私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
我が家は住宅街の外れにあり、変則の五角形のような敷地で、家屋を配置した結果、
やむなく主庭と玄関庭の二分化となっている。
過ぎし19日は、家内の支援もあり、私たち夫婦は玄関庭の手入れをした。
そして今朝の7時過ぎに私はテラスに下り立つと、
さわやかな晴れ間となり、運動会代わりの庭の手入れに最適、と思いながら、
主庭の樹木の伸び放題の枝葉、地表には草に繁えているので、
本日決行だ、と体力も衰えた私でも、自身を叱咤激励した。
家内は家の中で、衣料の冬物を日中すると昨夜言っていたので、
私は独りで8時半過ぎより主庭に下り立ち、いつものようにストレッチパンズの長ズボン、
着古したスポーツシャツ、ウォーキング・シューズ、帽子、
滑り止めの軍手をした上て、剪定鋏(ハサミ)を腰の周りにしたりした。
2週間前に、たわむれに撮った一葉である。
そして樹木の伸び放題の枝葉を高枝バサミで15本ばかり切り落とし、
やがて切り落とした枝葉を二時間ぐらいで、市指定の有料の『燃やせるゴミ袋』に、
破れないように剪定鋏(ハサミ)で小さくして入れたりした。
この後、難問の草むしりをしたのであるが、
ドクダミなどの草が地面にへばりつくように繁っているので、労苦を要する。
或いは樹木のある地面も草が生えているので、
樹の下にもぐるように、はいつくばって草を取ったりすると、泥だらけになる。
しかし暑かった夏季と違い、汗はうっすらとかく程度であったので、楽であった。
結果的に私は、根が単細胞の熱中する悪い癖の為か、昼食抜きで孤軍奮闘していたが、
やがて疲れ果てて午後3時過ぎに終了とした。
そして少しばかり清々しくなった主庭を眺めたりし、
片隅にある柚子(ユズ)の実を5つばかり捥(も)ぎ、あと10ぐらいとなり、
今年は不作の年だねぇ、と微苦笑しながら心の中で呟(つぶや)いたりした。
我が家にある柚子の樹は、小ぶりの実が成る伊予地方産の柚子の樹である。
35年前、生家の近くに家を建て後、
少し遠い都立公園に家内と共に行き、帰路、苗木屋さんに立ち寄り、買い求めた品であった。
私の幼年期は農家の児として生を受け、宅地の外れに大きな柚の樹があり、
晩秋になると、祖父が長い竹竿(たけざお)で捥(も)いて折、
黄色い色艶した大きな実が数多く収穫できた。
お正月の御雑煮などに、幼児の私でも一切れ入れてもらったり、
祖父や父の晩酌の友としたり、春先までの大人楽しみの食べ物のひとつだった。
このような幼年期の体験があったので、
苗木屋さんで、柚の樹に買い求めようかなぁ、と思っていたのである・・。
『旦那さん、この柚子の樹・・お買い得よ・・』
と店の奥さんから声を掛けられた。
私は見ると、簡素な鉢(はち)に入った根元2センチぐらい、樹高は80センチぐらいで、
一人前に接木したあった。
『お姉さんさぁ・・その柚、小さくない?』
と私は言った。
『あらぁ、旦那さん・・伊予(いよ)地方の柚なの、
この辺に成る大きめの実と違うけれど・・小振りな実で評判良いわょ・・』
と店の奥さんは微笑みながら、私に言った
『小振りは、解ったけれど、実は成るかなぁ・・』
と私は言った。
『心配なしょ・・数年したら、食べきれなく程、成ります』
と店の奥さんは力強く私に言った。
『そうしたら、家から出荷するか・・』
とB型のお調子者の私は、明るく応じた。
こうして私は買い求めて、主庭に植え、水をたっぷり上げた。
その後、肥料を施し、数年過ぎた。
しかし花が咲かず、実も成らなかった。
『XXちゃん、地植えが駄目なのかなぁ』
と私は家内に言ったりした。
『貴方、柚は時間が掛かると言うじゃ、ありませんの・・
柚の馬鹿・・何とか・・』
と家内は笑いながら、私に言った。
『苗木屋さんの奥さん・・調子良すぎぎだったなぁ・・』
と私は家内に言った。
『・・』
家内は笑ってばかりだった。
『だまされたかなぁ・・』
と私は呟(つぶや)くように、未練たらしく言った。
この後、私は伊予地方と東京の郊外では、土壌が違うのか、
或いは主(あるじ)の私に反抗して、のろまな態度なのか、
私は心配していたのは確かであった。
こうして7年が過ぎた・・。
そして5月になると、純白に花が咲いた。
その晩秋、初めて3つばかり収穫があった。
翌年の5月になると、若芽が伸びたので、刈り込んだ。
栄養分を主木から枝に行き渡らす為に、刈り込んだのである。
しかし私の期待に反して、この秋、収穫ゼロとなった。
それから数年、刈り込まず、肥料も与えず、草むしりだけは丁重にするだけで、放置した。
そして晩秋は、確実に10数個、収穫があった。
私が定年退職する10年前の頃からは、百個は超える実りとなった。
この秋の時は、たわわに淡い黄色の実を眺め、
『XXちゃんさぁ・・やっと念願どおりになったょ・・』
と私は家内に歓声を上げながら言った。
昨年の11月下旬、たわむれに記念撮影をした。
このように我が家の伊予柚は、苦節10何年の歳月を要したりである。
その後、5月初旬の頃になれば、
伊予柚子の枝からは、たわわに白い花を咲かせ、
私は微笑みながら、この樹木の下とその周辺を草抜きをしたりする時、
♪白い花が 咲いていた
ふるさとの 遠い夢の日
・・・
【 『白い花の咲く頃』 作詞・寺尾智沙、作曲・田村しげる、唄・岡本敦郎 】
と思わず鼻歌を唄ったりしてきた。
秋になると、この日に気に入った弐合徳利に辛口の純米酒を入れ、
人肌ほどに温めながら、ぐい呑みも選定した上、
家内に柚子のひとつを渡して、輪切りにして貰ったりする。
私は酒を一口呑み、柚子を口に含み、そして香りと共に味わう・・。
この後、家内と夕食を頂きながら、
私のかみ締めている柚子の一切れは、いびつな形であったが、それなりの味がある。
このような私は、私の住む武蔵野地方から遥か遠方の四国の伊予地方の柚子は、
最初は敬遠されたが、この後は馴染んでくれて、愛(いと)おしさを増している・・。
このような伊予柚子のささやかな思いがあり、
この柚子は豊作の時は100前後成るが、翌年は不作の年で20前後となり、
柿の実と同様に一年おきとなり、我が家の数少ない秋の収穫となっている。
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我が家は住宅街の外れにあり、変則の五角形のような敷地で、家屋を配置した結果、
やむなく主庭と玄関庭の二分化となっている。
過ぎし19日は、家内の支援もあり、私たち夫婦は玄関庭の手入れをした。
そして今朝の7時過ぎに私はテラスに下り立つと、
さわやかな晴れ間となり、運動会代わりの庭の手入れに最適、と思いながら、
主庭の樹木の伸び放題の枝葉、地表には草に繁えているので、
本日決行だ、と体力も衰えた私でも、自身を叱咤激励した。
家内は家の中で、衣料の冬物を日中すると昨夜言っていたので、
私は独りで8時半過ぎより主庭に下り立ち、いつものようにストレッチパンズの長ズボン、
着古したスポーツシャツ、ウォーキング・シューズ、帽子、
滑り止めの軍手をした上て、剪定鋏(ハサミ)を腰の周りにしたりした。
2週間前に、たわむれに撮った一葉である。
そして樹木の伸び放題の枝葉を高枝バサミで15本ばかり切り落とし、
やがて切り落とした枝葉を二時間ぐらいで、市指定の有料の『燃やせるゴミ袋』に、
破れないように剪定鋏(ハサミ)で小さくして入れたりした。
この後、難問の草むしりをしたのであるが、
ドクダミなどの草が地面にへばりつくように繁っているので、労苦を要する。
或いは樹木のある地面も草が生えているので、
樹の下にもぐるように、はいつくばって草を取ったりすると、泥だらけになる。
しかし暑かった夏季と違い、汗はうっすらとかく程度であったので、楽であった。
結果的に私は、根が単細胞の熱中する悪い癖の為か、昼食抜きで孤軍奮闘していたが、
やがて疲れ果てて午後3時過ぎに終了とした。
そして少しばかり清々しくなった主庭を眺めたりし、
片隅にある柚子(ユズ)の実を5つばかり捥(も)ぎ、あと10ぐらいとなり、
今年は不作の年だねぇ、と微苦笑しながら心の中で呟(つぶや)いたりした。
我が家にある柚子の樹は、小ぶりの実が成る伊予地方産の柚子の樹である。
35年前、生家の近くに家を建て後、
少し遠い都立公園に家内と共に行き、帰路、苗木屋さんに立ち寄り、買い求めた品であった。
私の幼年期は農家の児として生を受け、宅地の外れに大きな柚の樹があり、
晩秋になると、祖父が長い竹竿(たけざお)で捥(も)いて折、
黄色い色艶した大きな実が数多く収穫できた。
お正月の御雑煮などに、幼児の私でも一切れ入れてもらったり、
祖父や父の晩酌の友としたり、春先までの大人楽しみの食べ物のひとつだった。
このような幼年期の体験があったので、
苗木屋さんで、柚の樹に買い求めようかなぁ、と思っていたのである・・。
『旦那さん、この柚子の樹・・お買い得よ・・』
と店の奥さんから声を掛けられた。
私は見ると、簡素な鉢(はち)に入った根元2センチぐらい、樹高は80センチぐらいで、
一人前に接木したあった。
『お姉さんさぁ・・その柚、小さくない?』
と私は言った。
『あらぁ、旦那さん・・伊予(いよ)地方の柚なの、
この辺に成る大きめの実と違うけれど・・小振りな実で評判良いわょ・・』
と店の奥さんは微笑みながら、私に言った
『小振りは、解ったけれど、実は成るかなぁ・・』
と私は言った。
『心配なしょ・・数年したら、食べきれなく程、成ります』
と店の奥さんは力強く私に言った。
『そうしたら、家から出荷するか・・』
とB型のお調子者の私は、明るく応じた。
こうして私は買い求めて、主庭に植え、水をたっぷり上げた。
その後、肥料を施し、数年過ぎた。
しかし花が咲かず、実も成らなかった。
『XXちゃん、地植えが駄目なのかなぁ』
と私は家内に言ったりした。
『貴方、柚は時間が掛かると言うじゃ、ありませんの・・
柚の馬鹿・・何とか・・』
と家内は笑いながら、私に言った。
『苗木屋さんの奥さん・・調子良すぎぎだったなぁ・・』
と私は家内に言った。
『・・』
家内は笑ってばかりだった。
『だまされたかなぁ・・』
と私は呟(つぶや)くように、未練たらしく言った。
この後、私は伊予地方と東京の郊外では、土壌が違うのか、
或いは主(あるじ)の私に反抗して、のろまな態度なのか、
私は心配していたのは確かであった。
こうして7年が過ぎた・・。
そして5月になると、純白に花が咲いた。
その晩秋、初めて3つばかり収穫があった。
翌年の5月になると、若芽が伸びたので、刈り込んだ。
栄養分を主木から枝に行き渡らす為に、刈り込んだのである。
しかし私の期待に反して、この秋、収穫ゼロとなった。
それから数年、刈り込まず、肥料も与えず、草むしりだけは丁重にするだけで、放置した。
そして晩秋は、確実に10数個、収穫があった。
私が定年退職する10年前の頃からは、百個は超える実りとなった。
この秋の時は、たわわに淡い黄色の実を眺め、
『XXちゃんさぁ・・やっと念願どおりになったょ・・』
と私は家内に歓声を上げながら言った。
昨年の11月下旬、たわむれに記念撮影をした。
このように我が家の伊予柚は、苦節10何年の歳月を要したりである。
その後、5月初旬の頃になれば、
伊予柚子の枝からは、たわわに白い花を咲かせ、
私は微笑みながら、この樹木の下とその周辺を草抜きをしたりする時、
♪白い花が 咲いていた
ふるさとの 遠い夢の日
・・・
【 『白い花の咲く頃』 作詞・寺尾智沙、作曲・田村しげる、唄・岡本敦郎 】
と思わず鼻歌を唄ったりしてきた。
秋になると、この日に気に入った弐合徳利に辛口の純米酒を入れ、
人肌ほどに温めながら、ぐい呑みも選定した上、
家内に柚子のひとつを渡して、輪切りにして貰ったりする。
私は酒を一口呑み、柚子を口に含み、そして香りと共に味わう・・。
この後、家内と夕食を頂きながら、
私のかみ締めている柚子の一切れは、いびつな形であったが、それなりの味がある。
このような私は、私の住む武蔵野地方から遥か遠方の四国の伊予地方の柚子は、
最初は敬遠されたが、この後は馴染んでくれて、愛(いと)おしさを増している・・。
このような伊予柚子のささやかな思いがあり、
この柚子は豊作の時は100前後成るが、翌年は不作の年で20前後となり、
柿の実と同様に一年おきとなり、我が家の数少ない秋の収穫となっている。
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