ、DVDはもとより音楽のカセット、CD、DVDは
程々に多いがすべて移動する。
こうした独り身の日常生活の時は、
付近の公園で四季折々の情景を眺めながら散策したり、
スーパーでお惣菜コーナーの売り場で買い求めたり、本屋に寄り、
数冊を購入する。
そして週一度は定期便のような居酒屋に行き、
中年の仲居さんにからかわれながら、純米酒を二合ばかり呑むだろう。
こうした中でも、私は家内の位牌の代わりに、
定期入れに愛用した革のケースに、家内のスナップを入れて、
いつも持ち歩くと確信している。
こうした日常生活を過ごすと思われるが、
私は国内旅行も好きなので、月に3泊4日前後で、各地を訪れるだろう。
劇作家のチェーホフの遺された、
男と交際しない女は次第に色褪せる、女と交際しない男は阿呆になる、
と人生の哲学のような名言は、どうしたらよいの、と考えたりするだろう。
そして、宿泊先の仲居さんで、お酌をして下さる方たちと、
やさしくふるまいながら語りあうと想像される・・。
そして、その夜は枕元に革ケースを置いて、
人生はいつまで続くの、と少し思いながら眠るだろう。
尚、苦手な金持ち定年、貧乏定年の件であるが、
小学生からサラリーマン時代も通信簿『3』が多く、
東京郊外にたった一軒しか残せなかった拙(つたな)い身であり、
金融資産も億もないので、わが人生は通信簿と同様かしら、
と微苦笑している。
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