私は昨夕、日中の小用にかまけて、購読している読売新聞の朝刊を遅ればせながら読んだりした。
そして13面の【文化】の定例週間特集記事の【本よみうり堂】を読んだりしていたが、
この中のひとつの記事に、
《 精選女性随筆集
選者2人が対談 》
と大きな見出しの下に、作家の川上弘美(かわかみ・ひろみ)、小池真理子(こいけ・まりこ)両氏 の
写真と共に略歴も掲載されていた。
そして川上弘美さんと小池真理子さんが選者を務める『精選女性随筆集』(全12巻、文藝春秋)が刊行されているが、
この選者に、女性作家と随筆について語り合う対談記事、と読みながら解った。
私は遅ればせながら読書に目覚めたのは、高校に入学してまもない時期であり、
1960〈昭和35〉年の春であった。
創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力であった。
これ以来、小説、随筆、ノンフィクション、近代史、歴史書など乱読をしているので、
早や50数年過ぎている読書好きのひとりであるので、
今回、長年に及び第一線で活躍されている作家のおふたりから、随筆の世界を学ぼうと精読したのである。
無断であるが、一部を引用させて頂く(敬称略)
《・・
小池真理子
・・(略)・・今、白洲正子を読んでいるですが、
よく知られている能や骨董品のことより、
軽井沢の別荘近くでバッタリ会った正宗白鳥が厭世(えんせい)的なことを言っていた、
とかいう内容の方がすごく面白い。
川上弘美
やっぱり読んでいて胸を打たれたのは、
知識的な内容より人との関係や一瞬の出逢いを書いたものでした。
小池真理子
現代の作家よりも余裕があったんでしょうね。
人間関係も、人生そのものも。
川上弘美
誰でも小説は一生に一作は書けるといわれているけれど、
むしろエッセーこそそうかもと、今回思った。
小説はからっぽでも書けるけど、
エッセーはよほど伝えたいことがあるか、
その人自身が面白いかじゃないと書けない。
そして文体を持っているか。
・・(略)・・
あと、エッセーには生きていた年月も必要かな。
小池真理子
どんなにうまく気取って書いてもばれるものね。
正体が出てしまう。
川上弘美
逆に正体を出せる人がいいエッセイストなんじゃないかな。
・・(略)・・
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
長く引用させて頂いた理由のひとつとしては、私なりに随筆の世界には、
強く関心を秘めているからでもある。
私は2004〈平成16〉年の秋に民間会社を定年退職するまでは、
何かと屈折と劣等感の多い人生を過ごしたのであるが、
この地球に生を受けたひとりとして、私が亡くなる前まで、
何らかのかけらを残したい、と定年前から思索していた。
あたかも満天の星空の中で、片隅に何とか目を凝(こ)らせば見えるぐらいの星のひとつのように、
と思ったりした・・。
私はこれといって、特技はなく、かといって定年後は安楽に過ごせれば良い、
といった楽観にもなれず、いろいろと消却した末、言葉による表現を思案したのである。
文藝の世界は、短歌、俳句、詩、小説、随筆、評論などの分野があるが、
私は無念ながら歌を詠(よ)む素養に乏しく、小説、評論は体力も要するので、
せめて散文形式で随筆を綴れたら、と決意した・・。
私は若き日のひととき、映画・文学青年の真似事をして敗退した時期もあったが、
定年後の感性も体力、何よりの文章の表現力も衰えたので、
ブログ、ブログに準じたサイトに加入し、文章修行とした。
そして多くの方に読んで頂きたく、あらゆるジャンルを綴り、
真摯に綴ったり、ときには面白く、おかしく投稿したりした。
そして苦手な政治、経済、社会の諸問題まで綴ったりしたが、
意識して、最後まで読んで頂きたく、構成なども配慮したりしている。
私の最後の目標は、人生と文章修行の果てに、
たとえば鎌倉前期の歌人のひとり鴨長明(かもの・ちょうめい)が遺され随筆の『方丈記』等があるが、
この方の数多くの遺された中のひとつに準じる随筆を綴れれば、本望と思っている。
そして私の死後の数百年を過ぎた頃、文愛人の一部の方から、
あの時代に短かな随筆をたったひとつ遺(のこ)した人もいた、
と思って頂ただければ幸いという思いがある。
このような思いが、私としては拙(つたな)いなりに秘めたりしているので、
日々に感じたこと、思考したことを心の発露とし、
原則として国内旅行で自宅を留守にしない限り、毎日少なくとも一通は投稿している。
そして、何より肝要なことは、人それぞれ誰しも光と影を持ちあわしているので、
つたない私でも、ささやかな光、そして秘められた影を余すところなく綴るのが命題と思ったりしている。
このような身過ぎ世過ぎの年金生活をしながら、
言葉による表現、読書、そして思索の時間を過ごしたりすると、
私にとっての年金生活は暇、安楽というのは死語である。
私は確固たる根拠もないが、私なりの拙(つたな)い感性と感覚を頼りに、
できうる限り随筆形式で綴ってみようと、投稿文としている。
そして若き頃に小説の習作を少し体験し、幾たびか校正したりしてきたが、
ブログの投稿文と甘え、一気呵成〈かせい〉に書き上げてしまうことも多い。
しかしながら、その日に応じて、簡単に言葉を紡(つむ)ぐ時もあれば、
言葉がなかなか舞い降りてこなくて、苦心惨憺とすることも多いのが実情でもある・・。
このような時、言霊(ことだま)に対して自己格闘が甘いのかしら、
或いは幼年期からの何かと甘さの多い人生を過ごしてきたから、
このような拙〈つたな〉い文章を綴るしか表現が出来ない、
と深刻に考えたりすることがある。
こうした私なりに、秘かな野望が挫折した時、
数多くの拙〈つたな〉い投稿文が残して、涙を浮かべて振り返った時、
のちの想いになることだけは確かだ、と思いながらも日々投稿文を認(したた)めている。
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そして13面の【文化】の定例週間特集記事の【本よみうり堂】を読んだりしていたが、
この中のひとつの記事に、
《 精選女性随筆集
選者2人が対談 》
と大きな見出しの下に、作家の川上弘美(かわかみ・ひろみ)、小池真理子(こいけ・まりこ)両氏 の
写真と共に略歴も掲載されていた。
そして川上弘美さんと小池真理子さんが選者を務める『精選女性随筆集』(全12巻、文藝春秋)が刊行されているが、
この選者に、女性作家と随筆について語り合う対談記事、と読みながら解った。
私は遅ればせながら読書に目覚めたのは、高校に入学してまもない時期であり、
1960〈昭和35〉年の春であった。
創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力であった。
これ以来、小説、随筆、ノンフィクション、近代史、歴史書など乱読をしているので、
早や50数年過ぎている読書好きのひとりであるので、
今回、長年に及び第一線で活躍されている作家のおふたりから、随筆の世界を学ぼうと精読したのである。
無断であるが、一部を引用させて頂く(敬称略)
《・・
小池真理子
・・(略)・・今、白洲正子を読んでいるですが、
よく知られている能や骨董品のことより、
軽井沢の別荘近くでバッタリ会った正宗白鳥が厭世(えんせい)的なことを言っていた、
とかいう内容の方がすごく面白い。
川上弘美
やっぱり読んでいて胸を打たれたのは、
知識的な内容より人との関係や一瞬の出逢いを書いたものでした。
小池真理子
現代の作家よりも余裕があったんでしょうね。
人間関係も、人生そのものも。
川上弘美
誰でも小説は一生に一作は書けるといわれているけれど、
むしろエッセーこそそうかもと、今回思った。
小説はからっぽでも書けるけど、
エッセーはよほど伝えたいことがあるか、
その人自身が面白いかじゃないと書けない。
そして文体を持っているか。
・・(略)・・
あと、エッセーには生きていた年月も必要かな。
小池真理子
どんなにうまく気取って書いてもばれるものね。
正体が出てしまう。
川上弘美
逆に正体を出せる人がいいエッセイストなんじゃないかな。
・・(略)・・
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
長く引用させて頂いた理由のひとつとしては、私なりに随筆の世界には、
強く関心を秘めているからでもある。
私は2004〈平成16〉年の秋に民間会社を定年退職するまでは、
何かと屈折と劣等感の多い人生を過ごしたのであるが、
この地球に生を受けたひとりとして、私が亡くなる前まで、
何らかのかけらを残したい、と定年前から思索していた。
あたかも満天の星空の中で、片隅に何とか目を凝(こ)らせば見えるぐらいの星のひとつのように、
と思ったりした・・。
私はこれといって、特技はなく、かといって定年後は安楽に過ごせれば良い、
といった楽観にもなれず、いろいろと消却した末、言葉による表現を思案したのである。
文藝の世界は、短歌、俳句、詩、小説、随筆、評論などの分野があるが、
私は無念ながら歌を詠(よ)む素養に乏しく、小説、評論は体力も要するので、
せめて散文形式で随筆を綴れたら、と決意した・・。
私は若き日のひととき、映画・文学青年の真似事をして敗退した時期もあったが、
定年後の感性も体力、何よりの文章の表現力も衰えたので、
ブログ、ブログに準じたサイトに加入し、文章修行とした。
そして多くの方に読んで頂きたく、あらゆるジャンルを綴り、
真摯に綴ったり、ときには面白く、おかしく投稿したりした。
そして苦手な政治、経済、社会の諸問題まで綴ったりしたが、
意識して、最後まで読んで頂きたく、構成なども配慮したりしている。
私の最後の目標は、人生と文章修行の果てに、
たとえば鎌倉前期の歌人のひとり鴨長明(かもの・ちょうめい)が遺され随筆の『方丈記』等があるが、
この方の数多くの遺された中のひとつに準じる随筆を綴れれば、本望と思っている。
そして私の死後の数百年を過ぎた頃、文愛人の一部の方から、
あの時代に短かな随筆をたったひとつ遺(のこ)した人もいた、
と思って頂ただければ幸いという思いがある。
このような思いが、私としては拙(つたな)いなりに秘めたりしているので、
日々に感じたこと、思考したことを心の発露とし、
原則として国内旅行で自宅を留守にしない限り、毎日少なくとも一通は投稿している。
そして、何より肝要なことは、人それぞれ誰しも光と影を持ちあわしているので、
つたない私でも、ささやかな光、そして秘められた影を余すところなく綴るのが命題と思ったりしている。
このような身過ぎ世過ぎの年金生活をしながら、
言葉による表現、読書、そして思索の時間を過ごしたりすると、
私にとっての年金生活は暇、安楽というのは死語である。
私は確固たる根拠もないが、私なりの拙(つたな)い感性と感覚を頼りに、
できうる限り随筆形式で綴ってみようと、投稿文としている。
そして若き頃に小説の習作を少し体験し、幾たびか校正したりしてきたが、
ブログの投稿文と甘え、一気呵成〈かせい〉に書き上げてしまうことも多い。
しかしながら、その日に応じて、簡単に言葉を紡(つむ)ぐ時もあれば、
言葉がなかなか舞い降りてこなくて、苦心惨憺とすることも多いのが実情でもある・・。
このような時、言霊(ことだま)に対して自己格闘が甘いのかしら、
或いは幼年期からの何かと甘さの多い人生を過ごしてきたから、
このような拙〈つたな〉い文章を綴るしか表現が出来ない、
と深刻に考えたりすることがある。
こうした私なりに、秘かな野望が挫折した時、
数多くの拙〈つたな〉い投稿文が残して、涙を浮かべて振り返った時、
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